大判例

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東京地方裁判所 昭和30年(刑わ)3143号 判決

本籍 大分県竹田市竹田五百九十四番地

住居 熊本市本山町九番地

参議院議員 矢嶋三義

明治四十四年十一月十六日生

本籍 岡山県都窪郡妹尾町大字妹尾三千九百五十一番地

住居 右同所

参議院議員 秋山長造

大正六年三月二十一日生

本籍 愛知県西加茂郡小原村百月十四番地

住居 名古屋市千種区城木町二丁目五十六番地

参議院議員 成瀬幡治

明治四十三年十二月十七日生

右の者らに対する公務執行妨害、傷害被告事件について当裁判所は検察官佐藤忠雄、木戸光男、山室章出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人ら三名はいずれも無罪

理由

第一章  序論

被告人らの弁護人(猪俣浩三、坂本泰良、古屋貞雄、佐竹晴記、亀田得治)らは本件審理の当初から、すなわち昭和三十一年十一月二十九日における第四回公判期日に「本件は国会会期中参議院内における被告人らの職務遂行行為に関連して惹起されたもので、参議院の規律および秩序に関する事犯である。かくの如き参議院の秩序に関する事犯については憲法上認められた参議院の固有な自律権に基いて処置すべきであり、かつそれのみに止まるべきもので、これら秩序に関して行政庁たる検察庁が介入することは、国会を国権の最高機関とした憲法第四十一条ならびに国会にその内部事項についての自律的権限を付与した憲法第五十八条第二項に違反するものと言わねばならず、本件についての検察官の訴追は正に右趣旨に反するものである。すなわち国会は国権の最高機関であつて、唯一の立法機関であるのみならず行政庁に対しては行政権の行使につき一般的監督権を有する関係にあり、その国会を構成する参議院の議員たる被告人らはいずれも右の如き立場をその議員の資格において有するのである。これら被告人の職務行為がたまたま議院の秩序に違反する結果となつたからとて被監督庁たる検察庁が、それの行為につき一般市民としての刑事責任を負わせるため訴追することは国会を国権の最高機関とした憲法の建前から許されないのみならず議院にその自律的権限を認めた憲法の趣旨にも反することになるからである。しかも検察庁が議院内におけるこの種の事犯につ公訴を提起し、公訴を維持する慣行を意慾的に作ることは冒険に等しい所為で、その作為が国会の権威を著しく侵害することをも付言する次第である。

以上の如く本件公訴の提起は国家的、社会的妥当性がないものであるから検察官はすみやかに公訴を取り消すべきである」との申立をなし、これに対して検察官が昭和三十二年四月五日の第五回公判期日において公訴を取り消さない旨を明言するや、即時前記公訴取消申立理由と同一理由をもつて公訴棄却の申立をした。

当裁判所は同年同月十七日の第六回公判期日において弁護人の公訴棄却の申立に対してはさしあたり判断を下さない旨を宣言した。その後弁護人らは昭和三十四年九月九日の第三十七回公判期日における冒頭陳述においても被告人らに対する本件公訴はいずれも棄却さるべき旨の主張をしたが、当裁判所は当時これを採用しなかつた。

弁護人らの「本件はいかなる審理をも為さず直ちに公訴棄却の裁判を為すべきである」との主張を当裁判所がしりぞけて事実審理を続けて来たのは次のような理由によるものである。本件起訴状には

「被告人らはいずれも参議院議員で被告人矢嶋三義は第二十二回国会会期末日である昭和三十年七月三十日午後十一時十八分より参議院議長応接室において再開された同院議院運営委員会に委員として出席していたもの、その余の被告人は右委員会を傍聴していたものであるが

第一  被告人矢嶋三義、同秋山長造は右議院運営委員会において同委員会委員長参議院議員郡祐一が同院内閣委員会、地方行政委員会、社会労働委員会および農林水産委員会より同院議長宛に提出せられた国防会議の構成等に関する法律案外十二法案の継続審査要求を審査するため同委員会の議事を整理し秩序を保持する等の職務を行つていた際、ほか数名と共謀のうえ同委員長の身辺に押し寄せ大声を発し、手拳肘等で胸部、肩部を突く等の暴行を加え、もつて同委員長の職務の執行を妨害すると共に右暴行により同委員長に対し全治約三ヶ月を要する右側第一、第二肋骨々軟骨裂創骨折および全治約二週間を要する右側肘関節内側軟部打撲皮膚擦過傷、左側肘関節内側皮膚擦過傷、左手背皮膚擦過傷の傷害を負わせ

第二  被告人成瀬幡治は

(一)  右委員会の行なわれた議長応接室において同院衛視副長参議院参事徳武国広、同衛視班長参議院主事原田音吉、同衛視班長参議院主事長島安五郎、同衛視参議院主事木村明、同衛視参議院主事小西保雄らが前記委員長らの警護、会議場の警備等の職務を行なつていた際、

(1) 衛視小西保雄に対し同人の胸部を手拳で突く等の暴行を加えもつて同衛視の職務の執行を妨害するとともに右の暴行により同衛視に対し全治約一週間を要する右胸部打撲傷を負わせ

(2)(イ) 衛視副長徳武国広に対し同人の顔面を手拳で殴打し

(ロ) 衛視班長原田音吉に対し同人の股を足蹴にする等

(ハ) 衛視班長長島安五郎に対し同人の胸部を手拳で突く等

(ニ) 衛視木村明に対し同人の襟首を掴んで手拳で突く等の暴行を加え、もつて右徳武国広外三名の職務の執行を妨害し

(二)  前記委員会終了後である同日午後十一時三十分頃同院議長室前廊下において同院衛視長参議院参事佐々木司が同所附近の警備を行なつていた際、同衛視長に対し同人の腕および肩を掴み身体を前後にゆすぶる等の暴行を加え、もつて同衛視長の職務の執行を妨害するとともに右暴行により同衛視長に対し全治約一週間を要する右上膊部皮下出血の傷害を負わせたものである」

と記載されている。

以上のような起訴状の記載によれば被告人らに対してはいずれも刑法所定の犯罪である公務執行妨害と傷害の各罪の構成要件に該当する事実ありとして公訴を提訴されたものであることが明らかである。

そうして弁護人らは前記主張のほかに「本件が参議院議員たる被告人らの国会審議活動に従事中その職務執行行為もしくはそれに附随する行為中に発生したもので、第一次には憲法第五十一条所定の国会議員の免責特権に該当する行為であり、仮に然らずとするもこれに準ずるものとして本件起訴には議院の告発を条件とするにも拘らず本件にはこれがないから公訴は棄却されるべきである」とも主張するのであるが、そもそも本件被告人らに対する公訴事実が右主張のような国会議員の免責特権に該当するものであるか否かは起訴状の記載自体では明らかでないから、当裁判所としては弁護人らの右主張の当否を判断する前提としてまず被告人らの起訴状記載の事実の存否の認定をしなければならないと考えたのであつて、この考えの正当であるべきことの確信は今なお変らない。すなわち、右起訴状の記載事実のみではその犯罪事実とされているものと被告人らの国会議員としての職務執行との具体的な関連性は明らかでない。憲法第五十一条に規定される国会議員の免責特権の対象たる行為は同条列記のものに厳格に限定されるべきものではないとしても被告人らに対する起訴状記載の事実がこれに包含されるか否かは証拠調に基く事実審理によつてこれを解明するのほかはないのである。

また弁護人らは被告人らに対する起訴状記載事実が右免責特権の範囲の内外にわたるか否かは議院自身がこれを先決すべきものであると主張するけれども、現行憲法および刑事訴訟法上しかく明瞭に解すべきなんらの実定法上の規定もないから(第十一章第二節および第十三章第二節第一(五)参照)この点に関する主張については十分の検討を要するのでこれに直ちに従う訳にはいかなかつた。

当裁判所は以上の観点に立つてまず起訴状記載の事実の存否の認定をなし、他面弁護人らの公訴棄却の主張に対する審究をも同時に進めた。

本判決は第二章ないし第八章を事実認定に当て、第九章ないし第十四章を弁護人の公訴棄却論に対する判断に当てた。すなわち起訴状記載事実の発生した昭和三十年七月三十日の第二十二回特別国会の開会された当時の政治情勢について被告人らを含む日本社会党所属国会議員がどのような判断をしていたかを当初に概観し(第二章第一節および第二節)、次に同国会における社会党の国会対策および国防会議の構成に関する法律案と憲法調査会法案の衆議院における審議状況(第三章)から同じく参議院における審議状況に関する事実認定(第四章)に進んで本件事実発生の政治的背景を不十分ではあるが及ぶ限り認識することに努めた。通常の刑事事件であればかような事柄の認識はいわゆる犯罪事実の認定について全く不要なことと言いうるが、本件においては前述のような弁護人らの公訴棄却の主張に対する考察の一資料としてこのことは必要不可欠のものと言うほかはなかつた。また被告人成瀬幡治については衛視に対する公務執行妨害という事実が起訴されているので本件議院運営委員会における参議院衛視の職務行為の内容およびその行動の根拠についてもこれを審究する必要があつた(第四章第三節第二(九)以下はこれに当てられた)。

そして弁護人の公訴棄却論に対しては、まず憲法第四十一条の「国会は国権の最高機関である」との意義を尋ね(第十章)、次に憲法第五十八条等の規定する国会の自律権、特に議院の懲罰権の本質、懲罰権と国家刑罰権との関係について考察を廻らし(第十一章)さらに憲法第五十条所定の国会議員の不逮捕特権、同第五十一条所定の同じく免責特権についてその沿革、諸外国の立法例を探索し、その刑法、刑事訴訟法上の解釈論に及び(第十二章、第十三章)、特に免責特権についてはイギリスにおける国会と裁判所との裁判権に関する歴史上の論争を回顧し(第十三章第三節)アメリカにおける同問題の処理を調べた(同章第四節)そして最後にいわゆる統治行為論に関する学説、判例の立場から本件を吟味して(第十四章)ついに弁護人の公訴棄却論に対してはすべてこれを否定的に解するのほかなき結論に到達した。

かくして最後に(第十五章)本件起訴の適法性を確認したうえ(第一節)、既に先に認定した被告人らの行為についての刑法的評価を尽し(第二節)、結語をもつて結んだ(第三節)のである。

以下その細部にわたる説明にはいることとする。

第二章  憲法調査会設置法案および国防会議の構成に関する法律案が第二十二回特別国会に提出された当時における被告人らを含む日本社会党所属国会議員の判断した政治情勢

証人勝間田清一の昭和三十四年十二月二十一日第三十八回(記録第七冊)、同和田博雄の昭和三十五年一月二十八日第三十九回(記録第七冊)被告人矢嶋三義の昭和三十六年六月二十一日第六十二回(記録第十六冊)の各公判調書中の供述記載、被告人矢嶋三義、同秋山長造の当公判廷での各供述を総合すると以下のような事実を認めることができる(なお以下の記載事実には公知の事実であるため前記各証拠中に現われていないものを含む)。

第一節  国際情勢

第二次世界大戦終了後に生じた米、ソ二大勢力の対立は米国のソ連に対する巻き返し政策となつて現われた。すなわち米国統合参謀本部議長ラドフオードの提唱にかかるいわゆる周辺戦略を基礎とした外交政策で米軍の高度の機動化、原子戦力化による通常兵力の減少を同盟国ないし従属国の軍隊強化によつて補うことが要請され、その具体的政策として一九五〇年以来米国は日本、韓国、台湾、フイリツピン等の各国との間に相互防衛条約を締結し、一九五四年九月には米、英、仏、濠、新西蘭、比、タイ、パキスタンの八ヶ国が参加する東南アジア集団防衛条約機構(SEATO)を成立せしめた。

元来、極東における米国の対日政策は当初日本の軍国主義の弱化であつたが、一九四九年に中華人民共和国が成立し、翌年朝鮮戦争が勃発するや、これらを契機として米国は急速に日本の再軍備を計画するに至り一九五一年九月、サンフランシスコ条約と同時に締結された日米安全保障条約はやがて一九五四年日米相互防衛援助協定(いわゆる(M・S・A)協定をもたらし、米国の指導による日本の対米従属的な再軍備体制は着々と作り上げられて行つた。

第二節  国内情勢

昭和二十九年十一月、政府与党である自由党の分裂により、日本民主党が誕生し、同年十二月鳩山内閣が成立した。同内閣は成立当初から憲法改正によるいわゆる自衛力の保持の必要性を唱導していたので、社会党としては同内閣が当時日本の再軍備政策の推進充実を強く要請しつつあつた米国の方針に迎合するものと判断していた。

昭和三十年二月二十七日に施行された総選挙の結果、日本民主党は衆議院で従前の百二十四議席から百八十五議席に増加し、自由党は百八十議席から百十二議席に減少し、社会党は左右両派合計して百三十五議席から百五十六議席に増加した。

かくて第二次鳩山内閣が成立したが、民主党は少数党内閣のため他党の協力を得なければ、到底満足な国会運営ができない情勢であり、殊に参議院では自由党の九十名に対して民主党は僅かに二十三名の議席を有するに過ぎず極めて劣勢であつた。

第二十二回特別国会は民主党鳩山内閣の手で行なわれた総選挙直後の国会であり、前記のように衆議院では民主党が自由党を押さえて第一党になつたとはいえ、過半数の安定勢力には程遠く、保守提携をもつて自由党に働きかけながらも他面社会党両派にも低姿勢を示すといつた複雑な経緯を辿り、法案審議は捗らなかつた。

第三章  第二十二回特別国会における社会党の国会対策等

証人勝間田清一同千葉信の昭和三十四年十二月二十一日第三十八回(記録第七冊)同和田博雄、同成田知己の昭和三十五年一月二十八日第三十九回(記録第七冊)、同岡田宗司、同藤田進、同菊川孝夫の昭和三十五年二月二十三日第四十一回(記録第八冊)、同飛鳥田一雄の昭和三十六年二月十三日第五十七回(記録第十三冊)、被告人矢嶋三義の昭和三十六年六月十七日、第六十一回記録(第十四冊)各公判調書中の供述記載、被告人矢嶋三義、同秋山長造の当公判廷での各供述を総合すると次の事実を認めることができる。

第一節  第二十二回特別国会における社会党の重要視した諸問題

第二十二回特別国会は昭和三十年二月二十七日の総選挙後、同年三月十八日から開かれ、会期は当初同年六月三十日までの予定であつたが結局同年七月三十日まで一箇月延長された。

この国会において社会党が重要視した問題は憲法調査会設置法案(以下憲法調査会法案と略称する)、国防会議の構成等に関する法律案(以下国防会議法案と略称する)砂糖の価格安定輸入臨時措置法案、バナナに関する特定の物資輸入臨時措置法案、これら二法案に関する一法案(以下この三法案を砂糖、バナナ法案と略称する)等の各法案の取り扱いおよびオネストジヨンの持ち込みに関する緊急質問の問題であつた。

第二節  国防会議法案および憲法調査会法案の衆議院における審議状況

国防会議法案は昭和三十年五月三十日政府提案で衆議院に提出され、同年六月三日内閣委員会に付託、同月十六日に提案趣旨の説明がされ、同年七月二十七日同委員会で可決、同日本会議で可決された。

憲法調査会法案は同年六月二十七日四名の民主党議員により衆議院に提出され、同年七月六日内閣委員会に付託、同月二十七日に提案趣旨の説明がされ、同月二十八日同委員会で可決、同日本会議で可決された。

衆議院における右二法案の審議状況を見ると、まず国防会議法案は提案趣旨の説明があつてから可決されるまでには前記のようにかなり期間があつたがその長い期間中にも軍人恩給或は自衛隊法に関する種々の法案の審議が同時に行なわれたためこれらの多くの時間を割かれ国防会議法案自体の審議に注がれる時間は極めて少かつた。

次に憲法調査会法案も審議は極めて不十分で、七月二十八日内閣委員会における提案理由説明の後僅か二、三時間の審議で可決され即日本会議に上程のうえ可決された。

かようにしてこの国会の会期が七月三十日までであるのに右二法案が衆議院を通過したのは七月二十七日および二十八日であり会期末まで僅かに二ないし三日を余すのみの状況であつた。

第三節  右二法案に対する社会党の態度

(一)  従来から社会党は自衛隊の設置が憲法第九条に違反するものとしてこれに対し批判的であつた。すなわち自衛隊が現実には朝鮮動乱を契機として米軍の補助機関としてでき上つた軍隊であるとの観察に基き、M・S・A協定による米国軍事顧問団が自衛隊を強く支配し、武器の大半も米国から供与されている実情では米国への従属性が強く、かような補助機関を作ることは日本の国際的地位を危くするものではないかという基本的な判断から社会党はこれが設置に反対して来たのであつた。

自衛隊の本質にして右の如きものである以上、国防会議法の制定は日本の防衛体制の決定には殆ど効果を期待できないばかりでなく、かえつて自衛隊の実態を国民の目から隠すベールの役目を果すのみに過ぎないのではなかろうかとの観点から、社会党は国防会議法案の成立には反対の立場をとつた。

(二)  憲法調査会法案は政府の提案理由によれば、内閣に直属する機関によつて憲法改正の必要性の有無、改正点等を調査せしめようとするもので、現在の憲法が日本国民の意思によつて制定されたものでなく、米国から押し付けられた占領法規の内容を有するためこれを実施した結果は種々の矛盾を生じている実情にあるから、これを調査し内閣に答申せしめるというのである。

しかし社会党としては憲法制定の経緯において米国の意思が関与したことは認めつつも、これが日本に民主主義を植えつけようと意図したものであり、その内容も民主主義を作り上げて行く上に極めて有力なものと評価していたから現在これが改正の必要を認めず、むしろ憲法調査会法案の主たる狙は再軍備を公然たらしめるにあるとしてこの法案の成立には国防会議法案以上に反対の立場をとつた。

(三)  以上のように社会党としては右二法案の提出が政府の再軍備計画に対する布石として為されたものであり政府として対米関係上も特にその成立の必要性を痛感しているものと判断する一方、この二法案の成立はわが国の将来の動向を決定するものとしてその成行を危懼の念をもつて注視していたのであつた。

ところがかような重要法案に対する政府与党側の審議態度は極めて粗略で、その成立を急ぐためかかなり強引な審議方法がとられたと社会党では感じた。そのためこの二法案の審議過程を通して社会党議員は非常に憤慨し、老巧議員のうちには多少諦め気味の者もあつたが、若い議員のうちには国会審議の前途に対して絶望的な感じを抱いた者も少からず存在するというような情勢であつた。

第四節  オネスト・ジヨン持込問題

昭和三十年七月二十八日A・P電報はアメリカ駐留軍が原子ロケツト砲オネスト・ジヨンを日本国内に持ち込むことのニユースを伝えたが、社会党ではわが国内の新聞によつて伝えられる以前にいち早くこれを捕えた。

従来、政府は原子兵器が政府の事前の承諾なしに持ち込まれることはないと言明していたので、社会党は翌二十九日、本会議で前記のニユースにつき緊急質問をした。これに対し政府側は衆議院側で園田外務政務次官が「アメリカから事前の通告があつた」と言明したのに反し、参議院では重光外務大臣が「事前の連絡なし」と答え、両者の答弁には食い違いがあつた。

そこで社会党ではさらに七月三十日午前中参議院本会議で国防会議法案に関連して被告人成瀬幡治に緊急質問させたところ、政府側は原子ロケツト砲でも核弾頭さえつけなければ原子兵器とはいえないと答弁して、確たる結論が得れないまま問題は国防会議法案を審議中の内閣委員会に持ち込まれた。

このオネスト・ジヨン持ち込みの問題は単に政府側答弁の食い違いの責任を追求するというような問題ではなく、原子兵器が日本国内に持ち込まれるか否かということであるので社会党としては極めてこれを重大視し、この問題に対する質疑は右内閣委員会で執拗に繰り返されるに至つたことは後述の如くである。

第五節  砂糖、バナナ法案をめぐる与野党の駈引

衆議院で審議中であつた政府提案による砂糖、バナナ三法案とは砂糖、バナナ等を輸入する際における業者の超過利潤を吸い上げて食管会計の穴埋めにする等財政投融資のための利権法案であるが、自由党は当初からこの法案に難色を示しており、七月下旬の会期末にはますますその反対態度を明確にしていた。そのため審議は遅々として進まず、結局審議未了、廃案に追い込まれようとする状態であつた。

劣勢な鳩山内閣は重要法案と利権法案とを抱えて困難していたのでこの自由党の強硬態度に対抗するため河野農林大臣が七月三十日の午前中社会党(左派)に対し右三法案の通過を代償として憲法調査会法案と国防会議法案の二法案を継続審議にすべきことを働きかけた。

これを知つた自由党は民主党に対して同党が社会党と協力するならば参議院で審議中の国防会議法案等を廃案にすると申し出たため、民主党は前記社会党に対する申し入れを反故にして自由党との話し合いに応ずることになり、岸民主党幹事長、平井参議院自由党幹事長、郡議院運営委員会委員長の三者が会談した結果、民主党が砂糖、バナナ三法案を審議未了にする代償として自由党は国防会議法案、憲法調査会法案の二法案通過に協力するとの両党間の妥協が成立するに至つた。

そこで社会党両派はかような重要法案を利権と取引するための具に供しようとした河野農林大臣の背信行為を追求することとなり、同大臣の不信任案を衆議院に提出した。そのため七月三十日の衆議院本会議はついに開かれず幾つもの重要法案が審議未了となるに至つた。

しかし右のような自由党と民主党間の妥協により政府与党ならびに自由党は憲法調査会法案、国防会議法案の二法案の通過を会期末の参議院で強行しようとする気配を示すに至つた。

第四章  憲法調査会法案および国防会議法案の参議院における審議状況

第一節  内閣委員会

証人郡祐一の昭和三十二年十二月四日第十一回(記録第一冊)、同宮坂完孝の同年同月六日第十三回(記録第二冊)、同横山フク、同横川信夫の昭和三十三年七月十七日第十九回(記録第三冊)、同佐々木司の同年十二月二十三日第二十五回(記録第四冊)、同河井弥八の昭和三十四年一月二十一日第二十七回(記録第四冊)、同河野義克、同佐藤吉弘の同年同月二十二日第二十八回(記録第五冊)、同千葉信の同年十二月二十一日第三十八回(記録第七冊)、同菊川孝夫の昭和三十五年二月二十三日第四十一回(記録第八冊)、同阿具根登の同年三月十四日第四十三回(記録第九冊)、同近藤信一の同年同月十五日第四十四回(記録同)、同江田三郎、同大和与一、同小酒井義男の同年四月十二日第四十五回(記録同)、同久保等、同小笠原二三男の同年同月十三日(第四十六回(記録第十冊)、同清水徳松の同年六月二十二日第四十九回(記録同)、の各公判調書中の供述記載、被告人秋山長造の当公判廷での供述、同人の昭和三十六年六月二十一日第六十二回公判調書中の供述記載、木村明(昭和三十年八月八日付)および小西保雄(同年同月九日付)の検察官に対する各供述調書、昭和三十年七月三十日付官報(参議院内閣委員会会議録第三十八号)〔昭和三十四年証第四三九号の一〕を総合すると次のような事実を認めることができる。

国防会議法案は昭和三十年七月二十七日に、憲法調査会法案は同月二十八日にそれぞれ衆議院から参議院へ回付され、参議院では同月二十九日から両法案を内閣委員会に付託してその審議にはいつた。

七月三十日(第二十二回特別国会の会期最終日)の内閣委員会は午前十時二十二分委員長新谷寅三郎主宰のもとに開会され、劈頭衆議院議員清瀬一郎から憲法調査会法案の提案理由の説明がされたが、これに対する質疑をあと回しとして引続き国防会議法案の審議にはいる前にオネスト・ジヨン持ち込みの問題についての質疑が行なわれた。この問題の応酬には非常に多くの時間を費したため国防会議法案の審議が開始された時は既に午後五時十一分であつた。

当日与党である民主党と自由党との間にこの二法案の取り扱いについて意見の相違があつたが、政府は何とかして二法案を成立させようとして努力し、午後八時以降に両党の意見が合致し、さらに緑風会をも合せてこれら三者の間に国防会議法案を成立させ、憲法調査会法案は継続審議で生かすという腹案ができ上つていた。

しかしながら社会党が質疑に非常に時間を費したため与党側は二法案とも継続審議にすべく戦術の転換を余議なくされるに至つた。継続審議ということになれば後の国会に引き継がれるので社会党としては審議未了に持ち込む方針であつた。

午後十時過ぎこの法案に対する総括質疑の通告者の質疑がひとまず完了し、その後衆議院議員江崎真澄から修正案の要旨と理由の説明が為され、これに対する質疑が大分進んだ頃委員の菊川孝夫が休憩の動議を出したところ、委員長新谷寅三郎はその提案理由の説明を聞かず採決し、賛成者少数のためこれを否決した。次いで委員豊田雅孝から継続審査要求の動議が提出され混乱のうちにこの動議が採決となり多数の賛成者を得て成立した(散会午後十時五十三分)。かようにして内閣委員会は右二法案を多数決を以て継続審議に付することとしたが、前記のように憲法調査会法案について単に提案理由が説明されただけでなんらの質疑もされなかつた。したがつて社会党としてはこれを保守党側の強引な採決として不満に堪えなかつた。

内閣委員会の終了後左派社会党控室に集合した議員に対し委員の菊川孝夫から結果が報告され種々の意見も出たが、大方は時間切れによつて廃案になるだろうとの見透しであつた。この集まりは正式な議員総会という程のものではなかつたが、江田三郎は菊川孝夫に本会議対策の用意をさせ、菊川は参議院社会党事務長清水徳松に命じて本会議における議長不信任案、内閣委員長解任決議案、議院運営委員長解任決議案、これらの決議を記名採決による要求動議等の書類を用意させ、これを携行して議院運営委員会に臨むこととなつた。しかしこの際議院運営委員会についてなんらか対策を協議するということはなかつた。

第二節  議院運営委員会委員長および理事打合会

証人郡祐一の昭和三十二年十二月四日第十一回、同年同月五日第十二回(記録第一冊)、同宮坂完孝の同年同月六日第十三回(記録第二冊)、同三浦義男の昭和三十三年九月十日第二十一回(記録第三冊)、証人河野義克、同佐藤吉弘の昭和三十四年一月二十二日第二十八回(記録第五冊)、同松岡平市の同年二月十二日第三十一回(記録同)、証人鈴木一の昭和三十五年三月十四日第四十三回(記録第九冊)、同小笠原二三男の同年四月十三日第四十六回(記録第十冊)、同芥川治、同西村健一の同年十二月二十一日第五十四回(記録第十一冊)議運委員長理事打合会概表と題する書面(記録第七冊に添付)、被告人矢嶋三義の昭和三十六年六月十七日第六十一回公判調書中の供述記載および当公判廷での供述を総合すると次の事実を認めることができる。

第一  委員長および理事打合会の性格ならびに通常の運営

(一) 議院運営委員会委員長および理事打合会は通称理事会といい(以下単に理事会と略称する)、各会派委員のうちから一、二名を理事としてこれに出席させ、重要事項について討議し、議院運営委員会を円滑に運ぶために各派間の事実上の折衝をするものであつて、議院運営委員会の本来の活動の他に各派の交渉的な仕事をするものである。

(二) 議院運営委員会は両院とも従来、理事会が中心となつて各派交渉の場として運営されて来たのであつて、後の公式な委員会はいわば形式的なものであつた。議題については理事会で時間をかけてまとめ委員会で正式にこれが了承されるというように理事会を中心に議題をまとめて行くのが運営の実情である。

(三) もつとも昭和二十五、六年頃の議院運営委員会は理事会を重視せずブッツケ本番で委員会に議題を提出し、速記をつけて公式に論議し、まとまらなければ一旦休憩して理事会を開き各派間の意見を調整するというやり方であつたが、昭和二十八、九年頃になつて自由党が勢力を得て来てからは、まず理事会で論議してから後に委員会にかけるということに変わりその後このやり方が慣行になつて本件当時はもとよりその後今日に及んでいる。

ただ、この頃からでも議院運営委員会というものは旧憲法時代の各派交渉会の性格を有するものであるからただ単に多数決という形で結論をうるということはされなかつた。すなわち理事会なるものは国会法上なんら根拠のないものであるから多数による採決ということはあり得ず円満な運営のために満場一致に持つて行くほかはないというのが慣例となつて来ていた。

(四) 理事会は通常議院運営委員会委員長室で開かれ、委員長、各派の代表者、理事のほか国会職員である事務総長、事務次長、委員部長、委員部の委員会或は理事会に関係のある担当職員が出席する。

理事会は秘密会であつて正式の会議録はとらない、委員部でとる記録は職員が要領をメモするものであつて、本件記録第七冊に添付してある「議運委員長理事打合会概表」なるものは委員部の職員が専ら職員の事務のために要領を書き留めたもので速記ではなく法規上の作成根拠もないものである。

第二  本件理事会の経過。

本件理事会は昭和三十年七月三十日午前九時四十五分から議院運営委員会委員長室で開かれ、途中数回休憩しては再開され午後十一時十四分まで続いた。

出席者は委員長郡祐一(自由党)、理事松岡平市(自由党)、同加賀山之雄(緑風会)、同矢嶋三義(左派社会党)、天田勝正(右派社会党)、同三浦義男(民主党)、委員鈴木一(無所属クラブ)、同伊能繁次郎(自由党)、同藤田進(左派社会党)のほか事務局職員として事務総長芥川治、事務次長河野義克、委員部長宮坂完孝、記録部長丹羽寒月、警務部長佐藤忠雄、庶務部長渡辺猛らであつた。

この理事会における打合事項としては

1 決議案等の取り扱いに関する件

イ 原水爆および一切の原子兵器が国内に持ち込まれる場合に対処する態度について政府に警告する決議案

ロ 本会議における国務大臣の発言に関する件

2 緊急質問の取り扱いに関する件

イ 戸叶武君の「国務大臣の外遊に関する緊急質問」

ロ 左派社会党提出予定の緊急質問件名不詳

ほか九件で、その打ち合せの経過は次のとおりであつた(以下本件に関係のある部分のみを記載する)。

1のイについて

矢嶋理事は「昨日の本会議における吉田法晴君の『原子兵器に関する緊急質問』に対する首相および外相の答弁と本問題に関する新聞報道等との間に大きな差異があることは極めて重大であるので本決議案の提出を考慮している」旨、松岡理事は「右の差異については適切な措置をとるべきであるが本決議案には反対である」旨

1のロについて

矢嶋理事は「外相は昨日の吉田法晴君の緊急質問に対する答弁において原子兵器国内持ち込みの事実の存否について在外公館を通じて調査する旨述べているので、それについて本日の本会議の冒頭において同相から発言があればこれに対して質疑を行ないたいが、発言がなければ再び緊急質問を行ないたい」旨、三浦理事は「同相と連絡協議する旨」述べた。

午前十時三十三分休憩、同五十分再開。

1のロにつき、

三浦理事は「内閣委員会において原子兵器問題を取り上げることになつたので同委員会における質疑に代えることを希望するが、なお本会議における発言を要求されるならば内閣委員会の審議の都合を考慮して適当な時刻に政府から発言する」旨、矢嶋理事は「昨日の本会議における緊急質問に関連するから本日も本会議において取り扱うべきであり、かつ長時間を要しないので本会議優先の意味において冒頭に行なうべき」旨述べた後、矢嶋、松岡、加賀山の発言どおり本日の議事の冒頭に外相から原子兵器に関する発言を許可し、これに対し各派十分以内において質疑を行なうことに異議が無いと決定した。

休憩午前十一時、午後五時再開。

1のイにつき

矢嶋理事は「菊川孝夫君外六名発議の本決議案を委員会審査省略の上全会一致で議決したい」旨、伊能委員は「会派において協議したいがおそらく賛成しがたいと考える」旨、加賀山理事は「このような形式ならびに案文では賛成し難い」旨三浦理事は「会派において協議したい」旨、矢嶋理事は「案文の字句は変更してよいが、会期が切迫しているのでできるだけ早く結論を得たい」旨、委員長は「緊急上程すべき議案が多いので速やかに本会議を開会し、これと並行して協議すべき」旨、矢嶋理事は「本会議開会前に結論を得たいので各派において協議の上、本委員会に付議すべき」旨、加賀山理事および伊能委員は「本会議と並行して協議すべき」旨それぞれ述べ、次いで委員長は「本会議をできるだけ速やかに開会し且つ円滑に運営するため各派の協力を得たい」旨、矢嶋理事は「本決議案によつて本会議の運営を阻害する意図はない」旨、

述べた後、委員長の発言どおり各会派において協議の上本委員会に付議することに決定した。

休憩午後五時三十五分、再開午後八時四十分。

1イ及び2ロ(一括付議)

矢嶋理事は「1の案文について協議する用意があるが、更に決議を行なう前に原子兵器問題に関する政府の所信をただし、且つ激励鞭達する機会を与えられたい」旨、

松岡理事は「2のロについては現政府を激励鞭達する意思はなく、また同問題に関する外務政務次官の発言(オネスト・ジヨンの持ち込みについて予め連絡を受けている云々)については同発言が取り消されたのであるからこれを追及することは反対である」旨、

天田理事は「本件に関する政府側の態度が不明瞭になつてきたことは明らかであり、これを放置すれば将来において重大な食言の起こる恐れもあり鈴木君の用意している1の案文に必要があればさらに修正を加え、各派の賛成を得たい」旨、

加賀山理事は「微妙な外交問題に関連するので慎重を期すべき」旨、

天田理事は「外交問題のみでなく人類全体の問題である」旨、

それぞれ述べた。次いで

松岡理事は「時間的制約もあり、自由党としての立場上いずれにも同意できない」旨、

矢嶋理事は「本会議の運営を阻害する意図はない」旨、

鈴木委員は「自分の用意している1の修正案文は各派の賛同を得ることのできる極めて穏当なものとなつていると考える」旨、

加賀山理事は「穏当なものはその効果が疑わしい」旨、

それぞれ述べた。次いで、

矢嶋理事は「1のイが賛成を得られないなら2のロを是非認められたい」旨、

加賀山理事は「2のロは内閣委員会の質疑に代えるべき」旨、

松岡理事は「時間的余裕がないので反対であるが、外務政務次官の発言について特に政府に質す必要があれば議院運営委員会において官房長官等に質疑を行なうべき」旨、

矢嶋および天田両理事は会派において協議の上「議院運営委員会において外相および防衛庁長官に対し質疑を行なうこととしたい」旨、

述べた。

休憩午後九時三十五分。懇談に移つたがこの間理事の出入が激げしく、会議も断続した。

矢嶋理事は「他会派が1のイおよび2のロに反対であれば議院運営委員会において質疑を行ないたい」旨、

松岡理事は「本会議と並行して行なうものであれば反対しないが、本会議前に行なうことには時間の点よりみて反対である」旨、

藤田委員および矢嶋理事は「官房長官のみに対して質疑を行なえばよいので本会議前に行なうべき」旨

述べた。次いで、

委員長および松岡理事は「内閣委員会から提出が予想される継続審査要求は論議を重ねることなく円滑に決定したい」旨、

加賀山および松岡両理事は「内閣委員会の継続審査要求を決定した後であれば議院運営委員会において政府側に対し質疑を行なうことに賛成である」旨、

述べた。

再開午後十一時十一分。

委員長は「直ちに本委員会を開会し、継続審査要求追加分を決定したい」旨、

矢嶋理事は「内閣委員会のそれは同委員会において極めて強引な運営の下に決定されたものと聞いているので議院運営委員会においてなんらの協議も行なわず直ちに決定を行なうことには考慮の余地がある」旨、

委員長は「内閣委員会における経緯は議院運営委員会において協議する問題ではないと考える」旨、述べた後、

「直ちに本委員会を再開する」旨述べた。

休憩午後十一時十四分。

かようにして理事会は打ち切られたのであつた。

以上のように被告人矢嶋三義は核兵器持ち込みに関する本会議での緊急質問と政府に対する警告決議案提出についての常任委員会における審査省略要求を強力に申し入れ、右派社会党もこれに同調したが、与党ならびに自由党側の容れるところとならず、また継続審査要求については与党ならびに自由党側が本会議に速やかに上程すべきことを望んだのに対し、社会党側はこれに反対して慎重審議を主張し、結局最後の議院運営委員会は理事会での話し合いがつかないままに開かれるに至つたが、かように理事会で一致を見ないまま議院運営委員会を開くというようなことは通常の運営とはいい得ず社会党側理事らはむしろ異例ともいうべき事態であると感じたのであつた。

第三節  議院運営委員会

証人郡祐一の昭和三十二年十二月四日第十一回、同年同月五日第十二回(記録第一冊)、同宮坂完孝の同年同月六日第十三回(記録第二冊)、同菊田七平、同劔木亨弘の昭和三十三年七月十五日第十七回(記録同)、同徳武国広の同年同月十六日第十八回(記録同)、同横山フク、同横川信夫、同原田音吉の同年同月十七日第十九回(記録第三冊)、同三浦義男の同年九月十日第二十一回(記録同)、同木村明、同小西保雄、同佐々木司、同林左右吉の同年十二月二十三日第二十五回(記録第四冊)、同長島安五郎、同中野庄九郎、同伴侃爾の同年同月二十四日第二十六回(記録同)、同河井弥八の昭和三十四年一月二十一日第二十七回(記録同)、同河野義克、同佐藤吉弘の同年同月二十二日第二十八回(記録第五冊)、同榊原亨の同年同月二十三日第二十九回(記録同)、同松岡平市、同雨森常夫の同年二月十二日第三十一回(記録同)、同郡祐一の同年同月二十一日第三十二回(記録第六冊)、同小林武治の同年三月二日第三十四回(記録同)、同高橋衛、同吉良敬三郎、同川俣政明、同鈴木敏夫の同年七月十六日第三十五回(記録同)、同伊能繁次郎、同中田吉雄の同年同月十七日第三十六回(記録同)、同菊川孝夫、同藤田進、同岡田宗司の昭和三十五年二月二十三日第四十一回(記録第八冊)、同大倉精一、同亀田得治、同荒木正三郎の同年同月二十四日第四十二回(記録同)、同阿具根登、同鈴木一の同年三月十四日第四十三回(記録第九冊)、同近藤信一の同年同月十五日第四十四回(記録同)、同江田三郎、同大和与一、同小酒井義男の同年四月十二日第四十五回(記録同)、同小笠原二三男、同久保等の同年同月十三日第四十六回(記録第十冊)、同田中功孔、同池田修の同年六月二十二日第四十九回(記録同)、同戸叶武、同湯山勇、同岩永芳春の同年九月六日第五十一回(記録第十一冊)、同佐藤忠雄の同年同月七日第五十二回(記録同)、同芥川治、同西村健一の同年十二月二十一日第五十四回(記録同)、同関弘、同佐々木司、同藤田敏の同年同月二十三日第五十五回(記録第十二冊)、同内村清次、同岡三郎、同赤沼明の昭和三十六年一月十八日第五十六回(記録同)、同栗山良夫、同佐藤進、同長谷川進の同年二月十三日第五十七回(記録第十三冊)、同友成昭和の同年四月十八日第五十九回(記録同)の各公判調書中の供述記載、

菊田七平(昭和三十年八月五日付)、原田音吉(同年同月八日付、同年九月十五日付)、三浦義男(同年八月四日付)、木村明(同年同月八日付)、小西保雄(同年同月九日付、同年九月十五日付)、佐々木司(同年八月六日付、同年九月十五日付)、林左右吉(同年八月十二日付)、伴侃爾(同年同月九日付)、中野庄九郎(同年同月八日付、同年九月十六日付)、長島安五郎(同年八月九日付、同年九月十六日付)、河野義克(同年八月十日付、同年九月三十日付)、雨森常夫(同年八月五日付)、松岡平市(同年同月四日付)、中田吉雄(同年同月十九日付)、被告人矢嶋三義(同年同月五日付)、同秋山長造(同年同月二十五日付)、同成瀬幡治(同年九月十二日付)の各検察官に対する供述調書、被告人矢嶋三義の昭和三十六年六月十七日、第六十一回公判調書中の供述記載および当公判廷における供述、被告人秋山長造の昭和三十六年六月二十一日第六十二回、同年同月二十六日第六十三回各公判調書中の供述記載および当公判廷における供述

被告人成瀬幡治の昭和三十六年六月二十六日第六十三回公判調書中の供述記載および当公判廷での供述、継続審査要求書と題する書面十三通(記録第六冊添付)、東京地方検察庁検察官検事吉良敬三郎作成の実況見分調書(図面二葉、写真七葉を含む)、当裁判所のした検証調書(図面二葉、写真三十三葉を含む)、および証拠物たる昭和三十年七月三十日付官報(参議院議院運営委員会会議録第四九号)〔昭和三十四年証第四三九号の二〕、朝日ニュース・フィルム(同証号の五)およびそのうち十六枚の焼付写真、写真一枚(同証号の六)、郡祐一提出の白ワイシャツ一枚(同証号の三)、佐々木司提出の開襟シャツ一枚(同証号の四)、動議と題する書面一枚(同証号の七)の各存在を総合すれば、本節において以下に記載した事実を認定することができる。

第一  議院運営委員会の性格および運営

国会法(昭和二二年法律第七九号)はアメリカ議会制度の影響を受け委員会制度を採用した。

明治憲法のもとでも委員会は存在したが(旧議院法第二十条)、それは本会議の準備的な予備機関に過ぎないもので国会の審議は本会議を中心として為された(第一ないし第三読会の順序による議案の審議)。これに反して国会法は三読会の制度を廃止しすべての議案の審議を委員会によつて行なうこととなつた。委員会は常任委員会と特別委員会の二種に区別され(国会法第四十条)十六種類の常任委員会(同法第四十一条)の一つに議院運営委員会(以下「議運委」と略称する)がある。

「議運委は常任委員会の中で特殊の機能と地位をもつ。参議院の「議運委」の所管は「議院の運営に関する事項、国会法その他議院の法規に関する事項、国立国会図書館の運営に関する事項、裁判官弾劾裁判所および裁判官訴追委員会に関する事項」である(参議院規則第七十四条)

「議運委」は他の常任委員会と同じく付託された案件の審査をするが、その特殊の任務は本会議の運営を円滑にするために各派の意見を調整するにある。そのために理事会をもつことは前述のとおりであるが「議運委」そのものが本来かようなものなのである。

帝国議会時代の各議院には各派交渉会という慣習法上の委員会があつた。(公刊されている大池真著の「国会早わかり」によれば、明治憲法のもとにおける衆議院では議会当初から非公式に各派の幹部が種々打ち合せや交渉をしたが、第二十一回議会(明治三十七年)以来衆議院は各派協議会を設けて議事、発言の順序や儀礼に関する件、その他諸般の事項にわたり議長が必要と認めるときは各派の代表者と協議、打ち合せをしてきたが、第七十四回議会(昭和十四年)において新たに各派交渉会規程ができた。これによれば衆議院では院内で二十五名以上の議員をもつ会派を交渉団体とし、交渉団体所属の議員数の比率により委員数が割り当てられ、大体二十名前後の委員と議長、副議長によつて各派交渉会が構成された。協議事項は議事の順序や取り扱いなどが主要なものであつたが、議長の必要と認める事項はすべて協議することができ、所属議員数二十五名以下の会派も議長の許可を得て代表者を出席させ意見を述べることが認められた。各派交渉会は議会閉会中も必要に応じて開かれ、各派交渉会の決定は全会一致によるものとし、決定事項については各派は遵守の責を負うた、ということである。)

国会法のもとにおいては「議運委」ができ、従来各派交渉会の営んだ機能の大部分を継承することになつたわけであるが、参議院事務局編纂の「参議院先例録」一四八によれば第一回(特別)国会および第二回国会においてはなお議事の順序などは各派交渉会において協議された。第二十四回国会における国会法の一部改正(第五十五条の二の「議長は議事の順序その他必要と認める事項につき議院運営委員会が選任する小委員と協議することができる。但し、議長は小委員の意見が一致しないときはこれに拘束されない」との規定)により議長はこれらの事項について議院運営委員会小委員と協議できることとなり、第三回(臨時)国会から「議運委」に小委員(議院運営小委員)が設けられ各派交渉会に代わることとなつた。

以上の次第で従来各派交渉会の営んだ機能は今日では「議運委」またはその理事会および小委員が担当しているのである。

参議院「議運委」の構成は委員数二十五名で(参議院規則第七十四条)、各派の議員数に比例し、本件当時は自由党九名、民主党二名、左派社会党(第四控室)五名、右派社会党(第二控室)三名、緑風会五名、無所属クラブ一名であつた。

委員長は委員のなかから議院の本会議における選挙によつて選任され(国会法第二十五条)、選挙の方法は議長選挙の例により無記名選挙であるが議院はその選任を議長に委任することができる(参議院規則第十六条、第十九条)というのが法律の建前であるが実際は第一回国会以来、所属議員数の比率により各会派に割り当てられその推薦された者につき議長が指名するのが例となつている(参議院先例集四六、四七)。

委員長の職務、権限は国会法第四十八条、参議院規則第五十一条に規定されているが、委員会を主宰して付託された案件の審査につき議事の整理をし、議事進行についての一切の秩序保持の権能をもつ(この点では議長が議場におけると同じ権限を有する)。

第二  本件「議運委」の経過

(一) 審議の開始

第二十二回特別国会における最後の参議院「議運委」は昭和三十年七月三十日、会期終了もまじかに迫つた午後十一時十八分参議院議長応接室(参議院議長室と副議長室との中間にある通称議長サロンで開会された。

この日の参議院「議運委」は既に午前十一時十二分開会され、同二十一分一旦休憩、午後六時二十五分再開、菊川孝夫ほか五名の「原水爆および一切の原子兵器が国内に持込まれる場合に対処する態度について政府に警告する決議案の委員会審査省略要求」が委員矢嶋三義から出されたが、三浦義男、加賀山之雄各委員がこれに反対し、天田勝正、鈴木一、松岡平市各委員らは右要求についてさらに理事会で練り直すべきであるとの意見を述べ午後六時五十三分に休憩となりその後午後十一時十八分本件の最後の「議運委」の開会宣言が始められたのであつて、以下は総てこの最後の「議運委」について述べる。出席者は「議運委」委員長郡祐一および後記の各委員のほかに参議院議長河井弥八、参議院事務局職員である事務総長芥川治、事務次長河野義克、委員部長宮坂完孝、記録部長丹羽寒月、警務部長佐藤忠雄、庶務部長渡辺猛、議事課長海保勇三らの担当職員らであつた。

各委員は右応接室中央に在る会議用楕円形大卓子に沿つて東側議長室との境の壁面にある暖炉を背にした郡委員長を中心として同委員長より見て左側すなわち北廊下側に与党側委員、右側窓辺よりに野党側各委員が着席した。その着席順序は別紙添付第一図面のとおり委員長の左側上手から参議院事務総長芥川治、民主党委員(理事)三浦義男、同党委員菊田七平、自由党委員(理事)松岡平市、同党委員劔木亨弘、同伊能繁次郎、同榊原亨、同横川信夫、同横山フク、同高橋衛、緑風会委員小林武治、自由党委員雨森常夫(同委員は遅刻して自由党委員席に着席できなかつた)、緑風会委員(理事)加賀山之雄、同委員赤木正雄、また委員長の右側は上手から参議院議長河井弥八、左派社会党委員(理事)矢嶋三義、同党委員藤田進、同菊川孝夫、同阿具根登、同大倉精一、右派社会党委員(理事)天田勝正、同党委員戸叶武、同山下義信、無所属クラブ委員鈴木一、緑風会委員森田義衛(委員定数は民主党三名、自由党九名、左派社会党五名、右派社会党三名、緑風会五名、無所属クラブ一名合計二十五名であるが、緑風会委員の上林忠次は欠席であつた。)

この委員会会議場には右出席者のほかに国会職員、報道関係者らおよび傍聴者として多数の国会両院議員、議員秘書らがいたが、会議が開始される頃には議長室寄り入口(以下東入口という)から委員長席、議長席近くにかけて社会党議員、その秘書らが多数詰めかけた。その主要な氏名を挙げると次のとおりである。

東入口に近い丸卓子(民主党委員席の背後に在る)附近には久保等、湯山勇、亀田得治、荒木正三郎、近藤信一、竹中勝男、岡三郎。事務総長席の背後に大和与一、小酒井義男。委員長席の背後に秋山被告人内村清次、中田義雄。サロンと議長室の間の扉近くに栗山良夫、矢嶋被告人が着席している委員席の背後に江田三郎、小笠原二三男。

社会党議員秘書で傍聴に入室した者は約十名であつたが、事務総長席附近に田中功孔(秋山長造の秘書)、委員長席附近に池田修(江田三郎の秘書)、矢嶋委員席の背後に岩永芳春(藤田進の秘書)および友成昭和(野溝勝の秘書)らがいたほか、諸岡某(近藤信一の秘書)や河野某(久保等の秘書)も傍聴のため入室していた。

委員長郡祐一は着席後直ちに上衣を脱いで椅子の背に掛け出席委員のほぼ出揃つたのを見はからつて、「ただいまから議院運営委員会を再開致します。継続審査要求に関する件を議題に供します」といつて開会を宣した。

委員長の開会宣言は極めて短かい言葉で一気に棒読み式になされた。

この委員長の開会宣言と殆ど同時に(すなわち委員長が前記のように「ただいま……」と発言するや否や)左派社会党理事である被告人矢嶋三義は郡に対し「委員長、委員長議事進行」と声を掛けて発言を求めた。

しかし、郡委員長は右矢嶋理事の発言を取り上げず継続審査要求に関する件を説明させるために委員長席背後に控えていた委員部長宮坂完孝に対し「宮坂委員部長」と呼び掛けてその発言を促がした。

この郡委員長の矢嶋理事を無視するかの如き態度に憤慨した社会党委員、同傍聴者らは忽ち一斉に委員長の態度を非難する声を放ち始めた。

まず委員の藤田進が「委員長、委員長」と連呼したほか、岡三郎議員は委員長の左側に詰寄つて「委員長、委員長」と叫び委員長の右斜め背後で傍聴していた中田吉雄議員が「発言を許したらいいじやないか、委員長何をしているか」と詰つたのを始めとし「委員長、発言を求めているじやないか」「何故発言を許さんか」等々口々に叫び出し、矢嶋被告人も「何故取り上げぬ、こつちが先だ」と怒鳴り、これらの叫び声につれて与党ならびに自由党側委員らも「黙れ」等々と応酬して場内は騒然となるに至つた。これらの発言と同時に社会党委員らの席を立つ者が多く、菊川、大倉各委員らはいずれも自席を立つて郡委員長席に近づいて行き、傍聴中の議員である岡三郎、小笠二三男らも委員長席の近くまで詰め寄つて行つた。

(二) 宮坂委員部長の継続審査案件朗読。

再開後の参議院「議運委」では、政府与党側としては継続審査案件の本会議上程を議するのが目的であり(社会党側は別個の考えであつたことは前記理事会の経過等から明らかである)、四個の委員会から提出された十三件に上る継続審査要求を審査する予定になつていた。

当日「右議運委」に継続審査要求のあつた法案は左のとおりである(括弧内は提出委員会の委員長名である)。

(1) 国防会議の構成等に関する法律案(内閣委員長新谷寅三郎)

(2) 憲法調査会設置法案(内閣委員長右同)

(3) 昭和三十年度において償還すべき地方債の元金償還金の償還等の特例に関する法律案(地方行政委員長小笠原二三男)

(4) 地方交付税法の一部を改正する法律案(衆第八号)

(5) 地方交付税法の一部を改正する法律案(衆第七八号)(地方行政委員長右同)

(6) 地方財政法の一部を改正する法律案(地方行政委員長右同)

(7) 地方自治法の一部を改正する法律案

(8) 地方自治法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案(地方行政委員長右同)

(9) 健康保険法の一部を改正する法律案

(10) 厚生年金保険法の一部を改正する法律案

(11) 船員保険法の一部を改正する法律案(社会労働委員長小林英三)

(12) 台風常襲地帯における農林水産業の災害防除に関する特別措置法案(農林水産委員長江田三郎)

(13) 農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関する法律の一部を改正する法律案(農林水産委員長右同)

以上の各法案はいずれも継続審査要求書に記載されていたがその要求書は重ねて一括し、クリップによつて留めたものを宮坂が所持していたが、その重ね方順序は、(1)、(2)以外は明らかでない。ここに列記した順序は国会法第四十一条、参議院規則第七十四条に常任委員会の種類として列記されたところによる。

委員部長宮坂完孝は開会当初委員長席の背後に机を置いて事務次長河野義克と竝んでいたが、郡委員長が開会を宣告すると内閣委員会等から提出された前記各継続審査要求に関する書類を持つて事務総長芥川治と民主党筆頭理事三浦義男との各席の間に行き、前記郡委員長の声に促がされて継続審査案件朗読を開始した。

まず憲法調査会法案を読み上げたところ、傍に左派社会党参議院議員久保等、同竹中勝男、同湯山勇、同岡三郎らが寄つて来て「まだ案件を読み上げる段階ではない」と叫んでその朗読の阻止にかかつたため宮坂は次の国防会議法案を読み上げることが不可能になつた。すなわち宮坂はその左手を久保等に持たれ右腕も誰かにつかまれ、そのほか数名に左右から揺す振られたりして委員長席と反対の左の方へ身体が倒れかかつたため持つている書類を見ることができず、そのうち前記継続審査要求書類を右竹中勝男に取り上げられてしまつた。そしてその書類は竹中勝男から湯山勇に渡り、さらに数人の社会党議員の手を転々したので居合わせた参議院事務局の職員がこれを取り返すため書類の行方を追つたが、この時室内は騒然となつていた。

与党ならびに自由党側委員のうちから「その文書を破ると公文書毀棄になるぞ」との声が出たためもあつてか、右継続審査要求書は破棄されることなく職員が取り返して来たが、結局国防会議法案の分が一枚紛失してしまつた。

(三) 矢嶋理事の郡委員長に対する不信任動議提出。

一方矢嶋理事は、郡委員長が同理事の前記開会劈頭の発言を取り上げずに議事を進行せしめたので、同委員長の委員会運営方法を不当として同委員長に対する不信任動議を提出すべく咄嗟の間に背後に居合わせた前記岩水芳春(藤田進委員の秘書)に命じて附近の委員部係官席で有合わせの紙に即製の不信任動議書一通(昭和三四年証第四三九号の七)を作成させ、まず矢嶋が次いで天田勝正もこれに署名したうえ、矢嶋においてこれを自席から手を差し伸べて郡委員長に対し「委員長、不信任動議だ」と叫びながら突き付けた。同委員長はこれを一瞥し、不信任動議書なることを察知しながらも、それを取り上げず矢嶋の方に押し戻したので、矢嶋がさらにこれを差し出し両者の間に二、三回その書類のやりとりがあつた。なお委員長が受け取らないのに業をにやした菊川孝夫も矢嶋に代わつて右動議書を委員長に突き出したことがあつたが、受け付けられないことは同様であつた。そこで矢嶋らはこれを事務総長芥川治に差し出したが同人もそれを受け取らなかつた。

矢嶋が右動議書を突き出した後、郡委員長とこれをやりとりしている時、左派社会党委員阿具根登も自席を離れて郡を詰りに行き郡と議長の間にはいつて郡に対し「発言を許して議事を進めろ」と叫んだ。

(四) 郡委員長の採決。

宮坂委員部長が継続審査要求書類を社会党傍聴議員らに取り上げられて朗読不能となつたため、郡委員長は継続審査案件の処理については既に審査要求が配布書類により各委員に周知せしめられておりその内容は各委員の承知するところであるから、かような混乱の状態では採決を急ぐほかはないと考え、自席から座つたままで「継続審査要求に賛成の諸君は挙手をお願いします」と呼び掛けながらまず自分の右手を挙げた。

この頃室内は全く喧噪の坩堝と化していた。

郡委員長の挙手を見た与党ならびに自由党側委員は委員長席に近い民主党委員から順次挙手をして行つたが末席の委員らは喧噪のために委員長の前記発声が聞きとれず、ただ当時前記諸法案の継続審査に賛成の立場にあつた関係上、委員長が何か発言すれば採決だろうと忖度し、或は代表の理事の指揮により若しくはこれに促がされて挙手するような有様であつた。

かようにして与党ならびに自由党側委員席は上手から順次に「賛成、賛成」と挙手しながら立ち上がつた。

そこで郡委員長は立ち上がつて「挙手多数、本会において右要求を決定致しました。暫時休憩致します」と宣言した。

(五) 郡委員長周辺の混乱と同委員長の身体に加えられた圧迫。

郡委員長は宮坂委員部長に審査案件の朗読を命じた頃椅子に腰かけていたが、着席した時から背後に傍聴者が詰めかけて混雑していたのでゆつたりとかけられず椅子を前に出し、テーブルに密着していた。

そして郡委員長が前記のように矢嶋理事の発言を取り上げずに議事を進めようとしたところから社会党委員および同傍聴議員らが委員長席の周囲に詰め寄つて来た。

郡委員長の左側に岡三郎議員、右側に三輪貞治議員が近寄り、岡三郎は所携の扇子で数回激しく卓子を叩きながら、両人は郡の注意を喚起するように「委員長、委員長」と叫んだ。三輪議員の右隣りには菊川委員が居て「委員長、どうのこうの(その発言内容は明らかでない)」と怒鳴り、中田吉雄議員も「おかしいじやないか」といいながら委員長席の左側傍に来た。

次いで郡委員長が議案の採決をすべく賛否の意見を求めるに及んでは、社会党の議員達は同委員長が異例な運営をすると判断して憤慨し、委員長が採決の宣言をすべく立ち上がると、「それは横暴じやないか」と口々に非難の声を放つた。

社会党議員らのかような行動に対して反対側の自由党委員らがこれを黙過する筈はなく榊原亨、伊能繁次郎各委員が委員長の周辺に近寄ろうとして社会党議員らともみ合いになつた。すなわち郡委員長が採決の宣告をすべく立ち上がろうとした頃は社会党側がこれを妨げようとする反面自由党側は立たせて早く採決させようとし、混乱は一層激化して委員長の身体は非常な窮屈さを増して来た。

郡委員長は休憩宣言をした時には立ち上がつたが休憩宣言後、立つたままの郡は周囲に集まつた大勢の者(これは社会党議員ばかりでなく、委員長を退室させようと試みた自由党委員や衛視達も含まれる)から左右へ引張られて動揺したこともあつた。特に自由党委員榊原亨は郡委員長を速かに退室させるためこれに近づこうとしてこの混乱の中をかきわけて進み、ついに郡委員長の身体を抱きかかえて議長室の方へ行こうとしたためこれを不当とする社会党議員らはこれを阻止しようとし、双方委員長をめぐつて激しい動きを行ない、混乱は頂点に達した。この頃委員長周囲に集まつた社会党議員は菊川孝夫、阿具根登、小笠原二三男、久保等、竹中勝男、戸叶武、岡三郎、三輪貞治、秋山被告人(この秋山被告人の行動については別項で詳細に述べる)らであるが口々に「郡委員長、横暴じやないか」と抗議し、委員長の手や肩を掴む者もあつた。

この混乱の中で右榊原亨は郡委員長を早急に退室させようとして周囲に群がる社会党議員らを突き飛ばしたりして郡委員長の斜左後方から同人を力づくで引張り出そうとしたが、郡の着ていたワイシャツ(昭和三四年証第四三九号の三)の右腕カフスの辺がなんぴとかに握られていて離れないのでそのカフスの上部を引きちぎつて同人の手を抜き、折から来合わせていた衛視ら(衛視の行動については別項で詳記する)と協力して社会党議員らの包囲中から郡委員長を引き出し、同人を抱きかかえるような恰好となり、これを衛視の一団が包むようにして相共に議長室に連れ込んだ。

前記社会党議員らの郡委員長の身体に加えた圧迫は前記の程度以上にはなんぴとの行為によるかは明らかでない。

(秋山の行為については別に記載する)

(六) 郡委員長退室前後の状況

郡委員長は自席から立ち上がつて議長室にはいるまでに以上の混乱にもまれ、また途中でつまづいたようなこともあつたが、議長応接室と議長室の境の扉から議長室にはいつた。

郡委員長の議長応接室退出後社会党の議員らは議長河井弥八を取り巻いて口々に抗議した。藤田進委員は議長に対し「委員長はああいうやり方でいいのか」と質問し、小笠原二三男は「議運委」のやり直しを要求した。

やがて河井議長が議長応接室を引き揚げて議長室へ移ろうとした時は議長応接室の人数は減少しつつあつた。同議長も衛視に護衛されて議長室にはいつたが、なんら妨害されることはなかつた。

郡委員長が議長室にはいつた時これと共に又は後から社会党議員の矢嶋被告人、菊川孝夫、藤田進、大倉精一、岡田宗司、山下義信、小笠原二三男、三輪貞治、栗山良夫、荒木正三郎、阿具根登、江田三郎、近藤信一、久保等、戸叶武、自由党議員榊原亨、同松岡平市、参議院議長河井弥八、事務総長芥川治、事務次長河野義克、若干の衛視らが同室にはいつた。

社会党議員らは矢嶋、菊川が主となつて「なぜ動議を取り上げないのか」「不信任動議を先議しないのは怪しからんではないか」「何故採決を強行したか」「委員の発言を許し言分を聞いて納得させたうえで運営すればよいではないか」等と発言して委員長を詰つたが、郡委員長は「俺のやり方がなぜ悪いか、あの場合取り上げようがないじやないか、君らの方が酷いじやないか、君達は暴力を振るつておきながら何をいうのか、こんな傷をこしらえて」といいながらワイシャツの腕まくりをし右腕を見せて食つてかかつた。

これに対し社会党議員らは「それは誰がやつたんだ」というような応酬をした。

これらのやりとりは委員長が議長室へ入室直後、中央の机を前にして座り、衛視に参議院医務室の医師を呼ばせて注射等の手当をしているところで為されたのであつた。

郡委員長は河井議長に対し委員会は終了したものとして本会議開催を請求しようとしたが、社会党議員が同議長と押し問答を始めたので直接話し合いが出来ずにいたところ、自由党委員の高橋衛が迎えに来てその要求により共に自由党の院内控室に行き「議運委」の状況を報告した。

郡委員長は議長との連絡が気にかかつていたが、そのうち胸部に異常を感じたので(同人が胸部に受傷したことは別項で詳細に記述する)自由党「議運委」理事の松岡平市に後事を託してその後議長と折衝することはしなかつた。

その後郡委員長が担架で病院に運び去られてから松岡委員は委員長代理として委員会を開会しようと努力したが、結局時間切れとなつて不可能であつた。また同人は反面河井議長に対し職権で本会議を開くことを要求したが、同議長はこれを肯んじなかつた。

(七) 委員会の当時の雰囲気。

憲法調査会法案および国防会議法案というような重要法案の審議方法についてはかねてから政府与党ならびに自由党側と社会党側との間には意見の対立があり、理事会でも話し合いがまとまらなかつたことは前記のとおりであるから、この「議運委」も開会当初から緊張した場面を展開したのであつた。

すなわち社会党側としては理事会でまとまらなかつた既述の問題について委員会で十分な論議を尽したいと考えてこれに臨んだのであつて、そのためには継続審査要求に関する審査が長引き本会議が開会されないうちに会期が満了するも当然であるという腹であつた。したがつて委員長が開会を宣告し議題を述べる以前に間髪を入れずこれに対して発言を求めたのであつた。

これに対し自由党ならびに民主党側は継続審査要求のある前記諸法案、特に憲法調査会法案と国防会議法案との二法案を本会議に提出したい、そのためには一刻も早く郡委員長に委員会を終了させ本会議を開会する運びにしたいという考え方であり、榊原委員が郡委員長を抱え出したのも時間を急いでいたためであつた。

そこで社会党側としては委員長が強引に押切つた形で議長応接室を脱出しようとするのに対し委員会はまだ終了していない、ルール通りにやつて欲しいという要望や委員長を非難する気持が委員および傍聴者に充満していたのであつた。

(八) 郡委員長の議運委の運営振り。

(1) 出席者の批判。

第二十二回特別国会の会期終了間際におけるこの「議運委」で郡委員長が継続審査案件を本会議に持ち込むためかなり一方的に無理な運営をしたことは与党側の委員である榊原亨(昭和三十四年一月二十三日第二十九回公判調書中同証人の第(75)、(202)、(203)各問答)、松岡平市(同年二月十二日第三十一回公判調書中第(110)、(114)、(195)、(197)各問答)、小林武治(同年三月二日第三十四回公判調書中第、(115)、(186)各問答)、伊能繁次郎(同年七月十七日第三十六回公判調書、その詳細は後記)らでさえ認めるところであり、特に伊能繁次郎の証言(供述記載)によれば、「最後の議運で当時の自由党は強行採決の態度で臨んだ(前記調書中第(121)問答)。当時としては矢嶋が発言を求めるだろう。面倒くさいから許さないでパッパとやつてしまおうということだつた(同調書中第(122)問答)。あの時は最初から委員長宣言でサッと退席しようという戦法だつた(同第(142)問答)」というのである。

当時無所属クラブの議運委員鈴木一は「理事会が散会して委員会になる前に郡委員長が顔面を硬直させて異常な決意をしていることを印象深く見た」と証言している(昭和三十五年三月十四日第四十三回公判調書中第(13)問答)。

郡委員長が矢嶋理事の発言を取り上げなかつた点は異例のことで穏当でなかつたことは当時の参議院議長河井弥八(昭和三十四年一月二十一日第二十七回公判調書中第(26)、(29)、(35)、(112)、(113)各問答)および国会職員佐藤吉弘(同年同月二十二日第二十八回公判調書中第(224)問答)らもこれを肯認している。

社会党側の委員或は傍聴の社会党議員が郡委員長の強引な運営振りに激昂したことは証人菊川孝夫(昭和三十五年二月二十三日第四十一回公判調書中同証人の第(17)、(239)、(241)各問答)、同岡田宗司(同上調書中同証人の第(16)、(85)各問答)、同荒木正三郎(同年同月二十四日第四十二回公判調書中第(21)、(27)、(91)、(151)各問答)、同近藤信一(同年三月十五日第四十四回公判調書中第(60)、(74)、(187)、(190)各問答)、同酒井義男同年四月十二日第四十五回公判調書中第(30)、(95)各問答)、同久保等(同年同月十三日第四十六回公判調書中第(32)、(200)(265)、(269)各問答)、同戸叶武(同年九月六日第五十一回公判調書中第(28)(46)、(51)、(56)、(111)各問答)、同栗山良夫(昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中第(53)問答)の各証言によつてこれを認めることができる。

証人郡祐一の昭和三十四年二月二十一日第三十二回公判調書中の供述記載(第(100)問答)によれば「矢嶋委員の出した物を受け取らなかつたのは委員部長が発言しており、一つの事柄が進行しているので区切りのついた処でどういう事か伺つて扱うのが筋だ」とあるけれどもその後において矢嶋委員の発言や動議を郡委員長が取り上げる処置に全然出ていない前記認定事実および前記法案をめぐる当時の情勢に徴するときは同委員長は矢嶋委員の提言を取り上げずに委員会を終了せしめる意図を有していたのではないかという疑は極めて濃厚であると言わざるをえないのである。

(2) 不信任動議は先議事項。

証人藤田進(昭和三十五年二月二十三日第四十一回、第(135)問答)、同阿具根登(同年三月十四日第四十三回第(104)問答)、同小笠原二三男(同年四月十三日第四十六回第(9)問答)、同芥川治(同年十二月二十一日第五十四回第(14)問答)の各公判調書中の供述記載によれば委員会における委員長に対する不信任動議はあらゆる案件に先立つてこれを議案にするというのが国会法規の精神であり慣例であるとされていることを認めるに足りる。

当時の参議院事務次長河野義克は昭和三十四年一月二十二日第二十八回公判調書中(第(140)、(145)各問答)および検察官に対する昭和三十年八月十日付供述調書中(第七項)で次のように述べている。「委員会で議せらるべきものとして出た委員長不信任の動議はこれを最初に審議しなければならないという法規があるわけではないけれども、委員会の主宰者たる委員長の信任を問うものであるから条理上他の案件に優先して審議すべきものと思われる。もし不信任動議が提出された時他の発言が行われている途中であればその発言の一段落するのを待つてから動議の審査に移るか或は現在行われている発言を途中で押さえて不信任動議の審査にはいるかは委員長の裁量によることである。不信任動議を単に議事進行妨害の目的で出すことが権利の乱用となるかどうかは定説がなく、委員長がかように認めた場合にどんな取り扱いをするのが妥当かということは別箇の問題である」と。

郡委員長が矢嶋理事の提出した不信任動議を単なる議事妨害と認めたものでないことは同人の前記証言によつて明らかなところであるから、いずれにしても郡委員長がこれに対してなんらの処置をもとらなかつたことは不当であるとのそしりを免れないであろう。

衆議院委員会先例集(衆議院事務局編纂昭和三十年五月版)七九(七三頁)によれば「審査事項に先だつて議決する必要がある動議は、先決問題とする。審査事項に先だつて議決する必要がある動議は、先決問題とし、審査事項に直接の関係を有すると否とを問わず直ちにこれを議題となすべきものとする。たとえば審査方針に関する動議、数案を一括して議題となすの動議、趣旨説明省略の動議、秘密会とするの動議、議事又は議決延期の動議、質疑又は討論終局の動議、休憩の動議、散会の動議、委員長の信任又は不信任に関する動議等のごときはいずれも先決動議とする」とある。また同二六(二九頁)によれば「委員長の信任又は不信任に関する動議の議事については委員長の指定する理事が委員長の職務を行うのを例とする」とある。

参議院委員会先例録には右衆議院委員会先例集七九と同趣旨のものは見当らないけれども、一六(一四頁)に「委員長不信任の動議が提出されたため理事が委員長の職務を行つた例」として「第十六回国会予算委員会(昭和二十八年七月二十九日)において、委員岡田宗司君外六名から委員長青木一男君不信任の動議が提出されたため委員長青木一男は予め委員長の職務を委託していた理事西郷吉之助君にその席を譲り同君は右の動議に関する議事につき委員長の職務を行つた」旨の記載がある。

これは参議院規則第三十一条第三項に定められているところからすれば当然のことであり、むしろその趣旨は他の案件に先だつて審議するということではなかろうかと考えられるのである。このことは前記衆議院先例集七九と二六を併せ見るとき一層その感を深くするのである。

衆議院の先例が参議院でも先例たりうるかについて考えてみるのに、国会は両院制であり(憲法第四十二条)、両議院の議事は独立して行なわれる(国会法第五十五条、衆議院規則第百八条ないし第百十条、第百十二条、第百十三条、参議院規則第八十六条ないし第八十九条)けれども、その運営方法は多分に共通性を有し(憲法第五十六条、第五十七条その他国会法、参議院規則、衆議院規則にその趣旨の規定は極めて多い)、なかんずく委員会についてはその種類、組織および活動の総てにわたり国会法第四十条ないし第五十四条に至る同一の条規をもつて律せられているのである。そして既に当公判廷の審議過程に現われた証人の供述によつても議会の慣例は衆議院と参議院とで変わることはないと考えられており(証人成田知巳の昭和三十五年一月二十八日第三十九回公判調書中第(27)問答)、参議院は衆議院と運営規則も異ることであり先例についても参議院が衆議院の先例で運営することはないがこれを参考にする場合はあるのであり、殊に一般の議事については共通の面もあるから衆議院に仮に先例があつてそれが参議院でもそのまま使つて差し支えないものは使うことができる(もと参議院事務総長であつた証人芥川治の昭和三十五年十二月二十一日第五十四回公判調書中第(151)、(152)各問答)とされているところからすれば、この問題についても参議院は衆議院の先例を踏襲するであろうことは容易に想像しうるところである。」

(九) 衛視の行動

(1) 参議院院内警察権の根拠。

国会法第十九条〔議長の職務権限〕は「各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し議院の事務を監督し、議院を代表する。」とし、同法第二十条〔議長の委員会への出席・発言〕は「議長は、委員会に出席し発言することができる。」と規定している。いずれも議長の職務に関する規定であるが、前者において議長の議院秩序保持権がうたわれている。本来議長の議院秩序保持権は警察権とはその性格を異にした別種のものと考えられるのであるが、国会法第十九条にいわゆる議院の秩序保持とはこの両者につき明確な区別をすることなく、議院の秩序保持に関する一切の手段を包括した広汎な内容のものと解されている(黒田覚「国会法」法律学全集5八九頁)。国会法第十四章紀律及び警察(第百十四条以下)、参議院規則第十六章紀律及び警察(第二百十七条以下)の規定の仕方は端的にこれを示している。ところで参議院議長の有する院内警察権は、国会法第百十四条〔議長の内部警察権〕「国会の会期中各議院の紀律を保持するため、内部警察の権はこの法律及び各議院の定める規則に従い、議長が、これを行う。閉会中もまた同様とする。」および参議院規則第二百十七条〔議長の警察権〕「議長は、衛視及び警察官を指揮して、議院内部の警察権を行う。」にその根拠をもつ。

これに対して委員会における委員長の秩序保持権については、国会法第四十八条〔委員長の職務権限〕に「委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する」と規定されており、参議院規則第五十一条〔秩序の維持〕は「委員が国会法又はこの規則に違いその他委員会の秩序をみだし又は議院の品位を傷けるときは、委員長は、これを制止し、又は発言を取り消させる。命に従わないときは、委員長は、当日の委員会を終るまで発言を禁止し、又は退場を命ずることができる」としてその具体的内容を規定している。しかしそれ以上に委員長に警察権の行使を明らかに認めた規定はない。そこで右の規定によつて委員会の委員長が議長と同様の院内警察権をも自己の主宰する委員会において行使できるか否かは一個の問題として残る。ただ当時の参議院議長である河井弥八は証人として昭和三十四年一月二十一日第二十七回公判調書中第(169)問答の供述記載において「議長としての警察権は委員会では委員長が持つているのではないかと思う」と述べて自信なげにではあるが肯定している。仮にこれに従つて委員長もまたその主宰する委員会において警察権を行使しうるとして、議長の出席しない委員会では或はそう解しうる余地がなくはないとしても、議長が出席している場合には両者の権能が競合するのかそれともいずれの一方に排他的に帰属するのかに至つては最早これを明らかに決する根拠がない。されば議長の秩序保持権が原則として警察権を包含することは前述のとおりであるけれども、そのことから直ちに委員長の委員会での秩序保持権にも当然警察権を含むという解釈を引き出すことは性急の論たるを免れない。むしろ院内における警察権はすべて議長にのみ専属すると解する方が規定の全体、議長の性質から考えて正しいところではないかと考えられる。

(2) 参議院衛視の職務。

参議院事務局には警務部が置かれ(議院事務局法第一条、第三条昭和三十二年七月一日改正のものではあるが参議院事務局分課規程第一条)、警務部長が事務総長の総括のもとに院内警察を主として掌つている。警務部は警務課、警備第一課、警備第二課、自動車課の四課に分かれ(同上分課規程第五条)議院警察のほか、記章、傍聴券に関する事項、院内の警護、巡察に関する事項その他種々の事項を掌つている(同規程第二十三条ないし第二十七条)。

事務総長は衛視長(参事)、衛視副長(参事又は主事)、衛視(主事)をそれぞれ任命して警務に従事させる(議院事務局法第八条ないし第十一条)。

衛視がその職務を執行するための指揮命令系統は参議院議長、同副議長、事務総長、事務次長であるが、実際の行動は原則として警務部長の指揮によつてする。

衛視の階級は上級から衛視長、衛視副長、衛視班長、衛視の順序であつて、衛視長は議院警察の全般について部下を指揮してその衝に当たる。

衛視の職務分担は本会議場係、委員会係というように分かれているが、委員会係はどの委員会にも共通している。そして警備第一課に所属する衛視が委員会係を担当する。

委員会係衛視の勤務場所は委員会の廊下で、その主たる任務は出入者の記章点検である。特に傍聴人が多勢はいつて若干の整理をする必要のある場合を除き原則として委員会の会議室内にははいらない。室内へはいるのはおおむね委員長の方から委員部を通して整理の要請のある場合である。

委員会の秩序保持権は前記のとおり委員長にあるから委員長の命令で衛視がその執行をするが通常は委員長の事務の補佐をする委員部の委員会担当職員が委員会の命を受けて衛視に指示するのが例となつている。

衛視の専属勤務場所以外の箇所へ配置換えするには衛視長の判断ではできず、課長もしくは警務部長に連絡をしてするのが建前である。

「参議院衛視執務要領」は衛視の職務の具体的内容を明らかにしているが、これによると、

第一条 衛視は上司の命を受けて参議院の秩序を保持し、議院警察の執行に当るを本務とする。

第三条 衛視は、議場、委員会室、傍聴席、玄関、傍聴人受付、面会人受付の勤務、参観案内、書状類の受付及び送付、立番、巡視、消防、各階点検、その他命ぜられた勤務に服する。

第四条 衛視は、次の要領により勤務に服する。

第八 立番

一 立番は、指定の場所に服務して、その区内を見張り警戒する。

二 緊急又は異常の事態が発生し若しくは周囲の状況より判断して、その虞があるときは、臨機に勤務位置を離れて、その事態に対処する。

第十三 委員会

一 衛視は、委員会を巡視し、会議室の出入を視察、警戒し、異状のあつたときは、速やかに衛視長に報告するとともに、臨機の処置を誤らぬようにする。

第七条 衛視は、院内において犯罪があつた場合は、犯罪人を拘束すると同時に証拠物を押収し、必要と認めたときはその現状保持に注意しなければならない。

第十四条 衛視は、勤務に関し見聞し又は取扱つた事項について、速やかにそのてん末を上司に報告する。

というように各種の事項について職務の内容を具体的かつ詳細に説明している。

(3) 衛視の職務行動の基準および範囲。

参議院規則第二百十八条〔議院の警察〕は「①衛視は、議院内部の警察を行う。②警察官は、議事堂外の警察を行う。但し、議長において特に必要と認めるときは、警察官をして議事堂内の警察を行わせることができる。」と規定している。このように衛視は議院内部の警察を行なうが、それは議長の指揮によつてその警察権を執行するものであつて衛視自らが独立に警察権を行なうものではない。右第二百十八条中の「衛視は議院内部の警察を行う」との文言だけをもつてこれを肯定することはできない。この文言は同じく議長の警察権の執行機関たる警察官と対比してその職務執行場所を規定したに過ぎないものと解すべきことは右規則第二百十八条のみならず、これとともに同第二百十七条〔議長の警察権〕「議長は、衛視及び警察官を指揮して議院内部の警察権を行う。」を併せ読むときは極めて明白である。

ところで衛視の職務執行が独立であるか否かについては衛視の間でも次のように見解が分かれていることに注目する必要がある。すなわち衛視長佐々木司は「衛視は参議院規則第二百十八条により議院内部の警察を行なう職務権限がある。院内の秩序維持権、警察権は議長にあるが、院内全般に亘つて秩序維持のための行動をすることは議長から衛視に総括的に委任されている。ただ本会議場においては衛視が秩序維持の行動をとり警察権を執行するのは総て議長から具体的な指示を受けなければならない。これは参議院規則第二百十九条、参議院衛視執務要領第四条の規定により特に制限されている。本会議場以外の院内では衛視はいちいち議長の指揮を受けなくても、暴行の制止その他身体の安全、通行の安全等を確保するため秩序維持の行動をとることができる。委員会においては傍聴制限について委員長に権限はあるが、これは議長の院内秩序保持権を排除するものではなく、議長の秩序保持権は委員会の場所にも及んでおり、したがつて衛視はいちいち委員長から指示を受けなくても秩序維持のための行動を委員会の席においても行ない得ると解される」(同人の検察官に対する昭和三十年九月十五日付供述調書第四項)とし、また「当時の警備課の担当職務は議長警察権の行使だが、これは法規上委任された事務で、議長の命令でしなければならないのは議場内のことだけである」(昭和三十三年十二月二十三日、第二十五回公判調書中第(5)問答の供述記載)と述べており、衛視副長徳武国広は昭和三十三年七月十六日第十八回公判調書中の供述記載において「衛視の職務は院内の秩序保持だが、議長の警察権を執行するだけである(第(13)問答)。上司の命を受けて議長の警察権の執行に当るのである。議運がもめているから直ぐ行けという命令を受けた場合は秩序保持が任務だからなるべく乱斗がないようにする。相互の喧嘩を止めるとか議長を守るとかが私どもの任務である。私どもは課長、部長の命令で動くが、衛視長、事務総長、議長から直接受ける場合もある。私が衛視に出す場合もあり、とにかく自分より上の人の命令で動いているのである(第(129)問答)」と述べ、班衛視長長島安五郎は昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中の供述記載で「議長警察権の行使は特定の場合にいちいち命令がなくてもやれると思う。その根拠は参議院規則第二百十四条(これは第二百十八号の記憶違いと思われる)にあると思う(第(5)、第(20)問答等)」と述べ、衛視班長赤沼明は昭和三十六年一月十八日第五十六回公判調書中の供述記載で「命令がなくてもあのような場合には(本件の委員会の混乱を指す)整理に当るということは当然私達の職務としてやるべきことだと思う(第(129)問答)」「臨機の処置はとつてもいいということは常に上司から言われております(第(158)問答)と述べ、衛視小西保雄は昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載において「私達の職務は委員会の委員長の命令によつて行動する訳です。それと同時に審議を混乱におとしいれないように委員長が私達に命じて秩序を保たす訳です(第(246)問答)」と述べている。

以上のように衛視の中には本件のような「議運委」における混乱に際し衛視が独自の判断のもとに議院内部の警察を行なう権限をもつていると解しているものがあり(佐々木、長島衛視の如き、またこのような権限はなく上司の命令がなければできないと解しているものですら乱斗をなくす、議員相互の喧嘩をなくす、議長を守る程度のことは当然の職務としてできると解している(徳武、小西衛視の如きなお多少不明瞭であるが赤沼衛視も)のであつて、このことは、既に見て来たところから明らかなように正当な見解とは言えず、事実上の行為として制止その他なんぴとにも当然許されることをする以上には通常議院内部の警察は既に述べたような上司の明確な命令指揮なくしては衛視独自の判断で行ないうるものとは解されないところである。しかるに後に説明するように明確な上司の命令がないのに「議運委」が大変だと聞くや直ちに「議運委」の会場である議長応接室に多数の衛視がてんでんばらばらの意図で、中には莫然と何とはなしに駈けつけて入室し、これが郡委員長の議事運営振りに興奮している社会党側議員、傍聴人らの憤激を買い、混乱を増大する因ともなり、被告人成瀬幡治その他の乱暴な行為を惹起させるもととなつたことは頗る注目に値し、将来国会審議に伴つて混乱が生じた場合衛視の院内における活動が如何にあるべきか、その規整如何について多くの考えさせるものがあることを示唆している。

(4) 本件「議運委」における衛視の具体的行動

A 総括

当日、参議院議長および「議運委」委員長のいずれからも「議運委」会議場の警備につき警務部部長および同部警備課長らに対してなんら特別の指示、命令がなかつたので警備課としては直ちに本会議が開かれるものと判断して「議運委」には特別の警戒態勢を敷かず委員会の状況を警備課に通報する連絡員を配置するに止めた。

すなわち衛視副長中村清次郎の指示により「議運委」の開かれた議長応接室の廊下に面した出入口のうち東入口に衛視小西保雄、同三角健三郎、西入口に衛視木村明が配置についた。その附近に様子を見ている衛視が若干名いたが正規の配置は右のとおりであつた。

「議運委」が開会されるや衛視林左右吉はその旨を二階の警備課分室へ連絡したが、その直後衛視班長中野庄九郎から「議運委」のただならぬ雲行きについて通報があつたので同室に待機中の衛視長佐々木司、衛視副長中村清次郎、衛視班長原田音吉らは右林、中野と共に直ちに議長応接室に駈け付けた。なおその頃衛視長伴侃爾も一階の警備課室に電話連絡したので、同室に居合わせた警備課長大里桃民は衛視副長徳武国広を伴い、これに衛視長細野銀平も加わつて議長応接室に急行した。

委員会会議場内が騒然として来た頃は木村衛視は事務総長を、小西、原田各衛視は委員長を、中村衛視副長、中野衛視班長は議長を護衛する意図でいずれもその席に近い箇所に位置していた。

佐々木衛視長は入室後間もなく、宮坂委員部長が郡の指示によつて継続審査案件の書類の朗読を命ぜられるや、同委員部長の身辺を庇護してその朗読を容易ならしめようとした。

右各衛視以外に委員会係補助員である衛視班長佐藤進も他の衛視からの連絡で開会後間もなく議長応接室内にはいり委員長背後に位置した。

議場係衛視である衛視班長長島安五郎は委員長を警護する意図で入室し、同じく衛視班長赤沼明は議長応接室内の騒然としているのを見て他の衛視を応援する意図で入室し、同じく衛視長谷川進も何とはなしに入室した。

委員長が立ち上がつて議長室へ行こうとした頃は相当多数(約十五、六名から二十名前後)の衛視が議長応接室内に立ち入つて来たので左派社会党議員湯山勇は衛視らに対し「はいるな」と怒鳴りつけ、ほかにも衛視らの入場を阻止しようとする社会党議員がいた。郡委員長が議長応接室から退室する際には徳武衛視副長、原田、赤沼、長島、佐藤各衛視班長、林衛視らを含む十数名の衛視が自由党委員榊原亨らに協力して郡委員長を取り囲み議長室に連れ込んだ。なお河井議長が退室するときは中村、徳武各衛視副長がこれを護衛した。

B 衛視各人の具体的行動。

(a) 衛視 木村明

木村衛視は警備課第二警護係として、大臣、議長、副議長の警護を担当していた者であるが、当日警護隊長中村衛視副長(前記)の指示により「議運委」の警護その他緊急の事態に対する連絡員として議長応接室の西入口に配置を命ぜられそこに立つていた。

郡委員長が開会を宣すると間もなく場内は喧々囂々として来たので、木村衛視は入口附近にいた衛視を警護係の部屋へ連絡に行かせ、自分は与党側委員席の背後を通つて事務総長席の背後に位置して待機していたが、その時佐々木衛視長が宮坂委員部長を前に出してやろうとしているのを認めた。その頃場内は郡委員長が矢嶋理事の提出書類を受け取らず大騒ぎになつていた。そのうち背後から何者かが「衛視邪魔だ、出ろ」と言いながら帽子を取つて投げ、次いで襟首を掴み後ろへ引つ張つたので振り返つて見るとそこに左派社会党議員である被告人成瀬幡治がいた。

木村衛視は取られた帽子が気にかかりそれを探そうとしているところをなんびとかに小突かれて東入口の方へ押し出されてしまつた。その入口にいた三角衛視がとられた帽子を持つていてくれたのでこれを受け取り会議場の方を振り返ると郡委員長が衛視に守られて議長室にはいるところであつた。

(b) 衛視 小西保雄

小西衛視は当時警務部警備課に所属し、議場北側東入口の立番勤務がその本務であつたが、本会議の開かれない時は「議運委」の会議場である議長応接室東入口へ警備の応援に行くことになつていたので、当日も右入口において入室者の記章点検をしていた。

「議運委」開会に当たり議長らが入室する時小西衛視は宮坂委員部長から相当空気が険悪だから注意してくれと言われた。同衛視は右入口に立つている時、内村清次、江田三郎、栗山良夫、岡三郎、小笠原二三男らの議員が入室するのを見た。

午後十一時二十分過頃同衛視は委員長室附近で大声を聞いたので委員長を護衛する意図で議長応接室の中にはいつて行つた。委員長事務総長席の周囲は非常な混雑ではかばかしく進めなかつたが、事務総長席の背後近くまで行つた時、宮坂委員部長が東側暖炉前の同人の席から事務総長席の方へ向かつて書類を持つて行くのに会つた。

同衛視は郡委員長席の背後まで行つた時、委員長が「議員以外の者は外に出せ」と二回位大きな声で叫んだように聞いたので、これを委員長の衛視に対する執行命令と解釈して直ちに各衛視に伝えるべく「命令が出た、命令が出た」と叫んだ。すると社会党議員ら数名が同衛視と委員長との間を遮るように同衛視の前に立ちふさがり「議員に命令する奴があるか」と口々に言つて同衛視を小突いた。その頃同人は委員長席の後方で事務総長席の方に向かつて立つていたが、右のように小突かれたため倒れていた椅子につまづいてあお向けに倒れた。その場所は議長席と事務次長席の中間辺りで頭を北に向けて倒れた。長谷川衛視がそこへ来て小西衛視を助け起こした。

(c) 衛視班長 長島安五郎

長島班長は本件当時警務部警備課所属で議場係担当であつたが委員長の警護にも従事していた。「議運委」が終了すれば本会議が引き続いて開かれるのでその準備のため「議運委」の状況を知る必要上議長応接室西入口の外に立つて室内の模様をのぞいた。そこからは人が多勢詰めかけて委員長席の方は見えず、あまり混雑しているのでそこにいた木村衛視に入場制限の指示はなかつたのかと問う程であつた。

長島班長は室内の委員長席附近が特に騒がしいように感じたので委員長警護の意図で廊下を通つて東入口から室内にはいつた。入室後間もなく湯山議員に会い真正面から同議員と相対した。同議員は長島班長の顔を見るや、いきなり「衛視、何しに来た、帰れ、帰れ」と怒鳴りながら同班長の胸倉を掴んで二、三回押した。同班長は一、二歩背後へよろめいたが、委員長の所へ早く行かなければならないと思いその攻撃を避けてさらに前進した。同班長が事務総長席と議長室に通ずる扉の中間辺の位置に達したとき、何事かを怒鳴る成瀬被告人に右手で上衣の胸を掴まえられて二、三回突かれた。成瀬被告人がなお附近にいた木村衛視の帽子を斜後から取つて投げ、同人の襟を掴んで後ろに引張つていたのを長島班長は目撃した。

その頃委員長の周囲には多数の議員が詰めかけて怒号していたがその叫び声の中に「委員長をやつつけろ」というような意味に聞きとれる言葉もあつたように長島班長には思われたので、同人は無理に人波を押し分けて委員長に接近して行き、前記のように榊原議員が郡委員長を助け出すのを見て附近にいた衛視と共にこれに協力し同委員長を周囲に群がる者の中から救い出して議長室に連れ込んだ。

(d) 衛視班長 中野庄九郎

中野班長は大臣、議長、委員長らの警護係であつた。

同班長は「議運委」に出席する参議院議長河井弥八を警護するため議長応接室に行き東入口附近の廊下に立つていたが、開会直後に左派社会党の委員らが一斉に立ち上がつて「委員長、委員長」と叫び始め、それにつれて室内がワツと湧き立つてしまつたように見えたので、議長や委員長の身に万一のことがあつてはならないと考え、警護の救援を求めるべく二階の警備課分室に走り中村副長にその旨を伝えた。そして直ちに議長応接室に引き返し東入口からはいつて河井議長の席に行こうとしたが、混雑のため思うように進めず、ようやく委員長席背後の辺まで行つた時、自分と委員長との間に木村衛視が立つており、木村衛視よりも入口寄りに長島班長、さらに入口寄りに佐々木衛視長の姿を認めた。

郡委員長が立ち上り退室して議長室にはいろうとした頃、東入口の辺りから成瀬被告人が「衛視、どけどけ」と叫びながら人波をかき分けて中野班長の方に近づいて来たかと思うと、同班長の斜前で副議長室の方を向いて立つていた木村衛視の帽子を背後から右手でやにわに奪い取り後方に投げ出し、さらに同衛視のワイシヤツの襟がみを掴んで三、四回後に引つ張つたので同衛視はよろめいた。この事実は中野班長の眼前で起こつたので同班長はこれをよく見ることができた。

中野班長は人波にもまれて進むことも退くこともできず、委員長が衛視に囲まれて議長室にはいるのを見ていたが、その後議長室前の廊下に出たところ佐々木衛視長が成瀬被告人や数名の議長秘書につかまつて議員を殴つたという疑で責められているのを見た。そこで中野班長は佐々木衛視長の所へ行きその左側から同人と成瀬被告人との間に割つてはいり佐々木衛視長の右腕を引つ張つて西の方に同人を連行した。

(e) 衛視班長 原田音吉

原田班長は当時委員会係として傍聴人の整理、案内、警備等を担当していた。

当日午後十一時頃、議長応接室の直ぐ近くにある二階の警備課分室で休憩していた時「議運が大変だ」との中野衛視班長の知らせを受けて居合わせた五、六人の衛視と共に(前記のように佐々木衛視長、中村副長らを含む)議長応接室に駈けつけた。

東入口からはいつて暫く経つてから郡委員長が立ち上つて退室しようとしたので同委員長の安全を計るため近づこうとして事務総長席の背後まで進んだところ、成瀬被告人から「衛視が何するんだ」と言つて右足内股を蹴飛ばされかかつた。原田班長は後ろによろめいたが倒れなかつた。その頃原田班長の前には木村衛視が立つていた。成瀬被告人が木村衛視の帽子を取つて投げるのを原田班長は目撃した。

(f) 衛視長 佐々木司

佐々木衛視長は警務部警備課に所属し、委員会の警備、警護、巡羅を担当していた。

当日は午後十一時十八分頃二階の警備課分室で「議運委」開会の知らせを受けて待機中、中野班長が「大変なことになつた」と飛んで来たので直ちに居合わせた中村副長、原田班長ほか衛視数名と議長応接室に駈けつけた。佐々木衛視長は西入口から室内にはいつて委員長席の背後に約十人位の議員が立つているのを見た。委員長の身体に手を掛けている者はその時は未だなかつたが、委員長の背後に多勢の議員が群がるというようなことは通常ないことなので混乱が起こることが直感された。そこで同衛視長は自由党委員席の後ろを通つて事務総長席の背後まで行つた。すると其処に左派社会党議員である被告人秋山長造の秘書田中功孔が立つていたので、佐々木衛視長は田中秘書に対し「一寸下がつてくれ」と言つて同人を後ろに退かせて自分が事務総長席の背後に立つた。その時佐々木衛視長の右側に原田班長、その直ぐ右に左派社会党議員湯山勇、その直ぐ右に同じく岡三郎議員がいた。その頃宮坂委員長が継続審査案件の要求書を朗読するため東側暖炉前の自席から出て来たところで多数の者で混雑して容易に出られないような様子だつたので、佐々木衛視長は宮坂委員部長の周囲の人を押し分けて同人を前に出してやつた。その時なお委員部長の後ろから押して来る者があるので同衛視長は宮坂委員部長の背後に立ち手を広げて自分の背で押して来る者を防いだ。

そのうち左派社会党議員竹中勝男が宮坂委員部長から書類を取り上げて後方にいた者に手渡し、その書類が人の手を転々して行つたので同衛視長はその書類の後を追つて行きこれを奪い合つていた社会党議員の秘書を赤沼衛視と共に廊下に押し出し、さらに西入口から議長応接室内にはいり社会党委員席の背後を通つて議長席の方に行つた。その時は既に委員長は退室した後で議長が議長室に帰ろうとしていたところであつた。議長応接室と議長室との間の扉が開かないので佐々木衛視長はこれを開くため廊下に出て議長室にはいつたがその時右の扉はなんぴとかが開いて議長も入室していた。そこで同衛視長は次に事務総長の安否を気づかつてさらに議長応接室の様子を見るため秘書室を通つて廊下に出て議長応接室の前まで行つた。するとそこに左派社会党の議員秘書が数名いてその中の一人の前記田中功孔が「こいつだ、こいつだ」と同衛視長を指さし、成瀬被告人と共に同人を取り囲んだ。成瀬被告人は北側の壁を背にして立つた佐々木衛視長に対し右手で同人の胸倉を(開襟シヤツの襟の辺)を掴み「お前、俺を殴つたのか」と言いながらぐいぐい前後にゆすぶつた。同衛視長は「私は殴りません」と弁解したが、成瀬被告人は「証人があるぞ」と言いながらなお追求しようとした。

そこへ伴衛視長、中野班長らが駆けつけて両人の間に割つてはいり、中野班長は佐々木衛視長の手を引いて廊下を西方に逃げ西北隅の階段を下つて地下室へ行つた。

佐々木衛視長は其処で自分の着用していた白長袖開襟シヤツ(昭和三四年証第四三九号の四)の右肩から十糎位下つた箇所が二十糎位裂けているのに気づいた。

(g) 衛視副長 徳武国広

徳武衛視副長は巡察係長であつたが、実際上は議場係長、看視係長、撮影放送等係長、消防係長等の仕事をしていた。

当日、徳武副長は一階の警備課室にいたが午後十一時十五、六分頃、議長応接室へ警備に行つていた伴衛視長から大里警備課長へ電話連絡があり、同課長から直ちに「議運委」に行つて警備に当たれと命じられたので、同課長と細野衛視長と三人で同室を飛び出した。議長応接室に着いて見ると室内は議員で充満しており喧々囂々としていた。徳武副長が東入口からはいり委員長席の方へ近づいて行くと矢嶋被告人が委員長に対して動議書を突き付けているところであつた。徳武副長が委員長の直ぐ右後方に行つた時同副長は委員長から「助けてくれ」とか「出してくれ」とかいうような要請を受けたと感じられたので委員長の身辺に近づき、榊原議員および原田班長以下十名位の衛視と協力して郡委員長を議長室に連れ込んだ。

徳武副長は郡委員長を議長室へ入れた後直ちに議長応接室へ引き返したが、委員長席の背後辺りで左派社会党議員の岡田宗司から「衛視、何を乱暴するんだ、お前なんか向うへ出ていろ」と言われて突飛ばされ、このため一歩後へよろけたが、それでもさらに奥へ進むと同じく江田三郎に肩の辺を突かれた。

徳武副長はこの後で中村衛視副長と共に河井議長を議長室へ連れて行つた。

(h) 衛視 林左右吉

林衛視は警備課第二警備係に所属しその担当職務は大臣室を主として大臣、議長、副議長の警護であつた。

林衛視は前記のように一旦二階の警備課分室へ「議運委」の開会を通知した後直ちに議長応接室に引き返したが、東入口から入室し、小西衛視に言われて委員長の後ろまで行つて室内に木村衛視や原田班長の姿を見つけた。暫くして郡委員長が退室しようとした頃事務総長席の辺に成瀬被告人がいて、「衛視、何しているのだ、出ろ出ろ」と怒鳴りながら木村衛視の帽子を取つたり、その襟を掴んだりし、またその横にいた長島衛視の胸倉を突いたのを林衛視は目撃した。委員長席周辺の騒がしさが激しくなり郡委員長が立ち上がつて議長室へ帰ろうとしたときは、林衛視も他の衛視と協力して同委員長を議長室に連れ込んだ。議長室へはいつてから林衛視は同委員長のワイシヤツの右手首辺が切れているのを目撃した。

(i) 衛視長 伴侃爾

伴衛視長は本会議場の警備を担当していた者で、当日午後十一時二十分頃本会議に備えて議場の南入口附近に待機していたところ、他の衛視から「議運委」が混乱していると知らされたので自分に対しては別に誰からも命令はなかつたが、応援のため議長応接室に行つた。

東入口から室内に二、三歩はいつたところ、其処に左派社会党議員湯山勇がいて「君達のはいる所ではない」と言いながら胸を押した。しかし伴衛視長は警備のためには室内にはいらなければならないと考えて強いてはいろうとすると、さらに胸を押され、同時に背後から「君達は出ろ」と叫びながら左肩に手をかけて引き戻す者がいたので振り返つて見ると、左派社会党議員の小酒井義男が其処にいた。伴衛視長がその位置で室内を見た時郡委員長の周囲は人垣に囲まれて姿が見えず左派社会党委員が数名立ち上がつて何事かを叫んでいるのが見え、事務総長の席に当る附近に佐々木衛視長が郡委員長の方を向いて立つているのと、議長席の向い側辺りに中村副長の顔が見えた。この頃は委員長席附近は大変な混雑で喧々囂々の状況であつた。

伴衛視長は議長秘書室勤務の江上参事から議場の準備は良いかと言われたので一旦退室して議場にはいり、再び議長応接室前の廊下に出て見ると、既に議長も郡委員長も退室した後だつた。同衛視長はその廊下で成瀬被告人が佐々木衛視長に対して「お前、俺を殴つたのか」と問責しているのを見たので、紛争になつては困ると思つてその辺に居合わせた衛視を指揮して二人を引き分けた。

(5) 前記各衛視の当日における行動の具体的根拠

(一) 証人河井弥八の昭和三十四年一月二十一日第二十七回公判調書中の供述記載によれば、

「室の内外を問わず絶体の秩序を保つ責任が議長にあるから衛視がはいつて来るのは議長の指揮に基いてはいつて来るのである(第(171)問答)。当日議長としては大した騒ぎになるとは思わず特別の手配を命ずることはせず(第(174)問答)必要に応じて衛視を配置するようにと警務部長に言つておいたので、当初は若干の衛視がはいつて警戒に当つた(第(178)問答)」とあるけれども、当時警務部長であつた証人佐藤忠雄の昭和三十五年九月七日第五十二回公判調書中の供述記載によれば、

「当日委員長その他の上司から警戒について命令或は指示を受けたことはない(第(112)問答)。自分が命令を出した記憶もない(第(129)問答)入室した衛視は各人思い思いの行動をしており、一人の責任者の指図による一定の行動ではなかつた(第(136)問答)」とある。

委員長郡祐一の昭和三十四年二月二十一日第三十二回公判調書中の供述記載にも、

「議長サロンに入つたとき、会期末らしくよく人が寄つたなという感じはしたが、警備をしようとか荒れるという考えは特になかつた(第(75)問答)。休憩を宣告して立ち上がると前方に衛視が沢山来たなという感じがしたので窮屈だつたところから『衛視、衛視と』呼んだ(第(162)問答)。衛視には事務次長なり警務部長、そうした方から普通の形の警備や何かの命令は出しているが、特に呼んで指図したことはない(第(163)問答)」とあつて、委員長自ら予じめ具体的な命令はもとより、一般的な指示もしていないことを認めている。

当時事務次長としてこの「議運委」に出席していた河野義克の昭和三十四年一月二十二日第二十八回公判調書中、証人としての供述記載に、

「衛視のはいつて来たのは議長や委員長の身辺を守れという具体的命令の下にはいつて来ているとは考えられない(第(113)問答)。」とあり、

衛視長佐々木司の昭和三十年八月六日付検察官に対する供述調書中、

「『議運委』は無事に済むと思つていた(第二項)」

同人の昭和三十五年十二月二十三日第五十五回公判調書中の供述記載として、

「本件の場合、委員室へはいる前に執行について命令は出なかつた(第(79)問答)」

証人菊川孝夫の昭和三十五年二月二十三日第四十一回公判調書中の供述記載によれば、

「衛視は委員長の要求によつて部屋にはいることになつているが、当日は委員長も議長も衛視を呼ぶということを私の目前ではしなかつた(第(199)問答)。衛視は委員長を連れ出すために(道をあけさせるために)委員長護衛に来たのだと思う。衛視の当日の公務は委員長を護衛して連れ出すことにあつたのではなかろうか(第(203)問答)」とあり、

証人荒木正三郎の昭和三十五年二月二十四日第四十二回公判調書中の供述記載によれば、

「衛視が委員会に出入することは委員長の要請がなければならない筈である(第(122)問答)。衛視の判断で、今、もめているから整理しようというようなことではいることは許されない(第(130)問答)」とあり、証人鈴木一の昭和三十五年三月十四日第四十三回公判調書中の供述記載によれば、

「大体、もめごとがあつてごたごたして来ると、誰が召集するのかさつと衛視が廊下に並んだり、それから委員会の部屋にはいつて来るのが通例である(第(116)問答)。」とあり、

証人佐藤忠雄の昭和三十五年九月七日第五十二回公判調書中の供述記載によれば、

「はいつて来た衛視は委員長を守る目的で前へ進んで行つたように記憶する(第(135)問答)」とあり、

証人内村清次の昭和三十六年一月十八日第五十六回公判調書中の供述記載によれば、

「郡委員長が座つている間に衛視に何か命じるような行為があつた記憶はない(第(68)問答)。」とある。

以上の各証言を総合すると本件「議運委」に関し河井議長、郡委員長、事務総長、事務次長および警務部長のいずれからも衛視に対して会議場への入室、その他警備等につき具体的な命令が出されたということはついにこれを認めることができない。

(二) もつとも証人中野庄九郎の昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中の供述記載によれば「当日は事前に中村副長から議運が混乱するかも知れないから一応準備しておけという命令を受けていた(第(126)問答)」とあるけれども、右中村衛視副長の命令なるものが議長或は委員長等の上司からの命令によるのもとは認められないことは前記認定の事実に徴して明らかなところである。

(三) ところで各衛視の議長応接室へ入室した動機、目的等を証人調書に現われたところから摘記すると次のとおりである。

(a) 原田音吉

「私は委員長の安全を図るために近づこうとした」(昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書第三項)

「衛視みんなで協力して委員長と議長を退室させた」(昭和三十三年七月十七日第十九回公判調書中第(214)問答)

(b) 小西保雄

「私は委員長を護衛するためその席に近づいて行つた」(昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書第四項)

(c) 中野庄九郎

「当日の私の任務は議長の身辺の警護だつた」(昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中第(202)問答)。

「議長や委員長の身に万一の事があつてはならないと考え……」(昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書第二項)。

(d) 長島安五郎

「私達は議長警察権の執行に当るからそういう事態が起こつた時は協力する義務があると思つて入つた」(昭和三十三年十二月三十四日第二十六回公判調書中第(20)問答)。

「佐々木衛視長は委員部長の護衛をしていたと思う」(右同調書中第(61)問答)。

「委員長の所へ早く行かなければならぬと思い」(昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書中第五項)。

(e) 佐々木司

「(私達は議長応接室へ)荒れそうだというので駈けつけたのである。中で掴み合いが始まつた場合に制止するとか、議長、委員長の身辺護衛の必要が生じたらそれをするということで入室したのである」(昭和三十五年十二月二十三日第五十五回公判調書中第(80)問答)。

「上からの命令は確かめなかつたが報告があつたので直ぐ現場に行つたのである。その場所へ行つて命令を待つわけです。その時は命令が出なかつたが、掴み合いなどを制止するのは命令がなくてもやります」(右同調中第(103)問答)。

「議員がもめている当事者になつている時に引き分けたり押さえたりするのは危害があつてはいけないとそういう関係で中を分けるわけです」(右同調書中第(115)問答)。

「傍聴人の退場などでも委員長が命じないのにわれわれの裁量で退場させることはありません。騒いだ場合に制止等は致します」(右同調書中第(123)問答)。

「議長を守つていたのは中村副長だつた」(昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中第(75)問答)。

(f) 木村明

「あの事件の時の混乱の最中には事務総長、議長、委員長を護衛するために衛視ははいつていた」(昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中第(6)、(34)各問答の趣旨から)。

(g) 伴侃爾

「私は議場係だが、議運が混乱しているようだと知らされ応援のためサロンに行つた」(昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中第(10)問答)。

(h) 赤沼明

「本務は貸与品係で、本会議のある時は議場勤務を兼ねていたが、委員会の様子を一寸のぞいたら衛視が相当中で働いているのを見たので私もその中にはいつて行つた」(昭和三十六年一月十八日第五十六回公判調書中第(9)問答)。

(i) 長谷川進

「私は当時議場係だつた。それで私の休憩時間に何とはなしに議長サロンへ行つて見たのである」(昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中第(84)問答)。

(j) 以上のほか衛視班長佐藤進は昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中の供述記載の全趣旨によれば具体的に委員長や委員部の職員の指示があればそれに従つて行動する目的で入室していたことが窺われ、衛視林左右吉は昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載に明らかな同衛視の担当職務から推定すればその入室の意図は大臣、議長等の護衛にあつたというべきであろう。

第五章  議運委委員長郡祐一が被つた傷害

証人菊田七平、同劔木亨弘の各昭和三十三年七月十五日第十七回、同徳武国広の同年同月十六日第十八回同三浦義男の同年九月十日第二十一回、同河井弥八の昭和三十四年一月二十一日第二十七回、同榊原亨の同年同月二十三日第二十九回、同雨森常夫の同年二月十二日第三十一回、同新城猪佐雄、同川瀬潔、同佐藤孝三の各昭和三十三年九月十一日第二十二回、同川瀬潔、同佐藤孝三の各昭和三十四年一月二十三日第二十九回各公判調書中の供述記載および医師佐藤孝三作成に係る鑑定書、参議院病歴簿中郡祐一に対する昭和三十年七月三十日付記載欄、医師川瀬潔作成の郡祐一に対する同年同月三十一日付診断書を総合すれば次の事実を認定することができる。

郡委員長は議長応接室を退出して議長室にはいつてから腕を見ると右腕関節の箇所に一寸五分位の裂傷があつて出血しており、左手の甲はみみず腫れになつて腕は皮がささくれていたので参議院議員医務室の医師および看護婦を議長室に呼んで傷の手当を受けた。

医師新城猪佐雄が郡委員長の脈膊を調べ、眼血膜を検査し、注射を打つ等の手当をしたが、前記の様に報告のため自由党控室に帰つたので其処でさらに詳細な診察を受けた。右新城医師に右前胸部が腫れていると言われ、同部位を押さえるとはつきり疼痛を感じ、また同医師の命によつて深呼吸を行なつたところ途中で息がつかえるように感じ、また疼痛をも覚えた。

右新城医師の郡委員長に対する診断は次のようなものであつた。

「右前胸部上部に中等度の発赤腫脹を認め圧痛著明にして同部の肋骨々軟骨部に骨折の疑があり、右側肘関節部に中等度の発赤、腫脹および約六糎の擦過傷および皮下出血を認める」。

そうして委員長は七月三十一日午前零時三十分頃参議院嘱託医(外科)川瀬潔が院長をしている川瀬外科病院に担架で運び込まれた。

同病院での診察の結果は次のとおりであつた。

(a)  右側第一、第二肋骨骨軟骨亀裂骨折

(b)  右側肘関節内側軟部打撲、皮膚擦過傷(右側肘関節を内側に横走する線状六糎の皮膚擦過傷および皮下出血)

(c)  左側肘関節内側皮膚擦過傷(左側肘関節の屈曲側に幅約七糎)

(d)  左手背皮膚擦過傷、軽度の腫脹、皮下出血たる瀰漫性の皮膚発赤。

そして同病院での治療方法として

(a)  右前胸部に超短波療法およびゼノール罨法

(b)  両肘関節部に超短波療法創部交換処置、湿布が行われた。

郡委員長は右同日から入院して八月十六、七日頃まで四週間近く入院し、その後は通院して電気をかけたり湿布をして同年九月末頃まで通院加療した。

この間、同年八月五日、東京大学教授医師佐藤孝三の診察を受けたが、その時には両肘部および左手背の腫脹、疼痛は軽減しており、ただ右前胸部の腫脹、疼痛が依然として残存していた。

医師佐藤孝三が右日時に診断した時の郡委員長の身体の異常は次の通りであつた。

(a)  右第一、第二肋骨骨軟骨境界部(骨と軟骨の境)亀裂骨折。

(b)  右肘部屈側皮膚剥離創。

(c)  右肘部屈側皮膚擦過傷の痕跡。

(d)  左手背皮膚擦過傷の痕跡。

郡委員長の右受傷の原因については右佐藤医師作成の診断書によれば、

「受傷の原因は打撲や強い摩擦等の鈍力外傷に基くものと推定する。

(1)  肋骨骨折は直達外力(胸の処に直接打撲が加わつた)を原因と認めるのが妥当である。加えられた手段の如何を問わず医学常識上打撲の範疇に属するものと考える。

(2)  皮膚創は打撲が皮膚に斜方向に加えられた場合、腕を強く押さえつけられた場合、押さえつけられた腕を抵抗に抗して動かした場合等に生ずる。本例においてそのいずれによつて受傷したかは不明であるが強い摩擦力が外傷として働いたことは容易に推定できる。」というのであり、

同鑑定人の昭和三十四年一月二十三日第二十九回公判調書中の供述記載によれば、

「郡委員長には老年のため若年者には見られない軟骨の骨化現象が起つており抵抗力がなくなつている状態であるからその骨折は相当な圧迫でも打撲でもどちらでも起こる」とあり、証人川瀬潔の昭和三十三年九月十一日第二十二回公判調書中の供述記載によれば、

「傷の原因は何かの圧迫によると思う。けれども関節の接合部分であるから力の大きさよりも何かのはずみでもつてやつたのじやないかと思う。机の角で胸を圧迫したとか押えられた時には起こり易い。ぎゆつと押さえるとか、力と物との間に挾まれる、そういうことで起こり易い。」とあり、

証人新城猪佐雄の右同日附公判調書中の供述記載によれば、

「身体を不意に引き揚げる時は郡委員長の被つたような傷害の起こる可能性はある」とある。

そして受傷した時期について証人郡祐一の昭和三十二年十二月四日第十一回公判調書中の供述記載によれば、

「どうも素人の判断でありまするけれども、短かい時間でありますが相当不自然な姿勢で揉まれ自分自身としては身体をもとの姿勢に戻そうとする無理のいつた時間が、短かい間ではありましたが、ありましたからそういう時に故障を起こしたものかと考えます。休憩を宣言する際、或はその直後です(第(213)問答)」とある。

第六章  右委員会における衛視らの被つた傷害

第一節  衛視 小西保雄の受傷

証人新城猪佐雄昭和三十三年九月十一日第二十二回公判調書中の供述記載、同小西保雄の同年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載、参議院病歴簿と題する書面中小西保雄に対する昭和三十年七月三十一日付記載欄、小西保雄の検察官に対する昭和三十年八月九日付、同年九月十五日付各供述調書医師新城猪佐雄作成の小西保雄に対する昭和三十年七月三十一日付診断書を総合すると次の事実を認定することができる。

小西衛視は議長応接室で数名の社会党議員らから右胸の辺りを小突かれ椅子につまづいて倒れたが帰宅後(翌日)サロン内で突かれた右胸が痛んだので七月三十一日午後参議院医務室で診察を受けたところ、右胸部打撲傷という診断でゼノール罨法(湿布)の手当てをしてくれた。当日胸部には赤い斑点があつたが三、四日でこれは消失し、痛みは約一週間で軽減した。

第二節  衛視長 佐々木司の受傷

証人新城猪佐雄の前記公判調書中の供述記載、同佐々木司の昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載、参議院病歴簿中佐々木司に対する昭和三十年七月三十一日付記載欄、佐々木司の検察官に対する同年八月六日、同年九月十五日付各供述調書医師新城猪佐雄作成の佐々木司に対する昭和三十年七月三十一日付診断書を総合すると次の事実を認定することができる。

佐々木衛視長は帰宅後右腕上膊部内側に一個、外側に二個、計三個親指頭大の内出血があり又両肩から胸のつけ根、胸、背にかけて赤い縞のような筋が五本位ついていることに気づいた。

同衛視長も参議院医務室で診断を受け、両側上膊部、両肩胛部及び前胸部擦過創という傷名のもとにペニシリン軟膏の塗布手当を受けた。

肩の部分は三、四日後に傷痕が治癒し、腕の内出血は一週間位で消失した。

第七章  被告人秋山長造の身体障碍について

国立岡山病院厚生技官(医師)若林繁信作成の恩給診断書(昭和三十一年一月二十日付)、岡山陸軍病院長小林幸五郎作成の傷痍軍人証明書(昭和十九年七月二十日付)、医師水町四郎作成の鑑定書、証人水町四郎の昭和三十五年九月七日第五十二回公判調書中の供述記載、被告人の昭和三十六年六月二十一日第六十二回、同年同月二十六日第六十三回各公判調書中の供述記載および当公判廷での供述、被告人の検察官に対する昭和三十年八月二十五日付供述調書を総合すると次の事実を認定することができる。

被告人秋山長造は昭和十八年十一月十一日南太平洋ラバウル近海を航行中の輸送船上で投下爆弾によつて受傷し各地の衛生機関を経由し、ラバウルに於て右前膊留弾摘出手術を受け昭和十九年七月十八日除役となつたが右受傷当時の傷病名は「右前膊軟部盲管投下爆弾破片創(正中神経損傷)兼左拇指擦過爆弾破片創兼右前膊骨折(右橈骨)」というのであつた。

そして、昭和三十一年一月二十日当時国立岡山病院で診断を受けた際の同人の症状は、

「右前膊中央部屈伸に拇指頭大射入口痕を含む七×一、七糎手術創痕があり、該部を圧迫すれば正中神経末梢部に放散する電撃様疼痛を覚える。レ線検査上右橈骨中央部に骨折角状肥厚癒合像を認め、右肘関節屈曲四〇度(左三〇度)、伸展一五五度(左一八〇度)、前膊内旋七〇度(左二〇度)、外旋一六〇度(左一八五度)、右腕関節背屈一六〇度(左一一五度)、掌屈一五〇度(左一二〇度)、橈側屈一八〇度(左一五五度)、尺側屈一六〇度左(一三五度)、右正中神経損傷に因り右手正中神経領域知覚鈍麻「チアノーゼ」、厥冷を呈し右手指の運動遅鈍にして脱力し巧緻運動不能、右手握力、一〇(左三〇)、箸の操作、排便後の清拭紙幣の撮摘計算等巧緻作業及重物提挙何れも不能で日常生活に少なからざる支障がある。右肩凝りがあつて時々右前膊以下に筋痙攣発作があり寒冷時には右手の障害著しく増悪するのが常である」というのであつた。

被告人秋山長造の右手の機能障害は受傷後次第に増悪し昭和二十五年四月頃症状が固定し、昭和二十九年四月一日頃から前記症状を呈して変化がなかつた。そして最近の症状は昭和三十五年七月二十三日頃現在で次のようなものとなつている。

「右前腕掌側の略中央、僅かに尺骨側よりに(右橈骨茎状突起より一六、〇糎)長さ七、〇糎、幅一、五糎の不正長楕円形の瘢痕がある。該瘢痕は下床との癒着は明らかでなく、皮膚は移動性が認められる。またその瘢痕の遠側部を圧迫すると過敏で電撃様疼痛を訴える。前腕には筋萎縮は著明ではなく、最大の個所に於ける周径の計測では殆んど差は認められない。

右小指球はやや萎縮し、右母指球も触診に際し稍軟弱に感ぜられる。中手骨間筋にも軽度の萎縮が認められる右手指特に第一指―第四指の第一指骨間関節は軽度屈曲位をとり第一、第三、第四指では伸展が制限されているが、屈曲は制限が殆んど認められない。すなわち各指共軽度の運動制限が認められるのみである。また母指には軽度の開排制限が認められる。屈曲制限のある指を他動的に伸展させようとすると抵抗がある。

握力は右側に於て著明減弱しており、また摘まむ力も減弱していて母指と示指において普通の西洋紙を摘まむことは可能ではあるが、保持する力が弱く、容易に他人が引き抜くことができる。前腕部のレントゲン線写真においては右橈骨は略中央(上端より約一〇糎)尺骨側に嘴状の異常骨隆起が認められる。前腕皮膚の瘢痕の中央に鉛の標識を付して位置的関係を見ると隆起の嘴の尖端と標識とが殆んど同じ高さに位置していることが明らかにされる。しかもこの隆起の高さにおいて橈骨全体が肥厚している像は認められない。また隆起の基底の骨皮質には乱れが認められるが、他の部位の皮質には変化はない。すなわちこの嘴状隆起は骨の尺骨側に小さな裂または骨膜剥離が生じた後貽像と認めるべきものであろう。徒手筋力検査の結果によれば長母屈筋母対立筋、虫様筋、短母屈筋、短母外転筋に軽度の筋力低下を認める。次に知覚検査実施の結果によれば、掌側においては各指(母指の外側、小指の内側を除く)並びに手掌の大部分に、手背側においては第二指―第五指の第二指骨間関節よりも先端に知覚異常が認められる。

前記の各症状が存する結果、被告人には正中神経の軽度の損傷(不全麻痺)がある。そして上記のような右手指における知覚異常ならびに軽度の筋力低下があるため物を摘まむ能力が正常より低下している。そのため巧緻運動には相当の支障があるものと考えられる。しかし握力は低下しているが第三指―第五指の屈曲力は殆んど正常であり、上腕における二頭筋、三頭筋共に正常であり、手根伸筋、手根屈筋も健常であるので重物(日常生活上相当重く感ぜられる物で数量的に明示はできないが)を提げることは可能と思われる。

被告人は右前腕の瘢痕部を圧迫すると過敏であり電撃様の疼痛を訴述するがこれは瘢痕部における正中神経の位置ならびにその部分において部分的に神経腫形成が考えられる諸検査の結果から他覚的にも首肯しうるところである。

被告人が右前腕を他人の腕にかけこれを引きずるようなことは上腕諸筋が正常であることからして可能である。しかしこの際には前記瘢痕部が他人の腕に当たらないようにしなくてはならない。さもない時には力を入れて引きずるようなことは電撃様疼痛のために不可能になる。(かかる過敏なる瘢痕を有するものはその部分に刺激が加わらないように注意するものであるのでかかる動作をすることは意識して避けるのが常である)

そこで被告人秋山長造には前記のような身体障碍が認められるから同人が郡祐一の左腕に自己の右腕をかけて押したとしても特に強い力を加えることは到底不可能であつたことはたやすく推認しうるところである。

従つて郡祐一の前記傷害が被告人秋山長造の行為によつて生じたものとは到底認めることができない。

第八章  右委員会における各被告人の行動

第四章第三節冒頭に掲げた諸証拠を総合すれば以下の各事実を認定することができる。

第一節  被告人 矢嶋三義

郡委員長が委員会の開会を宣言すると同時に間髪を入れず被告人矢嶋三義は「委員長」と発言して自分の優先的発言を確保しようとした。しかし郡が矢嶋のこの発言を顧みず宮坂委員部長に議案の朗読を命じたため矢嶋が郡に対し即製の不信任動議書を突き付けたことは前述のとおりである。

被告人矢嶋三義が郡委員長に対し不信任動議書を突き付けた時の様子は、矢嶋は郡の注意を喚起すべく立ち上がるような態勢で中腰になりテーブルに沿つて郡の身辺に近づき河井議長の前を遮つて身体を郡に向けてテーブルの上に乗り出し手を伸ばして書面を差し出したのであつた。そうして矢嶋が出した書面を郡が押し戻すとは矢嶋またそれを出すというようにして両人の間に二、三度書面の押し返しがあつた。

このやりとりに際して被告人矢嶋が郡委員長の右手首を握るとか肩を押すとかゆすぶるとか自己に注意を向けさせるため何らかの手段で郡の身体に触れるような行動に出たであろうことは想像に難くなく、証人中にもこの点に符合する供述をした者があるけれども(身体の触れ合いにつき証人松岡平市の昭和三十四年二月十二日第三十一回公判調書中第(208)問答の供述記載、又被告人矢嶋三義が郡委員長の右手を握つたという点につき証人郡祐一の昭和三十二年十二月五日第十二回公判調書中第(118)問答の供述記載、同菊田七平の昭和三十三年七月十五日第十七回公判調書中第(75)問答、同徳武国広の同年同月十六日第十八回公判調書中第(59)、(490)各問答の供述記載)それらを彼比対照し、かつ次に説明するような事情に照らして考えると、これらはいずれもその供述どおりに信用することは警戒を要し、結局その身体の接触はこれを確認するに足りる証拠はない。

証人郡祐一の昭和三十二年十二月五日第十二回公判調書中の供述記載によれば、郡が立ち上がつて休憩の宣告をした時に被告人矢嶋三義が郡の右腕の関節の下方を押えたとあり(同調書中第(126)、(130)、(142)、(143)各問答)、また昭和三十四年証第四三九号の六(以下単に六号写真と略称する)を示されたのに対して「これは休憩を宣告した際かその直後で黒い洋服を着て眼鏡をかけて半分顔の出ているのが被告人矢嶋三義である」と答えている(同調書中第(191)問答)。けれども、郡証人の被告人矢嶋三義であると指示する写真中の人物が、実は左派社会党議員で当時同じく「議運委」に出席していた菊川孝夫であることは証人藤田進(昭和三十五年二月二十三日第四十一回公判調書中第(113)問答)、同菊川孝夫(同日付公判調書中第(122)問答)、同大倉精一(同年同月二十四日第四十二回公判調書中第(168)問答)、同阿具根登(同年三月十四日第四十三回公判調書中第(167)問答)、同久保等(同年四月十三日第四十六回公判調書中第(173)問答)、同小笠原二三男(同日付公判調書中第(207)問答)、らのひとしく認めるところである。

また証人徳武国広の昭和三十三年七月十六日第十八回公判調書中、「被告人秋山長造が郡委員長の左からその左手を引くと同時に被告人矢嶋三義が郡の右手を引いた」旨の供述記載(第(59)、(64)、(66)各問答)があるけれども前記六号写真はもとより朝日ニユースフイルム(昭和三四年証第四三九号の五)その他によつてもそのような状景はこれを認めることができないから、被告人秋山長造と同矢嶋三義とが左右から同時に郡委員長の両腕を引つ張つたというような事実は到底これを認めることはできない。

なお被告人矢嶋三義は、郡委員長に対して不信任動議書を突き出した際自席から中腰になつて身体を乗り出したことはあつても自席を離れたことはない、と主張するけれども、この主張は反面において当時議長席と自席との間には出席を予定されていた内閣官房長官席の他政府関係係官席があつたとの主張と矛盾するばかりでなく、同被告人が右動議書を事務総長席にも差し出したことは前記認定のとおりであるから、被告人矢嶋三義の着席箇所と郡委員長席との間の距離を測定するまでもなく(なおこの点について当裁判所が再度検証の可否について当事者双方の意見を求めたところ弁護人から立法権を侵害するとの反対意見にあつたので裁判所も強いてこれをなすことなく、再度の検証は実現しなかつた。当裁判所は本件において現場検証をすることがなんら司法権による立法権の侵害になるとは思料しないけれどもこの点について強いて再度検証の必要なしと考えたので敢て実施しなかつたのであつた。)右主張は採用することができない。

いずれにしても既に認定したような「議運委」における郡委員長の議事処理に関して被告人矢嶋三義が郡委員長に暴行を加えた事実はこれを認めることができない。

第二節  被告人 秋山長造

被告人秋山長造は本件「議運委」の開会当時これを傍聴するため午後十一時十五、六分頃左派社会党の控室(二階第四控室)を出て議長応接室に行つた。同応接室の西入口からはいり室内を東入口近くまで歩き、最初その入口近くに席を占めたが、傍聴者が次第に増加して自席の前に立ちはだかつたので止むを得ず席を立つて委員長の後方約一米五〇糎距つた箇所に移動し、立つた侭で傍聴していた。当時同被告人は洋服の上衣を着け、右手に扇子、左手に法案印刷物を丸めたものを持つていた。

郡委員長が被告人矢嶋三義との間に前記のような不信任動議書のやりとりをし、やがて採決を強行したうえ立ち上がつて休憩を宣告した後同委員長の直ぐ左後方に立つていた被告人秋山長造は瞬間その右腕を郡委員長の左腕に引つかけたことがあつたその後間もなく自由党議員榊原亨が郡委員長を速かに退室させようとして人ごみの中をかき分けて近より、被告人秋山長造もその混乱の中に巻き込まれてしまつた。

被告人秋山長造は当公判廷で、「矢嶋理事との間にやりとりがあつた後に郡委員長は突然立ち上がり暫時委員席と何ごとか応酬しながら急に左肩を引くようにして退席しようとした。野党の反対を押し切つて強行突破した場合には委員長は脱兎の如く逃げ出すのが常である。丁度その瞬間、人波に押されて郡委員長の席のすぐ左後方に立つて不自然な姿勢で覗き込むようにして傍聴していた私は右の胸を退席しようとした郡委員長の左肩から左肘かでどんと突かれて思わず左によろめいた。同時に右手がビーンとしびれて持つていた扇子を下に落としたのである。その瞬間のことを後でよく考えてみると委員長に右胸を突かれて左によろめいた途端、夢中で本能的に何かにつかまろうとして私の右手が偶々郡委員長の左手にひつかかり、しかもひつかかつたところが私の右手の傷痕であつたため、一瞬電流を通したようにビーンとしびれたものと思われる。このようにして人混みの中で扇子を落とした私が慌ててそれを拾おうとして(廊下の方に尻を向けた形で)腰をかがめたところを、確か、委員長を連れ出そうとして突進して来た榊原議員か衛視かが私の尻を突き飛ばすようにして委員長の身体に抱きつき、一団となつて人混みに揉まれながら隣りの議長室へ出て行つたのである」と述べて、同被告人の右手が郡委員長の左手に引つかかつたのは自分がよろめいた時何ものかにつかまろうとして偶然にそうなつたのであると主張している。

同被告人に前記第七章記載のような身体障碍のあることはこれを認めることができるけれども、前記六号写真に現われた同被告人の姿勢体位、殊に同被告人の右腕と郡委員長の左腕との引つかかり工合、郡委員長の体位(右写真が一瞬間の光景しかとらえていないものであるにしても、それに現われたところでは同委員長が秋山被告人の主張するように左肩を引いて退席しようとしたときに同被告人とぶつかつたというようには認められない)等を観察するとその状態は被告人秋山長造の弁解するように同人がよろめいた途端偶然に引つかかつたものであると認めることは困難であると言わなければならない。なお証拠物である前示朝日ニユースフイルムにはこの瞬間の被告人秋山長造の姿勢は撮影されていないのでこれと比較する由ないが鈴木敏夫作成の右朝日ニユースフイルム中その十六駒を拡大焼き付けた十六枚の写真(以下朝日ニユース写真と略称する)と仔細に比べると右六号写真中委員長席の背後に立つているカメラマンの姿勢からして右六号写真はこの十六枚の写真中第九枚目の後の時期のものであることは疑いなく、朝日ニユースフイルムはこの六号写真に当る部分がとんでいて、直ちに榊原委員が郡委員長に近づかんとする混乱場面の大写しの部分となつているのである。

ただ、同被告人に前記のような身体障碍の認められる以上同人が郡祐一の身体に対してそれ程強い圧迫を加えることができないのは明らかなところであるのみならず、前記朝日ニユースフイルムを詳細に検討するときは同被告人は郡祐一の背後にあつて抗議する表情、態度は表わしておりかつ、紙片を後から郡祐一の前に差し出した挙動が明瞭に看取できるに止まり、同人も周囲の人の動きにもまれつつ隠見移動して郡祐一の退室には反対するかの動きを示してはいても、それ以上に暴行を加えんとするが如き態度はついに看取され得ないのでである。されば同被告人がその右腕を郡委員長の左腕に引つ掛けたのは前記六号写真、朝日ニユース写真および朝日ニユースフイルム等の検討からしてうかがわれるように郡委員長を着席させようとして咄嗟に為されたものではないかと考えるのが合理的のように思われるものの、それも瞬時の間のこととしか認められず、同被告人の前記負傷からしてその圧迫もさして強いとは認められないと言わざるを得ない。

第三節  被告人 成瀬幡治

被告人成瀬幡治は当時参議院法務委員会委員長で、党の役員としては軍事基地反対対策特別委員会事務局長の職にあつた。

本件の起こつた昭和三十一年七月三十日は午後十時二、三十分頃参議院議員清水谷宿舎を出て議員会館に行つた。

正午前後法務委員会が開かれたが、同被告人はその後の参議院本会議で党を代表してオネスト・ジヨン持ち込み問題に関する緊急質問を行なうことを参議院社会党事務局から依頼されており、かつ当日寝冷えのため午前六時から下痢をしていたため右委員会を早々に切り上げ、正午過ぎに開かれた本会議で右依頼による緊急質問(その内容は前日二十九日における衆参両院でオネスト・ジヨンの国内持ち込みに関する重光外務大臣と園田外務政務次官の答弁の食い違いを訊すことと、オネスト・ジヨンは核爆弾をつけうるというが果して核兵器なりや否やを質問することの二点であつた)を十五分間行なつた。この本会議は午後二時頃終了し、引き続き法務委員会を開いたがこれも早く済ませ、議員会館に帰つて休憩した。その後午後七時過頃開かれた本会議で同被告人は法務委員長としての報告を為し、同会議終了後再び議員会館へ帰つて最終の本会議の始まるのを待ちながら休んでいたが、午後十一時過頃議会の審議経過を案じて登院し、左派社会党の第四控室にはいつた。

同控室で被告人は菊川議員の内閣委員会における審議の経過報告を聞いた後「議運委」を傍聴すべく他の議員の後について近藤信一議員と共に出かけ、事務局にいた田中功孔(秋山被告人の議員秘書)や池田修(江田三郎議員の秘書)らと一緒になつた。廊下に出た時被告人成瀬は第四控室の前にある便所にはいつて多少の時間をとつた(前記原因による下痢のため)ので右同行者らより遅れて議長応接室へ行つた。

同被告人は東入口から同室にはいつたが、その入室時期が精確にいつ頃であるかについては証拠が区々としている。そこで本件に現われた全部の証拠によつてこの点を検討すると次のようになる。

衛視小西保雄の昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書第四項には「同衛視が委員会開会前に東入口で入室者の記章点検中に被告人成瀬の入室するのを見た」とあり、同第五項には「同衛視が郡委員長の傍にいて『命令が出た』と叫んだ時被告人成瀬、岡、江田議員に小突かれた」とあり、同第七項によれば同衛視が成瀬か岡から右胸を強く突かれたのが宮坂委員部長の書類朗読の時期となるのである。

衛視木村明の昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書第九項には「成瀬(被告人)に襟首を掴まれたのは矢嶋(被告人)が盛に郡に対して抗議した直後である」旨の記載があり、衛視林左右吉の同年同月十二日付検察官に対する供述調書第三項ないし第五項によれば「成瀬(被告人)が木村衛視に乱暴をしたのは菊川議員が委員長に書類を出す頃だつた」旨の記載があり、衛視班長原田音吉の同年同月八日付検察官に対する供述調書第三項には「成瀬(被告人)が木村衛視に乱暴したのは郡委員長の退室前である」旨の記載があり、衛視班長長島安五郎の同年同月九日付検察官に対する供述調書第五ないし第九項には「成瀬(被告人)に胸を突かれたのは委員会の開会直後で郡委員長退室前である」旨の記載があり参議院事務次長河野義克の同年同月十日付検察官に対する供述調書第三項には「成瀬(被告人)が室内にいるのを見たのは委員長退室前である」旨の記載があり、証人徳武国広の昭和三十三年七月十六日第十八回公判調書中第三十六ないし第三十九問答、証人原田音吉の同年同月十七日第十九回公判調書中第百六、第百九、第百四十一各問答、証人木村明の同年十二月二十三日第二十五回公判調書中第三十四、第四十四ないし第四十八問答、証人小西保雄の同公判調書中第七十一問答、証人長島安五郎の同年同月二十四日第二十六回公判調書中第三十六ないし第三十九問答、証人松岡平市の昭和三十四年二月十二日第三十一回公判調書中第六十三問答の各記載によれば被告人成瀬幡治は「議運委」開会直後に既に議長応接室に入室しており、衛視らに乱暴を働いたのは郡委員長の退室前であつたというのである。

ところで先に認定したように被告人成瀬幡治が「議運委」に行くため第四控室を出た当時同人と同行した近藤信一、田中功孔、池田修らの前記各証人調書中の供述記載によれば同人らが議長応接室にはいつた時は既に委員会が開会され矢嶋被告人と郡委員長との間に動議書のやりとりがあり会議場は喧噪を極めていたのである(証人近藤信一の昭和三十五年三月十五日第四十四回公判調書中第四十三問答、同田中功孔の同年六月二十二日第四十九回公判調書中第三問答、同池田修の同調書中第二十問答)。したがつて同人らより遅れて入室した被告人成瀬幡治が入室前便所にはいつたため多少の時間を費したことは前記認定のとおりであるから、便所での所要時間が何分ぐらいであつたかはこれを明らかにする資料がないが、少なくても開会後数分経過した後に入室したものと認めるほかはない。

そこでこの委員会の休憩に至るまでの時間を検討すると、官報の参議院議員運営委員会会議録第四十九号(昭和三十四年証第四三九号の二)には次のような記載がある。

午後十一時十八分開会

○ 委員長(郡祐一君)ただいまから議院運営委員会を再会いたします。継続審査要求の件を議題に………(「委員長、委員長」と呼ぶ者があり、その他発言する者多く、議場騒然)〔「異議なし」「賛成」「休憩休憩」と呼ぶ者あり〕

○ 委員長(郡祐一君)休憩………

午後十一時二十二分休憩〔休憩後開会に至らなかつた〕

そして証人江田三郎、同久保等、同阿具根登らの前記各証言によつて郡委員長の退室直前の光景を撮影したものであると認められる前記六号写真中に見られる郡委員長の背後にある時計の針は十一時二十一、二分頃を示しているのである。かような点からすれば右「議運委」は開会後僅に四分間で休憩となり郡委員長は退室したことが認められる。なおここに考慮すべきことは被告人成瀬の行動を撮影した唯一の写真が昭和三十年七月三十一日朝日新聞の朝刊に掲載されていることである。これは同紙上「特別国会混乱状態で時間切れ」なる見出しで書かれている記事に付せられたもので写真の傍題として「もめる参院の議院運営委員会、衛視と議員のもつれで一時中断」と記載されている。この写真について証人(衛視)古宇田俊夫の昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中の供述記載は「自分は当夜二階の警護の部屋に待機していた。そのうちに議長応接室へ行くように指示されて(誰に言われたか分らないが)十七、八人で一緒に行つた(第(9)問答)、出掛ける時に議運が荒れているという話は出たと思う(第(90)問答)、この写真の右端の眼鏡をかけた横向きの人が成瀬先生のように思う(第(82)問答)この写真に写つている場所は議長応接室の前である(第(32)問答)、応接室へ行く途中で引き揚げろという話があつて一階の分室へ引き揚げた(第(21)問答)」と説明しているのである。つまりこの証人の証言と右写真とによれば、被告人成瀬幡治が「議運委」の休憩にはいつた頃まだ廊下にいることとなるのである。もし同被告人が便所で時間を費して議長応接室へ向かう途中でこの写真が撮影されたとすれば、同被告人の入室時期は委員長退室後ということになり、現にそういう趣旨の供述調書も存するのである。すなわち中野庄九郎の昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書第二項には「成瀬(被告人)が木村、長島らに乱暴を働いたのは委員長退室後である」とあり、同人の証人としての昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中第(284)問答にも同旨の記載があるばかりでなく、証人長谷川進の昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中第(50)問答にも「私が成瀬議員を見たのは委員長が議長室へはいつた後である」との供述記載がある。しかしながら当裁判所は被告人成瀬幡治の行動に関して後記認定のように衛視班長長島安五郎の胸部を突いた事実を肯定するものであるところ、同人は被告人に胸を突かれた後郡委員長を議長室に連れて行つたと述べているし(同人の昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書第九項)、この供述は木村明、原田音吉の各昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書、河野義克の同年同月十日付、林左右吉の同年同月十二日付各検察官に対する供述調書中の記載を総合するときは、間違いのないところであると認めることができる。もつとも郡委員長退出後社会党議員が河井議長を取り巻いて抗議をし、そこへまた衛視がはいり込んで来たので社会党議員の江田三郎、岡田宗司らが衛視らを突き飛ばすというような事態もあつたことは朝日ニユースフイルム(昭和三十四年証第四三九号の五)、証人徳武国広の昭和三十三年七月十六日第十八回公判調書中(第(79)、第(80)問答、証人江田三郎の昭和三十五年四月十二日第四十五回公判調書中第(80)、第(88)問答)の各記載によつてこれを認めることができるが、この時に被告人成瀬幡治が行動していたことは右の朝日ニユースフイルムにも写つているし、その他にこの点を認めるに足りる証拠はない。

このように見てくると同被告人が精確にいつ頃議長応接室に入室したものとすべきかの点については、決め手となるべき動かし難い証拠を欠いているのであるが、以上の検討によつておおよそ間違いないと思われる入室時期は本件「議運委」が郡委員長の休憩宣告により審議が打ち切られ、同委員長が議長応接室を退去せんとする頃という程度に推定するを妥当と考える。そこで進んで次に同被告人の入室後の具体的行動を本件起訴事実の範囲内に当るものについて調べることとする。第四章冒頭記載の証拠を総合すると次の程度の事実はこれを明瞭に認めることができる。すなわち、被告人成瀬幡治は本件「議運委」が郡委員長の休憩宣言により審議が打ち切られ同人が「議運委」の会議場である議長応接室を退出せんとした頃、

(1)  右応接室東入口から入室し、同入口と委員長席との中間辺(別紙添付第四図面の位置)で衛視班長長島安五郎の上衣の胸部辺を右手で二、三回突き、

(2)  事務総長席背後(同じく第六図面③の位置)で衛視木村明の背後から右手で同人の襟首を掴んで後へ引き、

(3)  委員長および議長の右応接室退室後同室前廊下(同じく第八図面図示の位置)で議員秘書田中功孔らから衛視長佐々木司が同被告人を殴打した旨聞知するや同衛視長に対し右手で同人の胸倉(開襟シヤツの襟の辺)を掴んでゆすぶりながら「お前俺を殴つたのか」と問責したという事実を認定するに十分である。

被告人成瀬幡治は当時右「議運委」の傍聴に行つたものであるが、同被告人が右議長応接室に入室した時は早くとも既に休憩が宣告された後であつたことは右認定のとおりであるから右行為当時同被告人は参議院議員としての院内活動に従つていたことは言うまでもないが、その職務行為を執行中であつたものとは認めることができず、また衛視の入室を排除することが審議遂行のため必要であると同被告人が確信したとしても前記認定行為を同被告人の職務執行行為とみることはできない。

第九章  弁護人の主張する公訴棄却論

弁護人らは被告人らに対する公訴事実は裁判権の対象たるに適しないから公訴は棄却さるべきであると主張する。

その主張に対する判断を示す前に本章ではこれを一応要約して示しておく(弁護人のこの点に関する主張は極めて多岐にわたるのでこれを項目別に整理し、各項目ごとにこれを主張する弁護人の氏名を掲げることとする)すなわち弁護人らの公訴棄却の主張は次のとおりである。

「本件公訴事実は参議院議員たる被告人らの国会会期中における参議院院内での職務執行行為(被告人矢嶋三義は参議院議院運営委員会における委員としての公務執行中のものであり、被告人秋山長造は議員としての権利行使である同委員会を傍聴中のもの、被告人成瀬幡治は同じく同委員会を傍聴せんとしたもの)に対しことさらにその刑事責任を追求せんとするもので、元来参議院院内の規律および秩序に関する事犯であることは明らかである。

かくの如き参議院の秩序に関する事犯については憲法上認められた参議院の固有な自律権に基いて処置すべきであり、かつそれのみに止まるべく裁判所において裁判する権利はなく、仮に裁判権ありとするも議院の統一的意思の発現としての告発或は議院の代表者たる地位において議長が為す告発または委員会の代表者たる委員長の為す告発を起訴条件とすべきである。然るに議院或は議長または委員長の告発はいずれも存在しない。従つて本件は刑事訴訟法第三三八条第一号または同条第四号に基き公訴棄却さるべきものである。

ところで国会内において国民の代表者たる国会議員の公務執行中または準公務執行中に発生した犯罪について裁判所に裁判権がないこと或は議院または委員会の統一的意思の発現としての告発を起訴条件とする旨の憲法上若くは国会法、刑事訴訟法上直接の明文の規定はない。しかし国会内において国民の代表者たる国会議員の公務執行中または準公務執行中の行為は議院内部の異常現象としてその自律権の発動たる懲罰権の対象となつても司法権の対象とはならないか或は少くとも前記の如き告発が存在しない以上司法権の介入外にあることは憲法の解釈上当然のことである。(弁護人猪俣浩三、佐竹晴記、坂本泰良、古屋貞雄)

以下にその所以を細説する。

第一  第一本件の如き参議院院内における秩序に関する事項につき検察権が介入することは憲法第四十一条の認めた「国会の最高機関性」に違反する。

国会は国権の最高機関として他の国家機関である司法権、行政権から独立し、その干渉を許さないものである。すなわち憲法第四十一条によれば国会は国権の最高機関であつて唯一の立法機関であるのみならず、行政庁に対しては行政権の行使につき一般的監督権を有する関係にあり、その国会を構成する参議院の議員たる被告人らはいずれも右の如き立場をその議員の資格において有するのである。これら被告人らの職務行為がたまたま議院の秩序に反する結果となつたからとて被監督庁たる検察庁がそれらの行為につき一般市民としての刑事責任を負わせるため訴追することは国会を国権の最高機関とした憲法の建前から許されない。

憲法第四十一条の如き規定を欠き、民主化を抑制すべく行政権の優位を認めた旧憲法下にあつても刑法学者は既に『議院の意見および表決を除く外議院内の犯罪行為は院外におけるものと同じく刑法の適用を受くべきものなること前述の如しと雖も之に対する刑事訴訟法の適用については議院法上の制限あり、即ち議院法第八十五条によれば各議院開会中内部警察権は議院法および各議院所定の規則に従い議長に属するものなるが故に部内における犯人の逮捕およびその後の処置についても議長の指揮を待つべきは当然なり。貴族院規則第百四十七条および衆議院規則第百七十一条によれば議院内部において重罪犯罪の現行犯人あるときは守衛または警察官吏はこれを逮捕して議長の命令を請くべくまた議場において逮捕するには議長の命令を待つべきものとす。而してこの規定は右現行犯人が議員たると否とを問わず適用せらるべし…。若しそれ現行犯罪については議院内においても院外権力の活動自由なりと認めんか司法権をもつて立法権の内部警察権を侵犯するに至るべし。是は憲法の精神に非るなり。』と論じている。行政権の優位下にあつた戦前の議会制度のもとにおいてさえかくの如く論じられている。いわんや主権在民のもと憲法第四十一条をもつて国会が国権の最高機関となり、その制度上質的変化を遂げた現在の議会制度のもとにおいて検察権が如何なる犯罪についても関与できるとする根拠は少しもない。いわんや本件は自然犯と異なり、いわば政治犯である。

そして今まで旧憲法、新憲法を通してこれらの犯罪は起訴された前例がなく、皆議院部門における懲罰委員会において解決されているのである。これらはいずれも議院における自律権の対象であり、検察権を媒介として司法権はこれに関与できないとした不文律の結果であり、この不文律は旧憲法時代はいわば慣習法として、現行憲法において第四十一条にその根拠をもつものである。

なお現行憲法は三権分立主義をその根本原理としていることは旧憲法と同様であるが、この権力分立主義のもとにあつても国会が国権の最高機関として法的には行政、司法の上位にあることは憲法第四十一条が明らかにしているのであつて国会が行政権、司法権と戦い来つた結果獲得した地位がこの最高機関性を現わしているものである。そして国会が最高機関であればこそ自律性を有するのである。従つて本件のように行政権の代表たる検察官が国会の内部の出来事につき、いちいち犯罪構成要件に該当するかどうかを調査し、犯罪捜査に藉口して国会内部に立ち入つて検証をするなどということは立法府に対する行政府の干渉侵害であつて、三権分立の精神を蹂し、主権在民を否認することになるものといわなければならない。(弁護人猪俣浩三、佐竹晴記、坂本泰良、古屋貞雄、河上丈太郎、黒田寿男)

第二  憲法上国会議員に認められた諸特権、なかんずく不逮捕特権(第五十条)、免責特権(第五十一条)等は国会に対する他の諸権力の圧迫を排撃するのがその主たる狙いであつて、本件について公訴棄却を主張するための有力な論拠となるものである。

これらの特権は議員個人の特権でなく立法権自体を他の権力の干渉から保護するために設けられた公共の秩序のための手段であり、刑事上よりは寧ろ政治上のつまらぬ干渉を排除するにあるものである。これらの権限は、国会の機能が他の権力よりの政治的意企によつて干渉されず、機能を十分発揮することが可能なための担保或は本質的保障として議会制度と密接不可分に発達し、いわば議会制度に伴う自然法ともいうべきものであることは留意さるべきである。すなわち憲法第五十条についてみるならば行政権、司法権が政治的意企より逮捕権を濫用して国会議員が国民の代表者として立法活動をなすことを妨害することがないよう設けられた規定であり、また憲法第五十一条については同条所定の国会議員の国会内における活動に政治的意企をもつて弾圧干渉することに対する防衛の必要から認められたものであることは異論はないであろう。

そしてこれらの特権は、新憲法が旧憲法とその基本的構造を異にし、主権在民を基本原則となし、その当然の結果として国会が国権の最高機関となつている以上、さらに新しい角度をもつて免責特権の意味内容の拡大強化をはかるべきである。

わが憲法のこれら諸特権に関する規定は西欧諸国から採り入れられたものであるから、これらの他の近代国家における免責特権の規定の内容を検討することはわが憲法の規定の解釈にとつて必要欠くべからざるものである。各国の憲法は議員の職務行為につき完全な無答責を規定しているが、その他になおわが憲法の規定に見られない特権の拡張をしている。すなわち十九世紀のヨーロツパ大陸型憲法の典型とされているベルギー憲法第四十五条では不逮捕特権中に訴追を受けない権利を包含しており、第二次大戦後制定されたイタリヤ共和国憲法第六十八条では議員に対する刑事上の訴追につき会期の有無、犯罪の種類に関係なく議院の承認を必要としている。ドイツ連邦共和国(西独)基本法第四十六条は職務行為と関係のない行為についての責任追求には連邦議会の承諾を必要とし、ドイツ人民共和国(東独)憲法第六十七条第二項は議員の刑事訴追につき人民議会の承認を要件としている。フランス第五共和国憲法第二十六条は国会議員の不逮捕特権中に訴追をうけない権利をも含ませている。かように第二次世界大戦後制定された近代国家の代表的諸憲法は国会議員の特権については極めて慎重に他のあらゆる権力の排除という、いわば議院の自律権を完全に認めていると言いうるのである。社会主義諸国憲法においても議員は国会の同意がなければ刑事責任を問われることがない。右のような諸外国の規定はこの点に関する明文を欠くわが憲法の解釈についても参酌されなければならない(河上丈太郎、坂本泰良、猪俣浩三)。

第三  憲法第五十一条の規定する免責事由は拡張して解釈すべきである。

憲法第五十一条の免責特権は決して単に議員個人のために認められた特権ではなく、むしろ議員が代表する国民のために認められたものである。それは、議員が何者をも恐れず、何者にも侵されないで、自由に国政審議を尽しうることが、国民のために絶対に必要であるので認められたものである。従つてその解釈は、それが認められた本来の目的に適合するように行なわれなければならず、決して検察官の主張するように制限的に解釈すべきものではない。この点について一八〇八年アメリカのマサチユーセツツ州最高裁判所のバーソンス判事が、議院における審議、演説、討論の自由を保障した権利章典(Bill of Rights)二十一条の解釈に関連して述べた次の言葉が、今日のアメリカ合衆国連邦最高裁判所でも尊重されているということが参考となるであろう。曰く『これらの特権は議員をその個人的利益のために訴追から守るのではなくして、むしろ国民の代表者をしてその任務を訴追のおそれなしに(民事、刑事の)遂行できるようにすることによつて、国民の利益を守ることを目的とするものである。従つて私はこの条項は厳格に解すべきでなく、ゆるやかに、その目的に十分応えられるように解釈せらるべきであると考える。私はそれを、単に意見を述べ、演説を行い、或は討論で長広舌を振うことのみに制限することなく、さらにそれを、投票を為し、書類の報告を提出し、その他その職務の性質から生じ、或はその遂行中に行なわれるその他のすべての行為(every other act resulting from the nature and in exe-cuting of the office)に拡げたいのである。かくて私は、この条項は各議員に対して彼が議員としてその職務の遂行中に発言し、または行なつたすべての事実につき、訴追を阻害するのであつて、その遂行が正規なその院の規則に適合したものであつたか、或は不正規で規則に違反するものであつたかは問わないのであると定義したい。』と。この意見はマサチユセツツ州最高裁判所がコフイン対コフイン事件についてした判決中に示されたものであるが、アメリカ合衆国連邦最高裁判所は一八八一年キルバーン対トンプソン事件の判決においてこれを採用し、合衆国憲法第一条第六節に規定される国会議員の免責特権の性質と解釈を明らかにした。この判例に現れている意見がアメリカにおける政府の公的見解であり、通説であることはアメリカ政府の発行する憲法の註釈書である『アメリカ憲法』(一九五二年版)においても明らかにされているところである。

本件被告人らの所為は参議院議員としての院内における行為である。すなわち被告人矢嶋三義は「議運委」の理事として職務執行中であり、被告人秋山長造、同成瀬幡治はいずれも社会党所属参議院議員として久しく行なわれている国会内の慣行に従つて会期末の「議運委」の審議状況につき国会法第五十二条の傍聴権を行使していたものである。新憲法下の国会では各議院は各々二十二の常任委員会を設けて、それぞれの部門に属する議案等を審査させることとするいわゆる常任委員会中心主義を確立した。旧憲法時代の本会議中心主義とは全く反対になり国会運営の中心が委員会に移つたので、各常任委員会の法案審議の模様を傍聴し、それを理解することは議員の重要な職務行為となつたのである。いうまでもなく、国民の輿望をになつて国会議員に選出された場合、最大の職務は国民の要望にこたえ、その立法活動に従事することである。秋山、成瀬両被告人が、右「議運委」の傍聴に赴いたのは、国民から信託された立法活動の一環として忠実にその義務を果さんがためである。すなわち三被告人の本件行為は、完全にかかる職務遂行に関し、就中表決に関する行為そのものおよびこれと一体の関係にある一連の行為であり、その一連の行為中の一部を切り離して法的評価すべきものではない。本件起訴状記載の事実が仮にあつたとしても、それと不可分の関係にある職務行為を全体として観察し、かつ評価すべきである。

なおまた憲法第五十一条の規定の精神を敷衍すれば本件のように議員の職務行為と密接不可分的に行なわれた行為については議院等の告発もしくは承諾が公訴提起の条件であるといわなければならない。議員の免責特権は、議場における議員の審議行為の自由と独立を保障することによつて、国会そのものを外部勢力からの干渉、牽制に対して保護しようとするものである。従つて議場内における議員の職務行為およびそれと密接不可分に結びついている行為を議会外の機関が問責しようとする場合には、議院の自治と議員の言論の自由とが侵されないように十分慎重な扱いがなされなければならない。ところで議員の職務行為かどうかは極めて微妙な問題であつて、特にその限界、それと密接不可分の関係にある行為かどうかという問題は、一義的に明確な断定を下し難い場合が多いのである。殊に検察官の主張に従えば、野次は免責特権の枠外にあるのだから、議院における議員の個々の発言について、それが正規の発言か、それとも不正規の野次かを、検察官が一つ一つ検分して、免責の扱いを受ける発言であるかどうかを決定し、野次と認めたならば、検察官は自由に公訴を提起してその議員を法廷に引きずり出すことができることになるが、かようなことが果して議会制度の存在にとつて認容されることであろうか。弁護人はかようなことが許されるならば国会審議はすべて検察官の検閲と監視下におかれることとなり、議会の権威と議員の言論の自由は紙上の空文となり果てるものと信ずる。従つて憲法第五十一条の精神を実現するためには、議員の職務行為およびそれと随伴し、或はそれと密接不可分の関係において行なわれた行為について公訴を提起しようとするときは、検察官はその議員所属の議院自体に対して、それを議員としての職務行為もしくはそれと密接不可分に結びつく随伴行為としてむしろ職務行為と一体をなすものと認めるか認めないかを確かめ、議院がそう認めないという意思表示をしたとき始めて公訴を提起しうるものとしなければならないのである。そうしない限り、政府与党が少数反対党をやつつけるために検察権を握つて正当な職務行為までもこれを議員の免責特権の枠外の行為だと称してどんどん起訴させ、法廷に引き出して長い間議員本来の職務執行から締め出すことが容易に可能なこととなるからである。長い裁判の末にかりに無罪または公訴棄却の判決が得られたとしても犠牲は容易に償われるものではない。こうなれば議会制度は崩壊するほかないであろう。この点についてアメリカ憲法第一条第六節の『両議院の議員は叛逆罪、重罪および公安を害する罪によるほか、会期中の議院出席中またはその議院への往復の途上において逮捕されない特権を有する。議員または議院における演説または討論につき議院以外において審問を受けることがない』という規定の運用について、ジエフアーソンの『議事先例提要』が、免責の除外例とされる叛逆罪、重罪および治安紊乱の罪の起訴について次のように述べていることはまことに示唆に富むといわなければならない。曰く『議員の免責特権はその本質的な部分には及ばないが、しかし議院内においては、議院が議事の進め方について免責特権を有する事実、起訴の理由およびどの点までは通常裁判所の裁判手続が免責特権を侵さないかにつき議院が判断しうるように事件は第一次的に議院の審理に付さなければならない。さもないと、叛逆罪等を口実として国家の他の機関や私人までもが議院内の者を次々と公務から引き離し、ひいてはその議院を都合のよいように作り変えてしまう権限を有することとなろう。』

弁護人の主張は決して無理な議論ではないのである。それはドイツ学者のいう国会の行なう政治裁量行為であつて、司法審査の枠外に存することである。

なお以上のことは、最高裁判所が昭和二十四年六月一日の判決で『議院における証人の宣誓および証言等に関する法律』第八条の告発を訴訟条件と解し、その議院または委員会の告発がなければ検察官は公訴提起ができないとしたことによつても支持されるのである。これは正しく『議院内部のことは議院の自治問題として取り扱うべき』ものとする思想に基いてこのような法律論をしたのである。検察官は、これは国会侮辱だからそう扱われるので、それから国会内の通常の犯罪についてまで告発が必要だという結論にはならないというのである。しかし少なくとも議員の議員としての職務遂行と密接な関連において行なわれた行為については、証人の偽証より以上の強い理由をもつて『議院内部のことは議院の自治問題として取り扱うべきもの』という命題が妥当するのであつて、従つて、その刑事訴追に当つては当該議院の同意、承諾もしくは告発が訴訟条件であると推論しなければならないのである。かように免責特権に該当の疑いある言動はまず議院によつて第一次的に判断され、議院が免責特権該当なしと判断した場合に初めて検察官は起訴しうると解釈することは免責特権の規定を訴訟手続の面においても考慮することで合理的なものと言われなければならない。すなわち免責特権は実体的に免責されるだけでなく、手続的にも保障されて初めて完全な保障ということができるのである。

なおまたこの免責特権の対象となる行為は憲法第五十一条に列挙された事実以外の行為にも拡張して解釈されるべきであるが、その中には議院における議事運営の手続も当然包含されるものというべく、本件議院運営委員会における郡委員長を始めとする自由党、民主党側委員らのした表決行為に対して抵抗した被告人らの行為も免責特権の対象たる行為となるものと解すべきである。いずれにしても憲法第五十一条は検察官の主張するように厳格に解することは進歩を妨げるものであり、拡張して解釈する流れに沿うことが民主主義の前進に寄与する所以であるのである(佐伯千仭、古屋貞雄、相磯まつ江、黒田寿男、河上丈太郎)。

第四  本件被告人らの行為の如き参議院の秩序に関する事犯については憲法上認められた参議院の固有な自律権に基いて処置すべきであり、かつそれのみに止まるべきで、これらの秩序に関して行政庁たる検察庁が介入することは国会にその内部事項につき自律的権限を制定した憲法第五十八条第二項に違反するものと言わなければならない。本件についての検察官の訴追は正に右趣旨に反するものである。議院は憲法第五十八条に基き会議の手続および内部紀律等に関して自律権を有し、院内の秩序を乱した議員に対する懲罰権を有する。本件被告人らの所為は矢嶋被告人について言えば議院運営委員会理事としての職務行為であり、秋山被告人は議員の傍聴権の行使として、また成瀬被告人の所為は傍聴に出掛ける途中において議院内の廊下における所為として職務随伴行為であるから、いずれも議院の懲罰権に服するのはもとよりのことであるが、議院外の司法権の関与はこれを許さないものと言わなければならない。

旧帝国議会および新憲法施行後の国会において本件に類似した議員の暴行、公務執行妨害、傷害等の事犯はいずれも院内の懲罰に付せられたのみで、それらの行為が刑法上の犯罪構成要件に該当する場合であつても、これをただの一回も刑事上の問題にしないで懲罰事犯として取り扱い来つたものである。すなわち院内のことは院内で処理する自律権の原則により議員の院内における行為は刑事上無答責であるとして問題を解決したのである。第七回国会(昭和二十五年)において参議院懲罰委員会委員長太田敏兄氏他数名の委員が『懲罰制度およびその慣行等に関する調査』と称して諸外国の懲罰制度の調査を為した際、日本における懲罰事犯の先例なるものの調査をも為した。その文献によれば第一回帝国議会より第九十二回帝国議会、戦後第一回国会より第七回国会に至るまでの懲罰事犯計五十八件、人数にして約六十名が懲罰事犯としてとり上げられており、そのうち本件起訴状の如く暴力行為的な内容をもつたものが二十二件もあるのである。その具体的な実例を検討してみると本件に極めて酷似する幾多の事例があるのであり、それらが何故に刑事訴追を受けず、本件が刑事訴追をうけなければならないか判断に苦しむのである。懲罰事犯として具体的にかかげられた暴力行為の内容は本件起訴状と殆んど差異はない。それらが七十年の長きにわたつてかつて一度も検事の手によつてあばかれたことがなかつたことの意味は奈辺にあるかである。七十年の立憲政治の歴史は決して短かくない。明治の時代から長い間かかつて営々と積み重ねて来た国会内のことは自らの手で律しようとする正しい議会制度確立の先人の努力は本件の起訴により大きな汚点を残したのである。新憲法が第五十八条の規定を設けたということは国会の自主性を強く打ち出しその独立体制を宣言して民主主義の目標に前進するためのものである。かくして国会の自主権は他の国家機関に優越するものであるから被告人らの行為は国会の自律権のもとにおいて法的判断を受けるべきである。

(弁護人相磯まつ江、坂本泰良、黒田寿男、河上丈太郎)

第五  本件被告人らの所為に対する起訴については議院の告発を要件とすることの論拠を示すものの一つとして昭和二十三年(れ)第一九五一号『議院における証人の宣誓および証言に関する法律』違反被告事件に関する昭和二十四年六月一日の最高裁判所判例(最高裁判所刑事判例集第三巻第七号九〇一頁)がある。この判例については一応簡単に前述したが、ここではこの判例が議院の自律権を明らかにしたものとする観点から特にこれを採り上げてみたいのである。

この判決は『議院証言法はその立法の経過に照し各議院の国政に関する調査の必要上規定され、議院内部の手続に関するものである。そして議院における偽証罪の告発について特に同法第八条本文および但書の如き特別の規定を設けた趣旨に徴すれば、議院内部のことは議院の自治問題として取り扱い、同罪については同条所定の告発を起訴の条件としたものと解するを相当とする』というものである。そこでこの判決の判断の対象となつた議院における証人の偽証および不出頭と本件起訴の対象となつた被告人の行為とを比較対照してみると、議院における偽証および不出頭は議院の職務執行中付随して発生した犯罪であるところ、本件起訴の対象となつた被告人らの行為もやはり議院の職務執行中発生したものである。しかし一見して容易に判明することはまず議院内部の偽証および不出頭というものについては議院というものがいわば政治の中心として存在する以上は或る程度の政治的色彩より免れ難いとは言つても、多くの場合それ程強度の政治的色彩或は政治犯罪とは言えないものであるが、本件起訴となつている被告人らの行為は濃厚なる復合的政治犯罪と言うべきものであり、政治闘争の渦中より発生したものなのである。加うるに前者は議院の職務執行中発生した犯罪であるとはいつても、その起訴の人的対象は議院の外に存在するいわばアウトサイダーであり、それ自体は議院の職務執行の対象にすぎないのである。然るに後者についていえば同じ議院の職務執行中発生した犯罪であるとはいつてもその問題となつた行為は職務執行自体であり、議院を構成する人的組織自体がその起訴の人的対象となつているのである。言い換えるならば議院自体に溶け込んでいるいわゆるインサイダーといわなければならない。この点より見ていずれをもつて最高裁判所が判断した『議院内部のことは議院の自治問題』とすべきかは自明の理であるといわなければならない。

この最高裁判所の判決は権力分立主義における三権の互に相侵犯すべからざる限界を十分認識し、憲法第四十一条、第五十八条を正しく理解しこれにつき具体的な解釈を示したもので本件の解決についても妥当するものと言いうる。

本件被告人らの起訴については反対党議員各人の告訴、告発はあつたが、議院の統一的意思の発現としての告訴或は告発はない。この告訴あるいは告発を起訴条件とすることは憲法の原理上認められたぎりぎりの法律的安全弁であり、議院を他の権力干渉より防衛する最後の抵抗線であると言うべきである(弁護人坂本泰良、相磯まつ江)。

第六  議院の懲罰権と国家刑罰権との関係。

議院が院内秩序を乱した議員を懲罰する権限は国家刑罰権とは本質上相違しているから懲戒権の発動がないからと言つて国家刑罰権が制肘されることはないという主張は一応承認されるものの如くである。

しかし国会における議院の懲罰権については、それが発動されなくても国家刑罰権の発動に遠慮はいらぬと簡単に論結することはできない。議院の自主性を最大限度に尊重することを憲法が要求している限り、議院が懲罰しないものを裁判所が外部から刑罰を科するということは頗る疑問である。

そもそも議院の懲罰権と国家刑罰権との関係は各国とも古くから永遠にして困難な問題である。憲法ある国には必ず免責特権あり、また議院の懲罰権がある。すなわち議院の懲罰権は免責特権と不即不離の関係として各国憲法に規定されているのである。そこでこの三者の関係であるが、ヘルマン・シユミツトによれば『議院懲罰権は本質的に議員に保障された免責特権に帰する』というのである。その意味は懲罰と免責が表裏を成しているということであろう。シユミツトは、免責性は無答責性というべきであつて完全免責性と考えるべきではなく、多くの憲法は免責を無答責と解して議会に対する議員の責任を認めているのが現状であるとしているが、わが国の憲法も同じく院内においては責任を問われることとなつている。院内においても責任を問われない、すなわち完全免責ということになると議会秩序を全うし得ないと考えられるからである。院内において問われる責任とは何か。言うまでもなく議院懲罰権に服するということである。さらにシユミツトは言う、『免責の限界は従つて議院の懲罰権発動点に求められる。しかし議院懲罰が刑罰の範囲にはいらないとされているのは法律政策からの妥協であつて、この故に議会懲罰権が発生したのである』と。要するに懲罰権と免責特権は一枚の盾の如くであり、一定の議員の言動を院外から評価した場合免責特権といい、院内から評価した場合懲罰権というのである。免責特権は院外から評価した概念であるから、院内において懲罰に付された場合、刑法で処罰する代りに国会法所定の懲罰で四種類のうちのいずれかの罰に服することとなるだけである。このように考えると懲罰は実質において院内における特別刑法であることが理解されるであろう。シユミツトの言うように懲罰が刑罰の範疇にはいらないとされているのは法律政策からの妥協なのである。国会議員には免責特権がある故に、各種公務員法所定の懲罰と憲法第五十八条第二項所定の議員の懲罰とは異なつた法律関係を生ずる。他の一般公務員に対する懲罰と犯罪の関係の議論は国会議員にはあてはまらない。憲法第五十八条第二項は特別刑法である。従つて議院の行なう懲罰は、刑法とは一般法と特別法との関係に立ち、両者の本質は排他的である。ただ法律政策上の妥協から刑罰と観念されていないだけのことである。このような立場に立つシユミツトは『免責特権とは議員の使命およば職務の行使のためになされた言動の故に議員が刑事訴追を受けない権利である。実定法によれば職務上の特権であるが、職務外の行為についても一定の言動が保証されなければならない』と、免責特権を極めて広く解しているのである。

ここで最高裁判所がいわゆる米内山事件について昭和二十八年一月十六日にした判決(民事判例集第七巻第一号一二頁)を顧みる必要がある。この事件は県議会の議員に対する除名処分の当不当につき裁判所に裁判権があるかということが問題になつた事件であるが多数説はこれを肯定した。この同じ論法を国会議員の懲罰について用いうるかは大いに疑問である。宮沢教授は『この点は解釈上きわめて困難な問題であるが、少くとも国会議員についてはその懲罰は裁判所の審理権に服さないと見るべきであろう。仮に米内山事件の判決が正当であるとしてもその結論を直ちに国会議員に及ぼすことは許されないであろう。国会議員に関しては憲法構造の全体を支配する権力分立の原則からいつても各議院の自由性を最大限に尊重することが憲法上要求されていると見るべきであるから、議院の懲罰処分については、裁判所はその合法性を審査することができないと解するのが正当であろう』とされている。

議院が懲罰しないでいる事件につき国家刑罰権を発動するということは当然に政治問題という障壁にぶつかることになるのであるが、政治問題ということをしばらくおいても、かようなことは議院の憲法上の固有の権限たる懲罰権を奪うことになるのであるから、議院の意思の尊重ということからもそれはできないことであると思料される。

なお議院の懲罰権の対象となる行動について検察庁が国会を差し置いてその権限を発動したことは明治、大正、昭和を通じてただの一度もなく、むしろそれを差し控えるのが従前の慣行であつたと言いうるのである(弁護人相磯まつ江、毛利与一、猪俣浩三)。

第七  最後に本件の処理に当つて考えなければならないのはいわゆる『政治問題』である。

『政治問題』という概念は外国の判例学説によつて唱えられ始めた問題であるが、わが最高裁判所も最近に至りいわゆる砂川事件の上告判決(刑事判例集第十三巻第十三号)および苫米地事件の上告判決(民事判例集第十四巻第七号)においてこの理論を採用するに至つた。

本件の事案を正当に判断するためには当時の政治情勢を明らかにしなければならない。すなわち被告人らの行為を正当に評価するためにはそれらの契機となつた各政党の当時の党略、行動等までこれを明らかにしなければならぬこととなるが、これこそ主権者たる国民の政治的批判に委ねるのが至当ではなかろうか。しかも従来、政府与党の国会における違法な運営について裁判所に提訴すればそれは悉く裁判になじまないものとして不問に付されているのである。政府与党の国会法規を無視した違法な議会運営は政治問題であるとして放任しながら、これに対して抵抗しようとする野党議員を刑事事件の対象として採り上げ、これを処罰するというような片手落ちなことが果して公平な取り扱いと言いうるであろうか。裁判所が前者を政治問題としてその審査を拒否するのであれば本件の如きも正に政治問題としてこれを採り上げるべきではなかろう(弁護人毛利与一、猪俣浩三、相磯まつ江)。

以上の如く本件公訴の提起は国家的、社会的妥当性がないばかりか、前記各理由に基き本件公訴事実が仮に真実であつてもなんら罪となるべき事実を包含していないものと思料するので、公訴棄却の裁判を求めるものである。

そこで当裁判所は以下第十章ないし第十四章において弁護人の各主張について考察を加えることとする(その順序は必ずしも弁護人の主張どおりでない)。

第十章  憲法第四十一条にいわゆる「国会は国権の最高機関である」との意義について

(第九章に掲げた弁護人の主張第一に関するもの)。

日本国憲法(以下「わが憲法」と略称する)は近代諸国の憲法と同じく国家統治機構の基本的構成として第四章国会、第五章内閣、第六章司法の各章を設けて統治機構における権力分立主義を採ることを明らかにしている。

旧憲法(いわゆる明治憲法)にも帝国議会があり、政府および裁判所とそれぞれ立法、行政、司法の三権を分担していわゆる権力分立制を採用したが、旧憲法下の権力分立は統治権の総攬者たる天皇のもとに大権を翼賛する機関の分立に過ぎなかつた。これに対しわが憲法は国民主権の原理のもとに国民の信託にかかる国政の三権を国会、内閣および裁判所にそれぞれ独立に分属せしめ、旧憲法に比して権力分立体制を強化すると共に各機関の地位を向上せしめ、権能を拡大した。旧憲法下の帝国議会は大権の翼賛機関としてその権能は制限せられ政府に対して劣勢であつたのに対し、現在の国会は主権者たる国民を直接に代表するものとして「国権の最高機関であつて国の唯一の立法機関である」と定められ(憲法第四十一条)その地位と性格とを一変したと言われている(清宮四郎「憲法」法律学全集3一五四頁)、(同旨田上穰治「憲法原論」一六六頁)。

わが憲法が権力分立主義を採つていながら、「国会が最高機関である」ということは如何なる意義を有するか。以下この点について若干の検討を加えてみる。

わが憲法の立法、行政、司法三権の間には次のような相互的制約があると解されている(以下法学協会「註解日本国憲法」下巻(1)六九八頁)。

(1)  国会と内閣との関係。ここで一番基本的なものは、いわゆる議院内閣主義が採用されていることで、それはアメリカの場合と原理的に異なつている。国会の内閣総理大臣指名権と衆議院の不信任決議権および内閣の衆議院解散権はその内容であり、国務大臣の議院出席発言権と議員の質問権とはこれに付随する権利である。

(2)  国会と裁判所との関係。裁判所は国会の制定した法律の違憲性を審査することができる。ただしそれは裁判をするのに必要な前提として適用すべき法規の効力を決定するのであつて、この点では権力分立原理は否定されない。国会の側には裁判官の罷免の裁判を行なう弾劾裁判所を設置する権限がある。

(3)  内閣と裁判所との関係。内閣その他行政庁の命令、規則または処分は裁判所によつて違憲性の審査を受けるし、また一般に行政処分の違法性についての裁判は司法裁判所の権限に属する。これに対して裁判官は内閣で任命することになつているのが一つの制約となるであろう。

以上のような相互的制約関係のある三つの権力がそのうちの一によつて決して支配されず、相互に分立しながら、しかもそのうちの一である国会が最高機関としての地位をもつような独自の統治機構、すなわちアメリカ合衆国におけるような権力分立主義の最も徹底した形態とは異なるものが、ここに形成されているのである。

右のような権力分立機構の中で国会にどうして最高機関というような重要な地位が与えられているのかというと、憲法の前文に「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とうたわれて憲法の基礎原理として代表民主主義の原理を掲げ、国政の権力は国民の代表者がこれを行使するといつているからである。すなわち主権者たる国民は自己の直接の代表者として国会を設け、これを最高機関として国権を行なうのがわが憲法の定めた統治機構の基本的構造なのである。

そこで「国会の最高機関性」をどのような趣旨に解すべきかについて主要な学説を顧みると次のようなものがある。

註解日本国憲法(法学協会)は、

「国会は国権の最高機関であるということは、旧憲法におけるように、国権の総攬者がありそれが最高機関と呼ばれていたのと同じ意味で国会が最高機関だというのではない。そういう意味の最高機関が認められているのでないことは第五章、第六章と比較検討してみると明らかである。本憲法はその意味で一種の権力分立制をとつているのである。しかしもし権力の分立が徹底的に行なわれていればそれらすべての機関を通じて最高とはどういう意味であるかが問題とならざるを得ないであろう。この憲法では権力の分立にもかかわらず、これら機関相互の間に制約関係が認められるので、そこから国会の最高性を明らかにすることが考えられるけれども、しかし国会は、衆議院が内閣(形式的には天皇であるが)によつて解散されるし、また国会の制定した法律はその違憲性が裁判所によつて審査決定されるというような点からいえば国会の最高性はやはり問題とならざるを得ない。

この点は次のような趣旨であると解するのが正当である。元来、国家権力の三箇の作用は立法作用を上位段階として段階的構造をなしている。いいかえれば、司法と行政の作用は、立法作用によつて定立された法律を執行することをその本質としている。ところで国家機構の民主化が問題になり、人民の国家機構への参加が要求されたとき、一番先に実現されたのは上位段階の作用である立法権を与えられた機関即ち国会への参加であつて、それは人民による自己の代表者としての議員の選挙という方法でなされた。人民は現代の国家では限定された事項においてしか国政に直接参与することはできず、原則として間接に右のような代表機関によつて国政をコントロールするに止まるのである。このような意味で国会を国権の最高機関とみるのは正しく民主主義的な国家機構における国会の位置づけとして正当であるといわなければならない。そうしてこの国会の地位を行政権の担当者である内閣に対して特に強化しようとするのがこの憲法の旧憲法に対する特色である。旧憲法の下では内閣は議会にあらわれた人民の意思とは無関係に、天皇によつて―元老重臣に諮問した上で―任免されるのであつた。この原則を改めて、内閣は、もつぱら国会の意思のままに進退することとするというところに国会の最高機関性の重点があるというべきである。」としている(右同書七〇七―七〇八頁)。

清宮教授は次の如く述べている。すなわち

「憲法は、国会は国権の最高機関である、といつている。おそらく、国家権力を行使する任に当る機関のうちで『最高』の地位を占めるというのであろう。しかし、この言葉は簡単に文字通りに解釈することはできない。第一に、厳格な法的意味において国家機関相互の間に一方が命令し他方が服従する関係が存するときは両者の間に上下関係または従属関係があるといい、他のいかなる機関の命令にも服しない機関があるときはこれを『最高』または『最上級』の機関という。しかし、この意味では、わが憲法上国会ばかりでなく裁判所もまた内閣も最高機関である。第二に国権の最高機関が国政の最高決定権者、すなわち主権者を意味するとすればわが憲法上主権者は国民であり、国会は国民の信託により国政を担当し、国民に奉仕するものであるから、右の意味で国会を最高機関というのは、国民との関係からみて不当であるし、また国会の意志はかならずしも他の国家機関の意志に優越するものではなく、内閣および裁判所はそれぞれの担当する行政および司法の分野においては最高独立の機関であり、さらに憲法は権力相互の抑制・均衡をねらつて内閣に衆議院を解散する権能を与え(憲法第七条第三号、第六九条)、裁判所に法律審査権を認めている(憲法第八一条)。第三に、この言葉をもつて明治憲法における天皇のように統治権の総攬者、すなわち、立法・行政・司法すべての統治権をその手中に収めている者をいうとすれば、国会はあきらかにそれには該当しない。第四に、以上いずれの意味も国会に認められないにかかわらず、なおかつ憲法が国会を最高機関と呼んでいるのは結局消極的に明治憲法における天皇の最高機関性を否定すると同時に国民を代表する国会を国政の中心に位する重要な機関とみたからであろう。すなわち、国会議員が主権者たる国民によつて直接に選任せられ、国会は国民を直接に代表する国家機関として国民にかわつて国政全般にわたり強い発言権をもち、各種の国家機関のうちで国民自身に次いで高い地位にあるものとみなしたのである。国会はもともと国民に属する権能のうち国民みずから行使しないものについてはこれを国民にかわつて行使する職責をもつものと認められ、したがつて、その権限について憲法に特に規定されているもののほか、いずれの機関の権限に属するか不明のものは国会の権限に属するものとの推定を受けるものと解せられる。

モンテスキユー流の権力分立論は、立法、司法、行政三機関の対等を要求するのに対し、わが憲法は立法機関たる国会にさらに最高機関性を与え、国会中心政治の原則を採用した。けだし実際的にはイギリスに発達した国会優位政治に共鳴し、理論的には国民主権の原理の自然の帰結とみたからであろう。この意味の国会の最高機関性は実は憲法が国会を立法機関とし立法権が国会に留保・独占せられ(国会意志の留保)、行政権も司法権も憲法によるほか国会の意志にもとづいて組織され行使されるを要する(国会意志の上位)点にすでに同時にあらわされているが、さらに、内閣の成立と存続が国会の意志に依存し、(議院内閣制)、国会に法律議決権のみならず、憲法改正発議権、条約承認権、財政議決権を認め、また各議院に国政調査権を認めるなどによつて国会及び各議院に国政全般にわたる強大な発言権を認めている点にあらわされている。しかし、憲法がいわゆる『司法権の優越』、すなわち、裁判所の法律審査権を認めているのは右のゆきかたに対する例外である。この点から国会を最高機関と称するのは誤解をまねくおそれがあるので憲法改正の際に、やめるべきであるという意見もある。

イエリネツクは、『最高機関とは、国家を活動せしめ、及び国家を維持し、かつ、最高の決定権をもつ機関をいう。各国家には、つまり、すべての国家的活動に原動力を与え、したがつて、それが活動しないと国家の活動不能をきたすであろうような一つの機関が必要である』という。(Jellinek,Allgemeine Staatslehre 1923, 3, Aufl.S.554)。わが佐々木惣一博士も、『国家の最高機関とは国家の活動を創設し、保持し、又終局的に決定する機関である。この機関がないならば国家は崩壊してしまうであろう。最高機関は種々の作用を為す種々の機関と関係せしめて見るときはこれに対して統括を為す機関である』といい、国会は右の意味で最高機関であり『統括機関』であるという(日本国憲法論昭和二四年三六九―三七〇頁)。しかし、国政の最高決定権者の意味で国会を最高機関というのは一つには主権者たる国民との関係から、そうして二つには最高司法機関たる最高裁判所、最高行政機関たる内閣との関係からみて妥当ではない。

ソヴイエト連邦憲法はその第三〇条で『ソ連邦の国家権力の最高機関はソ連邦最高会議である』といい、また第五七条で、『連邦を構成する共和国の国家権力の最高機関は連邦構成共和国最高会議』であるといい、さらに人民民主主義国のブルガリアの憲法第一五条には、『人民議会は国家権力の最高機関である』とあり、また東ドイツ憲法第五〇条には、『共和国の最高機関は国民議会である』とあるが、これらにいわゆる『最高機関』は、わが憲法の場合とは性質を異にし、実際の権限の強化を含んでいる。(清宮四郎「憲法」法律学全集3一五六頁―一五八頁)。

宮沢教授は次のように説かれる。

「『国権の最高機関』の意味はいささか明確を欠く。

(イ)国家を法人とする理論、いわゆる国家法人説によれば、君主・議会・裁判所などはいずれも法人たる国家の機関である。この種の機関には直接機関と間接機関が区別されるといわれるが、何が直接機関であり、何が間接機関であるかについては説明が一様でない。たとえば議会は憲法によつて直接に(法律によつてではなく)設けられた機関であるという意味で直接機関だと説かれることもあるが、また、直接機関たる国民を代表する機関であるという意味で間接機関だと説かれることもある。そういう直接機関のあるものがときに最高機関と説明されることもある。

日本では、特に明治憲法時代の天皇が『最高の直接機関』だと説明された。この場合は天皇が統治権の総攬者であるという意味でこれを最高機関と呼んだのであるが、理論的にはそこでの『最高』の意味はかならずしも明確ではなかつた。天皇を『最高』機関としたのはむしろ天皇をそのほかの直接機関(たとえば国民)と同列に置くことを好ましからぬとした当時の国民感情を顧慮した結果のたぶんに政治的なねらいをもつた説明ではなかつたかとおもわれる。

(ロ)本条にいう『最高機関』の意味はかような国家法人説的意味における最高機関と同じではない。本条にいう『最高機関』については二つの意味が考えられる。

それは第一に国会の活動がほかのどの機関の意志からも独立に行われるという意味である。この意味で国会がはたして『最高機関』であるかといえば、かならずしもそうはいえない。国会の召集権は原則として天皇(実際には内閣)にあるし、また、衆議院の解散権も天皇(実際には内閣)に与えられている。

国会が『最高機関』であるということは第二に国会の意志が終局的だという意味に解される。しかし、この意味でも国会はかならずしも最高ではない。国会が制定した法律が憲法に適合するかどうかにつき裁判所は審査権を有し(八一条)、それが憲法に違反するとみとめるときはその適用を拒否する権能を有する。

『国権の最高機関』という言葉は、したがつて、特殊な法律的意味を有する言葉ではなく、国会は選挙を通じて直接に主権者たる国民に連絡しているというところから、多くの国家機関のうちで最も大きな重要性をみとめられることを意味するにとどまると解すべきであろう。国会と政府との関係において弱い政府と強い議会という原則がみとめられている点において特に国会の『国権の最高機関』たる性質があらわれているといえよう。』(宮沢俊義「日本国憲法」法律学体系コンメンタール篇1三二五頁―三二六頁)。

現在、憲法学者の本条に関する学説は大体以上の三者の説明に尽きると思われるが、特異なものとして佐々木惣一博士の説がある。同博士は次のとおりに説く。

「日本国憲法の定める国会は旧憲法における帝国議会とは本質的に異なる。国会の有する性質の中で、帝国議会の有していなかつたものはそれが国家の最高機関であるということである。これを国会の最高機関性という。帝国議会は国家の最高機関性を有するものではなかつた。

憲法は国権の最高機関という。これは国家の最高機関というのと同じである。国家機関は、国家がその意思力たる国権を発動する機関であるから国権の機関は国家の機関に外ならない。

さて、国家機関は国権の発動を為すものとして設けられるのであるが、国家は国家機関を設けるに当りまず国権の発動の種別を為し、特定の種類の国権の発動を限定してこれを特定の機関の権限とする。かかる限定を為さなくては国権の発動をすることは不可能である。これを定めるのは憲法である。彼の三権分立主義は右の趣旨に出でるものである。立法作用を行う立法機関、行政作用を行う行政機関、司法作用を行う司法機関がある。併し国家は右の如く国権の発動を限定しないで国権の発動を全般的に考察して個々の機関による国権の発動や、又個々の機関による国権の発動相互の関係が常に正当な状態にあるように意を用いてこれが為に必要な行動を為すということもなくてはならない。これも国権の発動である。そして、これを定めるのはやはり憲法である。この国権の発動は、かの立法の作用を為すとか、行政の作用を為すとか司法の作用を為すとかいうような中間の性質を有するものではない。常に国家の全面の立場よりして国権の正当な発動をもたらすという最高の性質を有するものである。これを国権の最高の発動という。或は国権の統括というてもよい。具体的にいうならば、国家の行動を創設し、保持し、終局的に決定するというような作用を為すのである。かかる国権の最高の発動を為す機関が国家の最高機関である。

かく考えて見ると、国権の最高の発動は立法権の発動でもなく、行政権の発動でもなく、司法権の発動でもない。機関としていえば国家の最高機関は立法機関でもなく行政機関でもなく、司法機関でもないのである。従来、往々立法権を指して最高権であるとし、立法機関を指して最高機関である、とするかのような説明を見ることがあるが正確な観念よりすれば中らぬ。

国家の最高機関という概念は右の通りとして、次にその最高機関であるものとして如何なる機関があるか。これは最高機関の概念とは別のことである。これも憲法の定めるところである。

憲法が最高機関を定めるというにも二様の態度がある。一は、憲法が特定の国家機関を指示して最高機関であると規定することであり、他は、かかる指示はしないが憲法の諸規定の解釈の結果、論理上憲法の設ける諸機関中特定のものが最高機関と考えられることである。この両様の態度は相互矛盾するものではないから憲法がこれを併せとつてもよい。即ち憲法上の或機関が論理上最高機関たるの性質を有するものと考えられるが、憲法は或機関を指示して最高機関であると規定することを妨げない。わが日本国憲法はこの態度をとつている。

理論上よりせば、国権の源泉者たるものは自身で国権の最高の発動を為すことができるのである。国権の源泉たるものが国権の最高の発動を為し得ないならばそれは実は国権の源泉たるものとは考えられないのである。故に、国権の源泉が一人の君主である君主国では、君主が国権の最高の発動を為すことができる。即ち国家の最高機関である。従つて特に君主以外に最高機関を指示するの必要はない。帝国憲法の下ではそうであつた。国権の源泉者(統治権の総攬者)であつた天皇が論理上国家の最高機関たる性質を有するものであつたのである。

日本国憲法の下にある今日では、これと異なり、国民が主権を有し即ち国権の源泉者である。従つて論理上、国民が最高機関の立場にあるべきであるが、国民は相互に連絡なく一の機関となるものではない。即ち国民が最高機関であるのではない。然るに、国権の源泉者たる国民は、憲法より、国会により代表せられる。即ち国民は国会を通じて行動するものとせられる。従つて、国民が最高機関として国権の最高の発動を為すことも国会を通じてするの外ない。故に国家の機関としては、国家の最高機関として、国権の最高の発動を為すものは国会である。即ち憲法第四十一条は国会は国権の最高機関であるというのである。

国家の最高機関は国権の発動を統括すること前に述べた通りである。故に、それは立法機関ではない。行政機関でもない。又司法機関でもない。これらの機関に国権の発動全般の立場から注視して各作用の機関がそれ自身として又相互の関係において正当な状態に在るよう努力するのである。そして、その状態について批判を為すことを得る。かかる国家の最高機関が存しないとすれば国家は崩壊するであろう。然しながら、このことは憲法により行政機関たる内閣その他の機関の権限に属せしめられている行政の作用、司法機関たる裁判所の権限に属せしめられている司法の作用を行い得るということではない。立法機関たる国会は存在する実態としては最高機関たる国会と同一のものであるが、併し国会が立法の作用を行うのは立法機関としての国会の立法権の発動を為すのである。最高機関としての国会が立法権の発動を為すのではない。国会が立法作用を行う場合においては、国会は立法機関という性質を有するのであつて、最高機関たる性質を有するのではない。ただ、その機関の実態そのものは同じく国会であるということが立法作用が国権の最高の発動であり、立法機関が国家の最高機関であるかの如く誤解せしめる虞を生ずるのである。かかる誤解を為すならば、それは日本国憲法の定める国家体制の特殊性を忘れたものである。帝国憲法の下では一方において三権分立主義をとり、他方において国権を統括する機関として国権の源泉者たる天皇という最高機関があつたのであるが、日本国憲法の下では、一方において帝国憲法の下でと同じく三権分立主義を取り、他方において国権を統括する機関として、国権の源泉たる国民を代表する国会がある。ただ、その国会は同時に立法という個々の一の作用を行うのである。これがために、最高機関たる国会と立法機関たる国会との差異を見失うの虞があるのである。しかし、立法機関が最高機関であるのではなく、又立法機関であるから最高機関であるのではない。」(佐々木惣一「国会の最高機関性」人間生活と法及び政治六三頁―七一頁)。

また黒田教授は次のように説かれる。

「国権の最高機関」とは、国会が国家機構の全体の中で中枢的地位を占めていることを表示している。憲法四一条の規定はマツカーサー憲法草案のなかにすでに存在したのであるが、マ草案から現行憲法までの推移のなかに国会の機構はかなり大きな変化を示しているので、この規定がマ草案の当時に予想されたような意味で理解できるかどうかは問題であるが、とにかく現在の国会のもつ性格を表示していることには相違はない。

マ草案は、一方では国会(マ草案では一院制をとつた)が解散されるのは国会が内閣に対する信任案を否決し、または不信任案を可決した場合に限るとの立場をとつていたとも考えられるし(五七条)他方では最高裁判所の法令審査権は憲法「三章」に関する事項については終審的であるが、その他の事項について法律・命令・規則・処分の合憲法性を審査する場合には、国会が最高裁判所の判決を審査し、特別多数の方法による議決で取り消し得ることを規定していた(マ草案第七三条)。こういう点で国会、内閣、裁判所のあいだに、抑制、均衡を認めても、現在の憲法におけるよりもはるかに国会の優越性が顕著であつた。国会は現在におけるよりも、「国権の最高機関」という表現に近いものであつた、といい得るだろう」(黒田覚「国会法」法律学全集5五三、五五頁)。

田畑教授は、「国会は国家の主権者たる全体としての国民の最高の機関である。本条は主権者たる国民が行動するには必ずその代表的最高機関たる国会を通してでなければならないという法意をもつ。国会が国家と国民と国権の代表的最高機関であるというのは国会は国民が国権を発動するためになくてはならない統括的機関であるということにほかならないからである」と説く(田畑忍「憲法学原論」二六四頁)。

以上見て来たような諸説に対して特異な立場を採るのは鈴木教授である。曰く「国権の最高機関とは、その国家機関が憲法上あらゆる国家機関のうちで最高の地位におかれていること、その機関意思が他の機関意思によつて優越されることのないことを意味する。……法律について最高裁判所の違憲審査権に服することは憲法自体において定められた制限であり、その限りにおいては国会の国権の最高機関たる性質は法的に制限されている。しかしこの例外的制限を別とすれば国会は国権の最高機関たる法的地位、権限を存するものと解すべきである」(鈴木安蔵「憲法学原論」昭和三一年版四三七―四四〇頁)。

以上、国会の最高機関たる性質についてわが国憲法学者の学説をあますところなく検討したのであるが、これを要するにいわゆる「最高機関」という言葉が多分に政治的の意味を包含するものであることは前記鈴木教授を除く諸学者の殆ど一致してこれを認めるところである。そうして当裁判所もまたこの通説の結論の一致している点についてそれに従うのを妥当だと考える。すなわち結局「国会の最高機関性」という意味を弁護人の説くような意味で国会が他の二機関(内閣と裁判所)に対して法的に絶対的優位にあるものと解することは正当ではないというべく、この点は本件公訴の当不当を論ずるについて憲法第四十一条を顧みる場合に特に注意すべき点だと考える。(なおこのことを特に明言するものとして、佐藤功「日本国憲法概説」昭和三四年版二三一頁、鵜飼信成「憲法」昭和三三年版一二〇―一二一頁、俵静夫「憲法」昭和三二年版一一八頁等がある)。従つて第九章に掲げた弁護人の主張第一に説く被告人らが国会議員である以上国会に監督される検察庁が被告人らを訴追することは許されないとする結論を憲法第四十一条から導くことは失当であるというほかはない。

第十一章  憲法第五十八条等の規定する国会の自律権、特に議院の懲罰権について(第九章に掲げた弁護人の主張第四ないし第六に関するもの)。

第一節  自律権の意義

立法府たる国会の両議院がその組織、議事手続および秩序維持など内部の事柄について行政権および司法権から独立して或る程度の自律権を持つことは三権分立の原理からして当然のことといわなければならない。かくて国会は憲法上他の国家機関については見られない諸種の特権を保障され、その存立、活動が自主的に行なわれるために必要不可欠な諸条件についてみずから決定しうることとされている。

国会の各議院がおのおの自己の内部事項を自律する権限を有することは憲法学者のすべて認めるところである(註解日本国憲法下巻(1)七〇三頁、佐々木惣一「日本国憲法論」二三四頁、美濃部達吉、後記各書、鵜飼信成「憲法」昭和三十三年版一五〇頁)。

議院内部の事項に関する自律的権限とは美濃部博士によれば両議院の議員の地位、議院の職員その他議院の内部に属する事項について各議院が自律的にこれを決定する権限であり、その最終処理までを完全に一任されている事柄のみに限定される(美濃部達吉「日本国憲法原論」四〇二頁、同「新憲法概論」一五四頁)。

各議院の自律権は憲法第五八条に掲げられた議長等役員の選任権、議院規則の制定権、議員の懲罰権がその主要な内容を成すものであるが、その他憲法の認めるものとしてなお会期中における議員の逮捕に対する許諾およびその釈放要求権(第五十条)、議員の資格争訟の裁判権(第五十五条)、会議の公開停止および会議記録の公表停止権(第五十七条)があり、また国会法によつて議員、役員の辞職の許可権(第百七条、第三十条)が与えられている。

第二節  昭和二十二年法律第二二五号「議院における証人の宣誓及び証言等に関する件」に関する最高裁判所の判例について

最高裁判所は、昭和二十二年法律第二二五号「議院における証人の宣誓及び証言等に関する件」(以下議院証言法と略称する)について昭和二十四年六月一日「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律に規定する偽証罪については議院若しくは委員会又は両議院の合同審査会の告発を起訴条件とする」旨の大法廷判決をした。その理由は「(この法律は)その立法の経過に照し、各議院の国政に関する調査の必要上規定された議院内部の手続に関するものである。そして偽証罪等の告発については同法第八条本文及び但書のごとき特別の規定を設けた趣旨に徴すれば議院内部のことは議院の自治問題として取り扱い同条所定の告発を起訴条件と解する」というのである(最高裁判所刑事判例集第三巻七号九〇一頁)。

この判決にいう「議院内部のことは議院の自治問題として取り扱う」とは、いわゆる議院の自律権と言われるものを指しているのではないかと思われ、現に弁護人らはこれを本件被告人らの行為にあてはめて論じているので、以下この点に関し若干の考察を加える。

右判決に対しては斎藤秀夫、佐藤功、鈴木安蔵各教授および兼子一博士の各批評がある(ジユリスト昭和三十五年六月一五日号((No.204))四八ないし六三頁所収「裁判権と国会の自律権」)。

斎藤教授は次のように説かれる。

「右判決にいう『議院内部のことは議院の自治問題として取り扱い』とする理論は、偽証罪の最後の決定権が議院自体にあるのでなく、裁判所の権限に属する関係上、通常の講学上の自律権と趣を異にし、人をして誤解せしめる虞があることは確かである。然し判旨の真意は寧ろ偽証等の行為が行なわれたのは議院若しくは委員会に於てであるから、真に処罰を必要とするか否かの判断は之らの議院若しくは委員会に委ねたものであるという事に在るのであろうと推測される。この様な理由づけであるならば詢に妥当であると言わねばならぬ。議院の内部に於て行なわれた事項に関し、而もその最終処理迄を完全に一任されていなくても、その最終処理に至る段階特にその端緒的段階に於てイニシアテイブを取る事を認めている場合をば、尚且判例は議院の自治問題であるとしたことは、講学上、普通用いられている国会の自律権の概念を拡張しているものであることは明らかである。判旨の所謂『議院の自治問題』を以て私の右の意味に解する限り、判旨の結論を支持し得る。判旨の理論構成の適切でないこと、ないしはその用語の妥当でない事を理由として、判旨の結論迄も全面的に否定し去る事は誤である、と私は考える。然るに判旨に反対する学説は『議院内部の事柄であろうとも、その事の本質に鑑み、議院の自律自治に任すべきものと否とを区別しなければならないのである。この点に於て最高裁判所の右の判決は余りに議院の自治を簡単に解している嫌がありはしまいか。……本条の偽証罪等は、国会の国政調査に過誤なからしめんとする保障規定であり、その保護法益は刑法の偽証罪と同様国権の作用である。かかる国権の作用が侵害されたかどうかの問題は、単に議院内部の問題として自律的に処理する事のできるものではない。従つて法益の点からもこの偽証罪等を告訴告発を待つて論ずる親告罪とする事は理解し難い所であり……実質的に本罪について告発を訴訟条件とする理由はないものと断ぜざるを得ない』と主張する。被害法益、即ち保護の客体であり侵害の客体であるものは刑法の偽証罪に於ては国家の審判作用であり、従つて国家の機能であると同様に、本法に於ける偽証罪に於ける被害法益は国会の国政調査権の調査作用であり、従つて国家の機能である事は確かである。従つて右の判旨反対の見解の中、被害法益の点に関しては妥当であるけれども、それ以外の部分に対しては、私は遺憾ながら賛成を躊躇せざるを得ない。何故ならば、偽証等の行為は議院の内部に於て行なわれた事である。被害法益が国権の作用である事と、偽証等の行為が議院ないし委員会に於て行なわれた事、即ち、言わば行為地(行為の場所)とは全く相異なる別個の事柄である。判旨が『議院内部の事』と言つているのは、被害法益について言つているのではなく、偽証等の行為が何処で行なわれるものであるか、という行為の場所に着眼しての立言であり、告発は議院の内部に於て行なわれる行為、即ち、偽証行為に関する措置であるという趣旨に善解する事が妥当であろう。それと同時に、判旨が『議院の自治問題として取り扱い』と言つているのも、問題の最終処理を完全に一任されているという意味ではなく、最終処理に至る端緒的段階に於てイニシアテイブをとるという事を指摘したものである、という趣旨に善解すべきであろう。右の様な補足を判旨につけ加えて私は判旨の結論を支持するものである。」(右同書六〇―六一頁)。

佐藤教授は次のように説かれる。

「院内における議事活動の進行過程において生じた問題については原則として議院の自主的判断に委ねるべきであり、検察権・司法権の発動を求める時にも議院の意思に反してはならないという見解はこの場合にも当てはまるのである。

すなわち偽証罪は刑法上の親告罪には属せず、被害者の告訴をまつて罪を論ずるものとはされていない。親告罪はたとえ信書開披、強姦、侮辱、親族相盗など、国民一般の個人的利益や感情を顧慮し、被害者の告訴をまつて始めて検察権・司法権の発動を認めることとするものである。これに対して、いわゆる議院証言法の証人の偽証罪は議院の国政調査権の侵害であるとはいえ、個人的利益や感情とは全く無関係である。従つて法律が証人の偽証罪について告発を要するとしたのは刑法上の親告罪の考え方によるのではなく別の理由に基づくというべきである。すなわち偽証罪についての告発は、果して証人の虚偽の陳述が議院の国政調査権を侵害したものであるかどうかの判断を議院自身に行わしめ、侵害したと議院が判断した場合に、その侵害の事実の存在を公示し、検察権に発動の機会を与えることの意思表示たる意味をもつものである。この点で証人の偽証罪についての議院等の告発は、たとえば、労働関係調整法違反に対する労働委員会の請求、独占禁止法違反の罪に対する公正取引委員会の告発、関税法違反の罪に対する税関官吏の告発などと同じ性質をもつものである。これらの請求、告発は親告罪の告訴とは性質を異にし、真に事情が判り、処罰の必要の有無を判断するのに適当な機関の意思表示をまつて検察権(司法権)を発動せしめることを妥当と認めたものである。いわゆる議院証言法が証人の偽証罪について議院等の告発義務を定めたのも同じ理由に基づく。右の意味で、この告発は訴訟条件・公訴提起の条件である。このことは、議院証言法八条が単に「告発しなければならない」とのみ定め、労調法(四二条)、独占禁止法(九六条)のように告発をまつてその罪を論ずるという親告罪的な文言を設けていないことによつても異るところはない。議院の証言法の制定に当つて、当初、独占禁止法などに見られると同じ文言が立案されていたのが特に削除されたという事実を理由として、この偽証罪が親告罪的なものではなく且つその告発は訴訟要件ではないと主張する見解も存するが、制定の経緯はともあれ、八条の客観的な解釈としては右の見解は法文の文言に拘泥したものであると思われる。次にこの最高裁判所の判決の理由上は、単に『議院内部のことは議院の自治問題として取り扱うべき』であると述べるにとどまつており、この説明はいささか簡単にすぎるといわざるを得ない。『議院内部のこと』という文句はあまりに概括的、広漠にすぎるというべきであろう。この点はたしかに批判に値する。しかし、さればといつて、この判決の理由を不当とすべきではない。」(右同書五二頁)。

鈴木教授は次のように説かれる。

「一般警察が不断に議事堂内部、議場内部に立ち入ることは議院の自主的存立および自由な活動を傷け妨げるものである。ゆえに国会法および各院規則の定めがある。すなわち、議事堂内の、とくに議場内における違法行為ないし非行については第一次的に議院自身の決定にまかせる。『議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律』が刑法の偽証罪についての規定、刑訴法第一五四条等、民訴法第二八五条等と異なつて、第八条の規定をおいている趣旨も、右の原則によるものと解する。さらに本法は、国政に関する調査を各院の委員会もしくは両院合同審査会が十分に成果をあげて行ないうべきことを保障するためのものであり、偽証および証人不出頭によつて、上述機能が阻碍された程度、また違反者に法定の制裁を加えることが必要かいなか等について、それらの事情を直接判断しうるものが上述委員会ないし合同審査会であることにかえりみると、右の委員会ないし合同審査会の告発を起訴要件と解することが合理的である。かく解して、判決を妥当なものとする」。(右同書五五頁)

兼子博士は次のように説明される。

「『議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律』は各議院の議案の審査又は国政調査の権限行使のために、証人として議院より召喚された者がこれに応ぜず又は偽証をした場合の処罰を規定すると共に、各議院又は委員会等が証人がこの罪を犯したものと認めるときは、その議決に基づいて告発しなければならない旨を規定している。最高裁判所の判例は、この告発を訴追条件と解し、これを待たない起訴は不適法として公訴棄却を言渡すべきものとしている。この種の犯罪は、国会の権限行使を妨害し、その権威を無視するものである点で、いわゆる国会侮辱に当たり、イギリスのように国会が一般人に対しても制裁権を有する伝統のある場合は直接に自ら処罰して然るべき性質のものであるが、わが憲法上は国会は訴追権も裁判権も有していない関係上司法権の発動を促すため告発権を認めたものと考えられる。したがつてその告発は、いわば国会が被害者としてするもので、国会が自ら処罰すべきものと認めて訴追を請求しない以上は検察権もこれを取り上げる必要はない点は、同法第八条がわざわざ告発しない旨の議決を認めている点に徴しても知ることができるから、最高裁の判例のいうように親告罪の場合の告訴に準じた取り扱いをするべきものと解する余地がある。しかし、このことから国会内のすべての犯罪について、各議院や委員会の議決に基づく告発権があり、更にそれが刑事訴訟法上訴追条件を成すものと結論することはできない。現行法上、特殊の犯罪についてその事項を所管する行政委員会の告発又は請求をまつて論ずることとなつている例があるが(私的独占禁止法九六条、労働関係調整法四二条等)、これらも処罰することが適当かどうかを当該委員会の政策的判断に任かすことがその権限行使を尊重する所以であることに基づいている。因みに、国会各議院内部の紀律維持は、各院の自主的管理に任かせられることは当然であり、国会法第一一四条が内部警察権を議長の権限に属せしめ、議長は通常衛視を指揮してこれを行使することとし、外部の警察官は議長の要請がなければ議院内に立ち入つて権限を行使することはできないとされているのである(同法一一五条、衆議院規則二〇八条、二〇九条参議院規則二一七条二一八条)。しかし、これは現在の秩序維持のための自主管理権に基づくものであつて、過去において議院内で行なわれた犯罪に関する検察権や裁判権に対する制約とはならない。現行犯逮捕については、現実の秩序維持と関連するところから議長の命令を待つこととなつているが(衆議院規則二一〇条、参議院規則二一九条)、押収捜索については刑事訴訟法第一一四条により議院もまた公務所の一種として議長に通知して立会を求めることになるが、西独基本法第四〇条二項のような明文のない限り、議長の承諾を必要とするわけではない。しかもこれらの規定の存在は、むしろ国会内の犯罪も、他の場所におけると同様に検察権および裁判権の対象となることを当然のことと前提しているものといえよう。」(右同書六二―六三頁)

これらの学説に対し黒田教授の批判があるのでこれを次に掲げる(なお同教授の説くところは国会の自律権の問題もさることながら前記最高裁の判決を拠り所として本件のような国会内での議員の犯罪行為とされるものにつき議院の告発を起訴条件とするか否かの点についてむしろ重点が置かれている。便宜上本章の中にこれを掲記しておくこととする)。

黒田教授の説くところは次の如くである。

「もともとマックァーサー憲法草案では国会の国政調査権について、『国会ハ調査ヲ行ヒ証人ノ出頭及証言供述竝ニ記録ノ提出ヲ強制シ且之ニ応セサル者ヲ処罰スルノ権限ヲ有スヘシ」(五四条)となつていた。議院にコンテンプトに対する処罰権を認めていたのである。ところが日本側の諸草案ではコンテンプトに関する部分が削除され、現憲法の第六二条となつた。そのため国政調査について証人の出頭・証言等の強制の裏付けがなく、諸種の不都合が生れたので昭和二十二年に議院証言法が制定されることとなつた。いわば議院の告発権はコンテンプトに対する議院の処罰権の代用品としてできたわけである。このような制定経過から見れば、第八条の議院側の告発を起訴条件と解した最高判決もあながち不当とはいえないかも知れない。しかし、これを議院内部の自治問題として理由づけているのは、いささか簡単にすぎる感じがないではない。

それはさておき、ここに問題にしたいのは、最高裁判決の是非ではなく、証人の偽証等について議院側の告発を訴訟条件とする最高裁の見解が院内の議員の職務行為に附随した犯罪の起訴が議院側の告発に基づくことが法的に必要かどうか、という問題の解決についてなんらかの手がかりを与えるかどうか、いう点である。兼子教授の見解は『各議院や委員会が訴追条件として告発権を行使するのは、国会侮辱に当たる犯罪に限定される』として、このような関連性を否定している。鈴木教授の見解は、関連性の有無にはなんらふれていないが、佐藤、斎藤両教授の所論はこの関連性を積極的に承認している。佐藤教授は『……院内における議事活動の進行過程において生じた問題については、原則として議院の自主的判断に委ねるべきであり、検察権、司法権の発動を求めるときにも議院の意思に反してはならないという見解は、この場合にも当てはまるのである』とし、斎藤教授は議院証言法についての最高裁判決の判旨は『議員以外の第三者(証人)についてよりは議員の職務行為を行わんとしてなされた議員自身の随伴的行為につき、より一層強い妥当性をもつものということができる』と述べている。このように、議員の職務行為に附随した犯罪の起訴には、議院側の告発が訴訟条件だという主張が、この最高裁判決によつても裏付けられ、あるいはより一層強く正当づけられるものかどうか。これを検討しなければならない。

議員証言法の規定する諸犯罪について議院側の告発が起訴条件だとしても、そのアナロジーによつて、議員の議院内における職務執行に附随した犯罪についても、議院側の告発が訴訟条件だという理論を導き出そうとするのは、類推の適用を誤つているのではないか。議員が職務執行に附随して行われた暴行・傷害・公務執行妨害等は、本来的意味の刑事犯罪である。もしイギリス法的な理論構成をとれば、議事手続の構成部分とは考えられない犯罪的行為(cri-minal act)であり、これらが議院の懲罰権の対象たり得ることはあつても、本質的には刑事裁判権の対象である。これに反して議院証言法の諸犯罪は、もし議院にコンテンプトに対する処罰権が確立されているなら、これらは本来的意味の刑事犯罪ではなく、議院裁判権による処罰の対象たる犯行(offence)にすぎない。その性格は議院の懲罰権の対象たる議員の犯行(offence)といわば同じものである。現にイギリスでは、この種の犯行は議員のものであると第三者のものであるとを問わず、一様に『特権侵害』(breach of privilege)および『侮辱』(contempt)として議院の裁判権に服し、その処罰の対象となつている。この意味では議院証言法の諸犯罪は、この法律の規定によつてはじめて刑事犯罪的性格をもつものであつて、この点暴行・傷害・公務執行妨害等の犯罪とその性格を異にしている。このように考えるなら、議院証言法の諸犯罪については議院側の告発を訴訟条件とするとしても、その故にあるいはより一層の強い理由で議員の職務行為に附随した暴行・傷害・公務執行妨害等の起訴は議院側の告発に基づかなければならない、との結論を導き出すことはできない。もし証人が証言等に関連して暴行・傷害・公務執行妨害等の犯罪を犯した場合にも、議院側の告発が訴訟条件だ、というのであれば、議員の職務執行に附随した暴行・傷害・公務執行妨害についてそのアナロジーを主張することも、あるいは理由があるかも知れないが、議院証言法はそういうことを規定しているのではない。このように職務執行に附随して発生した議員の暴行・傷害・公務執行妨害等については、議院の告発を訴訟条件とするのでなければ、議院における証人の偽証等について議院側の告発が訴訟条件とされるのとバランスがとれない、との主張は十分な理由があるとは考えられない。」(黒田覚「裁判権と国会・地方議会の自律権」東京都立大学法学会雑誌第一巻第二号二〇―二三頁)

以上引用したように、議院証言法に関する最高裁判例をめぐる諸学者の説くところを見てくると、同判例に示めされている「議院内部のことは議院の自治問題として取り扱う」という命題を同判例の事案の場合について云々することすら妥当でなく、たとえこれを認容するにしてもこれに適当な限定を施したうえでないと適切でないというに帰し、いわんや右の命題を国会内におけるあらゆる犯罪に拡大して適用することの妥当であることまでは論じていないか、そうでなければむしろこれを否定する結論となつていることに十分注目する必要がある。

第三節  議院の懲罰権

第一  懲罰の性質および種類

議院の懲罰権は規則の制定権(憲法第五十八条第二項)や議員の資格に関する争訟の裁判権(同法第五十五条)と共に国会の自律権を保障するものである。

国会の各議院は院内の秩序を維持する目的のためこれを乱した議員に対し自律的にこれを処罰する権能を憲法上与えられているのである。

憲法第五十八条第二項にいう「議員の懲罰」とは、議員という特殊な身分関係の秩序を維持するためにその身分を有するものに科される制裁である点で公務員や公証人や弁護士の懲戒と性質を同じくするものと解されている(宮沢、前掲書四三五頁、清宮前掲書二四〇頁)。

懲罰は議員としての身分を前提とする制裁であるから、議員としての活動の制限をその主たる内容とし、(1)公開議場に於ける戒告、(2)公開議場における陳謝、(3)一定期間の登院停止、(4)除名の四種があり(国会法第百二十二条)、議員の資格の剥奪たる除名が最も重く、これ以上の不利益を科せられることはないのである(除名の場名には、特に三分の二以上の多数決が憲法第五十八条第二項によつて要求されているけれども、国会法第百二十三条によれば一度除名されたものでも再選はさしつかえないことになつている)。

懲罰は、かように議院の身分に伴う制裁であり、一般国民としての違法行為に対して科される刑罰ではないからこれを科するについては憲法第三十一条の手続によることは必要でないと解されている(宮沢、前掲書四三五頁)。

懲罰の事由として国会法に明らかに掲げられているものは議員が正当の理由なしに欠席を続ける場合だけであるが(国会法第百二十四条)、そのほかにも議員が会議中国会法又は議事規則に違いその他議場の秩序をみだし又は議員の品位を傷けた場合(同法第百十六条)とか、各議院において無礼の言を用いまたは他人の私生活にわたる言論をしたり(同法第百十九条)、他の議員を侮辱したりした場合(同法第百二十条)についても懲罰はなし得るであろうし、また現実に為された先例が存する(参議院懲罰委員会委員長太田敏兄が昭和二十五年五月一日付で参議院議長佐藤尚武に提出した「懲罰制度及びその慣行等に関する調査」と題する報告書)。

右各規定は懲罰事由の主要なものであるが、必ずしもこれを限定的に列挙したわけではなく、例示的のものと考えられるからこれ以外の場合でも議院が「院内の秩序をみだした」と判断すれば懲罰をなしうるわけである。ただそこには一定の規準ないしは限界があるべきはずで、それは各議院が具体的な懲罰事犯について決定すべきことではあるが、その客観的な標準を明らかにしなければ多数派が小数派を圧迫するための手段として乱用される虞れを生ずる。この点については懲罰の事由は議員としての公の行動における非行に限られ、それ以外の私生活上の非行については各議院は懲罰を為し得ないと解されている(註解憲法下巻(1)八八八頁、宮沢、前掲書四三六頁、田上穰治「憲法原論」昭和三十三年版一六六頁)。

第二  懲罰の司法的審査

国会議員の懲罰が適法に行なわれたかどうかについて裁判所が審査できるかどうかは問題である。すなわち各議院が懲罰の規準に反して違法に議員を懲罰した場合にそれを裁判によつて争いうるかの問題である。

地方議会の議員の懲罰に関して裁判所が介入できることは既に判例上確立されたところである。わが最高裁判所は地方議会の議員の除名議決が司法裁判所の裁判の対象となることを認めている。

(1) 昭和二十六年四月二十八日最高裁判所第三小法廷判決(最高裁判所民事判例集五巻五号三三六頁)は「行政事件訴訟特例法の適用にあたつては地方議会の議員懲罰議決はこれを行政処分と、これを行なう地方議会はこれを行政庁と解し、同法により懲罰議決の取消を求める訴を提起することができる」と判示したが、この判決においては単に議員除名決定のみでなく、その他一切の懲罰議決が裁判の対象となるものとされている。

(2) 昭和二十八年一月十六日大法廷決定(民集七巻一号一三頁)は「行政事件訴訟特例法第十条第二項但書の内閣総理大臣の異議は同項本文による裁判所の執行停止決定前に述べられることを要し、その後に述べられた異議は不適法である」と判示している。これは米内山事件といわれているもので、青森県議会から除名された米内山議員の除名処分の執行停止をした下級裁判所の決定を是認したもので、地方議会の議員の除名処分が裁判の対象たりうることおよびこれについて行政事件訴訟特例法第十条第二項の執行停止を為しうることを前提としているのである。ただしこの決定中で田中耕太郎、栗山茂および小林俊三の各裁判官は少数意見として地方議会の議員の除名処分は議会の内部規律の問題で、裁判所の審理権はそこには及ばないと述べている。

(3) 昭和三十五年三月四日第二小法廷判決(民集一四巻三号三三五頁)は「町議会の除名処分(昭和三十一年法律第百四十七号による地方自治法の改正後になされた処分)に対する出訴については県知事に対する訴願の裁決を経由すべきものである」と判示して、除名処分が司法審査の対象となることを認めている。

(4) 昭和三十五年三月九日大法廷判決(民集一四巻三号三五六頁)は「地方公共団体の議会議員の任期が満了したときは、除名処分の取消しを求める訴の利益は失われる」と判示して従来の判例の趣旨を踏襲した理論を前提とした判決をしているが、この中で田中耕太郎、斎藤悠輔、下飯坂潤夫の各裁判官は前記田中裁判官らの少数意見と同様に地方議会の除名決議に対して裁判所が審査権を有しない旨の少数意見を述べている。

(5) 昭和三十五年十月十九日大法廷判決(民集一四巻一二号二六三三頁)は、「地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰議決の適否は裁判権の外にある」と判示してその理由を次のように述べている。「思うに、司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの外、一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法三条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。一口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあるのである。けだし、自律的な法規範をもつ社会ないしは団体にあつては、当該規範の現実を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあるからである。本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。(尤も昭和三十五年三月九日大法廷判決―民集一四巻三号三五五頁以下―は議員の除名処分を司法裁判の権限内の事項としているが、右は議員の除名処分の如きは、議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らないからであつて、本件における議員の出席停止の如く議員の権利行使の一時的制限に過ぎないものとは自ら趣を異にしているのである。従つて前者を司法裁判権に服させても、後者については別途に考慮し、これを司法裁判権の対象から除き、当該自治団体の自治的措置に委ねるを適当とするのである。)」としている。この判決に至つてはじめて最高裁判所は地方議会の懲罰議決を自律権の作用と観念し、その中で除名処分のみは自律権の外にあることを明らかにしこの意味で前記田中裁判官らの少数意見に歩み寄りを見せるに至つたのである。

これら最高裁判所の判例に対する学説の批判は(2)のいわゆる米内山事件について活発になされた。

法学協会の註解日本国憲法は判決を支持している(八八九頁)が、

田中教授は「議会の内部紀律は市民法秩序の外にあり、司法権が及ばないと解する余地はあるが、公選議員の除名処分となるともはや内部紀律の範囲を超えており、司法権が及ぶと解する」とし(田中二郎「行政処分の執行停止と内閣総理大臣の異議」法学協会雑誌七〇巻一号五五頁)、

兼子博士は「(田中教授と同じく司法の存在理由を市民法的な権利、自由の保障にあるとしながら、)公選による議員たる地位は普通の市民として享有しうる地位でないから、除名処分に対しては裁判所に審査権がない」としている(兼子一「司法権の限界と本質」ジユリスト二九号四頁)。

ところで右各判決は地方議会に関するものであるが、国会についてこの点はどうなるであろうか。

註解日本国憲法は「国会議員の場合には、各議院の懲罰権が議院の自律権の一内容として憲法上保障されており、立法権と司法権との関係から考えても地方議会の議員の場合と異なりその懲罰は司法的審査に服しないと解するのが妥当であろう。ただそうすると各議院の決定が最終的なものとなり、国会議員は違法に懲罰を受けても救済を与えられず、ただその懲罰が政治的な批判の対象となるに過ぎないこととなるが、その性質上立法府内部の問題であるから、それでもよいのではないかと思われる」(同書下巻(1)八八九頁)とし、

宮沢教授は「少くとも国会議員については、その懲罰は裁判所の審理権に服さないと見るべきであろう。かりに米内山事件の判決が正当であつたとしても、その結論をただちに国会議員におよぼすことは許されないであろう。国会議員に関しては、憲法構造の全体を支配する権力分立の原則からいつても、各議院の自主性を最大限に尊重することが憲法上要求されていると見るべきであるから、議院の懲罰処分については裁判所はその合法性を審査することができないと解するのが正当であろう。各議院の行なう懲罰処分、とりわけ除名処分がはたして正当であるかどうかは、結局選挙を通じて行なわれる国民の政治的批判にまかせるとするのが憲法の精神であろうとおもわれる」とされる(宮沢、前掲書四三六―七頁)。

第三  懲罰権と国家刑罰権との相関関係

田中教授の説かれたように(前記「米内山事件」に関する批評)議会の内部規律は市民法秩序の外にあり司法権が及ばないと解する余地があろう。しかしながら一方、司法の存在理由は市民法的な権利、自由の保障にあるから、議員の行動が院内に秩序をみだす反面これによつて私人の権利を侵し、これが刑法の保護法益の侵害となればその行動はもはや内部規律の範囲を超えており、司法権がこれに及ぶと解すべきである。ただ当該行為が憲法第五十一条の免責特権によつて無答責となる場合にのみ訴訟障碍として刑罰を科することができないだけである。すなわち当該行為にして免責特権の範囲外に出るときは院の懲罰権と国家刑罰権とは競合するのであつて、懲罰権あるの故をもつて刑罰権が排斥されることはないものと解するのを正当と考える。

ただ議員の当該行為が免責特権の範囲内に属するや否やの先議権を国会に付与することは国会の自律権を重んずる立場からすれば望ましいことには違いなかろうが、わが現行憲法の規定上これを肯認して解釈するに足る根拠がない。わが憲法上司法権は裁判所に属し(第七十六条)、国会に与えられた特別の司法的権限は議員の資格に関する争訟を裁判する権(第五十五条)と裁判官が罷免の訴追を受けた場合に両議院の議員をもつて組織する弾劾裁判所がこれを裁判する権(第六十四条)とがあるのみである。従つて特定の行為が免責特権の範囲に属するか否かの審議権は国会になく、懲罰権の行使を以て刑罰権に代替することの許されないことは当然のところである。

懲罰は院内における特別刑法であるという説には左袒し得ない。免責特権の内容を成す行為について院内の懲罰は免れないとしても(すなわちその行為が完全な無答責性を有しない)、それ故に懲罰が刑罰ということはできない。懲罰と刑罰とは前記「懲罰権の性質」の項で述べたような本質的差異があるからである。刑罰の対象たる行為については国家が無関心であり得ない保護法益の侵害がそこにあり、院自身の内部の秩序或は院の体面維持というようなものと侵害の対象が全然異なり、従つて行為に対する評価の基準、処罰態様、方法等すべての点において懲罰と刑罰とは本質的に異なり両立し得ないものではないのである。

次にイギリスにおける議院の懲罰権を知ることは本件の解明に多少資するところがあると思料されるのでここに概観してみる。

中世イギリスにおける法の発展には、「立法」の果した役割が決定的なものとみられ、マグナ・カルタも本質的には立法であり制定法であつて、その新しい立法形式への途を開いた点に重要な意義を認める法制史学者もあるくらいである。この見解を代表するホールズ・ウオースによれば、コモン・ロウは立法(ノルマンおよびプランタジネツト朝の諸国王の立法、特にヘンリー三世さらにエドワード一世治下の立法)を基盤とするものであり、新しく法をつくる(立法)という事実なくしてはコモン・ロウは生成するに至らなかつたはずである、とする。彼は、これが中世の法曹の一般の考えであり、この観念は中世イギリスのパーラメント(Parliament)の構成と機能とによつて強められた、と解釈している。すなわち彼はいう、「パーラメント(Parliament)は中世においては裁判所―国の最高法廷―としてみなされていたことは疑いの余地はないが、まさにかかるものであつたが故にその権能は古くからの諸規範に縛られるものではなかつた。」と。既にエドワード一世の治下には、司法的な目的のために必要に応じて王座裁判所(King's Bench)の強化拡大された形の会議としてパーラメント(Parliament)が開かれるにいたつていた。(井上茂「司法権の理論」昭和三十六年版、一七七頁以下)。

イギリス国会における議院の懲罰権はその起源を中世の最高法廷(High court of Parliament)に求めることができるが、これは議会が最高法廷とみなされていたことから生じたもので、その本質は司法権であるとされている。しかも現実の機能としては裁判所の有する侮辱制裁権に近似したものである。すなわち開会中の議院内における秩序紊乱行為や議会を侮辱する行為をした議員および第三者に対して科される制裁で議員の特権の侵害行為とみられるものをその対象としている。処罰の態様には監置(議会職員若しくは監獄をして処罰を受ける者の身柄を拘束させる)譴責、戒告、罰金、起訴のための告発(院が被処罰者に対して懲罰のみでは不充分と考え、またはこれを不適当とした場合には検事総長に命じて法律違反の点について起訴させる)等で、このほか議員のみに対する懲罰として登院停止と除名とがある。(Sir Tho-mas Erskine May “A treatise on the law, privileges, proceedings and usage of parliament,” 16 th ed 1957 pp, 89-91, pp, 102-108)

イギリス国会については以上のような歴史的事情が存するから、これと異なる我国において直ちに同様な解釈をすることは困難である。

なお参議院懲罰委員会委員長太田敏兄が昭和二十五年五月一日付を以て参議院議長佐藤尚武宛に提出した「懲罰制度およびその慣行等に関する調査報告書」と題する書面中には本件と同様な事例について懲罰に付せられた案件を相当数見出すことはできるけれども、議院が懲罰した案件については従前起訴が為されなかつたという慣習法が存在するとは到底これを認めることができない、むしろ同様案件について起訴された事例を窺わしめる資料が存在する(村教三「議会の秩序保持権と政府の検察権との関係」国立国会図書館調査立法考査局発行国図調立資料B一四九昭和三十二年九月、五三頁)。

以上のように国会の自律権の意義、内容その沿革の一端を尋ねてみると、第九章に掲げた弁護人の主張第四の所論もまた到底これを採用するに由がない。

第十二章  憲法第五十条に規定されている両議院議員の不逮捕特権について(第九章に掲げた弁護人の主張第二に関するもの)。

第一節  沿革

議員の不逮捕特権はイギリスの憲法制度に由来するものであるが(相当古くから議員は会期中および会期の前後各々四十日間は逮捕されない特権を認められていた。一説によるとこれはマグナ・カルタ第十四条による)、しかしこれは民事訴訟において敗訴した債務者に対する支払強制の手段としての逮捕からの自由を保障するだけで、刑事上の犯罪についてはこの特権が認められたことはない。刑事上の犯罪、すなわち叛逆罪、重罪または公安の破壊の場合には議員はかつてこの特権の保護を受けたことはないとされている(すなわち、下院がこれを要求したことがなかつた)が、公安の破壊というのは軽罪のことであるから、結局すべての犯罪についてこの特権が認められないことになつているのである。そしてイギリスでは民事債務による逮捕の制度は一八六九年に民事訴訟法の改正および債務不履行に基づく監禁禁止法(The Afolition of imprisonment for debt by the Debtors Act, 1869)によつて廃止されたので、不逮捕特権は意味のない名目上の存在となつた。

アメリカ合衆国の憲法もイギリスとその主義を同じくし、第一条第六節第一項前段は「両議院の議員は叛逆罪、重罪および公安侵害罪の場合の外、会期中の議院に出席中およびこれに往復する途上に於て逮捕されない特権を有すると規定しているが、公安侵害(Breach of Peace)とは軽罪を意味するものとされているのであるから、結局すべて犯罪(indict able offence)のためならば何時と雖も議員を逮捕しうることになるのである。そしてこの例外的の特権(民事逮捕からの自由)も今日においては負債のための拘禁の廃止以来殆んどその重要性を喪失し、「単なる理論的意義以上に出ない」といわれている。(Corwin,“The Constitution, What it means To-day”, p19, Schwartz,“American Constitution-al Law” pp, 6-7, Mathewss,“American Constitutional System,”pp, 100-101,)

不逮捕特権を刑事事件についても認めるのはヨーロツパ大陸の諸憲法であつて、十九世紀から犯罪の場合にまで拡大したとされている。これはフランス憲法がまず採用し、白、独等の諸国はフランスの先例に做つたといわれている。ただし保障の程度にはニユアンスがある。またフランスにおいても種々の変遷を経て現在に至つているのである。議員の不逮捕特権はフランスで最初に一七八九年六月二三日の国民会議の命令において「各議員の身体は不可侵である」と宣言したのに始まり、一七九一年の憲法は「国民の代表者は現行犯罪によりまたは逮捕令状によりこれを逮捕することができる。ただしこの場合には直ちにこれを議会に通知することを要し、議会がその起訴を理由ありと議決した後でなければこれに対する訴追を継続することはできない。」と規定した。その後第三共和政、第四共和政各憲法を経て一九五四年一一月三〇日の改正では、「国会議員は会期の継続期間中には現行犯の場合を除き、其の属する議院の許諾がない限り、重罪事件または軽罪事件に関し、これを起訴しまたは拘禁することができない。会期前に拘禁された国会議員は、その属する議院がその議員特権の剥奪を宣言しない限り、代理投票を行なうことができる。議院が、会期の開始後三十日以内に右の宣言を行なわないときは、拘禁された国会議員は当然釈放されるものとする。会期外においては国会議員は、現行犯罪の場合、議院が許諾した起訴の場合または確定した有罪判決の場合を除き、その属する議院の理事部の許諾した場合でなければこれを拘禁することができない。国会議員の拘禁または起訴は、その属する院の要求があつた場合にはこれを停止する。」と規定し、現今の第五共和制憲法第二六条の基礎となつている。

一八五〇年のプロイセン憲法は、「各議院の議員は会期中その院の許諾なくして犯罪のために審問され、または逮捕されることはない。ただし現行犯罪または犯行の翌日中に捕えられた場合はこの限りでない(八四条二項)とすると同時に、「債務のために逮捕する場合においてもまた議院の許諾を必要とする。」(八四条三項)として、英米法型の不逮捕特権への関連を示している。現在のヨーロツパ大陸の諸憲法には特にこのように民事的債務のための逮捕からの自由をも規定したものはないが、これは民事的債務のための逮捕の制度が消滅したためであろうと言われている。この意味では不逮捕特権は現在では英米法型と大陸法型とは全然本質を異にしたものというほかはないのである(註解日本国憲法下巻(1)七九六頁、土橋友四郎「国会・内閣と憲法上の諸問題」昭和三十五年版一八二―一九七頁、黒田覚「裁判権と国会・地方議会の自律権」東京都立大学法学会雑誌第一巻第二号一〇頁)。

第二節  本条の解釈

本条の解釈上特に本件に関連して重要なことは不逮捕特権が起訴からの自由をも保障するものであるか否かの点にあるので、以下この点に限定して本条の解釈論を試みる。

大陸法型の不逮捕特権については、会期中における逮捕からの自由のみを規定するものと、逮捕のみでなく起訴からの自由をも規定するものとがある。フランスの第三共和政憲法(公権の関係に関する法律)第十四条、第四共和政憲法第二十二条、第五共和政憲法(ドゴール憲法)第二十六条、一八五〇年のプロイセン憲法第八十四条第二項、第四項、一八七一年のドイツ帝国憲法第三十一条第一項、第三項、ワイマール憲法第三十七条第一項、第二項、ボン憲法(ドイツ共和国基本法―西独憲法)ベルギー憲法第四十五条、イタリー憲法第六十八条、ソ連邦憲法(スターリン憲法)第五十二条、ドイツ人民共和国憲法(東独)第六十七条第二項、第三項等はいずれも後者に属するのであつて、この種のものが多い。

そこで次に右の点に関する我国憲法学者の説を概観すると、註解日本国憲法は「本条は逮捕だけを禁止するのであるから、身柄不拘束のまま刑事訴追を行なうことは差し支えない。この点は明文で訴追を禁止するフランスやドイツとは異つている」(同書下巻(1)七九八頁)と説き、

宮沢教授は「本条は国会議員を会期中逮捕することを原則として禁じているのであり、国会議員を会期中訴追することを禁止しているわけではない。立法例によつては、会期中国会議員を訴追することについても本条のような特典をみとめているものがあるが、日本国憲法では、訴追については本条の特典はみとめられないと解するのが正当である。明治憲法においても、ほぼ同様に解されていた」(宮沢、前掲書三七〇―三七一頁)と説き、

清宮教授は「この場合、議員に認められるのは会期中逮捕されない特典であつて、訴追されない特典ではない。……不逮捕特典の制度は、もともと、立憲君主制のもとに政府が国会のコントロールの外にあり、政府の権力により議員を逮捕することによつて国会の独立性をおびやかす可能性があつた時代には意味があつたが、議会政治の発達した今日の諸国では、かえつて、その政治的乱用と刑事裁判に対する悪影響とのために、憲法上の存在意義について疑問がもたれるにいたつている。わが国でも昭和二十九年に造船疑獄に関係した議員の逮捕の許諾にあたつて特に期限をつけたことや、法務大臣が検察庁の逮捕請求に対して指揮権を発動した事件などは、その反省材料を提供している」(清宮、前掲書一七一、一七四頁)と説き、

土橋教授は「本条は逮捕を禁止するのみであるから身柄不拘束のまま刑事訴追を行なうこと、即ち、単に起訴すること又は刑事上の訴訟手続を開始するだけのことは妨げない(現行犯と否とを問わず、又院内におけると否とを問わない)。この点は、しかし、多くの国の憲法と異るところである」(土橋、前掲書一八九頁)と説き、

佐藤教授は「本条の『逮捕』には『訴追』は含まないと解する。各国憲法においては逮捕にとどまらず訴追をも禁止することを明記するものも少なくない。また立法論としてはもとよりそれは可能である。しかし、わが憲法従つて国会法の解釈としては、そこに特に『逮捕』と定め、七五条の『訴追』と区別しているところから見ると、憲法がこの両者を特に区別しているものと解するのが妥当であると思われる。七五条についても、立法論としては逮捕をも禁止したものとすることはもとより可能であるが、さればといつて解釈論としては両者の区別を無視すべきではないと思われる。従つて現行犯の場合と非現行犯の場合とを問わず、議員を訴追するには議院の許諾を必要とはしない。」と説き、「ジユリスト昭和三十五年六月十五日号所収前掲五〇頁)

兼子博士は「憲法第五〇条及び国会法第三三条は会期中の議員の不逮捕特権を認めるものであるが、これは政府の不当な権力行使によつて議員が逮捕され、その一身上の自由が拘束されて議院内の会議に出席することが妨げられないようにするための保障であるから、その適用を見るのは会期中に限られるし、逮捕、勾留以外の犯罪捜査や起訴を制限するものではないことは当然である。憲法第七五条の規定する国務大臣に対する訴追の制限や皇室典範第二一条の規定する摂政に対する訴追の制限における訴追とは刑事責任の追究一般を意味するから、そのための起訴前の逮捕その他の強制処分をも包含すると解されるとしても、このことから逆に憲法第五〇条の逮捕が訴追をも意味すると解することはできない」と説いている。(ジユリスト昭和三十五年六月十五日号所収前掲六二頁)。

かようにこの点に関しては消極説が多いのである(なおわが国憲法学者中この点に触れたものは以上のとおりで、佐々木惣一「日本国憲法論」、佐藤功「日本国憲法概説」、鵜飼信成「憲法」、田畑忍「憲法学原論」、田上穣治「憲法原論」、鈴木安蔵「憲法学原論」、俵静夫「憲法」等の諸著書にはこの点に触れたものがない)。

この点に関し積極説として、

鈴木教授は「憲法第五〇条、国会法第三三条、参議院規則第二一九条のすべてを底礎づける根本観念は、議院の活動にたいする、議院を組織する議員各人にたいする、外部機関の介入ないし干渉を能うかぎり排除することによつて、議院の機能、議員の活動を十分に行なわしめようとするにある。このために一般社会における国民の行為についてとは異なつた扱いを定めているものである。この根本趣旨よりすれば、会期中、議員にたいする訴追についても、議院の許諾ないし告発の決定を要件としてのみ行なわるべきものとすることが適当である。また、憲法第七五条の規定があるが、わが憲法が内閣にたいするよりも国会にたいし、国務大臣にたいするよりも議員にたいし、その職務遂行上に不可欠な保障において低く定めていると考えることは不合理である(第七五条は訴追のみならず、訴追を前提とする逮捕についても含意的に保障しているものと解する。ジファースンの『議事先例提要』が、院内における議事に関して行なわれた事項について『議員が犯行を敢えてした場合には、その所属議院が犯行者を処罰し、また正当な手続に付するまで、個人または裁判所がその事件を取り上げることは議員の権利を侵害するものである。』『この特権は、議院の権限に属し、下級裁判所の訴訟に対する一つの制限となるものである。』としているのを引用しておきたい。ヨーロツパ大陸諸憲法が議員にたいして不逮捕特権とともに不訴追特権をみとめていることについても参考とすべきである」と説き(ジユリスト右同五五頁)、

また斎藤教授は「憲法五〇条の議員の不逮捕特権には、身柄不拘束のまま刑事訴追を行なうことも含むものと解すべきである。その理由は次のとおりである。議員の不逮捕特権も、議員の免責特権とともに、議会制度の祖国であるイギリスにおいて古くより認められたものである。司法権または行政権による逮捕権の濫用によつて議員活動の妨害されることを防止し、国会の機能の発揮を遺憾なからしめるためのものであるから、議員の特権であるとともに議院自身の特権であると解するのが妥当である。議員の特権ではなく、議院の逮捕許諾権の反射としての所謂反射権に過ぎない、との見解がある(土橋、前掲書一九五頁)。私は議員個人の私益のために認められたものでないことは明らかであるが、議員自身の特権である一面をも否定することは許されないと考える。私は、新憲法において国会が国権の最高機関とされていること(四一条)から、考え方としては、不逮捕特権の中に『刑事訴追を行なうこと』を含めて解釈する方が、憲法の精神に合致するものと思う。多くの国の憲法では明文をもつて議員の逮捕とともに訴追をも禁止している。たとえばワイマール憲法三七条、ボン基本法四六条、フランス第四共和国憲法二二条、フランス第五共和国憲法二六条、スエーデン王国憲法一一〇条、デンマーク王国憲法五七条、トルコ共和国憲法一七条、東独憲法六七条、ユーゴスラビア憲法五七条、ギリシヤ憲法六三条などである。但し、アメリカ憲法一条六節一項は『両議院の議員は叛逆罪、重罪および公安侵害による外、会期中の議院に出席中またはそれに往復する途中において逮捕を受けない特権を有する』と規定しており、アメリカ連邦最高裁判所の判例は、文字通り逮捕のみであつて、訴追を含まないものと判示している。(Huey P, Long v, Samuel T, Ansell, 293U, S, 76, 1934; Cushman,“Constitutional Law in 1934-35,”American Political Science Review, Vol 30, 1936, p 72)

わが国においても、訴追を含まないと解する説が有力である。しかし、わが国においては、国会が国権の最高機関であるという考え方に合致するように解釈すべきであり、議員の逮捕のみならず、訴追についてもまた、議院内部のことは議院の自治問題として、立法府に対する司法権または検察権など外部の権力の介入を防止するのが、不逮捕特権の制度の趣旨に合致するものと考える。議員の訴追についても、議員の逮捕と同じように、当該議院に対して許諾請求を行ない、許諾の手続をとることを要するものとすれば、議長の許諾拒否という難関に逢着することを恐れるむきもあるかと予想される。議長が不当に議員の訴追について許諾を拒否すれば、重大なる政治的責任を生ずることになり、世論の批判を受けることとなるから許諾拒否の濫用はコントロールできると思う。憲法七五条が『国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない』と定めているが、内閣の統一体的性格からいつて、国務大臣が検察当局から勝手に訴追され、その進退が問題にされることになるのは、内閣のこの性格と著しく矛盾することとなる。さらにまた、国務大臣の訴追を随意に許すときは、結局、司法権が行政権の円滑な運用を阻害するという弊害を生ずるおそれがあるから、ここでも司法権と行政権との間の抑制均衡の考慮が働かねばならない。本条は、このような内閣の一体性の確保および『司法権に対する内閣の地位の保障という見地に基いて、訴追機関の判断のみによる国務大臣の訴追を禁じようとするものである。』憲法七五条の趣旨はこのようなものであるとし、従つて『訴追を禁止するということは、起訴を前提とする刑事手続で、国務大臣の自由を拘束するような処分をすることをも禁止している、と解するのが、本条の精神に合致すると考えられる。従つて、総理大臣の同意がない以上、国務大臣を逮捕・勾引・勾留することはできないものと解すべきである』とする見解が有力である(註解日本国憲法下巻(1)一一〇九頁、宮沢、前掲書五八四頁)。

私は憲法七五条の右の解釈を正当とするものであり、これと歩調をあわせて、議院の立法府としての統一的性格を尊重し、院外の外部の権力の介入を防ぐ意味からいつて、憲法五〇条の議員の不逮捕特権の中に訴追を含ませることが、新憲法の国会に対する考え方に合致するものと考える」と説いている(ジユリスト右同五九―六〇頁)が、黒田教授は右の鈴木、斎藤両教授の説を批判して次のように主張されている。すなわち

「不逮捕特権が逮捕からの自由のみを意味するか、起訴からの自由をも包含するか、は憲法の規定の仕方によるもので、憲法の規定の仕方とは無関係に、逮捕からの自由は当然に起訴からの自由を包含する、と考えることはできない。明治憲法はプロイセン憲法から多くの影響を受けたが、しかし不逮捕特権の規定の仕方はプロイセン憲法と同じでない。明治憲法第五三条は『両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕セラルルコトナシ」と規定し、プロイセン憲法のように審問・逮捕からの自由ではなく逮捕からの自由だけに限定し、また逮捕からの自由の例外としてプロイセン憲法に存在しない『内乱外患ニ関ル罪』をあげている。またプロイセン憲法の第八四条第四項は、『議員に対するすべての刑事手続、審問、拘留およびすべての民事上の拘留もまた当該議院の要求があるときは会期中、これを免除しなければならない』としているが、明治憲法にはもちろんこの種の規定は存しない。このような点からいえば、明治憲法は意識的に逮捕からの自由のみを規定したものと見るほかはない。現在の憲法も逮捕からの自由のみを規定し、起訴からの自由を規定していないだけでなく、国会法第三三条の成立過程を見ると、これは最初明治憲法第五三条をモデルとし、後に逮捕からの自由の例外を院外の現行犯に限定し、同時に内乱外患に関する場合の例外を削除したのであつて、これらの点の相違を除けば、この規定は明治憲法第五三条の系列に属するものである。また明治憲法では、現行犯を院外のそれと院内のそれとに区別しなかつたが、しかし院内の現行犯を議院の意思とは無関係に院外の公権力によつて院内で逮捕できる、とされていたのではない。旧議院法においても各議院の議長は院内警察権を有し(八五条)、各議院において要するところの警察官吏は政府が派出するが議長の指揮をうけることになつていた(八六条)。また議院規則によれば『議院内部ニ於テ禁錮以上ノ刑ニ該ル罪ノ現行犯人アルトキハ守衛又ハ警察官吏ハ之ヲ逮捕シテ議長ノ命令ヲ請フヘシ但シ議場ニ於テハ議長ノ命令ヲ待タスシテ逮捕スルコトヲ得ス』(旧衆議院規則一七四条、旧貴族院規則一五六条)となつていた。旧議院法第八五条は現在の国会法第一一四条に、いま述べた旧議院規則の規定は現在の衆議院規則第二一〇条・参議院規則第二一九条になつており、その内容は本質的には変化していない。だから、院内の現行犯の院内における取り扱いについては、明治憲法の場合と現憲法の場合とで実質的な相違があるわけではない。相違はこういう点にあるのではなく、院内の現行犯を公権力によつて院外で逮捕する手続について存在する。この場合には、明治憲法ではなんらの制約が存しなかつたが、現在の国会法のもとにおいては、議院の許諾が必要だという点である。

この点はさて置き、要するに現憲法および国会法のもとにおいても、不逮捕特権は逮捕からの自由を規定しているのであつて、起訴からの自由までも規定しているのではない。仮に積極説がとられるとしても、これは会期中における起訴を制限するだけのことで、国会議員の議院内における職務執行に関連して発生した犯罪についても、起訴を訴訟条件とするという結論は出ないはずである(黒田、前掲「裁判権と国会の自律権」九―一二頁)と説く。

以上を要するに不逮捕特権中には不起訴特権を包含しないというのがわが国憲法学者中圧倒的に多数の説であり、当裁判所もこれに左祖するものである。前記の如くわが憲法の規定は、起訴からの自由をも規定している多数の国の憲法と異なつているのであつて、この点について明文を欠く以上、これを積極に解することはできないと考える。そして仮にこの点について積極説を採るとしてもそれは会期中に限定されているから本件の解決に直接の影響をもつものではないこともまた黒田教授の上記引用の所説のとおりであると言わなければならない。

第十三章  憲法第五十一条に規定されている両議院議員の免責特権について(第九章に掲げた弁護人の主張第二および第三に関するもの)。

第一節  沿革

(一)  イギリス

国会議員の免責特権、すなわち議員の議院における発言、表決等の自由に関する規定は現今世界各国憲法に採用されているところであるが、この特権はイギリスにおいて王権と議会との間の長期にわたる闘争の末に一六八八年の名誉革命の後、権利章典(一六八九年)によつてはじめて確立されたものである。そしてこれが米国憲法、さらに仏、白、独等の欧洲諸国の憲法に採り入れられ、わが憲法の規定もこれらの流れを酌んだものであることはいうまでもない。そこでまず英国憲法史におけるこの特権の発達の跡を辿つてみよう。

十四世紀初頭頃のイギリスでは議会における議題選択の自由が認められており、エドワード三世(一三二七年―七七年)の時代には下院は国王の特権に関する多くの事項を討議し、また王の特権に対して不利益を来たすような法律の制定をも請願し得たといわれている。

ところがチユードル王朝およびスチユアート王朝の時代には議員提出の法律案やこれに関する発言に基づいて議員が刑事上の訴追を受け投獄されるような事件が屡々発生するに至つた。例えばハツクセー事件、ストロード事件、ウエントウオース事件、エリオツト事件の如きであるが、エリオツト事件を最後として議会における発言に対する責任はただ議会自身においてのみ審判さるべきもので国王の裁判所において裁判しうべきものではない、とされるに至り、終に一六八九年の権利章典によつて議員の特権は確認されたのである。

ハックセー事件(Haxey's Case)

リチヤード二世の時代、一三九七年にトーマス・ハツクセーが下院に王室経費削減法案を提出したが、国王の怒りを買い上院によつて叛逆罪の判決を受けた。一三九九年ヘンリー四世の即位後間もなく、ハツクセーは右判決が議会の特権を侵害するものであるとしてその廃棄を国王に請願したが、ヘンリー王は上院の議を経てこれを容れ前記判決を破棄した。すなわち中世紀に既に下院議員の発言の自由(議員が自由に国王および他の議院から干渉されることなく討論することについての議員の特権)は国王および上院の承認するところとなつたといいうる。(Maitland,“The Constiutional History of England,”7 th ed. 1926. p 241. Wade and Phillips, Constitutional Law,”4 th ed. 1952)

ストロード事件(Strode's Case)

一五一二年、ヘンリー八世の時に起こつたストロード事件は下院議員ストロードが錫山鉱裁判所(Stannary Court)を規制する法案を提出したために投獄された事件であるが、下院はストロードに対する訴訟手続を無効であると宣言し、議会における如何なる言論に対しても当議会および今後の議会の議員たる者に対する訴訟手続はすべて全く無効であるということを一般的に宣言した法律を制定した。これは「討論の自由」に関して承認を与えた最初の法律であつた。ただこれが確定するにはなお暫くの日時を要し、一五四一年に下院議長が会期の始めにおいて「言論の自由」は下院が国王に主張したところの古来の疑いなき権利および特権に属するものであることを宣言し、それ以来下院議長がこの特権を主張すべきものであるということが正規の慣例となるに至つた。(Maitland, op. cit, pp, 240-242. Wade and Phillips, op. cit. p, 114)

ウエントウオース事件(Wentworth's Case)

エリザベス女王(一五五八年―一六〇三年)の第一議会において、議会は女王の結婚問題を議題とした。この問題は女王が結婚しない場合なんぴとが相続者たるべきかの問題と宗教問題がからんでいた。女王は議会に対してこの問題は女王自身に任すべきことを告げた。一五六六年この問題が再び議会に持ち上がつた(当時、女王が旧教徒である外国のプリスンと結婚するかも知れないと言われた)時、女王は議会に対してこの問題の討議の禁止令を出した。しかし議会はこれに服さず、下院はこの問題について上院との合同委員会を設けることを決定したので女王は怒り十一月九日、下院に対しこの問題の討議をやめるべき旨の命令書を出した。下院議員パウル・ウエントウオースは、女王は斯る書面を議院に送る権利を有するが、これは自由に論議すべき下院の特権に挑戦するものである、と疑義を提出した。十一月二十五日女王は前の二つの命令を取り消したので議会は女王の結婚問題を討議しないことに同意し、女王は議会がその好むところの問題につき論議する権利を承認した。

その後一五七六年、議会下院において議員ピーター・ウエントウオース(パウル・ウエントウオースの兄弟)は議会における言論の自由の不可欠なることを痛論し、「議会において真に言論の自由のない限り、議会は其の崇高な任務を遂行することは不可能である。」「言論の自由なくして議会などと呼ぶことはお笑い草である。」(“Without free speech it is a mockery to call it a Parliament House.”)「それはむしろ悪魔とその侍女に奉仕すべき似合いの場所である。」と述べた。女王は議会に圧力を加えるためメツセージを送つたり種々の流言を行なわせたので、ウエントウオースはさらに「ここでは二つの事が大害を為している。一つは議会に行なわれている流言で、女王はかかることは好まれないから用心せよといつた類である。第二はメツセージを議会に送つて女王の結婚、その相続人のことにつき論議することを禁ずることである。」「議長よ、予はこの二つが地獄に葬り去られることを神に対して希望する」と卒直に叫んだ。周章狼狽した議院は出席中の枢密院議員をもつて組織した委員会でウエントウオースを審問させ、同人をロンドン塔に投獄した。一箇月後に女王は彼を赦免して下院に復帰させたが、その後もウエントウオースは議院の自由のために言論活動をやめず、数回投獄され、獄中で生命を終えた。

(Horace King,“Parliament and Fre-edom,”1953, pp. 72-81. Maitland, op. cit. p 242).

エリオット事件(Eliot's Case)

チヤールズ一世の治下、一六二八年五月二八日下院議員エリオツトが王臣の悪政に因る苦しみを救済されんことを願つた権利請願(Petition of Rights)は両院を通過し国王に提出されたが、王はこれに答えず議員の言論に干渉し、国策や政府または大臣に関して論議することを禁じた。請願は六月七日ともかくも王の承認を得たが、王は議会による王臣の攻撃を許さず議会の停会を命じた。一六二九年三月二日議会が再開されエリオツトが王臣の攻撃を始めると、議長は下院を一週間停会するように王命を受けている旨を告げ、委員会の決議を表決に付することを拒絶した。そこで議場は混乱して騒然となり、議長が席を立つて議場を立ち去ろうとすると、デンヂル・ホーリスおよびベンシヤミン・ヴァレンタインの両議員は議長の腕を掴えて議長席に引き戻し、エリオツトが委員会の決議の要領を宣言する間議長の椅子に抱き留めていた。また一方王の内命により守衛長が職杖(Mace)を持ち去ろうとするのを憤激した議長が取り戻した。そしてエリオツトは旧教をイギリスに輸入すべからざること、租税は下院の承諾なくして徴収すべからざることの決議案を読み上げ、下院はこれを即時可決し、三月十日までの休会を決議して散会した。王は休会明けの日に下院を解散し、この日を最後として爾後十一年間議会のない政治が行なわれることとなつた。翌日エリオツト・ホーリスその他七名の議員が逮捕されてロンドン塔に投獄され、エリオツトは塔内でその生涯を終わり、ホーリスおよびヴアレンタインは一六四〇年まで監禁された。彼等は人身保護令状を得たが、この令状に対する回答書には彼等は著しい侮辱と暴動の煽動のために投獄されたのであると記されていた。裁判官が保釈を許さず、法務長官は彼等のうち三人に対して刑事処分を求めるため公訴を提起した。すなわちエリオツトに対しては議院で述べた言辞に対し、ホーリスおよびヴァレンタインに対しては会期の最終日における乱暴に対してであつた。エリオツトらは当該行為は議院内におけるものであるから自分らは他の裁判所においては責任を問われるべきではないと弁駁し、またストロード事件およびそれに関して制定された一五一二年の法令を援用してこの法令は一般的法律であると主張したが、裁判官らはそれは単に錫山鉱裁判所に告訴された議員に対する裁判に適用されたものに過ぎないとし、また王座裁判所は何処で行なわれた犯罪をも処罰する権限を有するものであるとし、エリオツトらは王が許すまで在監すべきであると判決した。

一六四一年長期国会が会同するに及び、下院は特権の破壊であるとしてこれに抗議した。王政復古後議会は王党的であつたが、特権に関するその主張を引つ込めるまでには至らなかつた。一六六七年両院は一致して、ストロード法は古来のかつ不可欠の議会の権利および特権を宣言する一般的法律であつたということ、またエリオツトらに対する判決は違法であつたということを宣言した。当時なお生存していたホーリスは誤審令状によつて彼の判決を上院に提出せしめた。上院はその裁判権能によつて右の判決を覆した。上院は、告訴が単に議院内で犯された騒擾に関するものであつたならば王座裁判所はその事件を審理することをうるが、議院において述べられた言論を処罰することはできないことを容認したのであつた。

王政復古以後は如何なる裁判所によつても議院内において述べられた言論に対して議員を処罰せんと企図したことはなかつたといわれ、そして終に権利宣言および権利章典は「議会における言論の自由および討議または議事手続は議会以外のいかなる裁判所またはその他の場所においても訴追または責問されてはならない」(“That the freedom of speech and debates or proceedings in Parliament ought not to be impeached or ques-tioned in any Court or place out of Parliament.”)とした。

権利章典の成立によつて国会議員の院内における言論の自由はここに確立されたのである。

(二)  アメリカ

アメリカ合衆国憲法第一条第六節第一項後段は「議員は議院における言論もしくは討議につき議院以外において審問を受くることなし」と定めているが、この規定がイギリスの権利章典を継承したものであることにつきシユワルツは「言論の自由の特権は明らかに一六八九年の権利章典第九号から流れ出たものである」と言い(Schwartz,“American Constitu-tional Law,”1955, p 57)、マシユースも「この免責特権は、権利章典から実質的に連合規約(Articles of Confedera-tion-一七七七年一一月一五日原案可決、一七八一年成立)に複写された」と言つている。(Mathews, J. M.“American Constitutional System,”1940. p 100)

そしてこの規定は緩かに解釈すべきものとされ、証人、請願人にも推し及ぼされる。この解釈はイギリス法の影響であろうとされている。(Willoughby,“On the Constitution,”1910. p 532)

ところで既に一七七六年のヴアージニア州憲法第四八節は「国会(General As-sembly)の議員は、その一院において為された如何なる演説または討論に対しても他の如何なる場所においても問責せられない」と規定し、一七七七年四月二〇日ニユーヨーク州憲法第三章第一一節にも「立法部の一における一切の演説また討論に対して、議員は他の如何なる場所においても責任を問われない」と規定している(これは一九三八年の改正憲法では第三章第一二節となつている)。独立当時の他の州憲法にも同様の規定が見られ、その後の州憲法にも同様の事例がある。要するに、この点では、合衆国憲法は州憲法の模倣であるといいうる。

(三)  フランス

フランスにおいてはこの特権はイギリスにおいてのように不文法によつて認められたのではなく、議会の不可侵(in-violabilit〔inmunit〕parlementaire)の原則の承認を通じて与えられたものであるといわれている(Lidderdale,“The Parliament of France,”1951. p 49)。すなわちこの特権は一七八九年の国民議会(I'Assemble Nationale)によつてまず要求された。同年六月二三日の命令は「如何なる個人も、団体も、裁判所も、または委員会も等族会議(States-General)において為した、またこれに対して与えた提案、勧告、意見もしくは演説につき、現議会中または爾後において、議員を……訴追せんとした者は、破廉恥であり、かつ国民に対する叛逆者であつて死刑に処せらるべきである」と宣言した。かようにミラボーらの国民議会が議員は不可侵であると宣言して以来爾後の各憲法はこの原則を認めている。一七九一年、一七九五年および一七九九年の諸憲法はこの不可侵の原則をやや温和な言辞で宣言している。一七八九年の革命以後のフランスでははじめ主権者たる国民の代表である議員は嘗ての主催者である国王と同様に不可侵であるというシエイエスらの思想が根底をなしていたが、後にはモンテスキユーの三権分立の思想に基いて形式的に立法行為に属するものについては他の権力の干渉を認めないという根拠づけにとつて代わられ、一八七五年の公権の関係に関する憲法第一三条はこの見地から解釈されている(一七九九年の憲法以後第一帝国の終りに至るまで憲法の条文中から消え、また一八一四年の欽定憲法から削除されたことはあつたが、一八四八年以後は復活している)。

(四)  ドイツ

ドイツでは、十八世紀には、通常の裁判を受ける権利を国王が妨げてはならないという保障はあるが、積極的な言論自由の保障は見られない。十九世紀にはいると、フランスの影響で各邦の憲法にこの種の規定が見られるが、或は私人に対する罪を除外し、或は国家に対する罪を除外し、または議会の同意にかからせる等必ずしも完全ではない。一八七一年の憲法は完全にこの特権を認め、一九一九年のワイマール憲法第三六条は「国議会及び邦議会の議員はその表決またはその職務執行のために為した発言に基き如何なる時期においても裁判所においてまたは懲戒のため訴追され、その他院外において責を負うことはない。」と規定している。そして英米と異なり、この免責は議員に政策的に与えられた特権であるから、狭く解釈すべきものとされ、なかには事実の陳述は含まれず、意見の発表だけであるとする者もあり、また叛逆罪等については性質上免責されないと主張するものさえある(Graf zu Dohna,“Re-defreiheit, Imunitt und Zeugnisver-weigerungs recht in Handbuch des deutschen Staatsrechts.”S.440 ff. S. 441. Kleinfeller,“Vergleichende Dar-stellung des deutschen und auslndis-chen Strafrechts,”Allgemeiner Teil Bd. I., S. 328 ff.)。

ゲー、マイナーはドイツ国憲法に関連して、邦議会(Landtag)の議員の地位につきほぼ次の如く述べ、それがまた国会(Reichstag)の議員の地位につき類推されると言つている。すなわち曰く「国会議員はその言論につき院外において責に任ぜられることなしという原則は、イギリスにおいて夙に権利宣言(Declaration of Rights)第九章によつて公認せられたところであり、この原則は、後にアメリカ合衆国憲法、一七九一年九月三日のフランス憲法および一八三一年のベルギー憲法にも援用せられ、これら先例の影響を受けて、近世ドイツ諸国の憲法は、古代ドイツの法制においては全く見ることのできなかつた言論無責任の原則を採用するに至つた。すなわち邦の憲法中にはこの種の規定が見られる。ただし必らずしも徹底したものではなかつた。たとえば、その言論が誹毀等の犯罪に該当する場合には、或は無条件に(たとえば一八三一年ザクセン憲法第八三条、一八九一年ウユルテンブルグ憲法第一八五条等)或は、議会の許諾をもつて(たとえばオルデンブルグ基本法第一三一条、ザツクス・コーブルグ・ゴータ基本法第八五条等)訴訟を提起することを認めており、ただ少数の邦憲法(たとえば一八一八年バイエルン憲法七章二七条、一八六七年バーデン法律等)が後に至つて漸く完全にこの原則を認めたに止まる」と。(G. Meyer, “Lehrbuch des Deutschen Staatsrechtes,”6 Aufl. 1905. s. 453.)

結局ドイツでは一八五〇年のプロシア憲法、一八七一年のドイツ帝国憲法に至り完全にこの特権を認めたのであつた。

ハチエツクも言論自由の特権および不逮捕特権は直接にイギリスから継承したのではなく、フランスおよびベルギーから中断されたと述べている(Hatschek,“Deutsches u. Preussisches Staats-recht,”1 Bd. 1922. S. 442)。

(以上の記述は註解日本国憲法下巻(1)八〇四―八〇五頁、土橋、前掲書、一四八―一五八頁、一七三―一七五頁による)

第二節  本条の解釈

第一  憲法上の解釈

(一) 本条制定の趣旨、目的。

民主主義にとつては社会の健全な発達をもたらすために言論の自由を確保することが必要不可欠の要件である。このことは一般国民の間においてもそうであるが、直接国家意思の形成に当たる議員の議会における発言は一般国民に比してより一層の自由が確保されなければならない。国会では行政、司法等に対する徹底的な批判が行なわれなければならず、そのため往々にして個人の名誉、社会の治安を害することがありうるのであり、通常の場合には尊重さるべき個人、社会等の反対利益も譲歩を余儀なくされざるを得ないのであつて、もしこれにかかずらつているときは言論を萎縮させ、また場合によつてはこれを抑圧することになりかねないのである。本条において議員の院内の言論について院外における責任免除の特権を認めたのはこのような政策的考慮から処分を免除し、発言の自由を保障し、もつて国会の機能を遺憾なく発揮せしめんことを企図したものである。

(二) 免責特権の対象になる行為の内容。

ここでは一般的定義を穿鑿することでなく、もつぱら本件に関連する範囲において事を論ずることとする。

憲法第五十一条は「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と規定する。右にいう「議院で行つた」とは議院の活動として議員が職務上行つた、すなわち議院の職務執行において議員が議員としての職務を行なうに際し行なつた(発言)、という意味である。ここに議院の職務執行というのは、議院の会議(本会議)またはその委員会の活動のみならず、たとえば国会の開会式といつたような儀礼的な活動をも含む。議院の会議その他の職務執行は議事堂内で行なわれるのが原則であるが、議事堂で会議等を開くことが不可能または不適当である場合に他の場所でその会議等を開くことも別に憲法の禁ずるところではない。そういう場合の議事堂外における会議等もむろんその議員の職務執行である。また「議院で行つた」とは、かならずしも国会の会期中に行なつたという意味ではない。会期中であると会期外であるとを問わず両議院の議員がその議員としての職務を行なうに際して為された演説等はすべてここにいう「議院で行なつた」演説等に該当する。参議院の緊急集会(憲法第五十四条第二項)における参議院議員の演説討論または表決はもちろん本条にいう「議院で行つた」ものである。(註解日本国憲法下巻(1)八〇七頁、宮沢前掲書三七四―三七五頁、清宮前掲書一七五頁、土橋前掲書一五九頁)

以上が一般的解釈であるが、さらに細かい問題について諸家の意見を聞いてみよう。

宮沢教授は「本条は、議院の職務執行においてその議員が議員としての職務を行なうに際しての発言の自由を保障しようというのであるから、議員としての職務を行なう場合でないときの発言は、ここにいう『議院で行つた』発言とはいえない。たとえば、国会議事堂内の発言であつても、その廊下での、議院の職務と無関係な発言とか、また、たとえ会議場または委員会場での発言であつても、単なる私語と見られるものは、ここにいう『議院で行つた』発言と見るべきではない。しかし、委員会場で、委員が正式の会議のほかに、懇談会を開いた場合の発言などは、本条にいう『議院で行つた』発言と見るのがおそらく正当であろう。かように解すると、会議場や委員会場で、議長や委員長の許可なしになされるヤジは、ここにいう『議院で行つた』発言には、含まれないと見るべきである。すなわち、そうしたヤジ的発言については、本条の特典はみとめられない。従来、議院の諸会議で行なわれる各種のヤジについてこの点が実際に問題になつたことはないが、本条の特典をそれらのヤジにまでおよぼすべき理由は見出されないから、右のように解し、それらの発言は、場合によつては、名誉毀損または公然侮辱の罪に該当することもありうるし、また、不法行為の原因となることもありうると解するを正当としよう(実際においては議院の諸会議での発言である以上は、純然たるヤジ的発言であつても、本条の特典を享有するものと解されているようである。これまでの例でも、そういつた発言にもとづいて懲罰されたことはあるが、院外でその責任が問われたことはない)。」とされている(宮沢前掲書三七四頁―三七五頁)。

いわゆる野次的発言が本条の免責行為に包含されないとする学説はかなりある(註解日本国憲法下巻(1)八〇七頁、清宮前掲書一七五頁、土橋前掲書一五九頁)。

その他の行為についてはどうであろうか。宮沢教授は「行為」をもつぱら「発言」と限定し、その「発言」のうちでも私語、野次等を除外しているのである(本節冒頭記載中「職務を行なうに際し行なつた(発言)という意味である」とあるのも同教授の説である)。

黒田教授は「本条は議員が議院の本会議や委員会の会議において、職務行為としてなした発言の内容や表決の内容について、外部からの責任の追求を免れ得ることを規定したものである。職務行為としてなした発言とは、正規の手続においてなされた一切の意見の表示、事実の陳述をふくむ。議員の発言は、本会議・委員会の諸段階において、質疑・討論・動議の提出・緊急質問・報告その他諸種の方法でなされるが、これらの一切をさすものと考えられる。また口頭でなされたものに限局される理由なく、文書でなされる意見の表示・事実の陳述についても同様と解すべきであろう。また委員会については、閉会中の継続審査の際なされた発言についても、また参議院の緊急集会においてなされたものについても同様である。要するに議院および委員会の活動の内部における議員の行動が免責特権の対象となる」とされる(黒田覚「国会法」法律学全集5六二頁)この説でも「発言」が主として考えられているが、その他の「行動」については必ずしも明らかでない。

土橋教授は「議事手続に従つて為される或る種の動作(schlssige Handlung,例えば起立、不起立、挙手等)も職務の遂行として為されるものである限り、意見の表明と認められる場合が有る。単なる暴力行為(腕力沙汰Ttlichkeit)が免責を受けないことは勿論である(An-schtz,“Die Verfassung des Deut-schen Reichs,”1 Aufl. 1921. S. 227)。但し、議事手続に違反したる故のみではこれがために直ちにこの特権を失うものではない、とされ(土橋、前掲書一五九頁)、註解日本国憲法も「暴力行為は免責を受けない」とする(前掲同書八〇八頁)。

ただ本条にいう「演説、討論又は表決」が純粋に「発言」のみに限定されるかというとそうは断定できないのであつて、現に宮沢教授も「口頭または文書による以外の行動で、議員の意見が表明される場合も、その議員の行動は、ここにいう『演説』に準じて本条の特典を受けると解すべきである。たとえば、表決に際し退場する行為や、開会式において敬礼しない行為などは、かような行動に属するであろう。『表決』とは、議員または委員が、その議院または委員会の意思を決定する手続において、議題について賛成または反対の意思を表示することをいう。表決の方法には、起立、記名投票などいろいろあるが、そこでの各議員の意思表示について、本条の特典がみとめられる」とされ(宮沢・前掲書三七五―三七六頁)、土橋教授は「討論とは、表決を要する議題に付ての意見の発表である。表決とは、議題に付て賛否を表明することである。而して、表決は屡々投票の方法を以て行われるので、票決とも表現されているが、それに限られないもので、或いは起立、挙手又は点呼等に依つて行われること人の知るところである」とされている(土橋・前掲書一六〇頁)。

要するに免責特権の対象たる行為が純粋に「発言」に限定されない以上、それではどの程度の行為がこの対象たる行為に包含されるのか、その行為の態様、範囲(すなわち演説、討論および表決の目的を以て為された行為について)如何ということが次に問題となつてくる(なお腕力行為は除かれると前記学者の説にあつたが、右目的をもつて為された行為が腕力を伴つた場合に一概にこれを除外することはできないが、この点については後に詳述する)。

(三) 各国憲法における免責特権の規定。

世界各国の憲法における、免責特権の対象たる行為についての規定の仕方を見ると、その形式は大同小異である。

多くの憲法は「職務の遂行に当たつて」もしくは「職務の遂行上」(あるいは「職務の遂行中」)、「発表し」もしくは「表明した」「意見もしくは表決(投票・票決)」(たとえばフランス第五共和国憲法二六条、イタリー六八条一項、ベルギー四四条、ユーゴスラビヤ五七条前段、ギリシヤ六二条、ポルトガル八九条、ブルガリア二九条、ブラジル四四条、チリー三二条、ニカラグア一二五条等)、または同様な「発言(言論、演説)または表決(投票)」(たとえば西独四六条一項、東独六七条一項、八〇条、チュコスロヴァキア四四条、インド一〇五条二項前段、ビルマ六八条一項前段等)と規定しているのであるが、右のように職務の遂行中ということを特にうたわず、

「国会における言論および討議または議事手続」(イギリス権利章典九号)、

「議院内における発言もしくは討議」(アメリカ合衆国憲法第一条第六節第一項後段)、

「国会で表明した意見につき」(ノルウエー六六条)

等というものがあり、また表決を包含しないものに「意見または演説」(アルゼンチン六一条)、「意見のために」(例えばメキシコ六一条、エクアドル三三条前段、リビア一二四条)、「発言について」(デンマーク五七条)等がある。

また右以外の行為、行動等を明示したものとしては次のような立法例が見られる。

「議院における発言およびこれに提出せる文書につき」(オランダ一〇〇条)、「議会で為された意見または議事中における態度を理由として」(フインランド国会法一三条)、

「議院としての資格で行なつた行動または発言を理由として」(スエーデン一一〇条一項)、等がこれである。

以上のように、国会議員の職務の遂行として為される発言ないし言論は広く免責特権の対象とされているのであるが、かような行為のうち特定のものを、除外する立法例がある。すなわちドイツ連邦共和国基本法(西独憲法)第四六条第一項は、

「議員は、連邦議会若しくはその委員会の一つにおいて為した表決または発言に基いて、如何なる時期においても、裁判上または職務上訴追され、またはその他連邦議会の外においてその他の責任を問われることがない。ただし誹謗的侮辱に対してはこの規定は適用されない」とし、

ドイツ民主共和国憲法(東独憲法)第六七条第一項は、「人民議会代議員は、その表決のため、または代議員としての活動を行なう際に為したその発言のために、裁判上または服務上訴追され、その他議場外において責任を問われてはならない。ただしこれらの行為が人民議会の調査委員会によつて、刑法典の意味における誹謗罪として確定された場合には、この限りではない」としている。

東独憲法が議院内における議員の活動について免責特権を認めていることは他の共産主義諸国憲法の多くがこれを認めないのに比較して特異なものというべきであるが、誹謗行為について免責特権の例外を作つている点で西独憲法と全然軌を一にしていることは興味深いものというべく、また斯様な例外はドイツのみであるとはいえず、ポルトガルにも同様の例が見られる。すなわち同国憲法第八九条但書は、「意見および投票に関する不可侵は、名誉毀損、誹毀および侮辱ならびに公の道徳に対する侵害または犯罪の煽動に対する民事および刑事の責任から国民会議議員を免れさせるものではない。国民会議は、独立国家としてのポルトガルの存在に反対する意見を陳述し、また何等かの方法をもつて、社会的、経済的秩序の暴力による転覆を煽動する議員を除名することができる」と規定している。

かような例外を設けることは一つの問題であるが、アンシュッツは、免責の対象となる発言の中には、煽動、法律の不遵由の要求、階級闘争の教唆(Anstift-ung, Aufforderung zum Ungehorsam gegen Gesetz, Anreizung zum Klas-senkampf)も含むとする(Anschtz,“Kommentar,”14 Aufl. S. 288)。この点についてはゲーブハルトも同趣旨である(Gebhard,“Verfassung des Deut-schen Reichs,”1932 S. 209)。

なお、フード・フィリップスは、イギリスにおいても「院内における発言の自由は誹毀(defamation)に対しては認められない」とし、判例の一つ(Dillon v. Balfour, 1888)を挙げている。一八三一年の下院の特権委員会の報告以来議会により、この特権の除外例は法廷侮辱にも及ぶものと看做されるに至つた(Hood Phillips,“Constitutional Law,”p. 131, p. 137)。

(以上の記述は土橋・前掲書一六〇頁、一七七頁、宮沢俊義編「世界憲法集」昭和三五年版、高木八尺・末延三次・宮沢俊義共編「人権宣言集」昭和三五年版、大石義雄編新訂「世界各国の憲法典」昭和三四年版等によつた)。

(四) 免責特権の性質

本条の免責特権の性質についてわが国の憲法学者が特に論じたものはない。宮沢教授が「本条は前条とならんで、ほとんどすべての国の議会の議員にみとめられている特典である」としていられる(宮沢・前掲書三七三頁)のを始めとし単に「議員の特権」とする説が多い(註解日本国憲法八〇三頁、清宮・前掲書一七五頁、美濃部博士著・宮沢教授補訂「日本国憲法原論」三七一頁、俵静夫「逐条憲法要義」一九三頁、田上穣治「憲法原論」一六九頁、佐々木惣一博士「日本国憲法論」二三五頁)。なお旧憲法について美濃部博士は「議員の権利」とされているが(「憲法提要」四四四頁、「逐条憲法精義」四九四頁以下)、伊藤博文「帝国憲法皇室典範義解」八〇頁は「議院の権利」と解し、穂積八束博士は「通常称して議員の特権と謂ふと雖、実は議院の保護たり」とし(「憲法提要」下巻四九一頁)、上杉慎吉博士も「議員の一身に属する主観的権利を設定するものに非ず」としている(「新稿憲法述義」四〇八頁)。

イギリスでは古くから議会ないし議院の特権ないし権利と解されて来た(Wade and Phillips,“Constitutional Law,”p113f. Horace King, op. cit. p. 73f)。ただフード、フィリップスは、下院では議院の特権であり、上院では議院の特権かつ議員の特権でもあると述べ、いわゆる不逮捕特権と共に第十六世紀以来形式的に議長によつて要求されて来たと記している(Hood Phillips op. cit. pp. 129-145)。しかしメイの前掲書によれば、「第一次的に議員個人の特権であり、第二次的かつ間接に議院自体に属する」とされている。(Certain rights and im-munities, such as freedom from arrest or freedom of speech, belong primari-ly to the individual members of each House and only secondarily and in-directly to the House itself. May, op. cit. p. 43).

アメリカ合衆国憲法の規定については、シユワルツは右メイの著書中の記述と全く同様な説明をしている(Schwartz,“American Constitutional Law,”pp. 55-56)。しかしマシユースは議員の特権とし、ただこの特権は議会議員の立法上の職務に対する捏造された告訴または民事訴訟に依る干渉を排する意図に基くものであつて、議員の私的利益に対して適用されるものであるよりは、斯かる特権を享有せしむることによつて公共の福祉を増進せしめんとするのである、と言つている(Mathews,“American Constitu-tional System,”p. 100f)。

フランス憲法の規定につき、リツダーデールは一方において免責特権を議院の特権により議員を保護するためのものとし、他の一方において不逮捕特権を議員の不可侵権としているもののようである。ただし議員個人の利益のためのものではなく、立法権を行政権による不正な侵害から保護するために設けられた公共の秩序のための手段であり、今日においては、議員の犯罪に対する責任を免れしむる特権ではなく、刑事上よりは寧ろ政治上のつまらぬ、または単なる悪意による告訴を受けることなからしめるためのものである。またそれは民事訴訟からの保護を含まないとしている(Lidderdale, op. cit. p. 94f. p. 97)。

ドイツにおいても議員の免責特権の性質について学説は区々である。或は議員の地位に関する憲法の規定は議員自身の主観的権利義務たると同時に客観的の法規たる性格を有しているとし(G. Meyer, a.a. O. s. 334)、また発言の自由は議員の特権ではなく、議会の特権であるとする(Hatschek, a.a. O. SS, 448-451)。さらにマウンツは不逮捕特権は議会の特権であつて議員の権利ではないとし、免責特権(Indemnitt-GG. Art 46, Abs 1)は不逮捕特権(Immunitt-GG. Art 46. Abs 2-4)と異なり、「会期中」などの制限なく、任期の終了後にも存続するが、後者は任期の終了と共に終了すると述べている(Maunz, T.,“Deutsches Staatsrecht,”2 Aufl. 1952. SS. 228-229)。

以上のような免責特権に関する外国の諸学説を通覧すると、イギリスやアメリカでは第一次的にこれを議員個人の特権であると考えており(この点についてはなお後記第四節第二、マサチユセツツ州最高裁判所のコフイン対コフイン事件における判決も同様の立場にあることを注意)、ドイツ、フランス等大陸法ではおおむね議員個人の特権というよりむしろ議院の特権であるとなしている、という相違のあることに気づくのである(この点弁護人の主張がわが憲法の免責特権に関する解釈につき英米的な観点に立ちながらなおこの特権を議員個人のものでなく議院の権利なりとするのは一種特異な立場というべきであろう)。ドイツで免責特権につき誹謗的侮辱を除外しているのも右のような思想的裏づけをもつてはじめて理解しうることであり、この特権を可能な限り制限しようということは当然であつたといわなければならない。

わが国の学説も二様であることは前述のとおりであるが、この特権を制限的に解釈する学者は大陸法的な考え方に立脚するものであろう。ただ英米法の強い影響下にあるわが現行憲法の解釈としては免責特権を議員個人の特権と解するのがむしろ妥当であると考える。

(五) 免責事由の拡張解釈((1)ないし(3))と厳格な解釈((4)、(5))および当裁判所の見解((6))

本条の免責事由は国会が立法機関である本質にかんがみて、そこに掲げられた事項以外のものにまで拡張解釈が可能であるかどうかについて斎藤秀夫、佐藤功、鈴木安蔵、諸教授と兼子一博士がジユリスト昭和三十五年六月十五日号、前掲箇所に意見を表明されており、これに対する黒田覚教授の批判(前記東京都立大学法学会雑誌第一巻第二号所載前掲論文)があるので、以下にこれらの学説を検討することとしたい。

(1) 斎藤教授は次のように説かれる。

「憲法五一条の免責事由は、立法機関の本質から考えて、掲記以外の事項を含めて考える余地はないかというに、これを肯定すべきものと考える。その理由は次のとおりである。新憲法における議員の免責特権の保障を定めた憲法五一条の規定内容は、旧憲法五二条と殆ど同じであるけれど、憲法の基本的構造が変革され、国会をもつて国権の最高機関としている(憲法四一条)以上、議員の免責特権の意味内容を旧憲法のときに比し、より以上に強化拡充し、遺憾なく国会の機能が発揮できるように解釈する必要があるからである。国会法が旧議院法に比して一段と前進し、議員の言論の自由を積極的に推進せしめていることに歩調を合わせて、議員の免責特権の意味内容の拡大強化をはかるべきものである。わが国の議員の免責特権に関する憲法五一条もまたアメリカ、フランス、ドイツその他の諸国の憲法の規定と同じように、イギリスの一六八九年の権利章典第一章第五項第九号(議会における言論の自由、討議および議事手続は、議会以外のいかなる裁判所またはその他の場所においても訴追しまたは審問されてはならない)を継承したものである(Schwartz,“American Constitu-tional Law,”1955. p. 57)。ドイツでは直接イギリスから継受されたものではなく、フランスおよびベルギーから中継された(Hatschek,“Deutsches'und Preussisches Staatsrecht,”Bd I 1930. S. 515)というような継受の経路の差異はあつても、根本の淵源が、イギリスの一六八九年の権利章典であることは異論のないところである。ドイツでは、ワイマール憲法三六条(議員の免責特権の規定)について英米と異なり、議員の免責特権は議員に政策的に与えられた特権であるから、狭く厳格に解釈すべきであるという学説(たとえば事実の陳述は含まれないというように)があるが(Graf zu Doh-na,“Redefreiheit, Immunitt und Zeugnisverweigerungsrecht.”An-schtzt Thoma,“Handbuch des Deutschen Staatsrecht,”Bd I, 1930. S. 439)、わが国では、すでに旧憲法五二条の解釈としても、意見の表明には事実の陳述が含まれると解する見解が多数説であつたのである。新憲法において国会が国権の最高機関であるとされた以上、議員の免責特権について旧憲法以上に拡充尊重しなければならないのであるから、ドイツの右のような解釈態度は、わが国では到底採用し得ないというべきである。議員の国会における言論の自由の特権は、三権分立の思想から、行政権、司法権の側からする立法府に対する干渉を排除し、国会の機能を遺憾なく発揮せしめるための必要不可欠の制度であるから、この特権は単に議員のみに属する特権とみるべきものではないし、議院自体に属する特権とみるべきものでもない。それは、第一次的には議員個人に属し、第二次的には議院自身に属するものと解するのが正当である(アメリカ憲法の解釈につき同旨、Schwartz, op. cit. p. 55)。旧憲法五二条の解釈として、議員の免責特権は、議院の権利(伊藤博文、憲法義解八〇頁)ないし「議院の保護」(穂積八束、憲法提要下巻四九一頁)と解釈され、または議員の一身に属する主観的権利を設定するものではないと解釈された(上杉慎吉、新稿憲法述義四〇八頁)。このことは議員をゼロとみる滅私奉公的ないし権力主義的な概念構成であるというべきで、各国の憲法において普遍的に承認され、議会制度と必然的に結びついた制度の理論構成としては正当でないといわなければならない。イギリスでは古くより議会自身の特権であるとともに議員の特権であると解されている(Wade and Phillips,“Constitutional Law,”5 ed, 1955. p. 119)。新憲法の下における議員の免責特権の性質については、わが国の憲法学者にとくに詳論しているものはなく、単に議員の特権であるとしている程度である。しかし、私は、議員の特権(特典)であるとともに第二次的に間接に議院の権限であるとする方が、立法権に対する行政権または司法権の干渉排除の制度趣旨を貫徹できるものと考える。私は議員の免責特権の意味内容の拡充強化について次の点が特に重要であると考える。

議員が演説、討論または表決を行なわんとしてなされた随伴的行為が存する場合、その行為が秩序紊乱行為として客観的に暴行、傷害、公務執行妨害を伴う行為であつても、それは議員の職務の全く範囲外の個人的犯罪とは区別せらるべきであり、議院の統一的意思の発表としての議院の告発をまつて論ずべきであると考える。かかる行為に対しても、通常の個人的犯罪と同様に、即時無条件に行政権の下にある検察権および司法権が発動することを認めることは、議員の免責特権を認めた根本趣旨を没却せしめることになろう。最高裁が議院証言法にいわゆる偽証罪について「議院内部のことは、議院の自治問題として取扱い同罪については同条所定の告発を起訴条件としたものと解するを相当とする」(大法廷判決昭和二四年六月一六日・刑集三巻九〇一頁)と正当に判示したが、議員以外の第三者(証人)についてよりは、議員の職務行為を行なわんとしてなされた議員自身の随伴的行為につき、より一層強い妥当性をもつものということができる」と。(ジユリスト前掲五七―五九頁)

(2) 佐藤教授は次のように説く。

「本条の免責事由の中には議員の院内活動すなわち議員の職務の遂行に附随してなされた行為をも当然に含めて考えるべきである。その理由は次の如し。このいわゆる免責特権の規定がおよそ近代各国憲法に共通に設けられている理由は今さら改めて述べるまでもない。それは要するに議員の活動の自由を保障することが議会政治のため不可欠の要件であることに基く。従つて「演説・討論・表決」と列挙されているのは議員の活動のうち特に顕著なものを挙げたのであつて、要するに「議員の職務の遂行」というにひとしい。すなわち、諸国の憲法を見れば、或いは、「意見もしくは表決」としたり、或いは単に「意見」のみとしたり、或いはわが明治憲法五二条の如く「発言シタル意見及ビ表決」としたり、或いは「提出した文書」を加えたり、若干の文言上の相違が見られる。しかし、これら文言上の相違によつて、免責特権の対象たる行為の範囲の広狭の差が生ずると解すべきではない。このことはまた、たとえば「議院でなされた意見または議事中における態度(フインランド国会法一三条)としたり、「議員としての資格で行つた行動または発言」(スエーデン憲法一一〇条一項)とするなど、演説・討論・表決以外の議員の行為をも挙げている場合も同様である。すなわちこの種の規定はむしろ「議院で行つた」とか「議員としての資格で行つた」とかの文字に重要な意味があるのであつて、要するに前述のように、議員の職務遂行上の行為を意味するにほかならない。すなわち、右のことの結果として、もしも議員の院内活動において免責特権の及ばない行為があるとすれば、それは、議員の行為であつてもその職務事項以外の行為である場合に限られる。たとえば、概括的にいつて、不正規な発言や私語の類とか、院内における議員の単なる個人的行為の如きものは当然に除かれる。ただし注意すべきことは、ことがらの性質上、いかなる行為が議員の職務事項に属する行為であるかは必らずしも一概に法的に規定し得ないことである。そして各国憲法(法令)がこの点についての規定をむしろ避けていることは、この事情を認識し、むしろ議院・議員の良識に基く実際上の自主的な慣行にその解決を期待したものと解すべきである。すなわちそもそも「議院における」とか「院内における」とか「議員の資格で行つた」とかいう文言も、本来、必らずしも明確な表現ではないのである。「議院」や「院内」が必らずしも建物としての議院内部の意味でないことは広く認められているところであるが、それにも拘らず各国憲法がこの種の文言を常用しているのは、何が議員の職務上の行為であるか、その行為の目的・場所・時間などによつて総合的に判定されるべき多様性をもつているものであることを考え、精密な文言を工夫することよりも実際の運用に委ねようとしたものであると解される。また「言論」、「意見」、「演説」などについてもそれがたとえば、「ひぼう的な侮辱」、「誹毀」、「名誉毀損」、「公の道徳に対する侵害または犯罪の煽動」などである場合には免責が除外されるという趣旨の規定を設けている憲法も少なくないが、これらの文言の意味も、ことがらの性質上必らずしも明確ではなく、この種の規定を設けることの効果も必らずしも充分ではないと考えられる。むしろ前述の「院内における」の場合と同じく、この種の規定を設けることを避け、たとえばいかなる言論が「名誉毀損」であるかの判断も、議院・議員の自主的な慣行に俟つものとすべきであり、この種の規定を設けていない憲法は、この立場に立つているものと解すべきである。更に特に注意すべき点は、憲法(法令)が議員の免責特権の除外例を定めることは、かえつて立法機関の自主性を失わしめることとなることである。たとえば「名誉毀損」の言論には免責が及ばないとすれば、名誉を毀損されたとする者からの告訴・告発に基き検察官ないし裁判所が当該言論の内容が果して名誉毀損に該当するかどうかを判断することとなり、議院ないし議員の自由な活動に検察権、司法権が介入する余地を多くすることとなるからである。要するに、免責特権の規定が概括的な表現をもつていること自体に意味があり、それは議員の職務遂行上の一切の行為に及ぶものと解すべきであり、且つ何が議員の職務遂行上の行為なりやは、むしろ議院の自主的な判断にまつとすることが、免責特権の保障の趣旨に沿うものと考えられる。免責特権の除外は、概括的にいえば、議員の職務事項と関係なき純然たる個人的行為なりやの判断も議院の自主的判断に委ねるべきものと解される。以上の次第で議員の純然たる職務執行上の行為については免責が認められ、裁判所の裁判権は及ばず、他方議員の純然たる個人的行為による自然犯的な刑事事件については(訴追には)制約はない。問題はこの両者の中間の場合にある。すなわち、議員の職務遂行上の行為に附随して自然犯的な犯罪が行われた場合である。私はこの場合には議院の意思に反しては検察官は訴追をなし得ないと解すべきであると思う。すなわち問題となる右のような場合は多く議事手続の進行過程において生ずるものであり、またそれが特にいわゆる暴力的闘争の様相を呈するときに生ずるものであることはいうまでもない。そしてこの種の事件の場合には、ことがらの性質上、その行為を議員の職務遂行と全く無関係な純然たる個人的犯罪行為であると断定すべきではない。この種の場合には、従つて、免責特権及び不逮捕特権の制度のもつ意味を正しく認識し、その解釈は司法権によるものではなくむしろ立法権の自主的な判断に委ねるべきである。このことは、もしもこの種の事件の場合に、特に現行犯罪以外の場合において、検察権が無制約に介入するとすれば、多数党(与党)が内閣の下にある検察庁をして反対党議員を(たとい身柄不拘束のままにせよ)訴追せしめることも予想されないではなく、反対党の院内活動を事実上麻痺せしめることともなりかねないことを考えれば明らかであろう。また仮に検察権の発動が多数党(与党)の不当な影響から独立であるとしても、立法権の活動が検察権(行政権)によつて不当に制約されることとなりかねない。従つてこの種の事件の取扱いについては、原則的に議院の自主的判断に委ね、議院内部の政治的(ここに「政治的」というのは党利党略的というごとき悪い意味の「政治的」ではないことはいうまでもない。念のため附言しておく)解釈に委ねるべきである。

右の議院自身による解決とは、制度としては懲罰である。しかし実際においては、ことがらの性質上、また実際の議事運営上の考慮から、この懲罰権の適用が不徹底となる場合もないではなく、また特に暴行、傷害などの場合、被害者(議員以外の者をも含む)の救済が不徹底であるという理由から、検察権、司法権の発動を要すると考えられることもないではないであろう。そしてこのような場合のための制度として、私は、議院ないし議長の告発をまつて検察官が訴追するという制度が意味をもつと考える。この制度は、憲法上及び国会法上にも明文で定められているわけではないが、慣行として確立されるべきものであり、その慣行は憲法、国会法の容認しないものでないことはもとより、むしろ憲法、国会法が期待しているものと解される。

すなわち、不逮捕特権の場合においても議員のその特権は絶対無制約なものではない。憲法は「法律の定める場合を除いては」として、この趣旨を示し、そして法律は院外の現行犯罪の場合及び議院の許諾ある場合にはこの特権に除外例あるものとした。そこに議員がいかなる場合にも逮捕されないという特権を与えられるものではないこと、また国会(立法権)と内閣(行政権)との間の逮捕をめぐる正面衝突を緩和するための安全弁的、媒介的作用として議院の許諾という制度が考えられていることが示されているのである。同様に免責特権の場合においても、議員の職務遂行上の一切の行為が全く絶対無制約に免責されるものではない。憲法はこの場合には、法律への委任を認めてはいないが、議院による懲罰の制度は議院の自主的制裁の道を定めたものであることはもとよりであり、更に議院みずからが議員の職務遂行に附随したものであるにせよ、その行為が懲罰によらずして司法権による制裁に値する犯罪行為であると認める場合には、その取扱いを検察権の発動に委ねるために告発することも、国会と内閣との間の訴追をめぐる正面衝突を緩和するための安全弁的、媒介的作用として考えることができると思われる。この見解に対しては、当然に告発すべき場合であるのに議院(議長)の告発がなされないことの危惧があるかも知れない。このような危惧に対しては、一方においては議院(議長、議員)の良識と、他方においては世論の批判とを以て答えるほかはない。また、このような危惧よりは、むしろ検察権の無制約な発動を認める場合に生ずる事態に対する危惧をこそ重視すべきである」と(ジユリスト右同四九―五二頁)。

(3) 鈴木教授は次のように説かれる。

「本条の免責特権は、現代諸国憲法におけるいわゆる議員の特権のうちでも最も重要なものであり、また、わが憲法において国会は、ただに立法機関であるにとどまらず国権の最高機関であると定められていることにかえりみて、議員の職務行使―すなわち議院の機能遂行―を能うかぎり、議院外の国家機関の介入等から独立に行なわしめるように解釈され運用さるべきものであると考える。本条の免責特権は、議員の享有しうる特権であり、そのかぎり議員の積極的な主観的権利である。同時に、それは、議員が議員としての職務を全たうしうるために不可欠のものとして憲法が保障しているものであり、そのことは、この議員によつて組織され、議員の活動を通じて機能を全たうしうる国会両院の機能が完全にはたさるべきことを憲法が保障していることを意味する。この特権についても、学者が、単に議員の主観的権利というにとどまらず、議院の特権あるいは国会の客観的権利等としているのは、このためである。右の免責特権をもふくめて、議員の特権、議院の特権ないし国会の特権とされるところのものが、各国憲法上保障されている理由は、いずれの学者の見解によつても同一である。すなわち「それらは主として、議院の威厳と独立とを保持し議員を外部の干渉から保護するために存在する。」また「議院が全体として、また議員が個々に、彼らの義務をはたす上で妨げられないために」「議院それ自体および議員の保護のために」保障されているものである。そして「議員は、最も直接的な方法で、主権の存する国民の代表者」であり、「議員は国家機関ではないが、その構成分子である」から、「議員の特権は、根本において、国会自身の特権として正当なものとされる。」

(Fraser, W.,“An Outline of Con-stitutional Law,”2 ed. 1948. p. 46, Wade, E and Phillips, G.,“Consti-tutional Law”5 ed 1955. p. 119, Ridges, E. and Forrest, G.,“Consti-tutional Law”5 ed. 1950. p. 62. Tatarin Tarnheyden,“Der Rechts-stellung der Abgeordneten Hand-buch des Deutschen Staatsrechts,”Bd. I, 1930. S. 437).

わが憲法第四一条(国会は国権の最高機関)のごとき規定は、アメリカ憲法、西独憲法、フランス憲法等には見られないところである(東独憲法第五〇条のみは「共和国の最高機関は人民議会である」とある)。このことの意味はここでは立ち入らないが、それは単なる政治的宣言にとどまるものではなく、法的意味を有するものと解さねばならぬ(拙著「憲法学原論」昭和三一年、四三七頁以下)。

以上のように解するとき、本条の免責特権はその解釈および運用上、次の諸点について考慮されることが理論的に要請されよう。

第一に、議員の職務行為として議院で行なつた演説等は、院外において公表、刊行された場合にも、免責特権が保障さるべきである。免責特権が保障されているということの訴訟法的意味は公訴の提起権がなく、裁判権がないということである。

第二に、この免責特権を保障する根本趣旨よりみて、議員が演説等を議院内において行なうにあたつて、議事運行上生ずるところの一切の表現(例えば野次、私語など)についても、外部機関が直接に介入することを排するものと解すべきである。それらについても第一次的に、議院自体の紀律権が処置する。

第三に、以上の議院内における議員の行為に直接に関連して生ずる諸行為―直説に演説、討論、表決自体でないところの―についても、第一次的に、議院の紀律権にゆだぬべきである。……議場においての犯罪は、それが議員以外の者の現行犯罪であつても、議長の命令を待つて処理さるべきことは執行法の定めているところである。この趣旨よりすれば、議員自身の犯罪については、その種類の如何をとわず、第一次的には、議長の内部警察権、議院の懲罰権の対象となるべきもので、直接には、一般刑事犯罪の場合のように、外部警察権および検察権による捜査、起訴等の対象となるべきものではない。とくに議員の職務行為の過程において、その職務行為をなすために必要である諸行為もしくはそれらに直接的に関連して生じた行為もしくは事態については議院の自主的決定(告発ないし請求)によつて処理さるべきが法の要求するところである」と。(ジユリスト右同五四―五七頁)

(4) 兼子博士は前記諸学者と異なつた説を展開される。すなわち、「本条は、国会議員の議院内における職務活動としての発言又は表決について、各議院の自主的に行なう懲罰は別として、刑事上又は民事上等の院外における個人としての法律上の責任を免除される特権を認めたもので、諸国の憲法にもその例の見られるところで、わが明治憲法第五二条も同趣旨であつた。これは、国会がいわゆる言論の府として、議員の言論の自由を絶対的に保障することが必要であることに基くものであるから、これ以外の議院内の行動について拡張すべき理由は存しない。むしろかかる特権は他の公益又は私益の受ける犠牲を忍んで与えられるものであつて、憲法上の根拠なしに無暗に拡張することは却つて憲法第一四条の保障する国民の法の下の平等を害するからである。……

憲法上国会が対人的にも又場所的にも自ら刑事裁判権又は検察権を有するものではないことは、憲法第七六条が、司法権をすべて裁判所に帰属させ特別裁判所的なものを認めていない点からも明かであり、国会内の犯罪と雖も検察権の訴追に基き、裁判所の審判に服すべき原則の除外例となるわけではない。国会議員と雖も憲法上、明認された場合以外は、何等刑事上の特権を享有する者ではない。又議院内の犯罪の罪質が個人法益の侵害か社会公共の利益の侵害であるかによつても区別は存しない。個人法益の侵害についてそれが議院内で行われた故をもつて特別な取扱をすることは、その被害者の立場を他の場合と差別することになつて法の下の平等を害することは明らかである

各議院や委員会が訴追条件として告発権を行使するのは、国会侮辱に当たる犯罪に限定されるのであり、またこれ以外に議長が固有の告発権を有するものではない」と述べていられる。(ジユリスト右同六二―六三頁)。

(5) 黒田教授は次のように説かれる。

「斎藤、佐藤、鈴木三教授の説くところは、表現にニユアンスの相違はあるが、だいたい

(1) 演説・討論・表決は厳密な限定的な意味に理解されるべきでなく、議員の職務執行上の行為については免責されるべきであり、

(2) 議員の純然たる個人的行為による自然的な刑事事件については訴追に制約がないが、

(3) 議員の職務遂行上の行為に附随して自然犯的な犯罪(暴行・傷害・公務執行妨害等)が行われた場合には、議院の告発を訴訟条件とすべきだ(佐藤ジユリスト五一頁)、

というに尽きるようである。この主張は要するに、院内における演説・討論・表決等に附随してなされた議員の職務執行行為については、どの範囲までが第五一条によつて免責されるかの判定権は、議院に専属するものであり、仮に議院の判定によつても免責の枠を超え犯罪を構成すると考えられる場合においても、裁判所は議会の意思に反して裁判権を行使できないということになるだろう。これは要するに議院の自律権ないし自主権と裁判権との関係について発生する問題の一つである。

しかし、このような主張を、憲法第五一条の解釈から直接に導き出すことは困難ではないか。議院の活動は議事手続を通じて行われるのであり、議員の職務活動とは議院の議事手続に参加することである。だから、なにが議事手続であるかは、もとより議院の自主的判断に委ねらるべき問題である。しかし、議事手続においてなされた議員の行為が犯罪を構成するか否かの判断については、もとより裁判所は議院の判断に拘束されるべきだとは考えられない。イギリス議会の両議院は、世界の議会制度のなかで最も広範囲の自律権・自主権を有し、また「特権侵害」(breach of privilege)および侮辱(contempt)について、議員・議会職員・証人その他の第三者に対して処罰権を有しているが、しかしそれでも議院の独占的裁判権(exclusive jurisdic-tion)の範囲については、裁判所と議院―ことに下院―とのあいだで数世紀にわたつて見解の対立があつた。もつとも現在では以前に較べてはるかに歩み寄りが行なわれ、多くの点で見解の一致が存する。このようにして議院の独占的裁判権のなかの一つとされているものに、「内部的議事手続に関する各議院の独占的裁判権(exclusive ju-risdiction of each House over its in-ternal proceedings)があるが、しかし犯罪的行為(criminal act)については例外であり、「たとえそれが議会の議事手続という言葉で覆われる可能性があつても」、議院の独占的裁判権のなかには入らないとされている(メイ前掲書一七一頁)。つまり議事手続中における行為であつても、それが犯罪的行為であるか否かについては、裁判所は裁判権をもつのである。この点は三教授の主張を考察するために参考されるべきだろう。その主張における議員の職務執行行為とか、ことに職務執行に附随した行為とかいう、かなり一義的でない表現から生まれる問題点を示すために、もうすこしイギリス議会の場合について述べることとする。イギリスでは、「発言・討論・議事手続」に関する免責特権に関連して、なにが議事手続であるかが問題とされる。発言等の免責特権は議員だけについてでなく、議会職員・証人等についても、要するに議事手続に参加するすべての者に認められている。だから、これらの人びとの行為で、なにが議事手続を構成する行為であり、なにがそうでないかは、けつきよく免責される行為とされない行為を区別することになる。そして原則としては、犯罪的言葉(criminal words)と犯罪的行為(criminal act)とが区別され、前者は刑事裁判権の対象でなく、後者は対象となる、とされている。しかし、この区別はどこまでも例外がないではない。メイによれば、「議院内の犯罪的行為が刑事裁判権の範囲外ではない、という点はおそらく正しいだろう。しかし、この原則には例外がないではない。原則も例外も、特定の行動が議会の議事手続とみなし得るか否かという点に発見されるべきだ」ということになる。彼はBradlaugh v. Erskine事件を例としてあげている。これは衛視長代理が議長の命令で下院議員Brad-laughを議場外につれ出そうとした際の実力行使について発生した暴行事件であるが、衛視長代理は裁判で無罪の判決を受けた。それは、「議員が討論表決することは、議会の議事手続に参加しているのであつて、これについて裁判所が追及すべきでないと同様、議会職員が院内で命令を遂行することは議会の議事手続に参加しているのだ」という理由であつた。しかし、議員については犯罪的行為が議事手続を構成すると考えられた例は存在しない。メイは、「個々の議員の議院内における犯罪的行為を議事手続の一部として示すことはむつかしい。慣例的性格の二、三の形式的行為を除いて、議事手続に対する議員の参加は、発言に限定されている」と述べている(メイ、前掲書六五頁)。それでは議員が議員手続に関連して暴行等の犯罪を行い、裁判所で審問された実例はといえば、それは存在しない。ただ一六二九年に下院議員エリオツト(Eliot)が下院において行なつた発言について王座裁判所で刑事責任を追求され有罪判決を受けたが、後に一六六八年に上院は右の判決を破棄した、という事件がある。その判決で「暴行は本来王座裁判所で審問されるべきものだとしても、議会における発言は議会外で審問されるべきでない」(Even if the assault was pro-per to be dealt with by the Court of Kings Bench, the words spoken in Parliament could not be dealt with out of Parliament.)と、述べられているのが、しばしば引用されている程度である(メイ、前掲書五一頁、六五頁)。

以上イギリスの場合について述べたところを要約すると、

(1) 議事手続そのものは議院の独占的裁判権に属するが、しかし

(2) 議事手続に関連して発生した犯罪的行為については裁判所が裁判権をもつ。

(3) 発言の免責特権との関連からいえば、犯罪的言葉は免責の対象であり、したがつて議事手続を構成するが、犯罪的行為が議事手続を構成することは原則としては考えられない。議会職員の犯罪的行為については、それが議事手続を構成するものとみなされ、裁判所で無罪の判決がなされたこともあるが、議員については犯罪行為が理論的に議事手続を構成すると考えられるようなことは、まず存在しない。

(4) 議員が犯罪的行為で裁判所の裁判を受けた実例はないが、古い時代にもし議員の議長に対する暴行というような犯罪的行為であれば、刑事裁判権の対象となる。

と述べられている程度である。

そこで、もし議事手続に関連して議員の犯罪的行為が現実に発生すればどうなるか。この点について、メイは、「裁判所が議会内での(議員の)犯罪的行為についてどういう意見をもつているか、また裁判所が刑事事件について行為と発言を区別するか、どうかについては、エリオツト事件を除いて先例がないので、それを知る方法がない。議会の内部での犯罪(crime)については、それの行われた議院が、みずから裁判権を行使するか、または犯行者を刑事裁判所に委ねるかを決定する権利を要求しうるかも知れない。(……the House might claim the right to decide whether to exercise its own jurisdiction or to hand the of-fender over to the criminal court.)。この決定については疑いもなく犯行の性質と、それからいくぶん柔軟性を欠きはするが科し得る刑罰の適、不適が基準となるだろう」と、述べている(May, op. cit., p. 66)。

このメイの主張は、はつきりしたものではない。引用の仕方によつては三教授の主張を裏付けることにもなりかねないが、わたくしはそうは思わない。メイは議院がみずから裁判権を行使するか刑事裁判所に委ねるかの決定権を議院が要求し得るかも知れない、と述べてはいるものの、しかし議院の意思に反しては、裁判所が裁判権を行使し得ない、と主張しているわけではない。いままでのイギリスにおける議院と裁判所との裁判管轄権についての対立を見ても、議院も裁判所もそれぞれ独自の立場で主張しているので、一方の主張によつて他方が直接に法的に拘束された、という事例は発見できない。そうではなく判例や議院の先例のつみかさねのなかに、両者が次第に歩み寄りを見せている、というのが実状である。裁判所の裁判権の行使が法的に議院の意思に拘束される、ということになると、これは議院の一つの新らしい特権を形成することになるが、「議院の決定によつて新らしい特権を形成し得ない」ことは、判例的に確立されているところでもある(May, op. cit. p. 167)。

このようなイギリスの場合を参考にしながら三教授の主張を考察すると、わたくしは次のような結論に到達する。

(1) 議員の職務行為に附随した犯罪行為については、検察権が公訴を提起する場合に、この犯罪行為の処置についての議院側の意向を十分に尊重することは望ましいことである。しかし、これはとくに職務行為に附随した犯罪的行為に限定される必要はなく、職務行為と関連なく発生した議員の犯罪についても、同じことがいい得るわけである。職務行為と関連のない犯罪であつても、その種類態様によつては、議院側がこれを「院内の秩序をみだしたもの」として懲罰権を行使するだけで十分だと考慮する場合もあろう。ただ議員の職務行為に附随した犯罪的行為については、問題の性質上、検察権が議院側の意向を考慮することを要請される度合いが職務行為と関連のない犯罪の場合よりも多い、というだけのことである。いずれにしても、これらの場合に、検察権が議院側の意向を尊重することは公訴権行使についての政治的考慮としては望ましいことに相違ない。けれども

(2) 検察権が議院側の意向を尊重すべきだとのことを、起訴のための法的条件と考えることはできない。議員を起訴するには議院の許諾を必要とするとか、議院の告発なしに起訴できない、というふうに訴訟条件として考えるべきなんらの法的根拠は存在しない。すでに前項で述べたように、憲法第五〇条・国会法第三三条の議員の不逮捕特権に関連して、この特権を単に逮捕についての議院の許諾だけでなく、起訴についての議院の許諾をも包含するとする立場もある―これの支持し得ないことはすでに述べた―が、仮にこの立場を承認するとしても、それは会期中に限定されての話である。ところが、議員の院内における職務執行に附随した犯罪については、その起訴について議院の許諾を必要とするとの主張は、会期中との限定を受けていない。だから憲法第五〇条、国会法第三三条をどのように拡張解釈しても、これによつてこの主張を根拠づけることはできない。また議員の職務行為に附随した犯罪については、議院の告発を訴訟条件と考うべきだ、という主張を憲法第五〇条、国会法第三三条によつてではなく、憲法第五一条の発言・表決の無責任の規定から導き出そうとするこころみも成功し得ないことは、いままで述べてきたとおりである。問題になつている犯罪は憲法第五一条の免責特権の枠からはみ出た行為であることが前提されながら、免責特権との関連でなんらかの特別の取扱いを受けるべきことが要請されているのであるが、これにはなんらの法的根拠が発見できないことは、もとより当然である。」(黒田覚「裁判権と国会の自律権」前掲書一三頁―二〇頁)。

(6) 当裁判所の見解。

本条の免責特権が前述のような立法の目的および趣旨によつて国会議員に付与されたものであることに鑑みるときは、その特権の対象たる行為は同条に列挙された演説、討論または表決等の本来の行為そのものに限定せらるべきものではなく、議員の国会における意見の表明とみられる行為にまで拡大されるべきことは既に前記(二)で述べたように宮沢教授の学説等によつてもこれを肯認すべきものといわなければならない。

そしてかような考え方を推し進めるときは、前記斎藤教授の学説のように議員の職務執行に附随した行為にもこれが及ぶという考えも一概にこれを排斥することできない。

ところで、一口に附随行為と言つても、いわゆる附随行為の中には次のような種々のものが存するからその間に多少の差異を設けることが必要であると考えられる。すなわち、

(A) 本条の特権の対象となつている行為そのものを為すに当たつて当然その手段若しくは前提となり或はその結果たる行為。

(B) 右の行為には当たらず対象行為を為すについて通常随伴するもので適式なものとは言えないが、放任された行為。

(C) 右以外の行為で、対象行為に通常随伴するものとは言えないが、その行為をするに際して行為者の意思により随伴的に為された行為で、このうちさらに次の二種類がある。

(a) 職務行為を効果あらしめようとしてその内容を充実、もしくは拡大させるため或はこれを強調する行為。

(b) 職務行為をするに際しこれと無関係になす別個の行為。

以上のような各種の随伴行為が存するが、これらが法律行為たると事実行為たるとを問わず、法定の適式な議事手続中の行為である場合は問題はない((A)の行為は殆んどこの範疇に属する)が、(B)および(C)のように法律上認容されていない行為については種々の問題が存する。

ここで本件に即して考えてみるのに、被告人矢嶋三義が仮に議運委々員長郡祐一の左手を引いたとしても、その行為が自分の提出した動議書に注意を向けさせるためのものであれば、それは被告人矢嶋三義の委員会における職務行為に附随した行為として適法視されないまでも少くとも違法行為とならないのではないか、という問題である。この場合、動議の提出は、動議書を提出して相手方がこれを了知しうる状態に置けば提出行為としては既に完了したものというべく、相手方が拒否するのを無理に受領させようとするような行為は動議の提出行為として行き過ぎたもので、正当な職務行為に附随して行なわれた行為ではあるが、その職務行為中に包含せしめることはかなり困難であると言わなければならない。かような行為は当該行為者が職務執行に熱心なあまりなされたものとしてその多少の行き過ぎは咎めらるべきものではない。

従つて右(B)および(C)の(a)のような行為は職務行為とは言えないとしても、また他面犯罪行為ともなり得ないものである。

次にいわゆる附随行為についてこれを犯罪行為として起訴するためには議院の告発を要するという斎藤教授らの見解を検討しよう。黒田教授がイギリスの制度を引用されてこれに反対されることは前述のとおりであり、同教授のこの主張に対する当裁判所の見解はまた後述するところ(第三節)であるが、ここでは斎藤教授ら三教授の説に左袒し得ない理由を次に述べる。

まず第一に議員の院内活動について議院の告発を起訴条件とするときは職務行為に無関係な犯罪行為(前示(C)の(b)のようなもの)についても検察庁はこれを起訴し得ないこととなり、場合によつては多数派の考え方次第で普通の犯罪が隠蔽されるおそれを生ずる。

次に議員の議事活動に附随して発生した犯罪について職務行為の範囲内外を審理決定する権限は現行法上国会に与えられていない。刑事裁判における事実認定に相当するような審議権は成文法上国会に与えられていないことは極めて明瞭であるが、もし右の審理決定権が国会に在りとすると解するということになると、その与えられていない審議権を事実上国会に認めると同様の結果となるという矛盾を来たすこととなろう。

第二  刑法上の解釈

次に憲法第五十一条に関する刑法学者らの見解を聴いてみよう。

(一) わが国の学説。

(1) 刑法の人に対する効力の問題であるとする説。

泉二博士は旧憲法第五十二条(本条と同趣旨の規定)につき、これを刑法の人に対する効力の問題であるとして次のように説かれる。「帝国議会の議員は院内に於て発表したる意見竝に表決に付き院外に於て訴追せられ若くは処罰を受くることなし。然れども此無責任は議員をして其職責を完うせしむる為め安全と自由とを与え且司法及行政に対する立法の独立を保護せんとするの趣旨に出づるものなるが故に其範囲は単に意見竝に表決に限るものとして其以外の行為に及ぶものに非ず」(泉二新熊「日本刑法論」総論昭和一一年版二五六頁)。

牧野博士もこれを刑法の人に対する効力の問題として扱われることは泉二博士と同じである(牧野英一「刑法総論」昭和三三年版上巻二四七頁)。

市川教授もこの立場で、「刑法の適用を受けない人に関する問題である」とし、さらに「議院内で行なつた演説、討論又は表決は議員たるの職務内容として行なつたものに限られ、職務に関係のない演説、討論又は表決は院内において行なわれたものといえども刑法の適用を受ける。そうして、演説、討論又は表決以外の行為例えば暴行、傷害等については刑法の適用あるこというまでもない」とする(市川秀雄「刑法総論」昭和三〇年版五五二頁)。

(2) 違法性阻却事由説。

宮本博士は右(1)の立場に立つ諸学者と見解を異にし、「従来は帝国議会の議員が議院に於て発言したる意見及び表決につき同様の観察が行われたが(刑法の人的効力であるとする)、これは議員の職務行為が罪とならない場合であつて、刑法の効力問題として考ふべき事柄ではない」とされる。(宮本英脩「刑法大綱」昭和一二年版三八頁、八七―八九)。

(3) 一身的刑罰阻却原由説。

草野氏は次のように説く。

「従来多くの学者は、この言論上の特権を刑法の人に対する効力の問題、即ち刑罰権発生の問題として説明している。併しながらこれを刑法の人に対する効力の問題として論ずることが果して妥当であろうか。むしろこの特権は一派の学者の唱ふるが如く一身に専属する刑罰阻却原因として理解すべきではあるまいか。……独逸、墺太利、瑞西においてもエム・エ・マイヤー(独)、ハフター(瑞)、リツトラー(墺)等多くの学者が、議員の言論上の特権は一身的刑罰阻却原由であると解しているのであるが、フランク、リストの如きは早くより元首及び国会議員の特権を以て行為の違法性乃至可罰性に関係無き一身的刑罰阻却原由と解し、『これに加功する第三者はこの特権の恩恵を受ける訳には行かない、したがつて選挙人は議会に於て議員によつて為された不敬罪につき教唆として処罰せられ得る』と説いている。……ところで、この特権を一身的刑罰阻却原由と解するとして果してそれが違法阻却の意味を有するものかどうかは大いに考究せねばならぬ。宮本博士が刑法第三十五条の適用ありとされるのは疑問である。惟ふに議員の議院における意見および表決がその規矩を越えざる限り刑法の適用を受けないことは当然のことであつて、特に取り立てて違法阻却原由などという必要はない。その特権として解される所以のものはそれが規矩を越えた場合でも刑責を生じないからではなかろうか。さればこそ規矩を越えた意見表決に加功した第三者が刑責を負うべきものかどうかが問題となるのである。此の意味においては佐伯助教授が議員の院内における発言表決を違法阻却事由と解しながらも、それが違法である限りその無答責なるは訴訟障礙に因るものとするのは正しい。」(草野豹一郎「刑事法より観たる国会議員の議院における意見及び表決の自由」刑事法学の諸問題(1)二九四頁以下、刑事判例研究第三巻五四〇頁、同第一巻一七八頁)。

註解日本国憲法は「最も問題となるのは刑事上の責任である。議員は(右に述べた)言論によつて、名誉毀損、秘密漏洩等の罪で処罰されることがないばかりでなく、殺人、暴行等の教唆として処罰されることもない。しかし実体法からみればこの行為は適法なものとなるわけではなく、ただ政策的考慮から処罰を差し控えるにすぎない。いわゆる一身的刑罰阻却原由に当る。従つてこれに対して正当防衛は許され、これを教唆幇助した者は処罰される。」と説く(註解憲法下巻(1)八〇八頁)。

木村教授もまたこの特権を一身的刑罰阻却事由であるとされつつ、なお「憲法第五十一条は議会主義の徹底のため特に憲法第二十一条の表現の自由を保障する見地に出たものである。院内で行なつた演説、討論、表決に関してだけ免責の特権を認めたのであるからその他の行為例えば暴行、傷害については刑法の適用を排除するものではない。西ドイツの根本法第四十四条第一項及びこれに基いて規定せられた同刑法第十一条では『誹毀的侮辱』verleumderische Beleidigung)については免責の特権を認めない」と説かれる(木村亀二「刑法総論」法律学全集40、一二二頁、一三〇頁)。

なお人的処罰阻却原由とする立場に立つ学者として小野博士(小野清一郎「新訂刑法講義」総論昭和三一年版二一九頁)、団藤教授(団藤重光「刑法綱要」総論昭和三二年版三九九頁)がある。

ところでこの一身的刑罰阻却事由なる概念に対して一派の学者は批判を向けるに至つた。

滝川幸辰編「刑事法学辞典」二八頁には次のような説明がされている。

「犯罪の成立がある(構成要件該当、違法、有責)にもかかわらず、一定の事由があれば刑罰権の発生が妨げられる場合がある。殊に行為者が一定の身分をもつ故に刑罰権が発生しない場合、その事由を一身的刑罰阻却事由という。通常の次のような場合が挙げられる。

(a) 親族相盗(刑法第二四四条)親族間の賍物罪(第二五七条)

(b) 議員の免責(憲法第五一条)

(c) 外国の外交官がわが刑罰権に服さないこと。

これらの場合、犯罪は成立するのであるから正当防衛をこれに対して向けることもできればまたこれについて共犯も成立しうる。

しかし近時に至り一身的刑罰阻却事由という概念の存在に疑問が持たれるに至つた。この概念の発生した理由は、その身分が違法又は責任の何れにも還元しえないように見えたからである。しかし理論の体系化の努力と違法論、責任論の変遷によつて、この事由は違法又は責任が阻却される場合、殊に期待可能性なき場合に還元されるに至つているがこれが正しい方向であると考えられる」。

そしてこの立場に立つ学者として佐伯博士がある。

次にその主張を聞こう。

(4) 訴訟障碍なりとする説。

すなわち佐伯博士は次のように説かれる。

「一身的刑罰阻却原因なる刑法上の概念はもともと独逸で唱えられたもので、リスト、フランク、ビユル、ベーリング、ラザールス、エム・エ・マイヤー、リツトラー、ヒツペル、アルフエルトらがこれを支持しているが、この概念に対し疑を抱く法学者例えばバウムガルテンキツチンガーもあり、殊にザウアーはこれを責任阻却原因に還元し、その他ペー、ウオルフ、メツガー、カントロヴイツツらいずれもこれを違法性、責任性の問題に還元せんとしている(佐伯千仭「一身的刑罰阻却原因」法学論叢第三四巻第三号三七一頁以下)。

一身的刑罰阻却原因という観念は従来の刑法学の違法及び責任論がまだこれらの身分の意味を充分に解明し得なかつたことを表明するものに過ぎない。刑法理論の発達はそれらをも違法又は責任のなかに解消せしめ、それと共に違法阻却原因でもなければ責任阻却原因でもなくて、しかも刑罰を阻却する一身的刑罰阻却原因というような観念の存在を無用ならしめたのである。」(同「刑法総論」昭和二八年版一五一頁)。

「議員の不処罰も、これらの者が刑法の適用外に立つからではなく、それらの人がその資格において行なつた行為が違法性を阻却され(議員の適正なる発言表決)、或いは単にそれらの者の身分が刑訴法上これらに対し公訴を提起し裁判を行なうことに対する障碍(訴訟障碍)となるから処罰されないだけのことである(議員の不適正なる発言表決その他外国の元首、使臣の行為等)」(右「刑法総論」三四頁)。

「議員が院内で為す発言表決は違法性を阻却し又は減ずる原因たる場合であり、ただ議員の行為が正当なる職務行為の範囲を逸脱する時はそれは違法であり、この限りに於いてはその無答責は単純なる訴訟障碍と看るべきである」(前記法学論叢四〇〇頁)。「議員が院内で行なつた演説、討論又は表決の不処罰は刑法第三五条の法令又は正当の業務に因り為したる行為というのに該るであろう。但しその発言等が適正でない場合にまでそれを適法であるということはできない。然しそのような場合にも彼はやはり処罰せられないのであるが、これはむしろ治外法権者の身分と同じく単純なる訴訟障碍と考うべきである」。(同「刑法に於ける期待可能性の思想」下巻四四一頁、なお三九九頁以下に「一身的刑罰阻却原因」なる概念の解明がある)。

(二) 独逸における学説の大勢

独逸ではこれを「一身的刑罰阻却原因」とみるか「訴訟障碍」とみるか、必ずしも見解が一致しているということはできない。すなわち、「議員の特権は院の許諾なくして刑事責任を問われないという意味において一つの訴訟障碍である」(Schnke-Schrder,“Strafgesetzbuch Kommentar”9 Aufl. 1959, S. 75)「客観的法律違反は存在するが刑罰請求権がない」とする(Gebhard,“Verfassung des Deutschen Reichs”1932, S. 209)学者もあるが、反面「高度の人的刑罰阻却原由(hchstpersnlicher“Strafaus-schlieszungsgrund)である」と説く者や(Ebermayer-Lobe Rosenberg,“Straf-gesetzbuch”7 neubearbeitete Aufl. 1954)、単に人的刑罰阻却原因が成立するのみで違法阻却原因とはならない」とする者もあつて(Anschtz,“Kommen-tar”14 Aufl. S. 229)対立しているというほかはない。

(三) 当裁判所の見解

このように見てくると憲法第五十一条の刑事訴訟法上の意義を云々するのなら訴訟障碍というのもよいが、そうでなくて刑法上の意義という限りは、刑法の人に対する効力の問題であると解するか、違法性阻却事由を認めたものと解するか、それとも一身的刑罰阻却事由だと解するかのいずれか、ということに帰そう。そして刑法学者の一部に意外にも訴訟障碍説を説くものがあることを顧み、さらにそれが本来憲法の規定であることを看過しない限り、古い説ではあつても、憲法第五十一条の刑法上の意義は刑法の人に対する効力の問題として見ることの正当なることを信ずるものである。そうして斯く解することがその刑事訴訟法上の意義をも正解することに役立とう。

第三  刑事訴訟法上の解釈。

本条の刑事訴訟法的解釈についてはわが国の刑事訴訟法学者のこれを論じたものは極めて少ない。

草野氏はこの問題に関して「検事が誤つて起訴した場合は私はこの特権が三権分立思想から来ているものと解するが故に(司法権の立法府に対する干渉なからしむるの意に出でたもの)司法裁判所は裁判権を有せざる意味に於て刑訴法上公訴棄却の裁判を為すべきものと解するのである」(草野豹一郎「刑事法学の諸問題」(1)二九九頁)とし、

宮沢教授は、「かりに議員のこれらの行為について公訴が提起されたとしても、それは何ら罪となるべき事実を包含していないものとして、その公訴は刑訴法三三九条一項二号によつて棄却されなくてはならない」(宮沢、前掲書三七六頁)とし、

註解日本国憲法も、「これに対して公訴提起されたときは起訴状に記載された事実が真実であつても何らの罪となるべき事実を包含していない(刑訴三三九条一項二号)として公訴を棄却すべきであろう。裁判権なしとして公訴を棄却すべきだという見解もある。裁判権を国会に譲渡したものと解するならば、この見解が正しいことになるが本条の趣旨がそうでないことは前述のとおりであるから(責任免除の特権を認めたのは政策的考慮から処分を免除し、発言の自由を保障したもので行為自体を適法ならしめたのではない。又国会の自律的裁判権に委ねたものでもない)、この説をとることは困難であろう」とする(前掲書下巻(1)八〇八頁)。右と同説を採るものとして土橋友四郎、前掲書一六二頁がある。

兼子博士もこの立場において「議員の言論無答責の特権に関しても、仮に検察官が議員の言論を名誉毀損として起訴したとすれば、治外法権者のように人について裁判権が除外される場合ではなく、その行為が罪とならない関係に過ぎないので、刑事訴訟法上裁判権の欠缺に基く公訴棄却の判決をすべき事例には該当しない」と述べられる。(ジユリスト昭和三十五年六月十五日号前掲六三頁)。

裁判権なしとする立場で斎藤秀夫教授は次のように説く。

「議員の免責特権に関する刑事訴訟法的把握について、三権分立の思想を徹底し、司法権の立法府に対する干渉を排除するためという制度の趣旨を貫徹せしめる必要がある。従つて、もし誤つて議員の議院内においてなされた演説、討論または表決について起訴された場合は、裁判所は議員の議院における、かかる対策については裁判権を有しないものと解し、訴訟障碍に該当するものとして公訴棄却の裁判をなすべきものと解するのが正当である。すでに旧憲法の下においてすら、かかる場合について裁判所は裁判権を有せず、公訴棄却の裁判をなすべきものと解する正当な見解が存した(草野豹一郎「刑事法より観たる国会議員の議院に於ける意見および表決の自由」刑事判例研究三巻五四〇頁、五四六頁)。同じく旧憲法の下において訴訟障碍となるものと解した学者がいたが(佐伯千仭「一身的刑罰阻却原因」法学論叢三四巻三号四〇〇頁。ドイツにおいてかかる説をとるものとしては、Mezger, Strafrecht, 2 Aufl 1933. s. 74)、この立場においては、やはり公訴棄却説になるわけであろう。私は、新憲法の下では、旧憲法のときよりも、一層強い理由でもつて、裁判権なしとして公訴棄却の裁判をなすべきものと考える。反対説もあるが(法学協会、註解日本国憲法下巻(1)八〇八頁)、私はこれに同調することはできない。宮沢教授も公訴棄却説をとられたが、その理由は、議員のそれらの行為について公訴が提起されたとしても、それは何ら罪となるべき事実を包含していないものとして、その公訴は棄却されなくてはならない、というのである(日本国憲法コンメンタール三七六頁)。私は裁判権欠缺の理由の方が、この特権が同時に議院の特権であり、司法権の立法権に対する干渉を排除する制度の趣旨に合致すると考える。」と。(ジユリスト右同五八―五九頁)。

鈴木安蔵教授も、「免責特権が保障されているということの訴訟法的意味は、公訴の提起権がなく、裁判権がないということである」とされている。(ジユリスト右同五四頁)。

かように免責特権については訴訟法上の意義に関し学説上の対立がある。しかし憲法第五十一条本来の刑事訴訟法的意義をいうならば、その刑法上の意義が人の効力に関するものであるのに応じて裁判権を欠く場合だと解するのが正当であろう。それにしても起訴状自体の記述が明らかに免責特権に当たる場合を除き、その事実審理の可能性は勿論認めらるべきである。そうしてまた起訴状の記載自体からは当該行為が免責特権に当たるか否か明らかでない場合に公訴棄却の裁判を為しうるか否かを決するために本案に立ち入つて審理をすることが当然許さるべきもの、否むしろ同時に本案の審理を為すほかないものと解することは既に第一章序論で詳述したとおりである。

第三節  イギリスにおける免責特権に関する裁判権の問題

この点については既に前記黒田教授の主張中にメイの著書からの引用が若干あり、本件弁護人らの公訴棄却の主張中にもその有力な支柱だとして引用されているところでもあるが、弁護人のこの点の理解には誤解と思われる点も存在し、本件の解決に当つてはさらに十分にメイの説を検討する必要がある。そこで以下にその著書((Sir Thomas Erskine May's“Treatise on the law, privileges, proceedings and usage of Parliament.”16 th. ed. 1957)中、第四章言論の自由の特権(Privilege of free-dom of speech pp. 48-66)および第九章議員特権に関する裁判権の問題(Jurisdic-tion of courts of law in matters of Pri-vilege. pp. 150-174)中の記載を左に掲げる。

これらの記載を通してわれわれの知りうることは、英国においても議員特権の裁判権については理論上争いがあり、今日なお明確にこれが決定を見ていないこと、特に議事手続に付随して発生した犯罪行為に対する刑事裁判権の問題は困難なものとして未解決のまま残されているということである。黒田教授の説かれるが如く犯罪行為に関しては免責されることがないとは断定できないことが看取されるのである。

(1)  ジヨン・エリオツトらの事件。イギリスにおいて言論の自由(国会での)の特権が弾劾された最後はかの有名なジヨン・エリオツトらの事件である。これはチヤールス一世即位第五年にエリオツトやデンチル・ホリスおよびベンジヤミン・ヴアレンタインらが彼らの国会における行動の故に王座裁判所で有罪判決を受けた事件で、その内容は前述した。

一六四一年七月八日下院は前記王座裁判所のエリオツトらに対するすべての手続が国会法と国会における特権を侵害したものであつたことを宣言した。そうして前記判決は、ヘンリー八世治下第四年の法律がストロードを救助するための個人的法律であつて一般的な適用がないという誤つた仮定の下に、国会の特権を侵害したものであるとされた。下院は、右判決に示されたような法律解釈を否定するために一六六七年十一月十二日と十三日に「ヘンリー八世即位第四年のリチヤード・ストロードに関する法律は国会両院のすべての議員に適用される一般法であり、かつ国会の古来からの特権を宣言したものである。そしてまたエリオツトらに対して王座裁判所が下した判決は不法のものであり国会の自由と特権とを侵害したものである」という趣旨の決議をした。上院も下院のこの決議に同調し、一六六八年四月十五日誤審令状によつて王座裁判所の前記判決を破棄した。その理由の一に「国会で語られた言葉は国会によつてのみ審判され、王座裁判所で審判されることはない」というのがあり、また他の一に「二つの犯罪が王座裁判所の判決で処理された。それは議長に対する暴行と国会における煽動的発言とであつた。前者が王座裁判所で審理されるのは適当であるとしても、国会で為された発言は国会以外で処理されてはならない」というのがある。

(2)  国会における議事手続と無関係に国会内で起こつた事柄について個々の議員の為した言動で国会の議事手続の一部を法律上の意味で形成するもの、たとえば議長席に着席している議長との正式な手続上の折衝、或は正式に構成された委員会での活動等は保護される権利を有するものである。院外で為された言動が議事手続に関連するものであるか否かについては後に触れることとするが、院内で議事手続中に為された言動のすべてが議事手続を形成するものとは必ずしも言い得ないのである。特定の発言或は行動で、手続の過程における如何なる仕事とも全く無関係なものがある。議会開会中に犯された犯罪のうち、どの範囲のものが議員の特権に値するかを決定するに当たつてはこれらのことを考慮に入れることが大切である。

コフイン対コフイン事件(次節で詳説する)でマサチユセツツ州最高裁判所は次のような判決をした。

「国会における討論の過程において院内で一人の議員が他の議員に対して為した誹謗的言辞は、たといそれに関係ある事柄がその当時の会議の討論の議題であり、かつまた将来考慮すべき問題であつたとしても、国会の特権として保護されることはない」と。

また公共機密保護に関する法律による委員会の見解に次のようなものがある。曰く「国会における私的な会話は必ずしも議事手続の一部を成すとは言えない。こういう過程で情報を洩らした議員は特権によつて保護されることはできない。もつとも彼の有罪判決を獲得するに足りる証拠が議院の許諾なしには蒐集できないであろうけれども」と。

(3)  国会における議事手続と刑法。国会の特権は刑事上の事柄には及ばないから議員は院内における言動中に行なわれた犯罪については刑事手続に服さなければならないということはよく言われている。しかしこのことは院内における言論の自由の特権と院外における不逮捕特権とを混同することになりやすい。国会における議事手続については院外における不逮捕特権に適用される制限がないからである。国会における言動中には刑事裁判手続に服さざるを得ないものが間々あることは実際であるが、それはそれらの行為が国会における議事手続の一部を構成しないためにほかならない。この問題については国会内における犯罪的言辞と犯罪的行為とに分けて論ずることが便宜であろうと思われる。

(4)  国会内における犯罪的言辞。議員は討論中に発せられた如何なる言辞についても、たといそれが犯罪の性質を帯びていようとも、通常裁判所の手続に服しないということは確立された原理となつている。権利章典の第九項はこのことを明らかにするために作られたものである。よくよくこじつけの解釈でもしない限り国会における討論中に話される言辞は議事手続という概念の範疇の外に出ることはあり得ないのである。この原則は、かのジヨン・エリオツトとその同志の議員に対する王座裁判所の判決を、国会において為された言論は如何なる性質のものと雖も国会外では審問されることはないとの理由をもつて破棄した上院の決議によつてもまた確立されたところである。

(5)  国会内における犯罪的行為。国会内で行なわれた犯罪的行為についてはその犯罪の行なわれた議院の専属的な裁判権に服するか否かという問題について疑いがある。前述したエリオツト事件に関する上院の判断においては、議長に対する暴行が王座裁判所で正確に審理判断されたといえるかどうかは未解決の問題として残されたが、この点については上院はなかなか慎重であつたわけである。もつとも、その点が法律上の判断を受けたらしいことは誤審令状を発布するに先立つて行なわれた両院協議会における下院の交渉委員の一人によつて認められてはいたのであつた。ブラツドラーフ対ゴーセツト事件でステイーブン裁判官は、「下院の中で行なわれた通常の犯罪が通常の刑事裁判手続には服しないという主張を権威づける根拠について私は何も知るところがない」と述べている。同裁判官が直ちにエリオツト事件に言及し、「国会における議員の発言は通常裁判所において犯罪として取り扱われることは絶対にない」という主張を受け入れているところからすれば、この練達の裁判官の脳裡に去来したものは犯罪的言論とは区別されるところの犯罪的行為であつたろうと想像されるのである。

議院内で行なわれた犯罪的行為が刑事裁判手続の外にあり得ないことは一般的原則としてはなるほど真実であろう。しかしこの原則にも例外がないとは言えないのである。そして原則も例外も、特定の行為が国会における議事手続と認められるか否かの事実にかかつていると言えるのである。ブラツドラーフ対アースキン事件(Bradlaugh v. Erskine)では、守衛補が暴行罪で起訴されたが、その暴行はブラツドラーフを議院から退去せしむべき院の命令実行中に為された行為で、正当であると判断された。

議員が国会の議事手続に参加している際に為す討論や表決におけると同様に議院の構内で命令を執行する職員は国会における手続に関与しているといえるのであり、従つてまた裁判所における手続においても議員と全く同様の立場にあるのである。クーリツジ卿も言つたように「議院は一つの集合体としてそれ自体では活動できないのであつて、その活動は職員の行為によつて為されなければならないのである」。

右の場合と異なり、議院内で議員個人の犯した犯罪的行為が議事手続の一部を構成するか否かを明らかにすることは困難である。既に指摘したように慣習上の少数の形式的行為を除いては議員の議事手続への寄与は言論に限られるのである。

エリオツト事件以外に議員が国会で犯罪的行為をしたとして通常裁判所に起訴されたということは聞いたことがないのである。判決例がないために、国会で犯された犯罪について裁判所が如何なる見解を採るであろうかということ、すなわち刑法の適用という観点から裁判所が国会における行為を言論から区別するか否かというようなことは、今日これを知る手段はないのである。

国会で犯された犯罪については、その犯罪の行なわれた議院が自己の裁判権を行使するか犯行者を刑事裁判所に引き渡すかの決定権を自分が握つていると主張するだろう。ただ、この決定をするに当たつては、犯罪の性質および多少の柔軟性は欠くが議会の科しうる刑罰の適、不適等の考慮がその指針となるであろうことは殆ど疑いのないところである。

(6)  議員の特権に関する裁判権の問題。国会議員の権限に関する種々の事例について国会と裁判所の裁判権に明確な境界線を引くことは憲法上非常に困難な問題である。この問題は特に十七世紀から十九世紀にかけて多くの難しい事例において惹起された。歴史を回顧すると、国会ではこの問題に関する矛盾した先例があり、裁判所側においても種々の見解や判断が為されて来た。歴史上の長い論争の過程において、国会議員の特権の本質が如何なるものであるかということや立法部と司法部とはどんな関係にあるのかということについて多くの解明がなされたが、それでもなお未解決の問題が今日少からず存するのである。この問題に関する論争は遠い過去に遡るが、十七世紀までは実際上さして重要性は無かつた。

国会と裁判所との両者に共通に認められていたことは、そのいわゆる「特権」が、「国会の法と慣習とである」ということであつた。論争における問題点はまず第一に、国会の法は特別法であるかそれとも広い意味のコモンローの一部であるか、すなわち国会の法はコモンローに優先するものであるか否かという点である。次に第二として、事件に第三者の権利が介在している場合にも議会にのみ裁判権があるといつていて実際上差し支えないものかどうか、また或る場合に裁判所が裁判権を持つとしてそれはどんな種類の事件に限るのかという問題等があるのである。そしてさらにまた仮に事件を裁判所が裁くとして裁判官は国会の法解釈を単に右へならえ式にした法の適用をせねばならぬのか、それとも国会法について裁判官の自由な解釈適用ができるのかという問題があるのである。この問題はそれほど単純に劃一的な解釈はできないのである。特権問題の生ずる種類のあまりにも多いことと、訴訟の本質に触れる複雑な関係とのためである。

二つの憲法上の機関は、おのおのの領域においてはいずれも最高で、どちらも他に追従することを肯んじないことにおいて確信を、時には熱情をも持つこの二つの機関の間には完全な対立と衝突があるように思われた。すなわち一方国会の各院は新たなる特権を創造することができないことは認めつつも、その特権の判定については唯一絶対の審判者であることを要求した。他方、裁判所は特権と雖も国法の一部であり、自己の裁判権のもとにある事件についてはすべて、たとえその中に「特権問題」が混入していようと、これが裁判を為すべきであると主張した。これらの相対立する要求と主張との間に正式の妥協は無かつたが、お互いに多くの事件を処理して行くうちに両者の間には或る程度の和解が成立するに至つたのである。

(7)  両議院の見解。両議院はいずれも自己の特権について絶対の審判者であると主張した。しかしこの問題について裁判所と論争したのは主として下院である。昔はこの特権を維持することが下院にとつては死活問題であつた。その特権は王や領主に対して下院の独立を保ちその存立そのものを図る上にも必要なものであつた。従つてその特権が何であるかを決定する権利を国の他の如何なる機関にもこれを許容することは絶対にできなかつた。この権利を裁判所に譲歩することは究極において下院の特権を上院の自由に任すことを意味するものと考えられたからである。

(8)  裁判所の見解。国会の優位と国会法を特別法扱いにすることに永い間屈服を余儀なくされた後、裁判所は十七世紀末頃から、国会の最高法廷という憲法上の地位と、国会の各院単独の憲法上の地位との間に一線を劃し始めた。そして国会の特権も裁判所の取り扱う国法の一部門に過ぎないということを主張し始めた。両院がいずれも新たなる特権を創造し得ないことを承認していることはとりも直さず特権の範囲が確定しうるものであることを示すものであると裁判所は指摘した。そしてまた下院の決定は過去において往々両立しないものがあつたし、上院のそれとは矛盾したものであつて、特権の要求はしばしば乱用されることもあつたということを裁判所は示した。特権について裁判所に裁判権を認めることは結局上院を裁判官にするという下院の反対論に対しては裁判所は「それはそうであるとしても両院の特権は広義において相等しいものであるから上院は下院の特権を削ることについて利益をうるものとは言い得ず、そのことは下院を傷つけることにはならないであろう」と答えた。そして裁判所はさらに「議会の特権が介入する事件について審理を拒否することは下院が訴訟の両当事者に対してなんらの救済をも為し得ず、損害賠償を与えることもできず、結局両当事者の紛争の解決に資するところがないから、多くの事件において正義を維持することができなくなる」と論じたのである。

(9)  国会と裁判所の妥協。問題はかくて特権法と一般法とを如何に妥協せしめるかということになつたのである。

裁判所によつて漸次に作り出されていつた解決策は、法廷に現われた訴訟中に生ずる特権問題はすべて原則として、これを解決する権利を裁判所は有すると主張することであつた。ただしかしこの主張も国会の裁判権を相当大巾に認める例外的の場合を保留するという条件付きであつた。この例外的な場合の中で特に重大なものと考えられたものが二つある。その一は、国会の各議院がおのおのの内部手続については絶対排他的な裁判権を持つということであり、他の一は国会侮辱に対しては各議院自らが処理しかつ処罰する権限を持つということであつた。裁判所の右のような考え方に対しては各議院とも正式にこれを承認したなどとは到底言えなかつたけれども、一世紀間にわたつてこのことについて格別の衝突も起こらなかつたということは暗黙の了解が或る程度成立したことを示すものであつた。

十九世紀初頭に起こつた二大訴訟事件、すなわち一八一〇年のバーデツト対アボツト事件(Burdett v. Abbot)および一八三七年のストツクデール対ハンサアート事件(Stockdale v. Hansard)の教訓は、下院と裁判所とにこの国会の特権問題についてあらためて広汎な領域にわたつて観察を強いた結果、下院で特権という名目で主張されるもののうちには、裁判所で法律上到底これを支持できないものがあることが明らかにされるに至つた。国会法も一般法の一部分に過ぎないこと、その原理は裁判官の法律上の知識で了解できないものではないこと、その特権の限界を確定することはコモンロー裁判所の義務であること、これらの諸原則はもはや論議の余地のない程明らかなものとなつた。ただそれでもなお国会の裁判権が絶対かつ排他的に存する領域が多少残されていることもまた認められていた。裁判所はこの領域を確定することとそのよつて立つ原則を説明する仕事にとりかかつた。このことは長い年月を要した後、一八八四年ブラツドラーフ対ゴーセツト事件(Bradlaugh v. Gos-sett)におけるステイーブン裁判官のかの有名な判決によつて完成されるに至つたのである。

国会と裁判所の「特権」に関する裁判権の境界を決定するためには個々の具体的事件の解決だけでは満足すべき指針が得られず一般的標準を設定しなければならない。そこで裁判所の得た結論は裁判所に現われた訴訟事件において国会の特権を包含する問題はすべて裁判所がこれを解決する権利を有するということを主張することであつた。ただ国会の各院がその権威と実力を失墜する危惧のある場合だけ、その独占的裁判権を承認するに止まるのである。かようにして決定された標準は必ずしも目新しいものではなく古い昔の事件の裁判でも少からず認められたものではあつた。しかしその頃の議論はただ国会の各院が本来の職務を遂行するに必要な範囲はどの程度のものであるかを決することだけであつた。そしてその必要な範囲として裁判所が屡次の判決で打ち出した結果といえば、(1)各院の内部手続事項、(2)各院の国会侮辱制裁権の二つであり、かような定め方は司法部関係者らからは絶大な支持を受けた。ところで右のようには定められてもなお、議院の内部手続とは如何なるものであるかということと、国会侮辱とはどんなことであるかを裁判所が或る場合には決定する権限を保留しているということを例証する裁判上の資料もまた少からず存在するのである。また国会の両議院もただ単にそれぞれの独占的裁判権を主張するに急なあまり行為の裁判上の究明を避けようとしたり、問題をすべて単に議会の特権であると主張することによつてのみ片付けようとするものでもないのである。

(10)  議院の内部手続。コークとブラツクストーン(後者によれば国会の全法律と慣習の起源と言われている)によつて言い出された法律上の格言、すなわち「国会の各院に関して生じた事項はすべてその関係する当該議院において調査され、論議され、審判されるべきもので他の如何なる機関によつてもこれらのことがなされてはならない」という格言はストツクデール対ハンサード事件における判決の結果、実際上はもつぱら各院の内部手続に関する事項に限定されるに至つたのである。裁判所は「事柄が議院の内部手続、すなわち院内で終始したものについては裁判所に裁判権のないことは明らかである。ただ犯罪行為については、たといそれが『国会における議事手続』という言葉で掩護されることができても右の例外となるものである」ということを承認したのであつた。

ブラツドラーフ対ゴーセツト事件の判決では次のことが判示された。「下院はその内部手続のみに関する法律の執行については裁判所の統制に服しないこと、そして院内における権利に関する法律規定の解釈についてたとい院に誤りがあつても、裁判所はそれに対していささかも干渉する権能はないということ、そしてまたこの目的のために国会は法律を実際上改廃できる」ということである。裁判所によつて完全に承認されたこの原則の意義は既に述べた言論の自由の箇所において明らかなところである。

下院が国会の特権侵害について自ら審判する権限を裁判所から承認されたことについて下院はこのことは理論上、特権それ自体の存在ならびに範囲を下院自身が決定する権限を有することを意味すると主張するのである。下院は従来からその特権が国会以外の如何なる裁判所においても問題にされたり決定に委ねられたりすることは特権を侵害するものであるとの主張を堅持しており、これを放棄するなどということはあり得なかつたのである。換言すれば下院は自己の特権については絶対唯一の審判者であり、その審判に対しては他の如何なる裁判所にも上訴は許されず、再審されることもないことを主張するのである。

ところで他面、裁判所は議会の特権を裁判所がこの上もなく大切にする国法の一部とみなしているのである。裁判所は自己の裁判権の中で取り扱う事件に直接もしくは間接に生ずる国会の特権問題については何事によらずこれを判断し、かつその問題を自己自身の法律解釈によつて決定しなければならぬ義務があると考えるのである。

かようにして裁判所の判決は国会の特権に関する事項については国会側によつて自己を拘束するものではないとされ、反面また国会の決定も裁判所側からは自己を拘束するものではないと考えられた。そしてこの古い二元主義は未解決のままで残された。従つて理論上は特定の時点において裁判所と国会とおのおのの主張する二種類の「特権」解釈が存することとなり、一方は判例集に、他方は国会議事録に登載されることとなる訳で、従つてもし両者が衝突するときは問題を真に解決する手段は全く見出されないこととなるのである。

然しながら実際上はこの「特権」に関する裁判権の争いは思つたほど危惧されることはなく妥協点に達することが多いのである。

(1)  国会の特権問題を決定するに当たつては、各院のいずれも独自には最高法廷としての国会(両院に分割されることのない)が享有するところの正義の裁判に対しては自己の優越を主張することがないのである。王と二院とから成り立つ国会の最高性は各院独自に活動するところの特別裁判権にはなんらの関係も持たない立法機関としての至上性である。

(2)  両院のいずれも特権の裁判に当たつては独自では法律になんら加うることがないのであるから新しい特権を創造するような宣言をすることはあり得ないということを両院とも認めているのである。このことは国会の特権なるものが客観的なものでありその限界は確定可能なものであること、すなわちそれは裁判所によつて認識されうるものであることを意味しているのである。

他面、裁判所は次の各事実を承認している。

(3)  国会の各院がその内部手続に関して有する支配権は絶対であり、裁判所の干渉できないところである。

(4)  各議院が国会侮辱者に対して有する拘禁の権限は独占的のものである。これは拘禁状に如何なる事実が国会侮辱を構成するかを記載する必要がないとされていることからも当然である。

両者の妥協範囲はかように幅の広いものである。国会各議院の院内での権利に関する議院の裁判権は絶対であり、また院外での権利で裁判所が訴訟上接触を持つものでも国会侮辱や特権侵害に関することとならば実際上はやはり右と同様のこととなるので国会と裁判所との裁判権の衝突することは殆どなくなるのである。

第四節  アメリカ合衆国における免責特権に関する裁判権の問題

この節では合衆国憲法に規定された免責特権と裁判権に関する問題を、主としてマサチユセツツ州最高裁判所の判例に即して考えてみることとする(この判例は合衆国連邦最高裁判所によつて免責特権の解釈が踏襲されている重要なもので前記メイの著書にもその結論が引用されている)。

第一  合衆国憲法の免責特権に関する解釈。

合衆国憲法第一条第六節第一項後段には国会議員の免責特権につき「議員は議院内における発言もしくは討論について議院以外において審問を受けることがない」(“……for any Speech or Debate in either House, they shall not be quesitoned in any other Place”)と規定されている。

この免責特権の対象となる行為は判例上、討論中の言辞に限定されることなく、文書による報告、提案された決議、表決行為およびその他議員が議院での議事手続に関連して会期中に為したすべての事柄に及ぶとされている。キルバーン対トンプソン事件(Kilbourn v. Thomp-son. 103. U. S. 168, 203, 204(1881))において連邦最高裁判所は、議員の免責を広範囲に認めている初期のマサチユセツツにおけるコフイン対コフイン事件(William Coffin v. Micajah Coffin. 4 Mass 1,(1808).この内容については後に詳述する)のパースンス裁判長の意見から次の箇所を引用してこれに賛成した。「これらの特権は議員を彼自身の利益のために検察権に対して保護する意図をもつてではなく、むしろ国民の代表者である議員がその職務上の権限を民事上もしくは刑事上訴追される恐れなしに行使できるようにすることによつて国民の権利を擁護するために保障されているのである。従つて私は次のように考える。この免責特権の条文は厳格に解釈されるべきではなく、むしろそれはゆるやかに解釈されるべきものである。そうすることによつてのみこの条文の意図するところが十分に保障されることになる。この特権は、演説すること、意見を述べることもしくは討論に参加すること等に限定さるべきではない。それは表決をし、文書による報告を行なう等の行為のほか、職務執行の性質上行なえる一切の行為にまで拡張せらるべきである。私はこの条文を議会のすべての議員に対して、国民を代表する機関としての職責を行なうためにした一切の発言および行為で議院の規則に従つた通常のものか、規則に違反したものであるかを問わず、これについてことごとく起訴を免れることを保障するものであると理解する。

私はまたそれを議院内における議員の職務の範囲内に限定しない。議員が議会の議場以外においてもこの特権を持つ資格を有する場合があると確信する」。

なおこの特権に関してジエフアソンの議事先例提要(Jefferson's Manual of Parliamentary Practice)には以下のような解説がある(これはアメリカ合衆国第三代大統領トマス・ジエフアソンが一七九七年に副大統領であつて上院議長となつていたときに自分の執務参考用として英国の議会先例を書き留めておいたもので、下院でも一八三七年にこれを適用することに決定した)。

「議員は院内における言論または討論について、院外で審問されることはない。しかしこれは議事に関して院内において行なわれた事項に限られる。議員は議員たる地位および本分の限界を超えて議会道徳に反する特権を有するようなことはないからである。

議員が院内で犯罪を行なつた場合には裁判権を有するその議院がこの議員を自ら処罰するかまたは通常裁判所の裁判手続にゆだねるかしない前に個人または通常裁判所がこの事件を取り上げることは議院および議員の権利の侵害である。この特権は議院の権限に属し、下級裁判所の訴訟に対する一つの制限となるものであるが、議院自体の権能を制限するものではない。議院内における発言はすべて議院そのものの批判に付せられる」。

第二  コフイン対コフイン事件におけるマサチユセツツ州最高裁判所の判例(Wil-liam Coffin v. Micajah Coffin. 4 Mass 1, 1808)。

本件は原告ウイリアム・コフインが被告ミカジヤー・コフインを相手取つて提起した名誉毀損による損害賠償請求事件で、原告の主張は、マサチユセツツ州下院議員である被告が議会において他の議員らの面前で原告を罪人呼ばわりしてその名誉を故意に毀損したというのであつた。これに対し被告は「右発言が仮に為されたとしても、それは同人が当時下院議員として院内で職務執行(公証人の任命に関する事項についての審議)中のことで、その発言は職務に関連のある行為として無答責である」と抗弁した。

証拠によつて認定された事実は次のようなものであつた。

被告と同僚であつたベンジヤミン・ラツセルが新しい公証人を任命するための決議案を提出したが、その基礎となる資料の出所について被告から院内で尋ねられ、丁度居合わせた原告を指して「彼から提供を受けた」と答えたところ、被告は「何、あの罪人が」と叫んだ。驚いたラツセルが被告に対し、「君は何を言つているのだ」と問い返したところ、被告はなおも「君はナンタケツト銀行の事件を知らないのか」と言つて、当時発生したナンタケツト郡銀行の強盗被害事件の話を持ち出し、ラツセルが「いや、それは知つているが彼は立派に釈放されたのだ」と答えると、「それだからと言つて無実だとは言えまい」と言つて、右事件の犯人があたかも原告であるかのように言いなして原告の名誉を毀損するような言辞を吐いた、というのである。

そこで本件では被告の行為が免責特権の対衆となるかの法律問題が論争の的となつた。以下にその訴訟記録によつて免責特権に関するアメリカ合衆国法曹の考え方を探つてみることとする。記録はReports of cases argued and deter-mined in the Supreme Judicial Court of the Commonwealth of Massachu-setts. Vol. Ⅲ. Containing the cases from June, 1807. to the end of the year, By Dudley Atkins Tyng, Esq. Counsellor at law.である(以下の訳出においてはマサチユセツツ州議会を国会とし州住民を国民とした)。

マサチユセツツ州憲法第一編「マサチユセツツ邦(Commonwealth of Mas-sachusetts)住民の権利の宣言」第二十一条は、「国会の各議院における審議、演説、討論の自由は国民の権利を擁護するために絶対不可欠であるから、如何なる法廷もしくは他の機関によつても問責、起訴、告発等をされることはない」と規定している(“The freedom of de-liberation, speech, and debate, in eith-er house of the legislature, is so es-sential to the rights of the people, that it cannot be the foundation of any accusation or prosecution, action or complaint, in any other court or place whatsoever.”Dec. of Rights, Art. 21.)。

また下院は憲法によつて院内手続に関する規則ならびに命令の制定権を与えられている(同憲法第十条第三節)ので、それらの規定等に関する解釈、その遵守の強制およびその違反に対する処罰権等をもつている。

法務長官ビツドウエル(被告訴訟代理人)の意見は次のとおりである。「議院は憲法上右のような特権とともにこれらの特権を行使すべき態様の是非の判断等の権利も与えられているから、議院だけがその特権の範囲の判断者であり、議員がこれを乱用した場合にもその責任を問うべき唯一の法廷は議院である。このことは目新しい議論ではなく、法律の歴史と共に古くから存する原理である。国会の特権に関する各議院の判断は永年にわたつて通常裁判所に対しこれを争うことを許さなかつた。ヘンリー六世の治下第三十一年に、国会の特権に関する上院の質問に対し裁判長ジヨン・フオーテスキユーは、「裁判所は国会の最高法廷の特権を云々すべきかとの質問に対しては返答すべきではない。国会の最高法廷はその本質上、至高の権力者であつて法律の制定者であり、国会の特権の判断を決定するものは国会の上院であつて裁判所ではない」と宣言した。わが憲法起草者がその学説を採用したところのデ・ローム氏は「国会の各院はその討論について完壁な自由を有する。その討議の題目は政治上の事項の如何なる種類の不平、苦情たろうと監視たろうとを問わないのである。各院は如何なる干渉も受けずに思いのままの題目について討議が許されているのである。要するに両院で為される討議の自由は何者によつても制限されず拘束を受けないもので、この院内において享受される特権は結局院内で為されたすべての言動について院外では決して問責されないということにあるのである」と言つている。ウイリアム・ブラツクストーンも前記フオーテスキユー判事の宣言を彼の註釈書の中に引用してこれを当時における法律上の原則なりとしている。かような議院の特権は常に裁判所によつて尊重され来たつたのである。

憲法が国会に付与した特権に関する事項については当該議院が最高法廷であり、特権の本質ならびに範囲に関する判断についての最終審裁判所である。その判決は他の如何なる裁判所によつても誤謬ありとして破棄されることはない。他の如何なる法廷も右判決に誤謬が存するか否かを審査することは越権行為として許されない。このことはわが邦政治の根本理論であり、国会の特権はこれを基盤として存立するのである。一八〇八年三月一日、マサセチユツツ州下院は次のような決議をした。「当下院は国民の権利と憲法の原理とを守り、国家の他の機関から加えられる不当な干渉を排除するために以下の決議を宣言する。当院の院内における議員の発言は討議の題目に関するものである限り個人でしたものたると両院協議会において為されたるとを問わずまた演説たると議員相互の討論たるとを問わず、その是非の判断に関する裁判権は当院が唯一絶対にこれを有するもので他の如何なる裁判所もしくは国家機関もこれに干渉することは許されない。かような発言に対する裁判権を他の機関が持つことは院の特権の侵害であり、国会各院における審議、演説、討論の自由を明白に保障した憲法の規定を破るものである」と。この決議は議員が院内で発した言辞は正式の討論中たると他の議員との談論中たるとを問わず憲法上の免責特権の対象となるとしたものでその理由は明白である。国会は議員のする審議、演説、討論の態様については絶対の責任者であるから如何なる他の裁判所も議員の発言が秩序に反するものか否か、また秩序に反した場合はどんな結果をその議員が与えられるかはこれを決定する権限を有しないからである。かような問題については議院のみがその裁判権を有するのである。議員がその発言を立つたまましたか、着席中にしたか、帽子を被つていたか脱いでいたか、彼が所定の席に着いていたか、院内の他の場所にいたか、議長に対する公の発言か他の同僚議員との私的な協議か、議題が提案された後か、それに対するなんらかの動議の提出される前か、規則どおりに正しく行なわれたか、それとも規則に違反して為されたか等についての判断をする権限は他の如何なる裁判所にも与えられてはいないのである。それらの言辞が国会の開会中院内で為されたものである限り憲法の免責特権の対象となり、それがどんなに不適当なものと考えられてもそれらは他の裁判所で問責されることはないのである。免責の対象となる議員のした発言は会期中のものでさえあれば、どんなに秩序をみだすものでも不適当なものでも差支えないのである。何故ならば、かような発言に対しては院がこれを監督し、議員がその特権を乱用すれば議院はこれを懲罰し、その濫用の対象とされた人に対して正義を維持する権限を有しているからである。この懲罰は、なるほど通常裁判所におけるように被害者に対する損害賠償というような形式ではなされないけれども、しかし院内の手続を正しく維持するという目的にはかなつたものであり、議員らにとつては結構満足のできる方法と言いうるのである。

憲法でいう「国会の各議院における」という言葉は議院を囲繞する国会の建物や外壁を意味するのではない。それは組織された議院の集会において議員が職務を執行中という意味である。下院における現行法規中ここでいう「議院における」という言葉の意味をもつ場合は五十以上も定められている。そこで議員が彼の職務を執行中である限りはただその限りにおいて憲法の免責特権を享有するのである。議員はまたこの限りにおいて憲法が免責特権を付与する目的にかなう議員たるの地位を保有するのである。

右の法務長官の弁論中免責特権の対象となる行為の範囲について裁判長との間に次のような問答が為された。

裁判長の問。

「貴下の主張される特権は言辞のみならず行為にも及ぶか。たとえば議員の院内における他人に対する暴行もしくは打擲等にも及ぶか。かような行為をした議員に対しては通常裁判所で民事上或は刑事上の責任を問うことはできないか。」

法務長官の答「それは勿論及ばない。憲法によつて保障されるのは審議、演説、討論のみの自由であつて暴行や打擲はこれにはいらないからである。言論の自由の乱用は無答責であるが、他人の権利に対する侵害行為は問責されるのである。」

パースンス裁判長の意見(これが結局判決理由となる。陪席裁判官とも全員一致の意見だつたからである。)

「この条文を解釈するときに私にはそれらの特権が議院の特権というよりも議院の構成員たる各議員の特権であり、従つてそれは院の意思に反してさえ行使できるものと考えられるのである。何故ならば議員がこの特権を保有するのは院のためではなくて、憲法に示されているようにこれらの特権が国民の意思によつて与えられたものであるからであり、それは国会の両院の意思以上のものだからである。この見地からすればこの特権は、憲法の他の規定で議員各人に与えられている議院への往復の途次におけるかの不逮捕特権と近似するものである。これらの議員の特権は院の議決や国会の規則によつてこれを奪うことはできないものである。これらの特権は議員を彼自身の利益のために検察権に対して保護する意図をもつてではなく、むしろ国民の代表者である議員がその職務上の権限を民事上もしくは刑事上訴追される恐れなしに行使できるようにすることによつて国民の権利を擁護するために保障されているのである。従つて私は次のように考える。この免責特権の条文は厳格に解釈されるべきではなく、むしろそれはゆるやかに解釈せらるべきものである。そうすることによつてのみこの条文の意図するところが十分に保障されることになる。この特権は演説すること、意見を述べることもしくは討論に参加することに限定さるべきではない。それは表決をし、文書による報告を行なう等の行為のほか職務執行の性質上行なえる一切の行為にまで拡張せられるべきである。私はこの条文を議会のすべての議員に対して国民を代表する機関としての職責を果すためにした一切の発言および行為で議院の規則に従つた通常のものか議院の規則に違反したものであるかを問わずこれについてことごとく起訴を免れることを保障するものであると理解する。私はまたそれを議院内における議員の職務の範囲内に限定しない。議員が議会の議場以外においてもこの特権を持つ資格を有する場合があると確信する。

議員は議会が存在しなければその議会の構成員としての自己の職務を執行することはできない。議員がこの特権を主張しうるためには国会は会期中でなければならぬ。そして議員の便宜上、暫時休憩するとか折々休会しても国会の会期中というに妨げない。それ故に議員が議場外にあつても院の委任事務を行なうために委員会に出席しているような場合にも議員はこの特権を与えられなければならない。そこで委員会で討論するとか、議案に賛成するとか、報告書を起草するとか、議員としての彼の職務の執行中に為された発言もしくは行為はすべて民事或は刑事上の責任を問われることはないといわなければならない。

議院が特定の意図および目的をもつて特権事項につき独占的裁判権を持つことは結構だが、そのために議員の特権の判断に関する通常裁判所の裁判権をあらゆる場合に拒否するというならばそれはかえつて議員にとつて不幸な結果を招くこととなろう。もしも議員が何らかの訴訟で彼の特権を抗弁とするときはそれを裁判所の判断にゆだねなければならず、それが容認されるとすれば、それは正に裁判所の判決の功徳といわなければならない。それ故に裁判所はこの種抗弁の判断によつて国会の特権を侵害するおそれのある場合にこれを却下しさえすればよいのである。

下院は国会の構成部分の一つであり両院協議会の欠くべからざる要素としてばかりでなく、その裁判権の範囲内にあるあらゆる事柄についてこれを裁判するための独占的かつ終局的裁判権をもつ法廷であると私は考える。下院は議員の選挙に関する事柄についての裁判権、その職員の選任権、議事規則の制定権、国会に対する直接的な或は議員の憲法上の特権を侵害するというようなあらゆる種類の国会侮辱に対する懲罰権を持つている。議員が法廷としてその手続を執行する場合はその事件が自己の裁判権の範囲内にあるか否かを他の如何なる裁判所の制肘も受けず独占的に決定する権限を持つ。国会侮辱については侮辱の故にその行為者を処罰する手続をとる。通常裁判所は州に対する犯罪の処罰とか、個人の不法行為に対する救済手続を主宰する。そこで同一の行為が国会侮辱となる反面、州に対する犯罪とか、個人に対する不法行為とかを構成する場合にはそのすべての点に関して裁判所は犯行者に対する訴訟手続を進めることができるのである。

裁判所の手続は議会でする裁判手続を制肘することはできず、また議会も裁判所を拘束することはない。議会の裁判でも裁判所の裁判でもその結果がどうあろうとその執行についてはお互いに他から干渉されることはないのである。国会と裁判所とおのおのの裁判権に関する二つの法廷は独立であり、その裁判権に属する事柄について独占的裁判権を持つ。問責されるべき行為が一つであつてもそれに対する手続は各々別個な目的をもつており、二つの法廷の判決はお互いになんら干渉されることなく執行されるのである。従つてそこにはなんら裁判権上の衝突は起こらないのである。国会か裁判所かがその権限を乱用するというような極端な場合を考えても、そのおのおのの法律的判断に影響を与えるようなことはないのである。

私は本件がわれわれの裁判権の範囲内にあり、われわれの判断が決して国会の特権を侵害せず、また裁判権の衝突をも惹起しないと思う。私は本件に現われた法律事実が被告に対してその主張する特権を認容するものでないことを確信する。」

以上のような裁判長の意見に対して他の裁判官すなわち、シオドー・セドウイツク、サムウエル・シウオール、ジヨージ・サツチヤー、アイザツク・パーカーら四人の裁判官はおのおの全面的な賛成意見を表明し、結局全員一致で右のような判決となつたのである。

なおここで付言しておかなければならないことは、右の結論に示されたように結局被告の行為は職務執行々為ではなかつたと判断されていることである。この点に関する事実認定の要旨は被告が前記ラツセル議員から情報を得た後にそれに基いて議院の決議行為に資するなんらの行為もしなかつたことおよび原告に対する悪口はいかなる意味においても職務執行のための意図をもつて為されたものでないことである。

マサチユセツツ州最高裁判所の右の判決は同邦の憲法に規定された議員の免責特権の対象たる行為の範囲につき論及した点で重視され(メイの前掲書にも引用されている)その後合衆国憲法の同種規定に対する解釈の指針として連邦最高裁判所に採用されたことは既に述べたとおりであるが、われわれとして興味を覚えるのは右判決が国会議員の免責特権の対象となる行為の範囲の認定をしていることである。右コフイン対コフイン事件において下院議員たるミカジヤー・コフインの具体的行動が右行為に該当するかどうかの事実認定を通常の裁判所が為しうるとしている点は特に注目されなければならない。

また暴行や打擲という行為が免責の対象となるかについての裁判長と法務長官との前記問答も直接判決理由とは関係ないが参考とされるべきだろう。

イギリスでもアメリカ合衆国でも議員の免責特権に関する裁判権の問題は法理上難解なものとされていることは既に述べたとおりであるが、その困難なるにもかかわらず裁判所が事、第三者の権利に関係する限りともかくも審理と裁判をして来た実績を有していることはこれを否定することはできない。しかも国会が最高法廷としての歴史を有する英国においてさえ裁判所はその裁判権を主張し続けて来たのである。当裁判所は本件においても少くとも起訴状に記載された被告人らの行為が免責特権の対象たる行為の範囲内にあるか否かを審理する権限があるものとして審理をして来たのであるがこの主張の理由あることは以上の英、米における歴史的考察からしてもこれを実質的に裏付け得たものと確信する。

第十四章 いわゆる統治行為論について(第九章に掲げた弁護人の主張第七に関するもの。)

第一節 意義および沿革

今日の民主主義諸国における国家作用のうち高度の政治性を有するため司法審査の対象とならない「統治行為」なるものが観念上存在することは一般に承認されているところである。

この観念は、憲法上の具体的な根拠規定を欠くにも拘らずフランス、イギリス、アメリカ等において行政訴訟につき政治と裁判との関係に関連して論議され、長い沿革を経た後、各国においてそれぞれ並行して発展して来たものであつて、憲法および政治体制の相違によりその発展の程度は国によつて異なり、従つて政治と裁判との交渉関係も一様ではなかつたといえるのである。

しかしながら憲法制度の差異や司法権の性質の相違にもかかわらず、判例法上種々異なる法解釈のもとに、法治主義の高度に発達している右のような国々において、一定範囲の政治性の強い行為が裁判的統制の対象から除外されているという事実は特に意義深いものがあるといわなければならない。これわが最高裁判所の判例も後記のように、従来のわが国の実定法において知られていなかつたこの観念をついに承認するに至つた所以である。

そこで司法裁判所は出訴せられた事件につき統治行為が存在するか否かを職権をもつて判断しなければならないこととなる。司法審査の対象たる通常訴訟の前提問題として統治行為が問題となつた場合でも同様に解するのが通説である。

本件において被告人らの行為はそれ自体が統治行為とはいい得ないとしても、それは国会の法案審議の過程中に発生した行為であつて、統治行為と密接な関連を有するが故にこの問題について若干の考察を要するものがある(以下、統治行為論に関する沿革の大略とその理論構成について一瞥を与えるが、統治行為そのものが直接本件審理の対象となつてはいないから本件の解明に必要な限度に限定してこれを為すこととする)。

フランスでは行政作用を審理の対象とする機関であるコンセイユ・デタ(Conseild'Etat)の判例によつて古くからこの観念が構成され高度の政治性をもつた国家行為はかような裁判機関の審理の対象とするに不適当なものとしてその裁判を拒否し来たり、この種の行為を統治行為(actes de gouvernement)と呼んだ。フランス行政法の基本原理は「便宜性(opportunit)の自由な判断は行政官に、適法性(lgalit)のコントロールは裁判官に」というのであるから、行政裁判所は執行権によつて為される一切の行為についてその適法性を審査しうることが原則として認められている。しかしながらフランスにおける法治主義のもとで例外としてこれを制約するものに「議会行為」(acte parlementaire)と呼ばれるものと学説上“actes de gouvernement”と呼ばれる執行部の一群の行為との二つがある。この二つがいわゆる統治行為に当たる。

まず右のうち「議会行為」と呼ばれるものはその法律的内容の如何を問わず、議会、その機関、或はその構成員によつてその権能の行使として為されるあらゆる行為を意味するものと考えられている。従つて、そこには政府に対する政治的決議ないし票決(たとえば、信任、不信任の決議)、議院の構成に関する決議(たとえば選挙の審査)、内部組織ないし議事の進行に関する行為(選挙行為、議事規則の制定ないし変更、議事規則の規定の適用―ことに懲罰規定の適用行為)、内部行政に関する行為(職員、設備等に関する行為)等が含まれる。そして「議会行為」はあらゆる意味において完全に裁判権の外にあり判例法上あらゆる裁判的統制の対象から除外されている。かような「議会行為」に対する裁判権の排除の根拠は次のように言われている。すなわちコンセイユ・デタは一八七二年五月二四日の(コンセイユ・デタの組織に関する)法律第九号(コンセイユ・デタの管轄権が行政事件および行政官庁の行為にのみ及ぶことを定めている)につき議会は行政庁ではなくまた議会行為に関する事件は行政事件ではないという形式的な解釈を下しているからである。この極めて形式的な解釈に対してはデユエズ=ドベイル(Duez et De-beyre)がTraitde Droit Administratifにおいて「議会行為は、その具体的・個別的性質の故に実質的には行政行為であり、しかも議会は議会行為を為す場合、行政庁として行動するから、かような実質的規準によつて解釈すれば、第九号は議会行為に関する訴に対して絶対的な障碍をなすものではない」と批判している。

フランスでは革命時代以来の伝統として裁判権の立法権への介入を嫌う傾向が強く、訴訟の方法による法律の合憲性の裁判的統制が認められた例はない。裁判所は行政裁判所も司法裁判所も一貫して法律の最高性、立法権と司法権の分立、裁判所の立法部に対する従属性等を根拠として裁判所の法律審査権を拒否して来たのであつた。かような裁判所による法律の実質的審査権の認められない理由はひとえにフランスにおける権力分立の特色の一つである、議会がすべての国家機関のうちで中心的、優越的な地位を占めていることにあるのである。法律の合憲性についての裁判的統制に対するあらゆる反論は結局ルソーの「法律は一般意思(volonte generale)の行為である。しかるに一般意思は最高である。それ故、法律は統制され得ない」という思想(Rousseau,“Contrat Sociale”Libre Ⅱ, ch, Ⅵ)に帰着する。学説も、法律は一般意思の表明であり、裁判権は立法意思の単なる執行者であるとなし、フランスにおいて法律の合憲性の裁判的統制が認められない法的根拠をフランス公法の伝統的な二つの公理、すなわち法律の最高性と裁判官の立法府への従属性に求めている。結局「議会行為」が司法審査の対象から除外されているのはフランス憲法の背後にあつて議会優位の思想が伝統的に支配しているという歴史的・政治的理由に基くと見られているのである。

次に統治行為(acte de gouvernement)というのは政府および各種行政機関の行為のうちその政治的性質の故に如何なる意味においても司法審査の対象とならない一群の行為を意味するものと観念されている。何が統治行為であるかについては学説上争いがあり、(1)議会との関係において為す政府の行為と(2)外交行為との二つを除いては一致しない(なおこの点についてはワリーヌのリマトを後に掲げる)。宮沢教授は「かような統治行為の観念が生まれたのは専ら政治的・合目的的考慮の結果である」とされている(宮沢俊義「行政裁判と統治作用」佐々木教授還暦記念論文集・憲法及行政法の諸問題一八頁)。かような変則的な訴訟条件がフランスの判例法において形成されてきた理由はコンセイユ・デタの行為の政治的重要性を尊重し、それへの介入を避けようとする実際的・合目的的考慮の結果であるといわれる。デユエズは、コンセイユ・デタの判例政策の基礎になつている実際的・合目的的考慮として、

(1) 裁判官が議会との間に紛争の生ずるのを恐れること。

(2) 裁判官が政府に国際的困難をもたらすのを恐れること。

(3) 裁判官が政府に対しある種の事項に広汎な活動の自由を認める伝統を尊重すること。

の三点を挙げている。

スメントは言う。「統治行為は国家を指導する政治機関の政治的決定を含むものであつて、それはその性質上法律的評価を受けず、従つて法論理上裁判官の審査に服し得ない。統治作用は法律の執行ではなくその大部分は法的に規制されていない作用である。他方、司法の任務は法の適用にあるのであるが、政治においては明確な規範が存しないことが多く、このような場合に裁判官が決定をなすことは政治的な機関に代わつて政治的決定を為すことに帰着する。従つて裁判官は政治的な行為においてはそれが規範化されている限度において審査すべきものでそれ以上は政治的機関の決定を尊重すべきものである」と。

カレ・ド・コルベールは言う。「行政はあらかじめ定められた立法に基く行為であり、法律の執行であるが、統治は自由な活動で法律の執行にはいらないのであつて、立法による授権を必要とせず、行政権に固有で法律以外の根拠に基くところの自由な発意によつて為される行為である。このような行政権の権能の根拠は憲法にほかならず、統治行為の理論は、憲法と通常の法律との区別の存在に直接に由来するのである」と。

しかし学者のうちには法治主義の立場から統治行為理論を認めることが被治者に対して危険であり、政府および行政機関に対して恣意的な行為を許す虞れがあるとしてこれに反対し、或は少くともその範囲をなるべく制限しようとする流れもある。

たとえばワリーヌは厳格な列挙によつてこれを示そうとした(その統治行為のリストは後に掲記するところである)。

通説は統治行為が司法審査の対象から除外される根拠を法理論によらず専ら政治的理由、すなわち行為の政治的性質のコンセイユ・デタの判例政策に求めるのである。

フランス法学者のこの問題に関する考えを宮沢教授は次のように述べられる。「統治行為の概念がかように専ら政治的合目的性の所産であることは学者によつて承認されているが、そこで人はしばしばその概念がなんら法理論的な必要に基いて生まれたのではないというような口吻をもらしている。たとえばジエーズは『統治行為と呼ばれる行為は特別の法理的性質をもつものではない。だからそれをもつて一般の裁判制度の例外とすべき法理的理由はない』といい、そう考えるのが論理の命ずるところであるが、事実は統治行為は裁判の外におかれてあるといい、またデユエズも『判例が与えている(統治行為に関する)経験的な結論はいずれも全く政治的な理由によつて説明せられる。統治行為の内容は法的必然の所産ではない。その行為のいずれもがその法的性質に基き裁判の対象とせられるに適しないというものではない。それらの行為はいずれも裁判の対象とせられている行為と異つた法的要素を具えてはいない。ただ判例政策的な考慮のみが裁判官の態度を説明する」といい、従つて統治行為というのは決して合理的に必要な概念ではないといつている(宮沢俊義「行政裁判と統治作用」佐々木博士還暦記念・憲法及行政法の諸問題一九頁)。

イギリスにおける司法審査を受けない国家行為としては、

(1) 議会法および議会特権。

(2) 大権に基く行為(act of State)の二つがある。

後者は国王の大権に基く統治行為で通常この問題について論ぜられるところが多く、またアメリカにもその思想が承継されているが、ここでは本件に関係あるものとして前者のみを採り上げる。

イギリスにおいて議会主権の確立以来裁判所は「議会法について裁判所が為しうることはそれを適用することのみである」という原則を貫いてきた。その根拠は裁判所は国王および立法府のサーバントであり、たとえ議会法が不適当に制定されたとしてもそれを訂正するのは立法府であり、それが法として存在する限り裁判所はこれに服従しなければならないというにあつた。なお裁判所は議会法の無効を理由にその通用を拒否し得ないばかりでなく、立法の過程にも関与し得ないとされている。この、裁判所は内容的にも形式的にも法律の審査権を有しないという原則は、ダイシーが指摘するようにひとえに議会主権の考え方に由来するのである。

すなわち議会特権に関する事項は裁判所の審査の対象から完全に除外されている。ただし特権の範囲の決定権限についてその裁判権に関し議会と裁判所との間に争いのあることは既に前述したとおりである。

アメリカ合衆国においては裁判所がいわゆる違憲立法審査権を有し、「司法権の優越」はアメリカ憲法の重要な特色の一つをなしている。アメリカにおいては裁判所の違憲立法審査権は司法権の本質から当然に由来するものと考えられており、その論拠は憲法が国の最高法規であり、裁判所によつて強制されうる法であるということに帰着する。

裁判所がいわゆる政治問題(political questions)に対して審査権を有しないということは、かのLuther v. Borden事件に関する古典的判決中首席判事のトウネー(Taney)の言葉、「もし本裁判所が原告の提議したこの審査にはいる権限があり、上記の期間、特許状政府が法律上存在していなかつたと判断したとするならば……その間に立法部が制定した法律は無効となり、税金は不法に徴収したこととなり、官吏に対する俸給および補償は違法に支払つたこととなり、会計は不当に決算したこととなり、裁判所の民事刑事の判決および宣告は無効となり、これらの判決を執行した官吏は場合により犯罪者とならないとしても不法行為者としての責任を負わなければならなくなる。本裁判所の判決がかかる結果を生ぜしめるに至るかも知れないとすれば、本裁判所がその審査を引き受ける前に自己の権限を極めて注意深く吟味することがその義務となつて来る」というに現れているが、Marbury v. Madison事件に関する判決の中で判事マーシヤル(Marshall)が、「その本質において政治的な問題、或は憲法または法律によつて執行部に委ねられている問題は本裁判所においては決定され得ない。裁判所の任務は個人の権利関係を決定することであつて行政部もしくは行政官の裁量権に属する義務の遂行を審査することではない」と述べて以来アメリカの判例法上確立された原則となつている。すなわち政治的に重要な問題或は政治権力の行使と考えられるような行為の適法性が訴訟上の争点となつている場合には、たとえそれが法律的判断の可能なものであつても(この点で政治問題は自由裁量と区別される)裁判所はその審査を拒否し、立法府ないし執行府の判断に従つているのである(Wil-loughby,“On the Constitution of the United States,”Vol. 2, p. 1326, Corwin,“Constitution of U. S. A.,”p. 546, et. seq.)。

政治問題が司法審査の対象から除外される根拠はウイロビーの説くところによれば、裁判所は他の権力―立法権および執行権―の政策や裁量の分野には立ち入らないというアメリカ司法部の伝統に基礎を有するというにある。

政治問題が法律問題を含む場合にも何故に司法審査の対象から除外されるかについて多くの判例はその根拠を権力分立の原則に求め、政治問題は憲法上その最終的決定が専ら政治部門に留保されているという点に求めている。

学説としては、政治問題は元来裁判所の権限の外にあると見る権力分立説(ウエストン、ウツドバリー)と、権限の範囲内にあるが種々の実際的理由から裁判所はこの行使を自己制約すると見る便宜説(フインケルスタイン、ポスト、フランク)との対立があるが、いずれが正しいかにわかに決し難いとされている。

ドイツでは大多数のラントは行政裁判所の権限につき列記主義を採用し、高度の政治性を有する行為をあらかじめ裁判所の審査権の範囲から除外していたため行政裁判所の判例において統治行為の観念が認められる余地は少なかつた。ところが第二次大戦後ボン憲法は過去の政治体制とこれに基く公法制度に対する省察の上に制定され、徹底した法治主義を採用するに至つた。同法第十九条第四項は「なんびとも、その権利が公権力によつて侵害されたときは訴訟をおこすことができる。他の機関に権限がない限り、出訴は通常裁判所に対して為される」と規定して行政訴訟についていわゆる出訴事項の概括条項(Generalklausel)を採用した。このため学界において統治行為論に関する華々しい論戦が展開されるに至つた。ドイツにおける統治行為論は判例もまだ現われておらず現在の段階では専ら学説上争われているにすぎないが、多くの有力な学説は司法審査に服さない高権行為(justiziose Hoheitsakte)の存在を肯定する傾向にある。

ヒユルストおよびベンダーは次のように言つている。「ここに取り上げた基本法第十九条第四項に基ずく概括的裁判上の権利保護および行政裁判上の概括条項の結果は、それでもなお司法審査を受けない執行上(統治および行政)の国家的活動がありうるかの問題が当然起こつて来る。それが『国家作用の司法審査を受けない範囲の問題』といわれるものである。すなわち最高の政治上の決定(政治上の高権行為)の司法審査可能の問題、殊に統治行為に対する行政裁判上の監督の問題である。ここに行政裁判および憲法裁判、実に司法権一般に対する限界が浮かび上がつて来る。司法審査を受けない本質的に政治的な国家行為の範囲を明白にすることによつて司法作用から司法に関係のない政治上の決定を分離して、その意思に反して裁判官を政治家たらしめまたは政治家を裁判官たらしめることがないようにするのが学問の任務である。学説は非常に分かれており、司法審査を受けない高権行為の範囲に関しては意見が大に異なつておる。その結果高権行為に対する否定論から、独立な制度としての司法を政治的危険の範囲に持ち込むことのないようにするためにドイツ裁判官に対して憲法上の機関の政治的決定に対して司法上の監督をすることを賢明に自制すべきことのハンス、シユナイダーの真面目にして注意深い勧告との間には多くの中間的意見がある。」

フオルストホーフは言う。「一定の高権行為の司法審査の対象からの排除の根拠はこの行為の性質にではなく、司法の本質にのみ見出されうる。すなわちその執行を阻止することが、執行よりも大きな害悪であるような高度に政治的な行為(hochpoli-tische Akte)が存在する。たとえば対外政治の分野にはいかなる国の裁判所もその形式と動機について解明を要求し得ないような高権行為が存在する。事情によつて高度に政治的な性格を帯びる場合もある。国家的全体秩序を危険に持ち込むような政治的決定を為すことは司法の任務ではあり得ない。司法もこの全体秩序の一部であるから、結局、司法はそれによつて自らを危険におとしいれることになりかねない。独立の、すなわち政治的に責任を負わない裁判所が明白に政治的な決定を下すことは矛盾である。国家をできるだけ広汎に裁判的統制のもとにおこうとする努力もこの事実には屈せざるを得ないであろう。行政裁判に関する無制限の概括条項のもとにおいても裁判所が統治行為に対してその権限を制約することは許される」と。

シュナイダーは次のように論じている。「ドイツでは司法と国家指導との関係を実定法の規定の解釈の問題としてしまう傾向があるが、裁判所は管轄権の規定とは無関係にみずからその任務の限界を定めなければならない場合がある。gerichtsfreie Ho-heitsakte(司法審査の対象とならない高権行為)の問題は立法者にではなくて裁判官に提出されている。統治行為の司法審査の対象からの除外は、憲法によつてある機関に与えられた指導任務とそれに課された政治的責任はその機関みずからによつて履行されうるという考慮から生ずる。政治的指導に対応する統制の方式は政治的統制であつて非政治的統制ではない。独立の司法権はその性質上非政治的権力を行使するのであるから、国家指導行為を内容的に審査することによつて政府或は議会に与えられている政治的決定の自由の領域に介入することを警戒しなければならない。このゲリヒツフライは国家行為の範疇は権威的国家理性の遺物でもなく、権力分立論の帰結でもない。統治行為の問題が真にその対象を失い、消滅するのは、憲法が裁判官に政治的指導を託している場合、または裁判官を国家指導の手段としている場合に限られる。しかもその時は、裁判官はもはや裁判官ではなくなり、政治権力から独立した機関たるの特質を失うことになる。裁判官は常に認識と形成の限界に注意しなくてはならない。裁判官の独立は裁判官が認識活動に限られる場合にのみ意味があり、みずから形成せんとするときは危くなるからである」と。

ショイナーは言う。「国家の目的を設定し国家を指導する統治作用は立法作用との間には鋭い対立がなく、協働と相互に相蔽う関係に立ち、行政作用との間には行政を指導する頂点として密接に結合されているが、司法作用に対してははつきりと分離されている。そして統治の領域における裁判的統制は、その裁量範囲の広汎なることの故に極めて困難或は不可能である。すなわち、権力分立の存する法治国における司法は、あらかじめ与えられた法的規準を適用しうるのみであつて、政治的な決定をしたり或はこれに関与したりすることはできない。高権行為に対し内容的の司法審査をすることは裁判官を政治的に色づけることになり望ましくない。憲法は政治的決定を他の機関に与えているのであり、裁判官がここに立ち入ることはその本来の活動範囲を逸脱することになる」と。

以上のように諸外国における統治行為に関する理論および実際は公法上の制度の差異によつてそれぞれ別異の特色を示してはいるが、反面また共通性をも有している。すなわちいずれの国においても政治性の高い統治行為を認めてはいるが、これが成文法上の明確な根拠を有しないに拘らず判例法上次第に承認されるに至つた概念であることである。そしてそれが法理論上は通常の訴訟対象たる法律上の問題を包含するにかかわらず高度の政治性を有するがために例外的に判例法によつて司法審査の対象から除外されるに至つたことである。ところでわが憲法は徹底した法治主義を採用した点でアメリカ憲法およびボン憲法と全く軌を一にしており、しかも高度の法治主義国たるアメリカでは判例法上統治行為の原則が確立され、ドイツ(西独)では学説がおおむねこれを支持していることはわが憲法下においてもこの理論を採用できることを示すものといわなければならない。果せるかなわが最高裁判所も最近この理論を採用するに至つた。そこで次にわが憲法下における統治行為の理論について考えてみよう。(以上の記述中、沿革に関する部分の記述は主として金子宏「統治行為の研究―司法権の限界に関する一考察」国家学会雑誌第七一巻八号二〇頁以下、一一号二頁以下、第七二巻第二号三頁以下を主とし、その他雄川一郎「統治行為論」国家学会雑誌第六八巻三・四号一三四頁、一三六頁、第七〇巻四九頁以下、山田準次郎「統治行為論」昭和三五年版、二〇頁、六四頁、六七頁、八五頁、一三二頁等、宮沢俊義「フランスの判例法における統治行為」野村教授還暦祝賀論文集五一六頁、同「行政裁判と統治作用」佐々木博士還暦記念論文集、憲法及行政法の諸問題一八四頁、田中和夫「アメリカにおける司法審査の限界」民事訴訟雑誌一号八八頁以下、伊藤正己「司法権の優越」法学理論篇43、八三頁以下、入江俊郎「統治行為」公法研究一三号七五頁ないし八二頁、橋本公亘「司法権と政治的間題」法学新報五九巻九号五〇頁以下、市原昌三郎「司法的審査の限界」一橋論叢三一巻五号三九九頁以下、久保田きぬ子「アメリカ憲法における『政治問題』」公法研究」一三号一六八頁等を参照した)。

第二節 わが憲法の下における統治行為

第一 学説。

統治行為論に関しては後記最高裁判所の判例が出る以前既にわが公法関係諸学者の間に着目されており殊に東京地方裁判所、東京高等裁判所が昭和二十七年八月の解散によるいわゆる苫米地訴訟において否定的見解を示してからは特に活溌な論議の対象となり、その後相当の進展を示したのであつた。最近に至り最高裁判所のこの問題を肯定する判例は出たが、理論的根拠については必ずしも十分な見解が示されているとはいえず(むしろ少数説として否定的意見さえある)、まずこの問題に関する学説を検討することが本件審理についても先決問題というべきであろう。

わが憲法のもとにおいても統治行為の観念を肯定する学者は多い(宮沢俊義「日本国憲法」五九六頁、清宮四郎「憲法」法律学全集3、二八〇頁、註解日本国憲法上巻(1)一三五頁、下巻(2)一、一三五頁、田中二郎「行政法総論」法律学全集6、四六頁、兼子一「裁判法」法律学全集34、六六頁、同「違憲提訴における事件性の問題」民事法研究第二巻一二七頁、山田準次郎「統治行為論」昭和三五年版、雄川一郎「統治行為論」国家学会雑誌第六八巻三・四号、九・一〇号、第七〇巻一・二号、金子宏「統治行為の研究―司法権の限界に関する一考察」国家学会雑誌第七一巻八・一一号、第七二巻二・九号、入江俊郎「統治行為」公法研究一三号七五頁、市原昌三郎「司法審査の限界」一橋論叢第三一巻五号四一七頁)。

ただ一応この観念を認めてもその判断について特に慎重なるべきことを説く学者もおり(井上茂「司法権の理論」昭和三六年版、三頁、四頁、三四四頁、特に四五五頁ないし四六三頁、同「司法理論と司法の機能」ジユリスト一九九号三六頁、入江俊郎「前掲書」一〇六頁以下)、またやや消極的な態度を示すもの(長谷川正安「憲法判例の研究」昭和三一年版一七二頁、ジユリスト46号「解散無効判決の含む問題」座談会、ジユリスト六一号「延長国会をめぐる法律問題」座談会)からこれを否定する学者も少数はある(鵜飼信成「裁判権と国家の自由性」法律時報二六巻八号二九頁、小島和司「東京地裁の衆議院解散無効判決について」自治研究三〇巻四号二九頁以下、日本公法学会討議報告第二部会「統治行為」における磯崎辰五郎教授の意見、公法研究一三号一九五頁)。

もともと統治行為論は行政訴訟制度における一箇の法原理であるが、同時にそれは司法の本質およびその限界と密接に関連するものである。

統治行為を肯定する学者は多く、その理論づけも極めて区々であるが、この観念の一応の定義は、「統治行為とは国家行為のうちで裁判所がそれに対して法律的判断が可能であるにかかわらず、それが高度の政治性を有するものであるために、これに関する法律問題につきあらゆる司法的審査の対象から除外されるものをいい、行政府の行為のみならず議会の行為をも含む」というにあるであろう。

ところで、統治行為の法律上の性質に関する理論構成は極めて多岐にわたるのでここではかような観念の存在を認めざるを得ない論拠と、その性質に関する理論のうち本件に参考となるものを若干摘記してみよう。

田中教授は「私は、現行憲法の下における解釈論として、統治行為の観念をもつて呼ばれるべき一群の国家作用が認められるべきものと思う。それは、憲法・法律等の上に何らかの法的制約の定められている行為であつても、その行為が憲法上の最上級の機関のなす行為であつて、しかも高度の政治性をもつ行為である場合には、それが法律的側面を有することを理由として、裁判所による法律的価値判断の対象とするには適せず、むしろ、その政治的側面に注意して、政治的批判の対象とするのが合理的であり、且つ、専ら法律的判断作用に適すべく構成されている司法裁判制度の趣旨にも合するゆえんであると解されるからである。従つて、この意味での統治行為は、仮にそれが違憲又は違法であつても、司法的審査の対象から除外されるべきであり、その意味において、この観念を認める実益がある。」「司法権は、本来、法律上の争訟について法律的判断をなすことを使命とするものであるが、具体的事件が、法律的側面をもつと同時に、これと密接に結びつく政治的側面を有し、しかも、これが全体として高度の政治性をもつ場合においては、その法律的側面だけを切り離して判断することを妥当としない。法律的側面を有することを理由として、かような高度の政治性をもつた紛争の裁判をすることは、裁判所の本来の機能として予定しているところでなく、且つ、裁判所を政治的紛争の渦中に巻き込む惧れもなしとしない。フランスをはじめ、英米の判例法で統治行為とか政治問題とかの観念を判例法上に確立して来たのも、裁判所の本来の機能に鑑み、その限界を考え、ある意味では、その自制によつて、これを審理の対象から除外したのであろう。この場合には、その限りにおいて、人民の権利救済を否定する結果になるのであるから、その限界については、十分に反省する必要があるが、一切の紛争を裁判所による解決に求めようとする考え方そのものについても反省の必要があるであろう。」(田中二郎「行政法総論」法律学全集6、四七―四八頁、五〇頁)と説かれる。

兼子博士は、「司法審査の限界として論じられるものにドイツ、フランスにおける統治行為(Regierungsakt, acte de gouvernement)又はアメリカにおける政治問題(political question)がある。それは、理論上は憲法その他の法律の適用によつてその当否が法律的に判定できるはずの事項であつても、立法又は行政の最高機関の高度の政治的意義を有する行動は、これを司法機関が法技術的に判定することは、自ら政治的責任を負うこととなり、或は司法の独裁を認めるおそれのある点で国政運用上適当でないことに基ずくのである。いわば、技術的合目的的な権力の分立以前の問題として、その機関の政治的責任に任かせられ、司法権の審査に服させずに、その解決は統一的根源的な主権者である国民の評価に留保された事項である。事実的には世論の批判、法律的にはリコールや次期の選挙などが、この種の主権者の評価となるわけである。その解決のためには、法廷へ行くべきではなく、投票場へ赴くべきものである。」(兼子一「裁判法」法律学全集34、六六頁)と言われる。

雄川教授は「私は裁判的統制の下に立たない統治行為の存在を必ずしもわが国法は否定していないと考える。その根拠としては憲法上の司法権の概念の本質とそこに内在する限界に求めるべきであろうと思う。統治行為の根拠を裁判所の自制、即ちその判例政策に求める考え方は諸国において殊にフランス、アメリカにおいて見られるところであるが、わが国法上の問題としては私もこれを認めるのは難しいと考える。フランスの統治行為がコンセイユ・デタの判例政策によつて生成されて来たのは否定できないが、それはフランス法上においてコンセイユ・デタのもつ特殊な地位と権能に由来するものと思われ、従つて同様の考え方を直ちにわが国の裁判所に類推することは難しいのである。またアメリカの判例にもこの自制的な考え方を見ることはできるが、それも英米法を支配するコモン・ロー上の裁判所が伝統的に有した一種の法創造の機能に求める外はないのであつて、そのような伝統を有しないわが国の裁判所にとつては同日に考えることは困難であろう。このように裁判所の自制を直に認め難いことについては私は入江氏の所論(後記)に従いたいと考える。そこで私は、直接にわが憲法上の司法権並びに司法裁判所の性質が統治行為の概念を容れるか容れないかに問題がかかることになると思うのであるが、その際、諸国の国法の示すところによれば、統治行為の存在ないし裁判所の権限の限界は必ず直接に正面から明文を以て規定されるものではないことを改めて注意しておきたいと思う。従つて、統治行為の存在を否定する論者のいうように憲法上直接にこれを認める根拠がないことは必ずしも、憲法が統治行為の存在を全く否定していると見ることにはならないのである。わが憲法上の司法裁判所の性質と構造が一応諸国にみられた伝統的なそれと異ならないとすればその権能に内在する限界は別異に解すべき特段の理由のない限りわが国法上にも妥当すると考えるべきであろう。即ち、司法権の性質と構造を他の二権即ち立法権と行政権の存在と関連せしめて考察すれば、司法権は決して万能ではなく、そこには一定の限界が存することを考えることができる。それは一方では問題の法律的性質としていわゆる法律問題及び国民の権利義務に具体的に関連する問題に限られるとともに、他方ではたとえ法律問題であり、国民の権利義務に関連するものであつても、国政の基本に触れるような重大な政治的問題は裁判所がこれを訴訟手続によつて解決すべきではないという意味での事項的な限界がある。その意味で法律問題と政治問題とは必ずしも両者相排斥するものではないのであつて、この点において、事案が法律的に割り切りうる問題であるからといつて裁判所の権限を肯定すべきものとしている(苫米地訴訟に関する東京地裁、同高裁の)二判決には賛することができない。また憲法第八十一条の存在は私は統治行為の存在を否定する根拠にはならないと思う。即ち、統治行為の問題はそれに適用されるべき法規が憲法か法律かの区別によつて生ずるものではなく、その行為の性格にかかる問題であり、また裁判所が法律の解釈権のみを有するか、憲法解釈権をも有するかによつて本質的に変る問題ではないのであつて、裁判所に一般的に如何なる権限が与えられるにしても、その権限の外にある行為の存否の問題であるからである。また東京地裁の判決は統治行為概念についての積極的具体的な内容規定が明らかにされていないことを述べているが、この点は統治行為概念に相伴うものであつて、何が統治行為として認められるかは個々のケースを通じて判例によつて実現されてゆくことになるのであつて、このことから、統治行為の存在の余地がないとは断定しえないところである。以上のように私はわが国法上統治行為の存在は可能と考えるものであるが、それではそのような統治行為にあたるものとしてどのような国家行為が考えられるかというと、元来統治行為に統一的一義的な法律的基準を与えることはできないのであつて、具体的場合についての裁判所の判断に待たなければならない性質のものであつて、今直ちにこれに答えることはできないが、諸国の国法に現われた統治行為のリストがその場合の重要な参考に値しよう」と説かれる(雄川一郎、前掲書、七〇巻一・二号八九頁―九二頁)。

最高裁入江俊郎裁判官は次のように説かれる(この論説は後記最高裁判決の出る四年前に公法雑誌に発表されたもので、最高裁判決理由を理解するうえにも稗益するところ甚大である。「統治行為の認められ来たつた沿革からいえば、統治行為は決して、理論的根拠に基いて成立したものではなく、主としてその国々における実際政治上の要求に基因するものであつた。従つて、宮沢教授も触れたように『フランスにおいては、統治行為は全く政治的合目的性に基ずき経験的に定められたのである。従つて判例法上統治行為に属するとせられる行為と、そうでない行為との間には必ずしも明白な性質的区別が存するわけではない』ともいえ(宮沢俊義「フランスの判例法における統治行為」野村教授還暦祝賀論文集五一六頁)、バーソロミーのいうようにフランスでは『実をいうと、統治行為というものはない』のかもしれない。上述のように、アメリカでもフインケルスタインが理論的立場を採らず、又近くフランクも政治行為を認めようとする理由は多元的であつて、統一的理論の困難さを述べていることも上述した。けれども、沿革的には理論から、成立したものでないとしても、既に多年の沿革を経、幾多の学説、判例が集積している今日、もうそろそろ統治行為に対して、これら幾多の学説判例から帰納的にその理論を、よしそれが明確に一元的理論によることが困難であつて、多元的な要素を加味するとしても、打樹てるべき時ではなかろうか。殊に行政事件の裁判を司法権の作用としている法制の下においては、それは必要なことでもあり適切なことでもあるように思う。これを単によくいわれるように、司法裁判所が自制(self-limitation)又は控え目(prudence)によつて、大局的見地からその権限を行使しないものであるとするならば、憲法上裁判所の職務とせられるものを、裁判所自らの判断によつて放棄することであつて、それこそ憲法違反であり、また、一方国民の基本的人権の一つである裁判要求権を、司法裁判所が独断でこれを拒否することともなり、これまた憲法違反のそしりを免れない。私は行政裁判を司法権の作用に属するとする法制の下において、統治行為を承認する立場に立つ限りは、それは司法権に内在する性質に由来するものであつて、裁判所が、その審査判断をしないことは、憲法上自己に与えられた司法権の本質を判断し、その限界を確認することに外ならないといいたい。理論を与えずして、裁判所の実際的考慮にその基礎を求めることは、ウエストンのいうように、「司法的日より見主義」となるおそれがあり、また裁判所にその本来の職能以上を期待することにもなるように思う。しからば如何なる理論的立場を採るべきかといえば、私は、それを国民主権主義の下における三権分立の原則に求めたいのである。勿論諸国における統治行為の種々なる事例に、すべて例外なくこの原理が妥当するとはいえないかもしれないし、フランスの如きにおいては、三権分立を根拠とする統治行為の理論を求めることは無理かもしれない。しかし、行政裁判を、司法権の中に包含せしめる法制の下においては、その大部分は、この原理によつて理解しうるように思われるし、そうでなくとも、少くとも何らかの意味で、この原理との関連性から説明しえられるのではないかと思う。いうまでもなく近代民主国家の政治上の基本形態は国民主権主義の下における三権分立制である。そして権力分立論の主眼点は、その三権がばらばらの三権ではなく互いにチェックとバランスとを保ちながら互いに働き合つて、一個の主権の作用を完成せんとする点にあるといえる。しかもその基盤には、参政権をもつ国民が主権者として存在しているのである。三権の相互の関係は、国により、時代によつてかなりの差異はあるけれども、その中の一つの権力が他の権力を絶対的に支配制約するということの認められないところに特色がある。司法権の優位といい国会主権といつたところで、それは司法権なり立法権なりの憲法上の特質の一面を捉えた表現であつて、終局においては三権は互いに相犯さざる基本的な対立関係に立つものでなければならない。しかも、その基盤に国民主権が存する。国民は三権分立によつて三権にそれぞれ国政の運営を信託するけれども、なおかつ三権に分属せしめないで国民が直接判断し、監督し、運営するために留保した若干の事項が考えられる。何が国民に直接留保されたかは、例えば或る国の憲法が認めているような人民投票、人民発案、罷免請求の如く、憲法の規定に直接の明文があれば、それに依るのは勿論であるが、明文のない場合であつても、一切の国家作用をチエツクとバランスとで互いに相交渉し合う三権のいずれかに分属せしめて終局的に割り切つてしまうことが、却つて三権分立を認めた趣旨に反すると認められるような事項は、私は、解釈上、三権のいずれにも属せず、結局それは国民に留保された事項と考えるべきではないかと思う。司法権の限界という面からいえば、統治行為がそれに当るのである。尤も、かように考えると、そのような事柄につき、国民が参与するのは憲法に人民投票等特別な規定を置き、広く国民に直接参政の途を認めるか、または、そのような国民の権能を委任して行なわしめるための特別な機関(例えば憲法裁判所のような)を設けたりしない以上は、通常は国民は選挙を通じて間接にこれが判断、監督をなしうるに止まるのであつて、その効果は間接的且つ政治的たるに止まり、直接的且つ法律的たることを得難い。従つて統治行為は、理論的にも違法無効であつても、これを行なつた行政権又は立法権がこれを適法有効であると主張する以上、そのまま適法有効なものとして扱われるほかはない。しかし、もしそれが望ましくないというならば、憲法に、それにふさわしい適切な国民直接参政の規定か、又は特別な機関の設置を考慮すべきであり、それがない以上は、次の選挙を通じて国民の公平な審判に待つべきこととなるのである。以上のことは、別の言葉でいえば、現在認められている三権分立の下における司法権には、それが政治の領域と対決した場合に、政治の必要と妥当とのために、さもなければ踏み込み得る領域であるに拘らず、踏み込み得ないとされる領域があるということになるのである。それが統治行為であり、私は、三権分立の下における司法権とは、そのようなものとして形づくられているのだといいたいのである。法律問題である以上何事でも裁判所へ行けば解決するというようなことは、必ずしも健全な国民主権主義の下の三権分立主義ではないのであつて、或る事項は通常の司法裁判所に行つても解決されず、憲法が特別の規定を、そのために特に設けていない以上は、それは結局において、国民自身の政治的識見が解決すると考うべきではないかと思う。……もし憲法八一条および裁判所法三条を文字通りに解釈するとすれば、恐らく統治行為はわが憲法上認められないことになるのではないかと思う。そして既に憲法および法律上、裁判所の権限に属するとされているものであるとするならば、これを裁判所の自制によつて裁判をしないでおくということは、裁判所が、憲法および法律によつて定められたその職責をつくさないことになり、又裁判所が、自己の判断によつて、憲法および法律に違反することになるばかりでなく、かような裁判所の行為は憲法の認めた国民の裁判請求権(憲法三二条)を侵害することにもなるのである。それ故、わが憲法上統治行為を認めうるか否かは、結局憲法八一条および裁判所法三条を、ただその表面に現われた文字のみによる文理解釈によつて理解しようとする立場に立つか、又はこれに合目的的な解釈を加えて、いわゆる統治行為といわれるような高度の政治性のある国家行為に関する法律問題は、憲法八一条および裁判所法三条で認めている裁判権の中に、本来的に包含されていないと解する立場に立つかの、いずれかによつてきまるのではないかと思う。私自身、そのいずれの立場を採るかは今は述べることを差し控えたいが、諸外国の事例によれば、憲法に積極的に特に統治行為を認める旨の規定がなく、むしろ文理解釈上からはこれを認められないと思われるに拘らず、多年の沿革を経て、判例、学説が多かれ少かれこれを承認し来つていることは、わが憲法の解釈に当つてもよく比較法的に検討せられなければならないことだけは確かだと思う。そこで、もしわが憲法上統治行為を認めない立場をとるならばいうことはない。しかしもし、これを肯定する立場を採るとするならば、行政事件の訴訟が司法権に属するとせられるわが憲法の下においてはその理論的の根拠は国民主権の下における三権分立の原理を基本とすべきであると思われ、そうだとするならば、憲法八一条も裁判所法三条も、ともにそのような前提の下に、合目的的な解釈が施されなければならないことになるであろう。そしてこの立場に立つならば、裁判所が或る行為を統治行為であるとして、司法審査の外に置くのは、決して裁判所が憲法や法律の規定を歪めるものではなく、憲法や法律によつて与えられた権限を自制によつて放棄するものでもなく、従つて国民の裁判請求権を侵害するのでもない。それは、裁判所が正しく憲法および法律を解釈して、裁判所の憲法および法律上の権限の範囲を、明瞭に確認すること以外の何ものでもないといいうるであろう。」(入江俊郎「統治行為」公法研究第十三号八八頁―一〇一頁)。

金子助教授は次のように説かれる。「立法以外の国家作用を実体的に観察する場合に、政治的な作用として、統治作用のみが大切なのではない。統治の概念は伝統的に行政府の行為についてのみ用いられるが、議会の行為にもそれにおとらず政治性の強い行為が存在する。今仮に国家生活のうち政治的な諸勢力の対立と妥協の過程を政治とか憲法生活という言葉で表現すると、議会や政府の行為には立法以外にも憲法生活の領域に属する政治的形成行為、国家指導的行為を多数認めることができる。それらは政府とか議会という最高の政治機関によつてなされるという形式において通常の行政と異なるのみではない。すなわち、通常の行政が法規において定められた国家意思を国民に対して実現する作用であるのに対しそれは憲法生活の領域でなされる政治的決定行為であつて、一方ではもちろん国民の権利・義務に対して影響を及ぼすが、他方では政治意思の形成・統一を図り、政治組織の有効な活動を可能にし、政治機関相互間の関係を調整し、国際社会における国家の存続・発展を期する等の行為であり、要約すれば、それらはいずれも、対内的・対外的に政治を指導し、それを基本的に調節する作用であり、法律上は議会または政府の権限とされつつも、論理的にはむしろ立法権および行政権に先行し、あるいはその上に立つて、立法権および行政権ならびにその両者相互間の関係の円滑で統一的な運行を保障する作用であるという面に着目すれば、それは権力の分立を超え、むしろ政治の分野に属する行為であるといつてよいと思われる。この意味では、従来の統治の概念に代えて、議会の行為をも含める趣旨で、憲法生活の分野に属する国家指導的作用、基本的政治調節作用を意味するものとして、「政治」とか「政治作用」という表現を用いるのが適当であろう。

わが憲法下において統治行為の観念を肯認する学説は、内容はそれぞれ異なるがいずれも統治行為の問題につき憲法第八十一条および裁判所法第三条をその字句にとらわれることなく、憲法の基本原理や諸般の事情をも考慮に入れて合目的的に解釈し、司法権に内在的制約を認めるものであつて、わが憲法の立場から見て正当な立論であると考えられる。ただ統治行為に対する関係で何故に司法権に内在的制約が課されているのかその根拠が必ずしも明らかでない。

わが憲法下において統治行為を否定する論者は憲法第八十一条の文理解釈から出発するが、その背後には憲法の明定する違憲立法審査権を傷つけまいとする考慮が存すると考えてよいであろう。その意味で否定論は憲法第八十一条の規定に忠実な解釈であると言える。しかし違憲立法審査権の採用と統治行為の存在可能性の否定とをそのまま等値関係に置く見解には疑問の余地がある。たしかに、違憲立法審査権の採用、司法権の優越はわが憲法の基本原理の一つをなしているが、日本国憲法は同時に国民主権・権力分立等の基本原理によつても支えられている。そしてそれらの諸原理は相互に矛盾し対立する面をもちつつ(たとえば、司法権の優越を強調しすぎることは場合によつては権力分立の趣旨を没却することになるであろう)同一法典の中で相互に制約し合いながら併存しているのである。それ故、憲法の解釈に当つてはそれが包蔵する基本的諸原理・諸価値を総合的に考慮に入れ全体として憲法の趣旨に合致するような解決を見出すべきであつて、一つの原理にのみ忠実すぎるあまり、あるいはあまりにも文理に拘泥しすぎるあまり、他の原理を無視し憲法全体の趣旨に合致しないような結論に到達することはさけるべきであろう。議会の解散の適否を裁判所が審査しうるかどうかについても問題を憲法第八十一条の文理解釈によつて簡単に割り切る前に解散行為の実体的性質を明らかにした上で裁判所がそれを審査することが右の諸原理とどのような関係をもつか、審査の結果えられる利害得失は何であるか等をもう少し細かく検討すべきではないかと思うし、憲法第八十一条が国民主権とか権力分立等の原理によつて内在的制約をうけるかどうか、受けるとしてどのような場合にどのような制約を受けるかを論議すべきであると考える。なお小島教授は否定論の一つの根拠として憲法第八十一条が司法を超える権限を裁判所に与えているとされるが、この点は通説、判例の正当に説くように憲法は司法権の作用としての違憲立法審査権をみとめるに止まると解すべきであろう。

統治行為がわが国法において認められる根拠は政治と裁判との関係における司法権の内在的制約に求めたい。それでは何故にわが憲法の下においてそのような内在的制約が司法権に課されているのであるか。わが憲法の基本原則たる民主主義的責任原理(政治が主権者たる国民の信託に基ずき選挙および一般言論による国民のコントロールを通じて議会および内閣の責任において行われることを建前としている)と市民的法治主義(憲法の規定が市民的・自由主義的法治国の体制を採用している)を調整する原理として統治行為が認められると考える。さらに裁判所が政治作用に対して統制をおよぼした場合にえられる利益と損失を比較衡量する場合に、損失の方がより多く目につくという事実も解釈上尊重されなければならない。わが憲法は諸国の憲法と同様に民主主義の立場から政府及び議会がその最終的責任において政治を処理し国民に対して政治的責任を負うという建前を採用している。そして、主権者たる国民は選挙および一般言論を通じて政治を統制するのである。これに対し司法権は形成的な作用ではなく、また当事者の提訴に基ずいてはじめて活動する消極的法判断作用であつて政治的に責任を負いうるものでもなく、国民のコントロールを受けることもない。シュミットの「司法はその性質上行為の事後に活動するものであるからあらゆる政治的決定を法律的判断が可能であるからといつて司法審査に服さしめることは裁判官に政治的措置に関与し、それを妨害し、ある程度の政治的影響を与えることを許すことにほかならない。そして、かかる司法化によつて政治は何物をも得ることなく、司法はすべてを失うであろう」という言葉から明らかなように、政治の分野に属する行為に対する裁判所の審査はなんらかの政治的影響を及ぼさざるを得ないが、政治的に責任を負いえない裁判所が政治的決定を審査してそのような影響を及ぼすことは一種の矛盾であり、政治機関の責任を不明確にするといえる。またアペルトが主張するように、国の方向を規定するような重要な問題は政治的に責任を負わない少数の裁判官によつてではなく、国民の意思を代表し、国民に対して責任を負う国家機関によつて決定されなければならないと考えることは国民主権主義に忠実なゆえんでもある。なお政治的行為は憲法生活の領域において政治的な諸勢力の対立と抗争の過程においてなされるから、それに対する裁判所の審査は結果的に裁判所の政治的紛争への介入といずれかの政治的立場の代弁を許し、その結果政治の司法化ではなくて司法の政治化を招来し、司法権の政治的中立性を危くし、さらには司法権の独立をもおびやかすに至るであろう。このことも十分重視しなければならない事情であると思われる。

わが国法における司法権は独立性を与えられ私人の権利の保護を目的とする法判断作用であり、裁判所は政治的に責任を負いうる機関ではない。要するにわが憲法においては政治と裁判とは相互に入念に分離されているのであつて、相互に影響を及ぼし合うのをさけなければならない。そして、一定の場合には司法権の優位・私権の保護・法秩序の維持等の要請は政治的責任原理に道を譲らなければならないのである。ここに統治行為のみとめられる根拠があるのである。以上の理由から私は政治の領域に属する行為に対しては、たとえそれが違法であり、また国民の権利・義務にふれるものであつて、通常の司法審査の要件を満す場合にも裁判所がそれを審査することを許されないと解する。

ところで、わが憲法は高度の市民的=自由主義的法治主義を基調としているから、わが国においては統治行為の範囲は狭く限定されるべきであろう。わが国の場合には法治主義の見地から統治行為の範囲は政治機関相互間あるいは政治的諸勢力の対立と抗争の過程においてなされるような国家指導行為・政治的形成行為に限られるべきであり、その範囲内では司法権の優位・法秩序の維持・私権の保護等の要請は政治的責任原理に道をゆずらなければならないと考えるべきであるが、それを一般権力関係ないしそれに準ずる関係に大幅に拡大して考えることは慎重でなければならない。たとえば議員の懲罰とか内閣総理大臣・国務大臣・各種政務官の任免は統治行為であるとしても、一般公務員の任免は統治行為ではなく、また外交関係の処理や条約の締結は統治行為と考えられるべきであろうが、そこから派生する旅券発給拒否処分や条約に基ずく土地・物件の収用処分等は余程の政治性を具有する場合でない限り統治行為ではないと考えるべきであろう。統治行為の範囲は判例を通じて具体的に確定して行くべきであろうが原理的にわが国法上どんな行為が当るかを考えると、前述したようにフランス法においては各議院のなす一定の行為は議会行為の下に裁判的統制の対象から除外されている。イギリス法においても「各院は議会特権の行使に関する唯一の裁判官である」という原則が確立しており、裁判所は議会特権の行使につき審査権を有しない。この原理はわが国法においてもみとめられると考えられる。国会は国権の最高機関として、円滑な議事の運営と進行を図るため高度の自主性と自律性を与えられ、内部の問題については法的規制の加えられている場合にもその責任において終局的に処理しうると考えるのが憲法の妥当な解釈であると思われる。これらの内部的自律権に属する行為は国会の内部の諸勢力の対立の過程において政治的決定としてなされることに特色を有するが、憲法は国会の自主性を尊重する見地からそれらの行為に対する裁判的統制をみとめていないと解すべきである。もちろん国会内部のあらゆる問題、各院およびその機関のあらゆる行為が司法的審査の対象から除外されるのではない。その範囲は議事機関たる各議院の組織と議事の運営に関する行為に限られるべきであり、たとえば国会職員の懲戒処分などは法治主義の見地から一般公務員のそれに準じて取り扱われるべきである。そこで次のような行為が議会行為として司法的審査の対象から除外されると考える。

(Ⅰ) 議事の運営および進行に関する行為として、

(1)会期の延長、(2)議事規則の制定、(3)その他「議事の進行に関する諸行為」((以下教授は統治行為のリストを掲げられるがこの点については第三節第二にまとめて述べることとする))(金子宏・前掲論文、国家学会雑誌第七二巻九号七―八頁、二九―三六頁以下)

第二 最高裁判所の判例

昭和二十七年八月二十八日の衆議院解散をめぐるいわゆる苫米地訴訟において第一審たる東京地方裁判所(昭和二十八年十月十九日判決、行政事件裁判例集四巻一〇号、二七六号事件、二、五四〇頁)および第二審たる東京高等裁判所(昭和二十九年九月二十二日判決、行政事件裁判例集五巻九号、二一九号事件、二、一八一頁)がいずれも統治行為の理論を真向から否定し学界の論争を巻き起こしたことは既に述べたが、この上告審判決(昭和三五年六月八日)において最高裁判所はついに統治行為の理論を採用した。しかしこの前にいわゆる砂川事件の上告審が開始されており、前記解散無効事件の一、二審判決とその上告審判決との間に下された砂川事件の上告審判決(昭和三四年一二月一六日)においてまず最高裁判所による統治行為論の採用が示されたのである。ところで最高裁による統治行為理論の展開はこの二つに限られ、しかも解散無効判決は砂川判決よりもその理論において一歩前進したものがある。しかし砂川事件判決は刑事事件において統治行為論が採り上げられているのであるからまず後者の砂川事件上告審判決から見てゆくこととする。

いわゆる砂川事件上告審判決は昭和三四年(あ)第七一〇号日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件につき為された同年一二月一六日、最高裁大法廷判決(最高裁判所刑事判例集第一三巻一三号三、二二五頁)で、この中に示された統治行為理論の部分は、次のとおりである。「アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかの判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。……ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違法無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。」

このように判決理由は極めて簡単なので、藤田、入江両裁判官の次のような補足意見が付加されている。

「日本国憲法は、立法、行政、司法の三権の分立を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとした(七六条一項)。また、裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(三条一項)、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せず概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに、憲法は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(八一条)。これらの結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違法審査を含めて、すべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。これがいわゆる司法権の優位として、司法権に、立法、行政に優越する権力をみとめるものとせられ、日本国憲法の一特徴とされるところである。しかしながら、司法権の優位にも限度がある。憲法の三権分立の構想において、その根幹を為すものは三権の確たる分立と共に、三権相互のチェツク(check)とバランス(balance)であつて、司法権優位といつても、憲法は決して司法権の万能をみとめたものでないことに深く留意しなければならない。たとえば、直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は、たとえ、法律上の争訟となる場合においても、従つてこれに対する有効無効の法律判断が法律上可能である場合であつてもかかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治的判断に委ねられているものといわなければならない。この司法権に対する制約は、結局三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。そして、このことは、その沿革、理論上の根拠、これが対象となる行為の範囲等については、区々たるを免れないけれども、ひろく欧米諸国において、すなわち、フランスにおいてはアクト・ド・グーベルヌマン(acte de gouvernement)、イギリスにおいてはアクト・オブ・ステート(act of state)又はマター・オブ・ステート(matter of state)、アメリカ合衆国においては、ポリチカル・クエスチョン(political question)として古くから判例上みとめられ、戦後西独においてはボン憲法一九条に関連し、レギールングスアクト(Regierungsact)又はホーハイツアクト(Hoheitsact)として学説上是認せられるところである。わが国においても、日本国憲法施行後、多くの公法学者によつて統治行為なる観念の下にみとめられる至つたことは周知のとおりである。」

そしてこの判決においては統治行為論を否定する小谷、石坂両各裁判官、否定論とまではいかないが極めて消極的な奥野、高橋各裁判官の少数意見が付せられていることは注目される。

次に解散無効を主張するいわゆる苫米地訴訟の上告審判決は昭和三〇年(オ)第九六号、同三五年六月八日最高裁判所大法廷判決(最高裁判所民事判例集第一四巻第七号一、二〇六頁)でその判決理由は次のとおりである。

「本訴は、昭和二七年八月二八日行われた衆議院の解散は憲法に違反し無効であるとの主張にもとづき当時衆議院議員であつた上告人は右解散によつては衆議院議員たる身分を失わないとして、同年九月分から上告人の衆議院の任期が満了した昭和二八年一月分迄の上告人の衆議院議員としての歳費合計二八万五千円の支払を求めるというのである。すなわち、本訴は、右衆議院の解散の法律上無効なることを前提として、衆議院議員の歳費の支払を請求する訴訟である。

そして、上告論旨第一点は、原判決が本件解散は憲法七条に依拠して行われたもので、憲法に適合するものであるとしたのは衆議院の解散に関する憲法の解釈を誤つたものであるとし、同第二、三点は、原判決が本件解散について、内閣の助言と承認が適法に為されたと判断した点に対し、採証の法則違背、審理不尽等の違法ありと主張するものである。右論旨にもあきらかであるごとく、本件解散無効に関する主要の争点は、本件解散は憲法六九条に該当する場合でないのに単に憲法七条に依拠して行われたが故に無効であるかどうか、本件解散に関しては憲法七条所定の内閣の助言と承認が適法に為されたかどうかの点にあることはあきらかである。

しかし、現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。

日本国憲法は、立法、行政、司法の三権分立の制度を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとし(憲法七六条一項)、また裁判所法は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(裁判所法第三条一項)、これによつて、民事、刑事のみならず行政事件についても事項を限定せずいわゆる概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに憲法は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(憲法八一条)結果、国の立法、行政の行為はそれが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めてすべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。

しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に任され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。

衆議院の解散は、衆議院議員をしてその意に反して資格を喪失せしめ、国家最高の機関たる国会の主要な一翼をなす衆議院の機能を一時的とはいえ閉止するものであり、さらにこれに続く総選挙を通じて、新な衆議院、さらに新たな内閣成立の機縁を為すものであつて、その国法上の意義は重大であるのみならず、解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。

本件の解散が憲法七条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法七条によつて、―すなわち憲法六九条に該当する場合でなくとも、―憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法七条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。」

この判決中、小谷、奥野、石坂各裁判官はいわゆる統治行為論を否定し、河村(大助)裁判官は否定論に近い少数意見を開陳している。

第三節 統治行為のリスト

第一 外国判例等。

統治行為についてはその明確な一義的な定義を示し難いところから、フランスの学説では、行政裁判所であるコンセイユ・デタの統治行為として審査を拒否したものが統治行為であるとされているくらいである。従つて判例の中から統治行為とされたものを拾い集めて統治行為の目録というものが学者によつて示されている。

これらの目録を見れば統治行為の輪廓を知るに役立つことは疑いないところである。

フランスで現在統治行為として認められている事項の目録はワリーヌ(Marcel Waline, TraitElementaire de Droit Administratif)によれば次のようなものである(ワリーヌがいわゆる統治行為の範疇に属するものを制限しようとしていることは前述した)。

(Ⅰ) 内政に関する行為

(1) 執行権(行政権)と国会との関係における行為。

(2) コンセイユ・デタによつて国内秩序維持の方策と認められた一定の行為(例えば軍隊内部の秩序維持のための方策)。

(Ⅱ) 外交行為

(1) 領土の併合

(2) 外国におけるフランス人の保護

(3) 外交官に与えられた指示

(4) 条約

(5) 条約の解釈

(6) 外国よりフランス人に与えられた賠償の分配

(7) 外交的取極又は条約の条項の適用に関する行為

(Ⅲ) 戦争に関する行為

(山田・前掲書、九頁、入江・前掲書、七七頁)

アメリカの判例で「政治問題」とされ司法権の統制外に置かれてきたものとして次のようなものが挙げられている。

第一 国内問題としては法律の制定および憲法修正に関する事項。

すなわち法律が適法に成立したか否かを立証する問題、州の承認をえた憲法の修正の効力を争う問題および州の承認をうるまでの期間の適否の問題等である。

第二 憲法第四章第四節の規定、すなわち各州に共和政体を保障する条項に関係する問題である。

第三 大統領選挙委員および州の役員の決定方法、連邦議会議員選挙のための選挙区の決定等州の政治的行為に関する事項。

第四 主権的権利に関する争い。この中にはアメリカ特有の問題であるアメリカ土人に関する問題が含まれている。

第五 対外関係から生ずる諸問題

(1) 内乱を含めて戦争の開始および終結が問題になつた場合。

(2) 領土権に関する問題、すなわち国境の確定その他。

(3) 領海権に関する問題。

(4) 条約に関する諸問題、すなわち条約の効力、条約違反に関する諸問題、条約の締結の決定その他外国政府の承認および外国人の国外追放に関する警察権の問題等。ただし以上は単に「政治問題」とされた事項を列挙したものであつて、これと同じ種類の問題が常に「政治問題」となるとはいえないとされている(久保きぬ子「アメリカにおける『政治問題』」公法研究一三号一六九頁)。

ドイツは前述のとおり第二次大戦後はじめて概括条項が採用され司法審査を受けない統治行為の問題が発生した状況なので判例はないが、学説上次のような目録があげられている。(西独)。

シュナイダー(H. Schneider, Geri-chtsfreie Hoheitsakte S. 47)によれば次の如くである。

(1) 国会の決定。

(2) 外交上の高権行為(例えば外交上治外法権に関する決定、外国又は外国政府の承認、外交上の保護の許与)。

(3) 統帥行為(Kommandoakte)(たとえば警察団体または国境防衛団体配置に関する決定)。

(4) 統治行為(Regierungsakte)(たとえば政府首脳による「政治綱領」(Richtlinien der Politik)の決定、基本法一一三条による政府の財政上の決定および同法一一二条による大蔵大臣の財政上の決定)。

(5) 自由な大統領の行為(例えば勲位の授与)。

ショイナー(U. Scheuner, Der Be-reich der Regierung S. 276)によれば次の如くである。

(1) 立法機関と執行機関との相互関係(総理大臣の選挙、大統領の選挙、国会の解散)。

(2) 連邦政府の各連邦への勧告、同意、異議等。

(3) 連邦監督および連邦強制執行。

(4) 政府の緊急措置。

(5) 外交政策

第二 わが憲法下における学説。

わが憲法下において統治行為の観念の認められることは前述したが、わが学説上統治行為として主張される事項を総合してリストを作成すれば次のようなものとなる(このリスト作成については註解日本国憲法、宮沢俊義「日本国憲法」、清宮四郎、田中二郎、兼子一、市原昌三郎、入江俊郎、金子宏各氏の前掲書に掲げられたものを総合した)。

(Ⅰ) 内閣および国会の組織に関する基本的事項。

(1) 内閣総理大臣の任命(憲法六七条、六条一項)

(2) その他の国務大臣の任免(憲法六八条、六六条二項)

(3) 国会議員の資格審査(憲法五五条、国会法一一一条以下、衆議院規則一八九条―一九九条、参議院規則一九三条―二〇六条)。

(4) 国会議員の懲罰(憲法五八条二項、国会法一二一条以下、衆議院規則二三三条以下、参議院規則二三二条以下)

(5) 両院における議長、副議長、常任委員長らの選任と解職(憲法五八条一項、国会法二三条、二五条、衆議院規則三条、一五条、参議院規則四条、一六条)。

(Ⅱ) 内閣および国会の運営に関する基本的事項。

(1) 閣議の構成、閣議決定、閣議の議事および議決方法、閣議の成立(内閣法四条)

(2) 内閣の助言と承認(憲法七条)

(3) 内閣総理大臣の臨時代理(いわゆる副総理の指定)(内閣法九条)

(4) 主任国務大臣の臨時代理の指定(内閣法一〇条)

(5) 国会の両院の本会議の議決行為〔その定足数、議事および議決方法、議決の成立(憲法五六条、五七条、国会法六二条)〕

(6) 国会の両院の委員会の議決行為〔その定足数、議事および議決方法、議決の成立(国会法四九条、五〇条)〕

(7) 国会会期の延長(国会法一二条)

(8) 法律案の提出(国会法五〇条の二、五六条一項)

(9) 予算の作成(憲法七三条五号)

(10) 恩赦の決定(憲法七三条七号)

(11) 条約批准の効力(憲法七三条三号)

(Ⅲ) 内閣および国会の相互交渉に関する事項。

(1) 国会の召集(憲法七条二号)

(2) 衆議院の解散(憲法七条三号、六九条)

(3) 法律案その他の議案の国会への提出、修正および撤回(憲法七二条、国会法五八条、五九条)

(4) 内閣不信任(憲法六九条)

(5) 議員の内閣に対する国会召集請求の効力(国会法三条)

(Ⅳ) 国家全体の運命に関する重要事項

(1) 外交(国家の承認、政府の承認、領土権の範囲、条約の存否、条約の締結手続、条約の解釈等)

(2) 防衛出動命令(自衛隊法七六条)、治安出動命令(同法七八条)、緊急事態布告(警察法七一条)

第四節 被告人らの本件行為の性質

統治行為(政治問題)とは既に述べ来たつたところから明らかなように、或る国家行為について法律上の争いがあり法律的判断が可能であるにもかかわらずその行為が高度の政治性を有するためにその性質上司法裁判所による審査の対象から除外されるものをいう。このいわゆる国家行為に関する法律上の争いは従来行政法の分野において扱われてきた問題で、専ら一定の行政行為の適法性若しくは効力の有無等に関して司法裁判所の判断を要する事項とされるものを指称したのであるが、刑事事件に関して犯罪の成否が争われる場合においてもそれが統治行為として司法審査の対象から除外される場合があるであろうか。いわゆる砂川事件上告審判決において統治行為論が採用されたのも適用刑罰法規の前提である条約という行政行為の効力を判断することが司法裁判所に許されるか否かということに関してであつたに止まる。もし国家行為がそのまま犯罪行為を構成する場合があるとすればそれこそ正に政治問題として統治行為論の適用を受けるであろう。しかし現実に実定法のもとでそのようなことが起こりうるであろうか、想像を絶するとまではいえないとしても異例の現象として滅多に起こらないことであろう。ここでは本件に即して適法な国家行為に付随して為された行為のある部分が形式的には犯罪行為を構成する場合について考察すれば十分である。すなわち本件は検察官によつて被告人らに犯罪行為ありとして起訴されているのであるがそれは被告人らが参議院議員として国会において会期中或は「議運委」委員として審議行為に参加していた際またはそれに引続いて或は自己の所属しない他の委員会である「議運委」の審議を傍聴し、またはせんとした際に「議運委」委員長である郡祐一の議事運営の仕方の当否をめぐつて生じた紛議の一環として発生したものである。かような状態のもとにおいて検察官の主張する犯罪行為についていわゆる統治行為の概念がこれを包摂しうるか否かがここで考察を要する問題となつている。

そこでまず被告人らが本件において国会議員として現実に為した行為の性質について考えてみよう。国会議員には国会法によつて種々の方法でその属する議院の活動に参加する権能が認められている。その方法とはすなわち発議権(国会法第五十六条第一項)、質問権(同法第七十四条)、質疑権(衆議院規則第百十八条、参議院規則第百八条)、討論権(衆議院規則第百三十五条以下、参議院規則第百十三条以下)、表決権(衆議院規則第百十八条、参議院規則第百三十四条以下)等であつて、右の発議権のうちには動議の提出権を包含するのである。なお国会議員の議院の活動に参加する権能に属するものとは言えないが、以上のほかに国会議員は原則としていずれかの常任委員会の委員であるが(国会法第四十二条)、自分が委員でない他の委員会を傍聴することができる(同法第五十二条第一項)ばかりでなく、当該委員会の要求或は許可があれば発言することもできるのである(衆議院規則第四十六条、参議院規則第四十四条)。被告人成瀬幡治は当時参議院法務委員会の委員長であつたから傍聴のほかに委員会を代表して意見を述べるためならば発言する権利をも有していたわけである(参議院規則第四十三条)。以上の根拠に基いて発言する場合が国会議員としての職務行為の実行であることはいうまでもないが、単に傍聴していたに止まる場合は国会議員として法的に正当に院内活動をしているものとはいえても、職務行為の実行に当たつていたとまではいえない。

本件において被告人らの行為のうち国会議員としての職務執行行為にわたるものの存否を考えるのに、

(一) 被告人矢嶋三義について既に認定されたものは議院運営委員会における審議に参加して審議行為に当たつていたことであるから国会議員としての職務行為を執行していたということができる。

(二) 被告人秋山長造について認められたものは「議運委」の委員ではなかつたが議員として同委員会の傍聴に行き傍聴行為を実行したことを出でないから、国会法第五十二条により議員として法的に正当に傍聴して院内活動に従つていたとは言えても、同被告人固有の職務行為を為していたとはいえない。

(三) 被告人は成瀬幡治については傍聴をしようとして「議運委」会議場である議長応接室にはいつたもののその時は郡委員長が既に休憩を宣言した後に属するものであつて最早同被告人については厳密に言つて職務執行行為に該当するものを為していたとはいい難いところである。せいぜい国会議員としては院内活動に当たつていたといえる程度を出でない。

そこで被告人矢嶋の右の職務執行行為は広義では同人の所属する国会を構成する一院たる参議院の審議行為と言われるものに包含はされるが厳密な意味では院の審議行為それ自体とは異なるばかりでなく、院の審議行為の一部を成す行為とすらいうこともできないのである。なぜなら参議院としての統一した意思はこれを構成する多数議員の意思の集積によつて構成されるものであるところ、被告人矢嶋の右行為はその参議院の意思を作り上げるために為されたものではあつても、参議院自体の意思の表明或は参議院自体の行為の構成部分を成しているものと言うことはできないからである。

そうしてまた既に前節において述べたとおり国会の運営に関する基本的事項のうち統治行為と目されるものとして

(イ) 国会の両院の本会議の議決行為(本会議の定足数、議事および議決方法、議決の成立((憲法第五十六条、第五十七条、国会法第六十二条)))

(ロ) 国会の両院の委員会の議決行為(委員会の定足数、議事および議決方法、議決の成立((国会法第四十九条、第五十条)))

とがあつたが、被告人矢嶋の前記行為は右(ロ)の委員会における議決行為を招来する議事行為についての必要な行為であつたとは言い得ても統治行為たる右委員会の行為だといいうる議決行為そのものないしその構成行為たる表決行為とは到底いうことのできないものである。被告人秋山、同成瀬の前記各行為については統治行為といいうるものの全く見出されないことは多く説くまでもない。

そこで冒頭の問題に立ち返つて本件起訴状に記載された犯罪行為とされる被告人らの行為について考えてみるのに、弁護人らは起訴状に犯罪として記載された行為は被告人らの参議院議員としての公の職務行為によつて発生したものであつて被告人ら個人の犯罪行為と目されるべきものではないと主張する。なるほど被告人矢嶋の参議院議員としての前認定のような職務行為が本件委員会で為されたことおよび被告人秋山、同成瀬の国会議員としての院内活動を右委員会で為しまたは為さんとしたことは前記のとおりであり、その際発生した犯罪だとされる被告人らに対する起訴状記載の各行為は単なる個人的犯罪とは発生原因、動機等幾多の点において異なるものがあるということももとより否定し得ないところである。しかしながら起訴状に犯罪行為として記載されたものは被告人らの「議運委」における前記職務行為の機会に為されたものであるに止まり、それはいかなる意味においても公の職務行為そのものとして為されたということのできないことであることは明らかである。公の機関によつて公の職務行為として為される行為が犯罪と目されうることは通常はあり得ないのみならず、たとえ外形的に犯罪行為と目されるものが存在していても、それが公の機関によつて公の職務行為そのものとして為されているところのものであるうえに同時にいわゆる統治行為の概念に包摂される場合にのみ、それは犯罪行為として司法審査の対象たり得ないのみであることを見失つてはならない。ところで当裁判所が認定した被告人らの行為中職務行為の存在を肯定しうる被告人矢嶋についてすらその職務行為が統治行為と言いうるところのものではなく、被告人秋山、同成瀬については統治行為に当るか否かを云々しうる余地すらないことは既に説いたとおりであるから本件起訴状に記載された犯罪行為とされるものについても、その動機、目的等において単なる個人的犯罪と異なるものがあるにせよその行為の外形上の観察からはついに個人的行動として司法裁判所による刑法上の評価に服すほかないものであり、これについては到底統治行為の観念をもつて論議しうる余地はないという結論に達するのである。

すなわち政治問題ないし統治行為論によつて本件公訴を棄却すべきであるとする弁護人の主張(第九章第七)もまたかくして採用することはできないというほかはないのである。

第十五章 結論

第一節 本件起訴の適法性

第一 当裁判所の本件処理についての方針は既に第一章序論において述べたところである。すなわち事実審理を進めるとともに弁護人の公訴棄却の主張をも考慮してきたわけであるが、ここで結論を示すべき段階に到達した。

第二章および第三章において当裁判所は本件の発生した政治的背景を被告人らを含む日本社会党所属国会議員の判断に即して概観したのであるが、本件の背後には当時の政府与党が国会における審議において通過を図つた国防会議法案および憲法調査会法案に対する社会党の根強い抵抗のあつたことを窺うに足り、第四章において認定した右二法案の参議院における審議状況と相俟つて本件が極めて強度の政治的色彩を帯びたものであること、否むしろ高度の政治的闘争の場において発生したものであることを知ることができたのである。司法裁判所がかような政治的闘争の過程において発生した事件の審理をすることはその渦中に捲き込まれるおそれなしとせず、みずから政治的責任を有しない国家機関として望ましいことではないものと言わなければならない。しかしながら検察官によつて右のような政治的闘争の過程において刑事犯罪の発生ありとして公訴の提起がなされた以上、刑事裁判所としては一応刑法的評価をなすべき対象の存否につき審理をなすべき義務あることもまた当然のところである。

第二 ところで本件は国会の審議過程において参議院議員たる被告人らによつて惹起されたとされている行為であるので、被告人らの弁護人からこれが起訴については国会に先議権があり、裁判所は議院の告発をまつてはじめて審理をなしうるものであると主張され、盛んに公訴棄却論が展開された。そこで当裁判所としてはこの公訴棄却の主張における各論点に対する判断については及ぶ限りの力を尽した。第九章ないし第十四章は主としてこの判断の前提となる資料の提供に重点を置いて検討したが、その結論はいずれも弁護人の主張の採用し難いことを明らかならしめる結果となつた。今改めてその結論をふり返りこれを要約して示すこととする。

まず第十章は憲法第四十一条の解釈論であるが、同条にいう「国会は国権の最高機関である」との意義はそこに示された各学説が表わしているように必ずしも一致しているとはいえないものの、少くとも、弁護人らの主張するような国会内で発生した本件に対する裁判権を否定する趣旨には到底これを解することができないことは明瞭である。第十一章は国会の自律権、特に議院の懲罰権について考察したものであるが、議院の懲罰権と国家刑罰権とはその対象と対象に対する処遇の方法とを異にし本質上全く相異なるものであること、両者は択一的なものでなく本来併存しうるものであること、免責特権の対象となる行為について議院が懲罰しうることは右解釈になんらの影響を及ぼすものではなく、国家刑罰権の対象となる行為をした議員に対しては懲罰もまた可能であること等の結論を得たことを示した。第十二章では国会議員に与えられた不逮捕特権の沿革と解釈を示し、これが起訴権を阻止するものでないこと、殊に身柄を拘束しない本件起訴について右特権がなんらの妨げとなるものでないことはこの章の説示によつて明らかとなつたと言い得よう。第十三章は国会議員の免責特権についてその沿革上の考察を為し、憲法、刑法、刑事訴訟法上の解釈論を試み、本件被告人らの行為がその免責特権の対象とならないことを明らかにした。本章で特に重要なことはイギリスにおける免責特権と裁判権との関係について歴史的考察を為し、同国においても国会の懲罰権と刑事裁判所の裁判権との相関関係について古来争いがあり今日においては実際上の取扱いにおいて妥協がなされているものの理論的には全く未解決であること、すなわち免責特権に関しても具体的の争訟においては司法裁判所がこの特権の範囲の内外にわたる審理を為しうるという理論は同国の裁判所がこれを固持して譲らないものであることを明らかにした点である。そしてイギリスの裁判所が堅持するこの見解はアメリカ合衆国においても判例法上支持されていることも明らかにされた。第十四章はわが国の最近の判例によつても承認されるに至つたいわゆる統治行為論についてこれが本件への適用の可能性を検討し本件が前記の如く極めて政治的色彩の濃いものではあるがいわゆる統治行為論における政治問題だとする余地はないという結論に達した。

第三 以上で弁護人の公訴棄却論に対する判断の結論を要約して示したので、次に本件起訴の適法性について検討する。

本件については傷害の被害者たる郡祐一から昭和三十年七月三十一日東京地方検察庁検事正柳川真文宛に矢嶋三義、三輪貞治、岡三郎、久保等、竹中勝男、秋山長造に対する告訴が為され、次いで松野鶴平ほか百十四名から昭和三十年八月四日検事総長佐藤藤佐宛に右六名のほかさらに被告人成瀬幡治をも加えて告発が為されたものであること、検察庁は右告発に基いて捜査を遂げ昭和三十年十月一日本件起訴に至つたものであることが記録上明らかである。この告発は政府与党ならびに自由党側議員から為されたもので社会党議員はその告発者中に包含されていないから決して参議院自身の告発ということはできないが、斯の如き多数の国会議員によつてその告発の意思表示が為された以上、検察庁がこれに基き捜査を遂げた結果起訴するに至つたのはむしろ当然であつて、その間なんらの手続上の違法はないものといわなければならない。ただ一見適法な起訴であつても元来公訴の提起がいわゆる起訴便宜主義(刑事訴訟法第二百四十八条)の原則によつて支配されている以上本件公訴がその原則の運用上妥当を欠いていたり、或は検察官による公訴権の乱用となつていたりするときはその起訴は不適法と言わなければならないけれども、本件起訴については起訴状記載の公訴事実自体から見ても、国民一般が国会の審議が正常に為されることを望み、審議の場で肉体的実力の行使を見ることに強く反撥していることを顧みると、検察官として起訴状記載の各行為が被告人らによつて為されたと結論する資料を収集した以上これが起訴の途に出たとしてもその起訴が国会における朝野攻防の現実を無視して徒らに厳格に失した不当のものとは言い難い。また本件において事実審理を尽した結果から見ても公訴権の行使につき起訴便宜主義の原則の運用上明白に著しく妥当を欠いていると見るべき点を発見し難いし、かつ公訴権が検察官に認められた本来の目的と異なる意図をもつて行使されたとも見難いので、いずれの点から見るも本件起訴が起訴便宜主義の運用を誤まつていたり、公訴権の乱用になつているというべき理由を発見することはできない。

かくして結局本件起訴は適法というできであるから弁護人らの公訴棄却の主張はすべて理由のないものとしてこれを採用しないこととする。

そこで被告人らに対する起訴状記載の犯罪事実の存否ならびに存在の場合の刑法的評価に進むこととする。

第二節 被告人らの行為の刑法的評価

第一 総論。

そもそも本件起訴にかかる案件は既に明らかなように第二十二回特別国会会期最終日である昭和三十年七月三十日会期終了まで僅かに四十二分を余すのみとなつた時刻に参議院議長応接室(通称議長サロン)で参議院議院運営委員会(「議運委」)が開かれた際、会議を主宰した委員長郡祐一の議事運営の仕方に端を発しその会議場および周辺で発生した混乱の一部をなすところのものである。すなわち本件はこれだけ言えば明らかなように政治的攻防の場で議事運営の仕方がもととなつて生じた政治的色彩の甚だ強い事件である。この時の「議運委」においては重要法案と目された憲法調査会法案および国防会議法案の二案件のほか十一法案の継続審査要求を認めるか否かが議題となつていた。この継続審査を欲する政府与党側に同調していた自由党に属する「議運委」委員郡祐一は、慣例による「議運委」委員長、理事打合会の意見一致を見ないまま敢えて本件の「議運委」を開会した。そうして開会宣言を言い出すのと殆ど同時に為された社会党左派所属理事被告人矢嶋三義の合法的な発言要求に耳をかすことなく一気に採決を急ぎ、その後同被告人らから提出された委員長不信任動議をも無視し、開会後約四分で採決し、休憩を宣した。社会党左右両派の委員、傍聴人らからの郡委員長の議事運営の仕方に対する非難の声は当初同委員長が矢嶋被告人の発言要求に耳をかさないところから始まつて、既に認定したような混乱となり、この混乱は郡委員長が議長室へ退去するまで続いた。この混乱のうちに生じたのが本件である。もしも郡委員長が委員長、理事打合会における意見一致をはかることになお一層努力するとか、開会宣言を終えた後直ちに矢嶋被告人の発言要求に耳をかし、発言要求の趣旨如何をただしてこれを処置するの態度に出るとかしたならば「議運委」における事態の推移は本件の場合とはおのずから別異のものとなつたであろうことは推察するに難くない。

もとより既に認定したとおりたとい如何に郡委員長の「議運委」における議事運営の進め方が会期終了を目前に控えて採決を急ぐ余り全く一方的であり、かつこれに対して社会党側の委員、傍聴人らが憤りを発するについて理由があり、また与党ならびに自由党側がその非難に対して応酬し、殊に榊原亨議員が混雑の中を郡委員長を速かに退去させようとして極めて活溌に活動し、これに衛視らが加勢したため本件の混乱が余計に激化したのであつたとしても、社会党側が郡委員長ないし衛視らに対し乱暴をしたとせんか、これを軽々に看過することは許されない。そうして実に本件はこの点につき社会党左派所属の三議員が被告人として起訴された案件である。されば当裁判所としては被告人三名の右混乱中における行為如何については厳正にその真相を究明し、その刑法的評価について誤りなからんことを期さなければならない。

さて事実審理の目ざすところは、もとより被告人三名の行為を明らかに、かつ間違いなく認定することが主であるが、そのためにも被告人三名に対する起訴案件を生み出した本件「議運委」における混乱につき各方面にわたつて認定するに努めそれについては既に第二章ないし第八章において詳述したとおりである。この第二章ないし第八章によつて得た結果から考えると、既に指摘したような政治的色彩の甚だ強い本件において被告人成瀬幡治の衛視らに対する暴行の案件の如きは事件全体から見た大局的観点を失わない限り中心を遠く離れて周辺部に生じたほんの些々たるものであるに過ぎず、本案件中核心的な部分を占めるものは何と言つてもまず被告人矢嶋三義の、次いでは同秋山長造の郡委員長に対する公務執行妨害、傷害罪の成否如何である。

さて矢嶋、秋山両被告人に対する起訴事実は郡委員長が矢嶋被告人の発言要求を採り上げなかつたところから始まつて同委員長が議長応接室から退去し終えるまでの極めて短かい時間に委員長席付近の人込みの中での出来事だとされて起訴されたのであつた。本件について証人ないし捜査段階での参考人として供述を提供している人々は委員、傍聴人、衛視らが雑踏してひしめく議長応接室内で多少とも興奮を伴つて目撃し経験したところを述べているのであるからそれらの人々の印象に断片的に強く残つたところを除いては瞬間的に移り動いた出来事を感情的に捕え、これを想像をもつて解釈する危険があるのみならず、後から新聞記事を読んだり他人と話し合つたりしたことの影響を受けるおそれなしとしない。当裁判所はその点に十分注意しつつ全証拠についての取捨選択を誤らないように努めたが、それについても証拠のうち最も客観的なものは本件の混乱中起訴案件に最も密接した場面を撮影している朝日ニユース・フイルム(昭和三十四年証第四三九号の五)、右ニユース・フイルムからその十六駒を鈴木敏夫が拡大して焼き付けた十六枚の写真(いわゆる朝日ニユース写真)および東京タイムズ紙に掲載された写真(昭和三十四年証第四三九号の六)(いわゆる六号写真)であつて、これについての判断も既に詳述したところではあるが、これらはその性質上客観的にして最も直接的のものであるから、前記の如き供述証拠の取捨判断を決するについても、またそれ自体としても、全証拠中その重要性の度合いの強さは群を抜いている。すなわちこの三種の写真が本件事実認定に対して占める位置、効果についてなお一言しておく必要を感ずる所以である。

さて、(1) このうち六号写真は被告人秋山長造の行為についてのものであるがそれは一秒の何十分の一の瞬間を捕えた一枚の写真であるから、これらのみをもつてそこに現われていない秋山被告人の行動をこの写真の現わすところの印象に固定させて徒らに同被告人に不利に想像をめぐらすことは許されない。しかしそこには、顔を右向けにしたやや不自然な姿勢ではあるが、秋山被告人が扇子を持つた右手を郡委員長の左腕に掛けた瞬間が鮮明に写し出されている。その反面この写真は向つて左方に手を挙げた姿勢で黒い影の写し出されている人物が実は社会党左派所属「議運委」委員菊川孝夫であつたのにそれが被告人矢嶋三義であるとする誤解を招くもととなつて、郡委員長その他の証言、参考人の供述に影響しさらには起訴前の検察官にも影響し、矢嶋被告人の犯行を肯定するに力があつたろうことは当公判廷の審理を通じて看取されたところである。

(2) 朝日ニユース・フイルムは、いうまでもなく映画フイルムであつてこれを映写して見るのに途中明らかに中断されている部分が認められるほか、同フイルムは或る角度から或る距離を置いて撮影されたものであるという警戒はしなくてはならないものの、それは郡委員長の動きを中心としてこれを取り巻く混乱、その中に登場する人々の動作、態度、表情がそのままに比較的明瞭に写し取られている点に大きな意義があることを十分注意する必要がある。殊に注目すべきは秋山被告人の動きがこのニユース・フイルムによつてほぼその全貌にちかいものを看取することができる点である。

(3) 朝日ニユース写真は右ニユース・フイルム中捜査官の選択にかかると思われる十六駒を拡大焼き付けたものであつて、(2)の朝日ニユース・フイルムの検討について補助的に役立つところのものである。先にも述べたように当裁判所はこの三種類の写真については、その性質の客観的にして直接的な故に最も注意して検討したのであるが、特にそのうち映画フイルムである(2)の朝日ニユース・フイルムについては公判廷において採用し適法に証拠調をした後、証拠資料としてそこに写し出されている人物ごとに注意を集中してそれぞれ十数回づつ映写し、全体の印象との比較を忘れないようにしつつ精細に点検した。中でも秋山被告人の行動、動作、態度および表情については特に周到に観察を尽くしたのであつた(もし起訴前に当裁判所がしたように心をむなしうし労と煩とをいとうことなく同フイルムについて目標人物ごとにその行動、動作態度、表情について十数回づつ映写点検したならば参考人ないし被疑者の供述についてその価値判断を誤まることなく、両々相まつて事案の真相を把捉するについて正鵠を失わなかつたはずである。映画フイルムの如く動作そのものをそのままに写し取つているものについて人の行動を観察するにあたつては、ただの一回、多くて二、三回ぐらいの映写によつただけでは入り交じる人々の短時間の動きに眩惑されて問題の人物の行動の判断を誤まる危険を免れないことは数十回にのぼる映写実験の結果当裁判所のつぶさに体験し、痛切に実感したところである)。

ところでこの朝日ニユース・フイルムには本件「議運委」に先立つて行なわれた内閣委員会の審議の模様も撮影されているが、既に認定したとおりこの内閣委員会でまず本件重要法案を含む諸法案の継続審査要求の可否を決するについて波乱を免れなかつたため、当時内閣委員会が荒れたとして口々に伝えられたのであつた。実にこの言い伝えが会期終了間際の切迫した時刻であることと相まつて、本件「議運委」の開会を人々が緊張して迎えるもととなり、多数の傍聴人を引きつけ、衛視中「議運委」に直接関係ない者までが「議運委」が荒れそうだと聞くや駈けつける原因となつているのである。また秋山被告人が委員長席の近くその背後にまで進んで傍聴したこと、或はまた下痢を押して成瀬被告人が遅れながらも議長応接室に入室したことも、国会会期終了間際に重要法案の継続審査か否かが問題になつている折柄のこととて当然のこととはいいながら、右の内閣委員会が荒れたということに由来していることの強いことを認めない訳には行かない。その内閣委員会の状景の一端をも右朝日ニユース・フイルムはとらえているのであるが、荒れたといわれる同委員会ですら社会党側が委員長席に詰め寄つて相当激しく抗議する場面はあつても、衛視が多数入室して来るというようなことは見られず、終了後は平穏な人々の動きに帰している模様が明瞭に看取されるのであつて、このことは、この後の本件「議運委」における混乱の有様と比較してその相違に深く考えさせられるものがある。

さて本件「議運委」の状景について郡委員長を中心として同フイルムが写し取つているところを見ると、郡委員長が休憩宣言をしたとおぼしき頃からは郡委員長に対する社会党側委員らからの抗議はとみに激しさを加え、郡委員長が画面に向かつて右方に傾いたと見るや、次いで向かつて左方に引かれて傾くようなところも一度は見受けられるが、それはそれだけのことで、同委員長はその後前後左右からの社会党側の非難に対して手を振り口を極めて応酬を続けており、同委員長に対して社会党側から抗議以外に暴行と見られるような攻撃の加えられる状景はついに見受けられない。ただやがて向つて右方から自由党所属参議院議員で「議運委」委員の榊原亨が現われて郡委員長に近づこうとする状景が現われ出すや、画面は大写しとなつて同委員長を中心とし、これに近づいて抱きかかえようとする榊原議員の姿、さらに衛視の数もふえてこれを取り囲む光景となり、同委員長をめぐる人々の動きは目まぐるしく、これを正確に把捉できないほどとなりつつ郡委員長を取り囲む一団がついに議長応接室を退去するに至る。他方、当初から同委員長の背後に立つている秋山被告人の様子は他の人々に比較して最も明瞭に捕えられている。すなわち同被告人の態度はまず社会党側委員席の方向を見やりながら抗議に和している表情や口ぶりを表わしているが、やがて郡委員長の後ろから紙片を差し出してこれを同委員長の前に置こうとする動作を示し、次いで何かを拾おうとしてかがみ込む様子が見られ、さらに同被告人も、もまれながら郡委員長の退席に反対しようとするかの表情、身ぶりを示すに至るが、その後前記の大写しとなつて最も混雑している頃には同被告人も混雑にもまれて一回転し向こう向きとなつて人込みにもまれている様子が見られ、最後には郡委員長を取り囲んだ一団が退去して行くあとに、距離を置いて取り残される同被告人の姿が見え、その後は江田三郎議員が数名の衛視らと相対する場面となる。このように右ニユース・フイルムに現われている限りではついに秋山被告人が郡委員長に対して暴行を加えたと疑うに足りる場面は全く見受けられないのである。もつとも前述のとおり同フイルムは途中撮影の切れているところがあり、当然あつたはずの前示六号写真に撮影されている場面が欠けている。しかしこの六号写真の場面は朝日ニユース・フイルムからの拡大焼き付けをした前示の朝日ニユース写真十六枚のうち第九枚目の次に位置するものであることは既に第八章第二節で指摘した如くであつて、すなわち六号写真は右の朝日ニユース・フイルム中撮影が途切れた箇所と郡委員長を中心としこれを榊原委員や衛視が取り囲んで混雑する大写しの始まる箇所との中間に当たる場面であることは明らかである。従つて六号写真に現われている秋山被告人が右腕を郡委員長の左腕に掛けた場面は郡委員長がいまだ委員長席を離れないで非難攻撃に応酬している段階に当つているのである。この六号写真に現われている秋山被告人の動作は同被告人にとつて最も不利な唯一の客観的証拠というべきであるが、この点を如何に見るべきかについては、六号写真がただ一枚独立して存在するところのものであつて、その前後の同被告人の動作の連続が如何様であつたかを確定する由がないことに注意しなければならない。さればこの写真の現わすままに印象を固定して徒らに同被告人の不利にのみ想像をめぐらすことは慎しまなければならない。さりとて同被告人が弁解するようなよろめいたため無意識に郡委員長の左腕に右腕が引つかかつたということも右写真の表わすところに沿わないと考えられるので、このような弁解に引きずられる訳にも行かない。以上いずれにも捉われることなく朝日ニユース・フイルム全体の表わす同被告人の行動、態度、動作、表情から考察すると、同被告人に郡委員長の退去に反対する気持はあつてもこれに暴行を加えてまで阻止しようとする意図はうかがうに足りないことならびに同被告人の右腕に存する爆弾破片創による後遺症があることにも照らして第八章第二節で説明したように同被告人が郡委員長を着席させようとして瞬間的に六号写真のような動作に出たものと見るのが妥当だと考えるのであるが、以上の証拠全体の綜合的考察からこのような事態における同被告人の右の行為を目して暴行罪だとするには未だ十分ではないというほかはない。

矢嶋、成瀬両被告人に至つては、右六号写真にはもとより、朝日ニユース・フイルムにその片影だに現われていない。

以上三種類の写真の検討の結果郡委員長が最も人にもまれたと思われる場面は榊原議員が同委員長に近づく頃から後の段階に属することは明瞭である。すなわち委員長席から離れて議長応接室を退出しようとしている時であつたことは否定できず、この点から見て郡委員長に対する暴行の有無、受傷の時期、原因についての証人、参考人の供述証拠は十分の警戒をもつて判断しなければならないところであつて、その取捨判断の結論はすべて既述したとおりである。

かくして最も客観的にして直接的な以上三種類の写真は、ついに被告人らの犯行を証明するには足りず、朝日ニユース・フイルムに至つてはむしろ各種の供述証拠を取捨するについて価値判断を誤まらないための枠となるの機能を果たしている点にその主たる意義を認むべきだと考える。

以上の考察を基礎として次に各被告人ごとにその行為の刑法的評価を試みることとする。

第二 各論

本件被告人らに対する公訴事実は第一章に記載したとおりであるが、当裁判所がそれを対象として事実審理を尽くした結果、第二章ないし第八章において認定し得た被告人らの行為が刑法上の犯罪を構成するか否かを次に判断する。

(一) 被告人矢嶋三義

被告人矢嶋三義の具体的行為については既に第八章第一節において認定詳述したとおりである。そこでここでは同被告人が参議院議院運営委員会委員長郡祐一の身体に対し暴行を加え同委員長の職務の執行を妨害するとともに同人に対し第五章に記載したような傷害を負わせたという起訴状記載の事実の存否について考えてみる。

まず第一に同被告人が自分自身で郡委員長の身体に対し具体的に暴行を加えたという点についてはこれを確認するに足りる証拠がない(その詳細は第八章第一節で述べた)。ところで当時郡委員長の身体に対しなんぴとかによつて或る程度の暴行が加えられその結果起訴状記載のような傷害を同委員長が被つたことは、前記認定のとおりであるから被告人矢嶋三義が他のなんぴとかと郡委員長の身体に対し暴行を加えるについて共謀したか否かを考えてみるのに、本件当日左派社会党議員総会は数回開かれ(中田吉雄の検察官に対する昭和三十年八月十九日付供述調書第七項、第八項)、特に内閣委員会終了後「議運委」の開会される直前第四控室で開かれた議員総会において右内閣委員会理事菊川孝夫から同委員会の模様が報告された(証人千葉信、同近藤信一、同江田三郎、同小笠原二三男らの前記各証言)ことはこれを認めることができるけれども、右議員総会については正式な招集はなされず、その内容についての記録もとられていないので(証人清水徳松の昭和三十五年六月二十二日第四十九回公判調書中第(59)問答)、この総会において被告人矢嶋三義が起訴状記載のような郡委員長に対する暴行について他のなんぴとかと事前にこれを共謀したと認めるに足りる証拠はない。また本件議院運営委員会の開かれた後被告人矢嶋三義を含む社会党議員らが同委員会議場である参議院議長応接室において郡委員長の委員会運営に関する措置を不当としてこれを非難攻撃したことは前記第四章第三節で認定したとおりであるけれども、被告人矢嶋三義の行動は郡委員長に対する前記不信任案提出行為に尽きるのであつてその後他の社会党側委員や同傍聴議員らが郡委員長の周辺に詰めよせたのは矢嶋被告が右不信任案の提出を郡委員長から無視されてこれを非難攻撃するためのものであつたことは前記認定のとおりであるから同被告人が郡委員長の公務執行を妨害し或はその身体に暴行を加えることについて他の社会党議員らと現場でこれを謀議したりまたは意思の連絡を遂げたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠がないばかりか、前記第四章第一節および第三節(特にその第二(五)および(六))認定の諸事情に照らすとかかる共謀は存在しなかつたことを認めるに足りる。

従つて、前記第四章および第五章において認定したように郡委員長が被告人ら以外の社会党議員らから押されたりまた議長応接室退出の際の混乱にもまれた結果前記第五章に認定のような傷害を受けたことが肯定できても、被告人矢嶋三義に対してこれが刑法上の責任を問うに由ないものと言わなければならない。

(二) 被告人秋山長造

被告人秋山長造の本件委員会における具体的行為については既に第八章第二節において認定詳述したとおりである。すなわち同被告人は郡委員長を着席させようとしてその右手を郡委員長の左腕に引つ掛けたものと認められるのであるが、その際同被告人が郡委員長に対してその公務の執行を妨害するに足りる暴行を加える認識を有していたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠がない。何となれば第四章第三節第二(五)、(六)および第八章第二節で認定したところと本章第一総論の箇所で説明したところから明らかなように郡委員長の為した議事運営を不当とし退席せんとする同委員長に抗議してこれを着席させようとすることは、その行為をした前記認定のような時期および状況のもとでその程度の行為に止まる限りはこれを目して暴行と見ることは当たらないのみならず、同被告人の右腕に存する前記第七章認定の負傷による後遺症状からするもさしたる力を伴つたものとは見難いからこれを暴行罪として評価するには不十分であると言わなければならない。

ところで被告人秋山長造の郡委員長に対する公務執行妨害について事前共謀の認められないことは既に被告人矢嶋三義について説明したところと同じであるが、現場共謀については必ずしも同一に論ずることはできずむしろ郡委員長の周辺における混乱の中にあつて他の社会党議員らに和して行動したと見られるふしのうかがわれることは既に本節第一総論の部分で述べたとおりである。しかしながら被告人秋山長造も郡委員長に対し暴行を加える意思がみずからなかつたことはもとより、現場においても暴行について他のなんぴとかと通謀したり或は意思の連絡を遂げたものと認められないことも既に述べた総論のうち同被告人に関する説明からして明らかなところである。

従つて被告人秋山長造に対しても起訴状記載のような刑法上の責任を問うことはできないと言わなければならない。

(三) 被告人成瀬幡治

被告人成瀬幡治の本件議院運営委員会における具体的行為については既に第八章第三節において詳細に認定したとおりである。そこで同被告人について起訴状記載のような犯罪行為が存在するか否かを以下に考察する。

(甲) 当裁判所が既に認定した同人の具体的行為中本件起訴事実の範囲内に当たるものを再記すると次のとおりである。

被告人成瀬幡治は

(1) 本件議院運営委員会が休憩となつて郡委員長の退室直前頃同委員会の会議場である参議院議長の応接室に東入口から入り

(イ) 同入口と委員長席との中間辺りの場所(別紙添付第四図面③の位置)で衛視班長長島安五郎の上衣の胸部辺を右手で二、三回突き、

(ロ) 事務総長席背後(同じく第六図面③の位置)で衛視木村明の背後から右手で同人の襟首を掴んで後へ引き、

(2) 委員長および議長の退室後、議長応接室前廊下(同じく第八図面図示の位置)で左派社会党議員秘書田中功孔らから衛視長佐々木司が同被告人を殴打した旨を聞知するや同衛視長に対し右手で同人の胸倉(開襟シヤツの襟の辺り)を掴んでゆすぶりながら「お前俺を殴つたのか」とこれを問責したのである。

被告人成瀬幡治および同人の弁護人久保田昭夫は右各事実は証拠上これを認めることができないと種々主張するので、以下にその主張とこれに対する当裁判所の判断を示す。

(一) 被告人成瀬幡治の衛視長島安五郎に対する行為について同被告人自身は次のように主張する。(昭和三十六年七月二十七日第六十六回公判期日)「成瀬が長島の胸部を手で突いたことはない。長島は公判廷で(昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書)検察官に答えて、仲間で話し合つたことはあるが、自分の見たこと思つたこと以外は他人から聞いたことを織り交ぜて検事に話をしたというような記憶はないとしているが、たとえば供述調書について言えることは、7にある『木村のももの辺りを蹴つたように見えました』とある如きは、現場見取図から判断して、公判廷で明らかとなつた混乱の中で、果して見ていたのか、非常に疑問があり、他から伝聞を推定しているとみるのが常識である。また蹴られたはずの木村も否定しているが、木村を蹴つたのは長島一人だけである。原田自身は後から突かれたことは否定しているが、原田を後から突いたとするのも長島一人だけである。佐々木の後から肩の辺りをつかんでいたとする点であるが、佐々木はかかることはないと供述調書で述べており、また原田、木村などは佐々木が委員部長を守つているのを見ているが、成瀬が佐々木に暴行を加えたのを見ていない。肩をつかんだとしているのは長島と徳武であるが長島は徳武を見ていない。仮に成瀬が衛視に暴行を加えたとするなら順序はどうか。長島の述べている順序かどうか。混乱でよくわからないから間違えたのであろうと善意に判断すべきか、他からの伝聞であると判断すべきか、伝聞である。衛視が事件後種々話し合つたことは長島も公判廷で認めているが、このことは認めるとか認めないとかが問題ではなく、話し合うのが通常である。また伊能証言にあるように、自由党議員からの指示があり、話し合い、打ち合せをしてデッチ上げられた供述であり信憑性がない。長島の検察官に対する供述調書を検討するとき、何故に第一回になかつたことが第二回に出て来ているか。誘導によるものか、他の衛視からの伝聞を自身が見たとしたのか、どちらかであり、悪意がある。人をおとしいれようとの態度意図から作られた調書である。特信性がないのは当然である。長島がみずから成瀬に胸部を突かれたと主張するのは作り話である。事件後、自由党筋の指示によるものか。衛視心理を考えれば容易にわかる。体験だから間違いないとの判断くらいこの際誤つた判断はない。自由党対策委へ呼び出され、私はかくかくされた。他はかくかくであつたと報告できない衛視は栄進もできないし、認めてもらえないのである。この際、自己を被害者、すなわち、勇者に仕立てなければ、おくれを取ると考えるのはひとり衛視のみではなく世の常である。自己の体験を誤りなしとすれば証人も裁判も不必要となる。」また弁護人久保田昭夫は長島安五郎の証言および供述につき次のとおり主張する。「長島の証言は一般的に信憑性がない。長島は公判廷(第二十六回)では成瀬からの暴行を受けたというのは『前から向き合つて押されたと思う。当日混雑していたので当日の記憶は正確なものではない。一寸押されたような記憶がある』と述べているにすぎない。しかも『今考えてみれば事件当日の状況把握は私としても渦中の一人として行動しておつた関係上若干の自分のみた主観的な考え方は違つた点もあるかとも思う』『違つていることを意識して供述したのではないが現在違つていると言われても自信がない』『調べの前に集まつて準備したことはないが、本件直後には本件についての話をしたことがある』等の証言からみれば、長島が事前打ち合せの事実や衛視らと種々当日の模様について話し合つたことを極力否定しまたは印象を弱めようとしているが、それにもかかわらず当日の行動について正確な認識が得られる状況になかつたこと、同僚と種々当日の模様について話し合つたであろうということが推認される。このことは他の証人の供述、朝日ニユース・フイルムに見る室内の模様から見ても裏づけられる。以下長島の供述を見るに『私は西入口に立つて見ていると、開会になつたと思う間もなく委員長席の方がわあわあという騒ぎになつたので東入口へ駈けつけ室内にはいつて行つた。委員長を一刻も早く守らねばならないと思い人波を分けて急いではいつて行つた。ところが図面イ点で湯山議員からどなられて胸倉を掴んで二、三回押された。しかし早く委員長の所へ行かねばと思つてさらに前進した時に被告人から胸倉を掴まえられて二、三回突かれた。被告人は何か言つていたが言葉は聞き取れなかつた。それからさらに無理に人波を押し分け委員長に接近し一人隔てた位置に行つた。委員長の姿は見えなかつたので着席していたと思う。同人は身体をもたげて「休憩します」と言い、続けて何か言つていたがその言葉の後で「僕を守つてくれ」と言つた』と供述している。ところが第二回目供述では『右手で上衣の胸を掴まえて二、三回突いた。成瀬は議長席の方に寄つていつたが佐々木に暴行を加え、さらに木村、原田、木村の順で暴行をした。木村のももの辺を蹴つているのが見えた』と述べている。第一、第二回目の供述には差異、矛盾がある。次に長島は入室直後湯山に暴行を受けたというのであるが、その暴行と成瀬に受けた暴行がその態様において全く同一である。社会的事実として同じ暴行が有り得ないということを主張しようとは思わぬが、それにしても両者は余りに同類型である。湯山が『衛視何しに来た、帰えろ帰えろ』と怒鳴りつつ暴行した、として供述しているが、同じような発言を他の衛視らは成瀬の発言として供述している。この他の衛視が供述する『成瀬が発言した趣旨』を湯山に使つてしまつた長島は『胸倉を掴まれて二、三回突かれた』成瀬については何と言つていいのかわからなくなつて『その言葉が聞き取れなかつた』と供述するという喜劇を演ぜざるを得なくなつた。成瀬に前から胸倉を掴まれたというのであれば面と向かうことになるから何を言つているか聞き取れないというのも奇妙である。この同類型というのは結局作り事の認識であるからそのようになつたとも思われる。その他長島の供述の中で不合理、誇張的供述を拾い上げると次のものがある。すなわち『委員長と一人隔てたくらいの個所まで近づいた』というのに『委員長の姿は確認しなかつた』というが一人隔てた所(同人の作成した図面によれば同人は委員長席の真後である)で委員長の安否を気づかう長島が委員長の姿が見えないはずがない。なお『その後「休憩します」と言いさらに何か言つた後に「衛視僕を守つてくれ」と言つた』と言うのであるが、休憩前委員長着席中に委員長の附近に衛視がいなかつたことはニユース・フイルムを見れば明確である。また周囲の人も聞いていない『休憩宣言』を聞くという放れ業を演じている。『衛視、僕を守つてくれ』という言葉に至つては如何にも芝居じみた演出された言葉である。同人の供述によれば他の発言について『……の意味の言葉』という使い方をしているところからみれば、この『衛視僕を守つてくれ』という言葉はその通りに発言された言葉と思われるが、余りに芝居じみた言葉である。朝日ニユース・フイルムの抜粋焼付写真を見ても、郡委員長が立ち上がつている三ないし九葉目までにおいても、証六号の写真においても長島とおぼしき人物は写つていない。もし『休憩』とか『守つてくれ』とかいう委員長の言葉を聞き取れるような近くにいるのであれば当然写真に写るはずである。現に委員長より一、二人後にいる佐藤ほか一名の衛視が写つているのにこの両者を除き帽子すら写つていない。このような長島の供述については被害者の言という理由のみによつて信憑性ありということはできない。自己に対する行為であればさらに誇張が伴うのが通常であり、むしろ信憑性はゼロである。」

以上の主張に対し当裁判所の見るところは次のとおりである。すなわち長島衛視は自己の体験につき検察官に対しては「成瀬議員に胸倉を掴えられて二、三回突かれました」(昭和三十年八月九日付供述調書第五項)、「私が成瀬議員に胸倉を掴まれたのは事務総長席と議長室に通ずる扉の中間辺の位置でした。成瀬議員は私の上衣の胸を掴んで二、三回突きました」(同年九月十六日付供述調書第一項)と述べ、当公判廷における証人としての供述調書中では「議長応接室の入口から中へ進む途中、図の△印の地点で成瀬議員に会つた記憶がある」(昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中第三十七問答)、「当日混雑していて当日の記憶は正確なものでないが、ちよつと押されたような記憶がある」(同調書中第三十九問答)と述べられているのを併せ考えるときは、長島衛視が被告人成瀬幡治から胸を突かれたという事実は認めざるを得ないと言うべきであろう。同証人には被告人成瀬幡治および弁護人久保田昭夫の主張するように信憑性のない供述も多々存することは推認に難くないけれども、少くとも同人の自分の身体に加えられた攻撃に関する点はこれを十分信用することができるのである。ただ被告人成瀬幡治の右行動の時期については当裁判所が既に第八章第三節において認定したとおり長島の供述する時刻よりもややおそい時刻である。弁護人久保田昭夫は委員長着席中に衛視が議長応接室に入室したことはないと主張するけれども、朝日ニユース・フイルム(昭和三十四年証第四三九号の五)によつても衛視の入室時期はこれを明らかにすることはできない。なお長島衛視が被告人成瀬幡治から胸部を笑かれた位置として図示するものは別紙添付第四図面図示のとおりであるが、この位置は検察官に対する供述と公判廷における供述とほぼ一致する。

中野庄九郎の供述についても被告人および弁護人久保田昭夫はその信憑性のないことを主張し、特に同人が被告人成瀬幡治の背後から追尾して歩き廻つたことにつき変つた行動をする人物であると述べているが、同衛視が被告人成瀬の後をついて歩いたということは同被告人の活動振りが相当目立つたものであつたからだと想像されなくもないのであつて特別に奇異な行動と目することもできないのである。また同衛視の証言では被告人成瀬が「長島衛視の後から襟を掴んだ」(昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中第七十一問答)(昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書第二項)というのであるから長島本人の供述と攻撃の方向が異なるというけれども、この供述の食い違いがあるからといつてその信憑性を否定し去る訳にはゆかない。何故ならばそういう場合をこの証人が目撃しただけで前から胸を突いたのを見損じたかも知れないのであるし、この証人の供述によれば被告人成瀬の行動の時期はむしろ被告人らの主張に近いという点(右同公判調書中第二百八十四問答、第二百八十七問答等参照)も存するから一概にこの証人の供述に全然信憑性がないということはできない。長島衛視に対する具体的行動以外にこの証人の供述中には被告人成瀬幡治の当時の行動を示唆するものは多分に含まれており、長島自身の供述と併せて考えれば、どうしても当裁判所の前記認定に至るものというほかはない。

(二) 次に被告人成瀬幡治が木村衛視の襟首を掴んだ点につき同被告人は次のとおり主張する。

「木村は公判廷での証言において『成瀬に掴まれたのを見たのでなく成瀬が後にいたからかく判断した』という。これは間違つた判断である。私は絶対に木村の襟首などに手を掛けない。

木村と原田と小西との検察官に対する供述および証言には次のような食い違いがある。

(イ) 木村は検察官に対する供述調書で『成瀬は木村の襟を掴み私の横にいた原田班長の襟首を後から掴んだ』と述べて、公判廷では原田のことはわかりませんと述べている。

(ロ) 原田は昭和三十三年七月十七日の公判調書では、『木村、小西は議長応接室で見たのみで他は記憶なし』と述べ、昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書では、私の前に小西、木村が並ぶように立つており、成瀬は小西の帽子を投げ、木村の帽子を取つて東入口へ投げた。さらに小西衛視の後肩を掴んで引き倒そうとしていた』と述べて、『木村の襟首をつかんだ』ことを否認している。

(ハ) 小西は公判ならびに供述調書において木村と原田については何も述べていない。木村も原田を見ていないことになる。原田が木村の横に並んでいたとする小西は何も知らないというのである。

木村によると成瀬は木村の襟首を後から掴んで、原田の襟首を後から掴んだことになり、原田によると成瀬は前方から原田の内股を蹴り開襟シヤツを掴み、次に成瀬は小西の帽子を取り、木村の帽子を取り、次に小西の後肩を掴んだことになる。

木村、原田、小西の三者の証言、供述共に食い違つていて、木村の言を取れば原田の言は間違いとなり原田の言を取れば木村の言は間違いとなる。小西は木村も原田も見ていない。いずれが真か、両方とも信用するに足りない。」

以上の主張に対し当裁判所は次のように考える。すなわち公判廷で述べなかつたり供述調書に記載されていないからと言つてその事実が存在しなかつたことにはならず、質問者が或る事項について尋ねなければ供述者は答えないのが普通であるばかりでなく、質問されても答えないことすら往々にしてあることである。供述の食い違いもそのことによつて直ちに供述の信用性を喪失するものではなく、食い違つている二つの事実が共に存在する場合もある。当裁判所は被告人の主張する前記のような食い違いがあつても、なおかつ後に述べるような理由で被告人成瀬幡治が木村衛視の襟首を背後から引つ張つた事実を認めざるを得ない。

また弁護人久保田昭夫は木村の供述等に対する批判として次のとおり主張する。

「木村は『検察官に供述した頃は事件直後で皆とも話をしたので記憶が新しかつた』と述べているが、この新しかつたのは皆とも話し合つたことによると思われる。すなわち同人は『暴行を受けた頃室内は相当混雑し、自分の行動を意識していたというより咄嗟的に行動していたし自分の認識した事実もすべて瞬間的なことであつた』と(証言中反対尋問に対し)いうのに同人の供述調書の観察は中々詳細である。これは結局『七月三十日のことに関して衛視仲間で回顧談をしたことがあり、その話で持ちきりであつた。あの人がこういうことをやつたというようなことも話に出たし仲間との話の中で新しいことを聞かされたこともあつたと思う』と述べているように本件後、衛視の間で武勇伝や手柄話に花を咲かせ相互の話が入り乱れまた尾鰭がついて経験事実の程度と範囲が段々広まつて行くという過程で本件供述が為されたと推測される。右に加えて度々述べてきたように当時の自由党の働き掛け、当時の雰囲気、衛視の迎合的感情などが織り交ざり供述調書のような事実ができ上がつたものと思われる。そうでなければ混乱した状態の中に巻き込まれていて周囲の事情が認識しうるはずはない。この点を考慮しつつ木村の供述証言を検討すると、木村衛視は西入口にいて『矢嶋が出した書類のやりとりを見ていてそれから入室して行つた』というのであるが、そうだとすれば点に行つてから委員部長が委員長の方に出て来たというのは時間的に見て不合理である。委員部長宮坂完孝は再会宣言直後に事務総長席の横に来て議案朗読を始めているはずである(第十三回公判宮坂完孝証言)。また混乱状態の中で点にいて郡委員長の『委員部長』と呼ぶ声を聞き得たというのも疑問であるし、郡委員長は議事途中或は再会宣言直後においてすら『委員部長々々』と盛に呼んだという証言は全くない。また木村は事務総長の椅子の背に手が掛かる程度の所にいたと証言しているのに朝日ニユース・フイルムには同人の姿は全く写つていない。まして議事中に衛視の姿が議長応接室内特に委員長事務総長付近には見当たらない。これはカメラのライトの関係によつて写らなかつたというものではなく、かなり後方まで写つているのに衛視の姿は写つていないのである。以上の点からみれば木村の供述は必ずしも措信しがたい。」

さらに同弁護人は中野、原田、林、長島らの供述等については次のように主張する。

「中野はこの点につき『……襟を掴んで三、四回後に引つ張り、木村は後をふり返つてみていた』と述べているが、混雑した(同人は『人をかき分けなければはいれなかつた。相当人がいるため簡単には進めなかつた。まわりの人とは肩と肩とが触れ合う程度であつた』と証言している。)中でそこまでの観察ができたかどうか極めて疑問である。まして『木村がその時ふり返つて見ていた』ということに至つては驚くべき観察である。その中野は、長島、佐々木のことに関しては他の供述者(林、長島、佐々木、徳武)と全く異なつた認識をしている。喧々囂々として人が相当動いていただろうと思われる狭い部屋の中の混乱裡にあつてそのような細かい観察が為し得たとは思われないし、他の事実に関する供述は信憑性がないことと相待つて措信することはできない。次に原田の供述を見ると、原田は木村の横にいて木村に対する暴行を見ていたというのであるが、この『襟を掴んだ』ところを見たという供述をしていない。特に第二回目の供述においては木村、林らの供述内容を捜査検事は知つているのであるからこの点について尋ねたであろうと思われるのにこれについて何ら述べていないのは襟首を掴んだということを認識していない―事実がなかつた―という結論にならざるを得ない。次に林の供述する認識事実は長島、原田、佐々木の何れについても他の供述者と全く異なる。しかも同人は『成瀬の暴行を見て後、委員長の後の通路を広くした方がよいと思い点にいた小西と二人で机を一尺ぐらい下げた』と述べているが、成瀬の暴行と通路を広くした方がよいと思つたこととは全く関係がないと思われるし、小西の供述によつて同人の行動経過を見ればそのような机を動かすという行動の余地は有り得ない。まして委員長後方の机上には朝日ニユース・フイルムを見ても明らかなようにカメラマンが上がつているのにこれを動かすことはできないはずであるし、事務総長席の南西の方角にいる衛視に対して成瀬が暴行を加えている(添付図面参照)のに対し何の必要があつてこの机を移動させるのかその理由はない。広くすれば成瀬の暴行が納まるとでも考えたのであろうか。また林は議長室退避後委員長がカメラを呼べといつた旨の供述、七月三十日当日事前に議運が混乱するというので命令を受けていた旨の証言等、他の何人も認識しないような供述や証言をしているがこれらも本人の迎合性、自己の行動弁護という傾向が見受けられる。所詮この林の証言供述は信憑性がない。

次に長島は木村に関しては『成瀬が佐々木の肩の辺りを後から掴んで引き下ろそうとした後に木村の帽子を飛ばした』と供述している。この長島が佐々木、木村、原田については第二回供述で取つて付けたような列挙式供述をしているのは全く信用できない。しかもこの長島によれば『木村は帽子を飛ばされた』にすぎないのである。

以上の如く木村に対する成瀬の行動は証拠上認められない。木村の自己の被害に関する供述についてはたとえ混乱のうちにあつても自己の被害であるからその認識も確実であると主張するかもしれぬが当時の夜の混乱状態からみれば自己に関するものであるからといつて正確に認識しうるとは思われない。夢中であれば少々の暴行を受けてもわからないのが普通である。他の被害についても正確に認識し得ない者が自己の被害についてのみこれを正確に認識しうるとは思われない。自己の被害であれば却つて誇張され易いというべくその供述の信憑性はゼロといえよう。」

この主張に対しては当裁判所は次のように考える。すなわち被害者たる木村明の昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の証人としての供述記載によれば「私は後へ引倒されそうになつたときにふり向いたら成瀬議員がいた」(第四十四問答)、「その時成瀬議員は大分何か騒いでいたと思う」(第四十五問答)、「衛視、どけとかいうような言葉が出ていたと思う」(第四十六問答)、「(私は同議員に)襟首を掴まれたと記憶する」(第四十八問答)とあり、昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書中には「そのうち私は後ろから『衛視、邪魔だ出ろ』と襟首を掴まれ次で帽子を取られてしまいました。驚いてふり返つたら私にこの暴行を加えた相手は成瀬議員だということがわかりました」(第九項)とあり、また前記公判調書中の供述記載には「事件直後の八月八日に検事の調べを受けたときは記憶が新ただつた。その時検事に話したことは間違いない。」(第六十八問答)、「成瀬以外の者からやられたとは思つていない」(第百三十七問答)、「検察庁での供述は他人から聞いた話も混ずることは考えられる」(第四十七問答)が、「他人から聞いたことを自分が経験したことのように検察官に述べたことははつきり覚えない」(第百七十二問答)とあるのであるから同人の供述全部を信用することはできないとしても少くとも同人のみずから体験した事実の供述部分はこれを十分に信用できると思料されるのである。

木村が被告人成瀬幡治から襟首を引つ張られた事実は、なお次のような証拠によつてもこれを認めることができるのである。すなわち弁護人は「長島の供述調書中には木村が成瀬から帽子を取られたことだけしか記載されていない」と主張するけれども、長島の検察官に対する昭和三十年九月十六日付供述調書第一項には「また成瀬議員は木村衛視の帽子を取つた後で木村の襟を掴んで後ろに引張り」と述べた旨の記載があるのである。

また弁護人側申請にかかる証人でその法廷における供述趣旨全般から比較的信用度の高い証人長谷川進(事件当時議長応接室にいて被告人成瀬幡治の行動を詳細に観察していた衛視)の昭和三十六年二月十三日第五十七回公判調書中の記載にも「成瀬議員は入口から入つて来て(この入口は東入口であることが前後の供述から明らかである)『衛視何のためにはいつて来たのだ』と言つていた。そして木村衛視の帽子を取つて投げた」(第六十四問答)、「成瀬は誰かわからぬが衛視の肩を掴んだのも見た。そこで私はそれを止めた」(第八十五問答)、「成瀬が木村衛視の襟首を掴んで後から引つ張つたということはあつたかも知れない」(検察官から検察庁での取り調べの時かように述べていたがそういう事実はなかつたかと問われたのに対して第十二問答での答)とあることからも木村が被告人成瀬に襟首を掴まれた事実はこれを認めざるを得ないのである。

(三) さらに被告人成瀬幡治の衛視長佐々木司に対する行為について弁護人久保田昭夫は「成瀬が(廊下で)佐々木に近づき注意喚起のために胸部か腕か何処かに触つたことがあるとしても佐々木のいうような暴行といいうる程度の行為をしたとは認められない。『お前どうしたのだ』と言つて注意喚起のために胸を軽く掴むとか相手の胸に手を当てるという程度の行為は刑法上の暴行に当たらないから仮に成瀬がその程度のことをしたとしても何ら違法のものではない」と主張し、

被告人成瀬幡治は「私は佐々木の腕や肩を掴み身体を前後にゆすぶる等の行為をしていない。私は廊下で議長応接室はどうなつたのか主として新聞記者から様子を聞き、それに岡議員も加つていた。すると三、四メートル離れた議長室入口附近で秘書が議員を衛視が殴つたという声が聞こえた。そうすると一人の衛視(佐々木)が急ぎ足で私の方へ近づき、私は動かず佐々木と向かい合う結果となつた。そこで議員を殴つたのかと右手をあげて尋ねた。そのとき私は上衣を脱いで左手で上衣を持つていた。廊下で私が写つている写真でも上衣を脱いでいるが、議員の多くは上衣を脱いでいる。右手がどうということなしに佐々木の胸のあたりに当たつた。検察官から右手か左手かと数回尋ねられ、利き腕はどちらかともたづねられたが、特別右手、左手に意味があるとも考えないので話がくどいのでサアどちらかでしようというようなことを申しましたら成瀬の供述調書は、私は右利きですが、そのとき右手でつかんだか左手で掴かんだかは覚えておりませんとなつた。胸倉をつかんで『お前やつたかと聞きました』と供述調書にあるが、検察官からどこかつかんだであろうと何回か聞かれたが、掴まない、さわつたというとそれは掴んだと同じようなことでないかとの言葉のやりとりが繰り返され面倒くさいので、まあそうしておきなさいというようなことになつた。供述調書については形式的に聞いていたのみでよろしいというので署名拇印したというのが実体である。(私が佐々木と相対すると)すぐ佐々木の後を追うようにして秘書も来、衛視も寄つて来たので私も後へどく、佐々木も後へさがつて議長室入口方向へ去つたというのが真相である。当時の心境としては何もやつていないし、起訴されるなどとは夢にも考えていないので、不用意というか形式的にかたづけ仕事で調べに応じ検察官の書くままに不用意に軽く扱つたというのが真相である。この供述調書をたてに取られてはたまつたものではない」と主張する。

右の主張に対し当裁判所の見るところは次のとおりである。すなわち証人佐々木司の昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載によれば「私が総長を議長室に入れるため一旦廊下に出たら秘書が十人ぐらい立つていて『こいつだこいつだ』と言うと、成瀬議員が『僕を殴つたのは君じやないか』と言つた」(第八十五問答)、「成瀬議員が私の肩に手を掛けたかどこかに手を掛けた記憶がある。とにかくさわつたことはあるがはつきりしたことは記憶がない。ちよつとこづいた程度は記憶ある。体をゆすぶつたこともあつたが前後に動いたかどうかそう大きくは動かない。余り長い時間ではない」(第九十三ないし百三問答)とあるのと、

被告人成瀬幡治の昭和三十年九月十二日付検察官に対する供述調書中「私は議長秘書室から議長室入口まで行きそれから議長室外側の廊下をブラブラしていたが、議員秘書が『あなたを殴つた奴がいる』『こいつが殴つた』と言つて一人の衛視を指さした。私は別段衛視に殴られた覚えはなかつたが秘書がそういうので聞いてみようと思いその衛視の胸倉を掴んで『お前やつたのか』と聞いた。私が掴んだのはその衛視の上衣か開襟シヤツの襟だつた。私は一方の手に上衣を持つていたから他の手で襟首を掴んでいただけであり、殴るとか腕を掴むとかいうようなことはしなかつた。私が『お前やつたのか』と聞くと衛視は殴りませんと言つており、周囲にドツと秘書や衛視が寄つて来たので私はすぐ手を離しその場を立ち去りました」(第四項)とあるのを総合すれば、被告人や成瀬幡治の佐々木衛視長に対する本節第二(三)冒頭記載の事実は優にこれを認定することができるのであつて、被告人成瀬幡治の前記検察官調書について前記のような弁解はついに採用することはできない。

(乙) 被告人成瀬幡治に対する本件公訴事実中

「(一) (1) 衛視小西保雄に対し同人胸部を手拳で突く等の暴行を加えもつて同衛視の職務の執行を妨害するとともに右の暴行により同衛視に対し全治約一週間を要する右胸部打撲傷を負わせ

(2) (イ)衛視副長徳武国広に対し同人の顔面を手拳で殴打し

(ロ)衛視班長原田音吉に対し同人の股を足蹴にする等の暴行を加えもつて右徳武国広外一名の職務の執行を妨害し

(二) 議長室前廊下において衛視長佐々木司に対し同人の腕および肩を掴み身体を前後にゆすぶる等の暴行を加えもつて同衛視長の職務の執行の妨害するとともに右暴行により同衛視長に対し全治約一週間を要する右上膊部皮下出血の傷害を負わせたのである」との点については、

まず結論を示すと衛視小西保雄、衛視副長徳武国広、衛視班長原田音吉らに対する公務執行妨害罪、衛視小西保雄に対する傷害罪を成立せしめる暴行の点についてこれを確認するに足りる証拠がなく、衛視長佐々木司に対しては前記傷害の事実を確認させるに足りる証拠がない。

以下にその所以を説明する。

(1) 衛視小西保雄に対する暴行に関する証拠について。

この点につき小西保雄の昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書中には「私が委員長の後まで行つた時委員長が『委員外の職員は退場するように』と二回ぐらい大きな声で言つた。私はこれを聞いてすぐ委員長の命令を各衛視に伝えるべく『命令が出た、命令が出た』と叫びました。すると成瀬、岡、江田議員が私の委員長との間を遮るように私の前に立ふさがり『議員に命令する奴があるか』と口々に言つて私を小突きました。私は委員長席の後方で事務総長席の方に向かつて立つていたのですが、成瀬議員が私の斜め右前におりその右側に岡、岡の右側に江田、というように立つておりました。しかしこの人達は私を小突いていたので私の位置もこの人達の位置も一定していたわけではありません。私はこの三人に肩や胸を小突かれよろよろしておりましたが岡か成瀬かが強く胸の右の方乳の辺りを拳で突かれあをむけに倒れました。突かれてよろめいた時倒れている椅子につまづいてひつくり返つたのです。その後この議員達がなおも私に乱暴しようとしたが長谷川衛視が阻止してくれた。私が倒れたのは議長席と事務次長席の中間辺で頭を北に向けて倒れた」(第五項)とあつて、強く右胸を突いたのは「岡か、成瀬か」というふうに果して両人のうち何ぴとであるかは明確でなかつたのであるが、同年九月十五日付検察官に対する供述調書に至ると、「私は議長応接室で成瀬議員から胸を突かれ椅子につまづいて倒れたが、その時岡、江田も一緒にいてこの三人の議員はこもごも私を小突いた。私の胸の打撲傷は突き倒される時にできたものと思う。倒れる前にこの三人から突かれた以外に胸を突かれていないからその時受けた傷だとしか考えられない」(第二項)とあつて、胸を突いて小西を倒したのは成瀬被告人であるという特定した供述記載となつているのであるが、事件当時より後に作成された供述調書でこのように明確化されるについては特段の事情が伴わなければ、たやすくは信用し得ないところである。同人の証人として述べた昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中にはこの点につき「私が『命令があつた』というと二、三名の議員から『議員に命令する者がいるか』と言われて小突かれた。その中に成瀬議員がいた」(第七十一問答)とある程度の供述があるに止まり、この趣旨は、小西の検察官に対する最先にして本件に近い前示八月九日付供述調書と同様に果して同人が被告人成瀬幡治から突かれたかは明瞭でないのである。そこでこの点に関する前示九月十五日付供述調書の記載は軽々に信用する訳に行かない。もとより小西衛視が当時別紙第七図面図示の位置で転倒したことはこれを認めることができるけれども、その時期は委員長退出後であり(同衛視を突き飛ばした者の中に前記引用証拠に現われているように江田議員がいたとすれば同議員が委員長席附近まで移動したのは、既に第八章第三節で説明したように、委員長退室後であることからしても)、証人小西保雄の前示検察官に対する昭和三十年八月九日付供述調書に見られるような早い時期においてではないと認めざるを得ない。しかも殊に小西衛視の倒れた原因に至つては、それが間違いなく明確に被告人成瀬幡治の行為によるものであることはついにこれを確認するに足りる証拠がなことは以上の検討において明瞭である。同被告人の小西衛視に対する身体攻撃を供述するものとしては他に原田音吉の検察官に対する昭和三十年八月八日付供述調書中に「成瀬議員は小西、木村の帽子を投げてから小西衛視の後より小西の肩を掴んで引き寄せるようにし後ろに引き倒そうとしました。掴んでいたのは確か小西の右肩だつたと思います。小西衛視は東側暖炉前の委員部長席の机の前に倒れかかりました」(第三項)という記載があるけれども、これをもつてしては起訴状記載のような傷害を発生せしめ、或は同じく公務執行妨害となるような暴行を認定するに十分ではない。

(2) 衛視副長徳武国広に対する暴行に関する証拠について。

この点については証人徳武国広の昭和三十三年七月十六日第十八回公判調書中第三十九問答以下に「佐々木衛視長は成瀬議員に右肩を掴まえられていた。私が佐々木を引き離したら成瀬議員が『この野郎』とか『何をするんだ』とか言いながら右手か何かで私の左頬を叩いた」とあるのが唯一の証拠である。

中野庄九郎の検察官に対する昭和三十年八月八日付供述調書第二項には「成瀬先生は佐々木衛視長の斜後ろから靴で衛視長の脹脛の辺りを数回蹴飛ばしました。私の目の前のできごとですから蹴飛ばすのがよく見えました。衛視長は振り向いて先生の腕を押しましたが徳武副長が分けてはいりました」との供述記載があるから、徳武副長が佐々木衛視長と被告人成瀬幡治との間に分けてはいつたことはこれを認めることができても、これをもつて徳武副長が被告人成瀬幡治に顔面を殴打された事実を直ちに認定することはできない。

ところで証人徳武国広の証言内容は、他の証人の証言内容と対比し、また被告人秋山長造の昭和三十六年六月二十六日第六十三回公判調書中第六ないし八問答の供述記載等と照し合わせて考えると、多少の誇張のあることが認められ、特に被告人成瀬幡治の右行動に関する部分は信用性が薄弱であると認められるふしがあるから、同被告人の徳武国広に対する前記暴行については結局これを認めるに足りる証拠がないことに帰するものというのほかない。

(3) 衛視班長原田音吉に対する暴行に関する証拠について。

原田班長に対する暴行は同人の内股を被告人成瀬幡治が蹴つたというのであるが、この点に関しては原田の検察官に対する供述調書中の記載があるだけで当時周囲にいた目撃者の供述はいずれもこれと異なるものであることに注意する必要がある。すなわち原田音吉の昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書中には「私は委員長の安全を計るために近づこうとし事務総長席の後まで人を分けてはいつて行きました。すると成瀬議員が私に突然『衛視が何するんだ』と言つて私の内股を蹴飛ばしました。私は北を向いて立つており成瀬議員と丁度向かい合つていたわけですが、成瀬議員の位置は丁度蹴上げた足が私に届くぐらいの距離でした。成瀬議員の足は私の内股の左側に当たり痛みを感じましたが私は後によろめいただけで倒れはしませんでした」(第三項)とあり、

木村明の昭和三十年八月八日付検察官に対する供述調書には「成瀬議員はさらに私の横にいた原田班長の襟首も後ろから掴んでおりました」(第九項)とあり、

林左右吉の昭和三十年八月十二日付検察官に対する供述調書には「成瀬議員はさらに原田衛視や佐々木衛視長をも突き飛ばしておりました。この突き飛ばし方はいずれも前方から胸や肩の辺りを突いておるのです」(第四項)とあり、

長島安五郎の昭和三十年九月十六日付検察官に対する供述調書には「成瀬議員はまた原田班長の斜後ろから手を延ばして突くような恰好をしておりました」(第一項)とあつていずれも原田自身の述べるところと種々様々に異なつている。

しかも原田の昭和三十三年七月十七日第十九回公判調書中の証人としての供述記載によれば当初は「事務総長席の直ぐ後ろまでやつと入つて行くと(第百六問答)、社会党の先生(第百十三問答で成瀬被告だという)に正面から『衛視は何するのだ』と言つて蹴られたように感じた(第百八問答)、右足の内股だ(第百九問答)」とあるが、後には「成瀬には本当には蹴られていない(第二百七十二問答)」と曖昧な供述となつており、殊に検察庁では左内股と述べていたのがここでは右足の内股と変わつていることにも注意しなければならない。

以上の次第で被告人成瀬幡治の原田音吉に対する暴行はついにこれを確認するに足りる証拠はないというほかはない。

(4) 衛視長佐々木司に対する傷害に関する証拠について。

被告人成瀬幡治が佐々木衛視長に対し傷害を負わせる程度の暴行をしたことについては佐々木司の検察官に対する供述調書中の供述記載以外にこれを認めるに足りる証拠はない。

すなわち佐々木司の昭和三十年八月六日付検察官に対する供述調書中には「私が秘書室から廊下に出て議長室の前まで行くとそこに十人ぐらい集まつていた秘書の中から『こいつだこいつだ』という声がし成瀬議員が十人ぐらいの秘書と一緒に私を取り囲みました。成瀬議員は北側の壁を背にして立つた私に向いて立ち私の右腕を強く掴み左肩に手をかけて『俺を殴つたのはお前だろう』と言いながらグイグイ前後にゆすぶりました。成瀬議員は確か左手で私の右腕を掴み右手で肩をゆすぶつたのだと思います。成瀬議員が掴んだのは私の右腕の上膊部です。『私は殴りません』と弁解しておりましたが成瀬議員は『証人があるぞ』というようなことを言つていた。私は事実誰をも殴つていないので『殴つていない』と繰り返し言つていたが、その時衛視らがかけつけ、私はようやく中野班長から左手を引かれ西の方に向かつて逃げました。逃げかけた時後ろから私の両肩に飛びついて来た者がありましたが、誰かわかりませんでした。私が逃げる時議長室前の廊下には社会党議員やその秘書が一杯集まつておりました。私は西北隅の階段を下りて地下室に行きそこではじめて自分の白長袖開襟シヤツが破れていることに気がついたのです。そのシヤツは袖が右肩から二十センチぐらい裂けておりました(第八項)。私は夜中の一時半頃自宅に帰り私の右腕上膊部に親指大の内出血のあとが三つぐらいできていることに気づきました。また両肩から腕のつけ根、胸、背にかけて赤い縞のような筋が五本ぐらいついていることに気づきました。肩の方は三、四日で傷痕がなくなり、腕の方の内出血は一週間ぐらいであとがなくなりました。私は応接室内では手首を握られましたが腕を握られたことはなく、成瀬議員に上膊部を掴まれたほかその部位を掴まれたことはない(第九項)」とあり、

同年九月十五日付検察官に対する供述調書中には「議長室外側の廊下で右上膊部と左肩を掴まれて体を前後にゆすぶられたため右上膊部内側に一つ、外側に二つ親指頭大の内出血ができた(第二項)」とある。

ところで当時佐々木衛視長と成瀬被告人との周囲にいて成瀬被告人の行動を目撃していた衛視らの供述調書等を見ると次のような記載がある。

小西保雄に対する昭和三十年八月九日付検察官供述調書中には「成瀬議員は佐々木衛視長の前に行つて同人の開襟シヤツの襟を掴み突き上げ、さらに左頬を拳で一回殴りました。成瀬議員は『お前議員に暴力を使うのか』と言つて胸倉を掴み『生意気だ』と言つて頬を殴つたのです(第八項)」とあり、

伴侃爾の昭和三十年八月九日付検察官に対する供述調書中には「廊下に佐々木衛視長が出て来たのに対して左社の成瀬議員が『君だろう殴つたのは』と言いながら佐々木君の腕を掴みました。佐々木君は『殴つた覚えはない』と答えていましたがここでまた紛争になつては困ると思いその辺の衛視を指揮して二人を引き分けた(第二項)」とあり、

中野庄九郎の昭和三十年九月十六日付検察官に対する供述調書中には「その後私は議長室前の廊下を警備していたが、佐々木衛視長が議長秘書室から出て来ました。その時議長室前廊下に成瀬議員と三人ぐらいの議員秘書が立つておりました。一人の秘書が『この衛視長が議員を殴つた』と言つて佐々木衛視長の腕を掴んだ。それから他の一、二名の秘書と成瀬議員が佐々木衛視長の腕を掴み、秘書は佐々木衛視長の左腕を掴んでいましたが成瀬議員はどちらの腕を掴んでいたかはつきり記憶していない。成瀬議員も腕を掴んでいたことは間違いない。私は佐々木の後ろに行きその左側から同人と成瀬の間に割つてはいり佐々木の右腕を引つ張るようにして西の方に連行した(第二項)」とあり、これらの供述者が公判廷で証人として述べたところは次のとおりである。

証人小西保雄の昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載によれば「廊下へ出た時成瀬が秘書と二人で議長応接室の方から議長室の方へと廊下を歩いて来た。向こうから佐々木が来て秘書が何か発言したら成瀬が佐々木の胸倉をつかまへ『こいつかこいつか』と言つていた(第百二十二問答)、成瀬の真後から私は見たが相当すごい勢で掴んでいた(第二百三十問答)」とあり、証人伴侃爾の昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中の供述記載によれば「佐々木が議長応接室の壁を背にして議場の方に向き、成瀬は議場を背にして佐々木の方を向き、人が間に二、三人おり手を伸ばしていたのを記憶する(第五十一問答)、成瀬が佐々木の肩の辺をまさに掴むという程度だつたが、掴んだということは確認してない(第五十四問答)」とあり、

証人中野庄九郎の昭和三十三年十二月二十四日第二十六回公判調書中の供述記載によれば「議長室の入口の廊下で佐々木が秘書に腕を掴まれ『この衛視長が殴つた』と言われた(第九十問答)、検事に調べられたのは間もないことで大体間違いないと思う(第百一問答)」とある。

以上目撃者の供述によつては到底起訴状記載のような傷害を発生せしめるに足りる程度の暴行があつたと認めることはできない。

ところで当の佐々木は証人として法廷で次のように述べている。昭和三十三年十二月二十三日第二十五回公判調書中の供述記載によれば「総長を議長室に入れるため一旦廊下に出たら秘書が十人ぐらい立つていて『こいつだこいつだ』と言うと成瀬議員が『俺を殴つたのは君じやないか』と言つた(第八十四問答)、成瀬議員が私の右腕を掴んだかどうかその当時は覚えていたが今は忘れた(第九十五問答)」とあり、

昭和三十五年十二月二十三日第五十五回公判調書中には「(本件に関して事務局に提出した)報告書には成瀬議員に左手を掴まれたと書いたが検察庁では右腕を掴んだと述べた(第十九問答)、報告書を書いたのは事件のあつた翌日の七月三十一日である。検察庁では検事に左手じやおかしいと言われて右手かなと思うようなはつきりしないものだつた。検事が左手ではおかしいと言つたのはシャツの右袖が裂けていたからである(第二十六問答)」旨の供述記載がある。

暴行を受けた当の本人である衛視長佐々木司の供述が右のように曖昧である以上、その暴行の態様は明らかでない。しかも同衛視長は本件議院運営委員会には開会当初からその会議場である議長応接室にはいり多勢の傍聴者らに押されたことが認められ(同人の行動については前記第四章第三節第二(九)(4)(B)(f)参照)、またその受傷部位は両肩から腕のつけ根、胸、背部等に広範囲にわたるものであるから(同人の受傷については第六章第二節参照)、混雑した議長応接室内でのもみ合いに際してできた傷のあることも想像されるのである。

結局被告人成瀬幡治が佐々木司に対して起訴状記載のような傷害を負わせたことはこれを確認すべき証拠がないことに帰すると言わなければならない。

(丙) そこで次に被告人成瀬幡治から乱暴を加えられたと既に当裁判所が認定している衛視木村明、衛視班長長島安五郎および衛視長佐々木司の三名が当時如何なる公務を執行中であつたかについて考察する。

衛視木村明は警備課第二警護係として大臣、議長、副議長の警護を担当する職務を持つていた者で本件議院運営委員会の会議場である議長応接室へは委員長を護衛する意図をもつて入室し、衛視班長長島安五郎は警務部警備課所属で本来議場係担当であつたが警護にも従事していた者で、本件当時議長応接室へは委員長を護衛する意図で入室し、衛視長佐々木司は同じく警備課所属で委員会の警備、警護、巡羅を担当していた者で必要に応じ委員長、議長、事務総長その他を護衛する意図で入室したのであるが、右三衛視の議長応接室への入室ないし議長、委員長等の身辺護衛その他警察権の執行については、議長または委員長からはもちろんその他上司からなんら具体的命令が出なかつたものであることは既に第四章第三節第二(九)において認定したところであり、特に参議院衛視の職務一般については既に第四章第三節第二(九)(2)および(3)において詳述したとおりである。以上の点と前記第四章第三節第二(九)(4)において見て来た衛視の各行動から考えると、本件議院運営委員会における木村、長島、佐々木各衛視入室は本件「議運委」の審議が荒れる気配があつたため同人らの自発的な判断から生じたことで、その入室の意図はこれを要するに主観的には主として委員長その他の身辺を護衛するということであり、客観的には上司の命令があれば委員長議長および事務総長らの身辺を護衛するためであつたのであり、特に議長から警察権の発動があつた場合にはその命令により警察権の執行をするため待機しているというにあつたということができる。

しかし既に第四章第三節第二(九)(2)で認定した衛視の一般的職務権限から見てかかる待機行為もまた公務に従つていたものと言わなくてはならない。また佐々木衛視長は議長応接室で委員部長を庇護し郡委員長および議長が議長応接室を退去して議長室に行つたのち議長の動静を見るため議長室に行つたうえ、さらに事務総長の身辺を気づかつて再び議長応接室に赴くべく議長室から廊下に出て議長応接室前に至つたところ、そこで被告人成瀬幡治に身体的な力を振るわれたのであるから、その場所こそ議長応接室前廊下であれ、かつまた郡委員長の休憩宣言後であつたとしても、この時同衛視長もまた前記二衛視と同様に待機行為を続けて右の場所にさしかかつたものというべく、これまた公務に従つていたものと見なければならない。

(丁) さて被告人成瀬幡治が木村、長島各衛視および佐々木衛視長に対し前認定のような行為をしたことは、その程度こそ右衛視らに遭遇した際瞬間的に加えた軽微なものではあつても、やはり公務執行の妨害となるべき人の身体に対する有形力の行使をしたものとは言えると考える。されば同被告人の右三名に対する前認定の行為は一応外形的には公務執行妨害罪に該当する要件を具備しているものと言わなければならない。

ところで通常の事態のもとで国会議員が国会に登院して審議行為に携わり或はその権利である委員会の傍聴をなす等国会議員として当然の活動をしている場合、その国会活動によつて衛視の公務の執行を妨害するなどということは、そのことを考えること自体甚だ滑稽なことである。思うに国会にあつては国政の審議に当たる国会議員こそその主役であり、衛視は既に詳述したとおり、事務局に属し、上司の命令のままに議院警察の執行記章傍聴券の点検、院内の警務等に従事することを任務としているのであつて、要するに国会議員の院内活動の妨げとなるようなことを排除する労務に従事する者たるにすぎない。されば衛視は国会議員の院内における国会活動については上司の命令がない限りこれに奉仕こそすれ、その妨げとなるような行為をしてはならないものというべく、本来衛視の活動によつて自己の国会における活動が十全に営まれるよう奉仕を受けることを期待すべき主役たる国会議員が、その奉仕をする衛視の公務を国会活動によつて妨害するというが如きことは通常の場合には起こり得ないところであるというべきである。

しかるに本件では異例にも被告人成瀬幡治が本件「議運委」の傍聴に赴いた際前記三衛視に対して為した行為が外形的には同衛視らの公務の執行を妨害した場合となつているのである。そこで以下に被告人成瀬幡治の為した前記認定の外形的な公務執行妨害行為についてあらゆる観点からその実質的違法性の有無、その内実如何を検討することとする。

(1) 上に述べた国会議員と衛視との本来の地位、性質の区別にかんがみると、それからだけでも参議院議員である被告人成瀬幡治が「議運委」の傍聴に行くなど会期中における院内治動を行なつている際にほかならぬ衛視に対してその公務執行を妨害したのであるから、これによつて侵害したとされる被害法益は相対的に見て既にそれほど大きなものとは言えないと考える。なぜなら国会議員と衛視というような関係の間でなされたのとは違う一般の公務執行妨害罪の場合ならいざ知らず、それとは甚だ類を異にして、その公務の執行によつて本来利益を受ける立場にある上位の者が、その公務の執行を妨害している場合だからである。

(2) しかも木村、長島各衛視の本件の場合における具体的な公務執行の実質的内容を見るに、既に認定したとおり、木村衛視はもともと上司の指示によつて「議運委」の連絡員として議長応接室入口に配置を命ぜられてそこに立つていたに止まるのであるが、本件「議運委」が騒がしくなるや、自己の判断で別の衛視を警備係に連絡に行かせ、なんら上司から議長応接室に入室することの命令はなかつたのに、みずから進んで議長を護衛する意図で入室して待機していたに止まり、また長島衛視は元来議場係であつて兼ねて警護にも従事していた者であるが、本会議の準備の便宜上「議運委」の状況を知るため議長応接室を覗いたところ、内部が騒がしかつたので、別に上司から命令はなかつたものの自発的に委員長を護衛する意図で入室して待機していたに止まるのであるから、いずれもその公務執行の内容は上司の命令があれば議長ないし委員長等を警護すべく待機していたというに尽きる。それは決して現に議長または委員長が他から暴行などを受けており、これについて上司から具体的な命令が出てその暴行を受けつつある議長または委員長を救いつつあつたというような内容の公務執行をしていたものではなかつたのである。佐々木衛視長に至つては委員会の警備、警護、巡羅を担当している者であつたが、警備係分室で待機中部下の中野班長から「議運委」が大変なことになつたと言われて議長応接室に駈けつけて入室し、宮坂委員部長の継続審査案件の朗読をし易いように庇護したのち書類の奪い合いに加わつた社会党議員秘書を室外に押し出し、さらに議長の退室を見廻つて議長室に赴いたのち事務総長の安否を気づかつて再び議長応接室に赴くべく同室前廊下に来たところ被告人成瀬幡治から前記の程度の暴行を受けたのであるから、その時の公務執行の内容はせいぜい前記二衛視と同様事務総長を警護するための待機行為の続行中であつたということは辛うじて肯定しうるものの、前記二衛視の待機行為に比するときは遙かに間接的なものであつたというほかはない。

ところで衛視の職務の本来の性質が国会議員の院内における活動が十全に行われうるようこれに奉仕することにあることは前認定のとおりであるから、衛視が右のような公務執行としての待機行為を行なつているに止まる場合には、国会議員の動静には十分注意を払い、その進退を妨げることがないように十分注意して職務に服すべきだといわねばならない。本件「議運委」の審議が如何に難航し、与野党の応酬が激しさを加え混乱の様相を呈するに至つたにせよ、上司からなんら明確かつ具体的な命令は出ていないのに、通常勝手に入室してはならない委員会議場に本件衛視らが入室したのであるから、その後の衛視らの行為が待機行為としての公務執行行為だとはいえても、その待機行為を行なうについては、上司の命令が何時、如何なる内容で出されるかを十分注意すべきであるとともに待機行為の段階である以上、衛視は国会議員が与野党いずれの所属であれ、その進退を妨げることのないようみずからの位置、行動、態度については格段の注意を払うべきだと考える。しかるに別紙添付図面にも明らかであり、かつ既に衛視らの行動について詳述したように国会会期終了当日の終了間際に先に開かれた内閣委員会が荒れたという言い伝えがあつたためも作用して衛視らは具体的かつ明確な命令はないのに入室したうえ、その後もてんでんばらに「議運委」会議場内を右往左往したのであつてそれぞれの職務柄善意に出ずるとはいえ、その公務執行行為の実行について周到な顧慮を欠いていたものであることは明らかである。

(3) これに対して国会活動に従つている国会議員の地位は国内においては、しかも特に会期中は十分に尊重されなければならないことは当然である。しかも被告人成瀬幡治の前認定の議長応接室への入室行為は参議院議員、かつは法務委員会委員長として法的に正当に、かつ実質的には参議院議員の職責を全うするために、「議運委」における審議を傍聴する資格を具えて為されたのである。その時は既に郡委員長の休憩宣言があつた後で、同委員長は退室せんとしており、同委員長の議事運営の不当を非難抗議する社会党側とこれに応酬しつつ「議運委」は休憩にはいつたとして郡委員長を速かに退室させようとする与党ならびに自由党側との争いによつて混乱していた時であり、しかも既に多数の衛視が入室して各自の主観的意図でてんでんばらに位置していたのであるが、この様子を目撃した同被告人は委員長席の方に赴くべく群がる人々をかき分けて進むうちその進路にいた木村、長島各衛視に対し前記のような程度の暴行をし、またその後同室前の廊下に出て新聞記者らから「議運委」の混乱した原因、経緯を聞いたりしているうち、秘書から「成瀬議員を殴つたのはこの衛視だ」として指示された佐々木衛視長を、国会議員を殴るとは何事かと咎めて前記のような程度の暴行に及んだものであることは既に認定詳述したところから明らかなところである。

そこで同被告人が右の暴行に出るに至つた所以を顧るに、従来、国会において与、野党間にもめごとがあると、衛視がしばしば出動し来たつて結局は野党側の行動を押さえる結果となる事態があり(証人鈴木一((本件当時無所属議員クラブ所属の参議院議員で、「議運委」委員であつたもの))の昭和三十五年三月十四日第四十三回公判調書中第百十六問答)、被告人成瀬幡治もかねがねこのことを苦々しく感じ、衛視の入室が却つて事態を紛糾混乱させるもとであると考えていたので(同被告人の検察官に対する昭和三十年九月十二日付供述調書)、前記のように同被告人が議長応接室に入室した時も衛視が多数室内に来ていることに憤慨し、委員長室に近づこうと人ごみをかき分けて進んだとき、進行の邪魔になり、かつ審議の混乱を増大させるもとである衛視の存在を排除する目的で「衛視は出ろ」「どけ」などと叫びながら長島衛視の胸を突いたり、木村衛視の襟首を引つ張つたり帽子を取つて投げたり、さらには同室外廊下で国会議員を殴つた衛視だとして指摘された佐々木衛視長を咎めるためその胸許を掴んでゆすぶつたりしたものであること(なお成瀬被告人のほかにも本件「議運委」の会議場で衛視の入室に憤慨し「衛視、何しに来た、帰れ、帰れ」とか「衛視何を乱暴するんだ、お前なんか向こうへ出ていろ」とか、「君達のはいる所ではない」とか、「君達は出ろ」とか叫んで、衛視らに対し或る程度の実力を振るつた社会党議員が数名存在することは既に第四章第三節第二(九)(4)(B)で見て来たところであつて、これらの議員はいずれも起訴されなかつたのであるが、このように成瀬被告人と同じく衛視の入室、態度等に憤慨する社会党議員が他にもいたということは成瀬被告人の行為の動機が単に同人ひとりの独断によるものではないことを確めるに足りる)が本件審理の結果明らかに認められる。

(4) このように見てくると、被告人成瀬幡治の前記三衛視に対する暴行は外形的には一応公務執行妨害罪の構成要件を充たしてはいても、その暴行自体が衛視らに遭遇した瞬間的に為された軽微の程度に止まつているのみならず、これによつて侵害したとされる被害法益はもともと相対的に大きいとは言えないうえに右衛視らの公務執行の内容も前記のような経緯で生じた待機行為の程度に止まるものであるから、被告人成瀬幡治の占める地位、行動の意図、その具体的状況から見て同被告人の具体的に侵害した法益の内容も、その侵害の程度も、また侵害の態様もすべて甚だ軽微であるといつてよい。しかも同被告人の右行為が国会会期終了当日の終了間際に当時の国内外の政治的情勢上重要法案と目されるものの継続審査要求の可否をめぐつて与野党激突の雰囲気のもとに本件「議運委」が郡委員長の議事運営の無理に端を発して既に混乱していた際に生じたという特殊な事情を考えるときは、その法益侵害の軽微なことと相まつて現在の段階においては同被告人の行為に刑罰の制裁をもつて臨まねばならぬ程の実質的違法性ありと解することは公平観からして抑制しなければならないものがあると考えざるを得ない。

もとより新憲法が旧憲法を改めて国民主権を宣言し、これに応じて国民の代表者である議員によつて構成される国会の地位が最高機関として高められている点にかんがみると、およそ国会議員たるものの国民に対する責任は重大であつて、国民一般の国会ないし国会議員の在り方に対する期待としては国会における国政の審議が専ら品位と良識をもつて充実した論議を十分に尽くすことによつてのみ為され、これによつて議会政治の実をあげることこそ国会の本然の姿であり、国会審議の際如何なる対立、如何なる経緯があるにせよ国会内で国会議員が実力を振るうようなことがあつてはならないとすることは当然であると思われる。このような国民一般の側に立つた観点から本件を見ると、多数衛視の本件「議運委」会議場への入室の根拠が不明確であり、入室後の位置、行動が当を失していたため、これについて被告人成瀬幡治その他数名の社会党議員らが如何に押さえ難い忿懣を覚え、やみ難い衝動に駆られたにせよ、国民からその主権を行使すべく選ばれた代表者として国会内で衛視などに対し実力を振るつてその行動に反応するが如きことはして貰いたくないとして顰蹙を買う行動であるとされるにしても、これに対する国民の批判が選挙によつて示されることは別として、右の国会議員の行為、殊に本件起訴に即して言えば被告人成瀬幡治の前記行為を法律的に、わけても人の行為を処罰すべきか否かという刑法的見地において法律的に評価する場合には、右のような国民的な道義感ないし感情に基く批判とはおのずから別に既に上に説いたようにこれを公務執行妨害罪として刑法上の処罰対象に取り上げるほどの価値を有しないという結論に達するのである。すなわち被告人成瀬幡治について外形的に成立した前記公務執行妨害行為は、これを刑法的評価にさらすとき、殆ど実質的違法性を欠くにちかく、ついに可罰性のないものと見るを妥当とするということになる。

(5) ところでこのような結論となる場合に、公務執行妨害行為は実質的違法性を欠くが故に無罪ということになるとしても、衛視らの公務を離れて衛視ら各個人に対する赤裸々な暴行行為の点は如何に考うべきであろうか。そもそも被告人成瀬幡治の前記各公務執行妨害行為中公務執行の妨害となるべき暴行の点の実質的違法性は、この暴行が公務執行妨害罪の構成要素をなしているため上述のように公務執行妨害行為全体が既に実質的違法性を欠くとされた以上、これもひつくるめて当然阻却される訳であるが、このような結論となる場合でも、個人としての前記各衛視らに対する赤裸々な暴行行為そのものの実質的違法性如何の点はなお改めて評価し直さなければならないものとして残るといわなければなるまい。

そこでこの点について検討することとする。既にこの暴行は、これを内容とする公務執行妨害行為全体として評価され実質的違法性を欠くものとされた以上、この暴行の点だけをさらに再び取り上げて処断するためには、それを敢えてするに足る程度の実質的違法性を具備していなければならないと考える。しかるに上来詳細に見て来たように国会会期終了日当日の切迫した時期において前記の如き国内外の政治的情勢のもとに重要法案の継続審査要求の可否をめぐつて与野党の対立している際、しかも既に本件「議運委」が混乱してしまつた時期に同被告人は会議場に入室してこの状況を目の当たりにしたのであるから何がしかの興奮が生ずるに至つたことも恐らく当然のところというべく、かつ既に認定したように同被告人は衛視のかかる際の在り方に対し国会審議上これを非とする観念を抱いていたのであるから、同被告人が為した前記認定の程度の暴行は、同人が人込みをかき分けて進む際の興奮のほとばしるところ進行途中に位置していた衛視に対し遭遇の際瞬間的に為した軽微のものであるに過ぎない以上、これら諸事情を総合的に考察するときは、通常の暴行罪とは全く異なる事情のもとになされたのであるから公務執行妨害罪の実質的違法性が否定された後に、さらに再びこれを取り上げて暴行罪として評価しなければならないだけの実質的違法性もまた認め難いと見るを妥当とすると考える。もとより将来国会における議員の行動が時を追うて節度を高めるにつれ、議員が万一にも実力を行使したとせんか、これについて法律的にも漸次厳しい評価を受けるに至ることを免れざるべく、その結果本件における成瀬被告人の為した程度の軽い暴行であつても、その動機、事情の如何によつてはついに実質的違法性を肯定せざるを得ないようなこともあるべきことは、将来に対する展望として考えられないではないものの、さればと言つてこれまで国会におけるこの程度の暴行事犯が起訴を見ることの殆ど見られなかつたことにも徴し、恐らく国会における審議に関連して実力の行使されることに厳しく対処する意向で劃期的に敢えて起訴を見るに至つたものと思われる本案件において当裁判所が事実審理を尽くし、その刑法的評価において既に到達したように右の程度の暴行につき実質的違法性を欠くものとするに至つたことは、事態の現段階においてこれを顧るときやはり妥当な評価と言いうると信ずるものである。

かくして被告人成瀬幡治の前記三衛視に対する外形的な公務執行妨害行為ないし暴行行為についてはついに犯罪の成立はすべて阻却されることとなる。

第三節 結語

本判決の構成については冒頭の第一章序論で既に概観を与えたのであつたが、以上詳説したように当裁判所は弁護人の主張する公訴棄却論についてはそのすべてを採用しなかつた。わけても弁護人が力を尽くし八方論拠を挙げてその主張の貫徹に努めた議院内部のことは議院の自治問題として扱うべく、国会内における国会会期中の国会議員の行為については議院あるいは議長の告発なしに司法裁判所が触れるべきではなく、このような行為についての公訴は直ちに棄却さるべきであるとの点は、立法論としてはともかく、現行法規のもとにおける限り種々の限界があつて、これを無条件には受け入れ難く、特に本件における被告人らの具体的行為については全く当たらない所以を明らかにした。そうして事件の実体については被告人三名に対する公訴犯罪事実の存否を証拠によつて確かめ、かくして確定し得た被告人らの行為についての刑法的評価を果し、今やその検討をことごとく終えた。ここに結論を締めくくるに当たり本件をふり返つて眺め直し一言を費しておきたい。

当裁判所は本件の審理を尽くした結果、三被告人のうち矢嶋、秋山両被告人については起訴にかかる郡委員長に対する公務執行妨害、傷害が右両被告人の行為ないし他の人々との共謀によるものとするにはその証明が十分でないという結論に達し、また成瀬被告人については起訴事実中木村、長島各衛視および佐々木衛視長に対する公務執行妨害罪が外形的に成立する限度においてのみその証明は十分であるがその他の点については証明が十分でないとしつつ、その証明の十分な行為につき実質的違法性の有無、内実を検討した末、公務執行妨害罪についてはもとより衛視ら各個人に対する赤裸々な暴行罪としても既に詳述したような論拠により殆ど実質的違法性を欠き、可罰性なきものとの結論に達したのであつた。

議会政治の在るべき姿としては国会における各般の議事運営が実質的な論議を十分に尽くすことによつてのみ為さるべきであることは言うまでもないが、本案件を生み出した本件「議運委」を中心とした混乱は既に詳細に見て来たような政治的攻防の場における特殊な事情のもとに発生した特殊な政治的色彩の濃い事件であつたことを顧みかつわが国における議会政治の向上と充実とが将来なお長きにわたる国民(選挙民)と国民の代表者として選ばれる議員との忍耐強い努力にまつほかないことを正視するとき、本案件を含む混乱がわが国における議会政治の発達途上における一つの病理的現象として将来治癒されるべき時期の来ることを切に期待しつつ、当裁判所が本件審理の結果到達するに到つた既述のような実質的違法性についての評価がこのような回顧と展望における大局的な判断からも力強く支持さるべきことを信ずるものである。

最後に巷間にいわゆる「暴力国会」なる言葉のもとに喧伝された一連の事象と本件との関連について触れておかなければならない。このことは本案件の混乱が発生して以来今日に至るまで新聞紙上にしばしば現われた「暴力国会」に関する所論が本件混乱を疑う余地のない国会乱斗事件だと決めこんでいる傾向があるので、本判決の結論が或は一般国民の誤解を招くのではないかを心配することに出るのである。

上にも触れたように民主制議会政治の基本的原則は国会における議案の審議が十分に論議を尽すことによつてのみ運営されることにある。多数党が数の力を頼りに有無を言わさず押し切ることの非なるはもとよりとして、かような多数党の非に対してこれを阻止せんがためにはいわゆる「実力行使」に訴えてもよいという主張もまたこれを容認することはできない。たとい相手方の行為が如何に理不尽なものであつても暴に報いるに暴をもつてせんとする暴力主義讃美の風潮は断乎としてこれを排撃せねばならない。ところで本件における被告人らの行為によつて代表される本件の「議運委」の混乱はいわゆる「暴力国会」の名をもつて呼ばれたものであつたとは言えその審理の結果は起訴されて当裁判所の審理の対象となつた被告人の三名に関する限りなんら国会の審議行為を妨害せんとするものではなく上来認定のとおり自由党議員で、「議運委」の委員長であつた郡祐一の同委員会の強引な運営振りと被告人矢嶋三義のこれに対する抗議を無視するという事柄に端を発したもので証拠によつて確定された事実は結局被告人成瀬幡治の衛視ら三名に対する公務執行妨害という外形的事実のみであつた。すなわち言うところの暴力はせいぜい衛視に対する委員会室への侵入を排除しようという行動に過ぎなかつたもので被告人らは国会審議が正常なルールに基いて営まれないことについて憤激こそすれ、本来これを決して妨害しようとしたものでなかつたことが明らかである。ただ遅れて本件「議運委」会議場に入室して来た被告人成瀬幡治の行動が、たとい刑法的には実質的違法性を欠くと判断されたとはいえ、やや付和雷同に傾き、いささか奇矯に失していたことを遺憾とするのみである。世界観の相違やこれに基く政策上の方針等により国会運営の衝に当る本会議の議長とか或は常任委員会の委員長らに対してその公務の執行を妨害し、よつて国会の正常な運営、審議等を妨害せんとするが如きは議会政治を破壊するものとして到底これを容認できないけれども、本件における被告人らの行動はすべていささかも国会の正常な審議を妨害せんとする意図に出たものでないことは既に当裁判所の事実審理の結果明らかにされたところである。当裁判所は本判決によつていわゆる「暴力国会」を是認したものでないことはもとより被告人らが主張してやまない多数党が数を頼みとして強行審議をするからこそこれを阻止せざるを得ないこともあるのだとする社会党のいわゆる最悪の場合には実力行使をも止むなしとするかの態度を承認するものでもなく、むしろ斯様な場合においてさえ実力行使は断じて排斥されなければならないと確信するものである。ただ本件において被告人成瀬幡治によつて為された衛視に対する乱暴が既に詳細に認定し、かつ評価したように本件具体的案件においては刑法的に見てあまりにも軽微なものであるというほかなかつたが故にこれを処罰の対象から除外されるべきものとしたのである。本判決を目して社会党の国会における実力行使を是認したものと見る者があれば結論のみを見てその理由を顧みない者というのほかはない。既に一言した如く本件が極めて政治的色彩の濃厚な事件である故に本件「議運委」における混乱の過程の一部分のみをとらえこれを刑事事件として起訴した案件に対して下した本判決の結論のみによつて世人の誤解せんことを恐るるあまり敢えて一言した次第である。

以上のようにして結局被告人矢嶋三義および同秋山長造についてはいずれも被告事件につき犯罪の証明がなく、被告人成瀬幡治については被告事件が一部は証明がなく、一部は罪とならないことに帰するので刑事訴訟法第三百三十六条により被告人三名に対しいずれも無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安村和雄 裁判官 沼尻芳孝 裁判官 中利太郎)

〈以下省略〉

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